パラレル世界1
この物語はフィクションであり、実在の人物、団体、事件とは、一切、関係ありません。
これは、こことは異なる世界の話。
関東総連合会の組員に、田中一という男がいた。彼は、ヤクザの名もない下っ端であったが、今から10年前に、国家会議堂で、将軍暗殺を企てたとして、官憲に捕らわれ、処刑された。それから、10年経ち、人々の記憶から、田中一という名前は、消えて行った。
「本日、鈴木将軍は、W.U.太平天国東アジア外務担当大臣の、エリック・シャオ氏と会談し、世界平和に向けて、日本国軍を中心とした、太平洋地域一帯の安全保障に関して、より一層の緊密した関係を構築するべく、新たな軍備管理体制の強化を盛り込む条約の締結に同意しました。…。次のニュースです。昨夜、未明、新宿区の路上で、未確認情報による死傷者の報告がありました。警視庁は、先月から続く、同様の報告に関して、E.U諸国による情報収集の一環であると発表しています。」
都内飲食店の一室では、テレビからお昼のニュースが流れていた。
「ご馳走さま。」
たったいま、カツカレーを食べて、出て来た男は、肩から大きな袋を背負っていた。その男こそ、田中一その者であった。彼は、頬に大きな火傷の痕があった。
「昨日は、新宿だとすると、今日は、渋谷辺りか…。」
先月から続く、死傷事件は、決まって未明に起きる。田中は、渋谷の路地に身を隠すと、夜を待った。
「キャア…。」
「来たか。」
叫び声がした方へ、田中は、走った。その速さは、私の勘違いでなければ、常人の倍以上速かった。
「た、たすけて…。」
ホステスらしい女性が、倒れていた。その前には、男が立っていた。
「待て!」
田中が叫ぶと、男が振り向いた。男は、赤い目をして、犬歯が出ていた。
「赤目か。一撃で、終わる。」
田中は、肩にかけていた袋に手を伸ばし、中から、一本の刀を抜いた。見ると、男の両手には、ナイフのような爪が伸びていた。
「シャ!!」
男が走った。狙いは田中である。
「とおっ!!」
男が目の前に来たとき、田中は刀を振った。その斬撃は、相手を真っ二つにした。左右に体を分かたれた男は、田中の後ろで、大きな音を二つ上げて、倒れた。
「南無…。」
田中は、振り向くと、片手で、手を合わせた。そして、そのまま、闇夜に消えて行った。
「これで3体目ですな。博士。」
「まあ、そう焦りますな。偉大な研究は、長い道のりを掛けて、完成するものです。」
ここは、文京区にある東京大学浦部研究室。浦部教授と話しているのは、日本国陸軍。御親兵隊隊長津田大佐である。
「余り、悠長にされると、上の方も、何とも言えませんがね。」
「それならば、陸軍自ら、逮捕に乗り出せば良いのです。」
「それでは、軍の秘密が明るみになってしまいます。」
「ならば、待つことです。」
「そう伝えておきます。」
「しかし、これは、私にとっても、陸軍にとっても、良いチャンスだと思いますが。」
「それも伝えておきます。」
「津田。只今、戻りました。」
「ごくろう。博士は、何と?」
「まだ待てと。」
「変わらないな。」
日本国軍省丸の内ビルの一室。津田大佐がいるのは、大河内陸軍大将の部屋である。
「大河内大将。我々も、密かに、兵士を伏せてはいかがでしょうか?」
「それは、国家に反する。国家政策に比べれば、今回の事件は、些事でしかない。」
「しかし…。」
「津田大佐。君の言いたいのも分かるが、別に、これは、陸軍のプライドに掛けてということではない。この件は些事ではある。しかし、捨ててはおけない些事だ。だから、隠密裏に片付けなければならない。変なプライドを出しては、我々の首が飛んでしまう。君にも、家族がいるだろう。」
「は。差し出がましい口を聞き、失礼致しました。」
「構わない。仕事に戻りたまえ。」
「は。」
津田大佐は去った。
「さあて、可愛い部下よりも、次は、厄介な連中に掛けないとな。」
大河内大将は、傍らに仕える秘書の上山女史に言った。上山は、電話を繋いだ。
「私だ。」
「大河内です。例の件。まだ、しばらく掛かりそうです。」
「その報告は、もう聞き飽きたな。」
「申し訳ありません。大臣。」
「まあ、良い。困るのは、来年度の、君たち陸軍の予算だろう。では。」
電話は切れた。
「ふう…。上山さん。水を一杯くれたまえ。」
「はい。」
大河内大将は、デスクの引き出しから、薬を取り出した。
「ありがとう。」
上山女史の持って来た水を飲んだ。
「もう一件。浦部教授に繋いでくれ。」
「はい。」
上山女史は、電話をつなげ、大河内大将に渡した。
「大河内です。」
「何ですか?報告なら、大佐に伝えましたが?」
「単刀直入に言います。何が必要ですか?」
「…。それは、どういう意図の質問ですか?」
「我々と教授の目的を、最も効率良く達成するのに、必要な理想的条件をお聞きしたい。もちろんそれは、あくまで、教授の意見を、私が聞くだけです。」
「なるほど。では、こちらも、単刀直入に申しましょう。必要なのは、良質の素材です。」
「良質の素材?」
「ええ。いつも、そちらから提供される素材は、敢えて言えば、一般市民並みか、それ以下です。それでは、なかなか良い結果は、得られません。まあ、例えば、の話、よく訓練された健康な素材。軍人のようなものがあれば、こちらも、それなりの結果が、得られると思います。まあ、あくまで、例えばの話です。」
「なるほど。分かりました。ありがとうございます。」
大河内大将は、電話を切った。
「上山さん。津田大佐のファイルを見せてくれ。」
「次のニュースです。昨夜、未明。小石川後楽園で、未確認情報による傷害未遂事件が発生しました。犯人は、今も、付近に潜伏していると思われ…。」
「小石川後楽園…?」
田中は、都内のラーメン屋を出た。
未明の小石川後楽園は、閉まっていた。
「キャア…。」
「人…!?」
田中が付近の歩いていると、園内から叫ぶ声がした。田中は、鎖を括り、中へ入った。
「誰もいない…?」
そのとき、田中の肩に衝撃が走った。咄嗟に田中は、体をひねった。
「出たか…。」
振り返ると、銀色に目が光る男がいた。田中は刀を抜いた。
「クワッ!!」
男の手には、やはり、ナイフのような爪が伸びていた。近接戦となり、男の爪を、田中は、刀で防いだ。
「とおっ!」
田中の一撃が、男を襲った。と思いきや、男は、難なく、後ろに飛んで避けた。
「なかなか、やるな…。」
田中は、刀の柄を強く握った。田中は、走った。そして、刀を振った。しかし、それも、男は、躱した。代わりに、鉄の鎖が、糸のように簡単に切れた。
その後も、剣戟は続いた。
「ぐあっ…。」
男の爪が、田中を襲った。服が裂けて、血が流れた。田中が内に着ていた鎖帷子は、男の爪の前に、簡単に切り裂かれていた。
「心臓を貫かれればおしまいだな…。」
田中の額から、汗が流れた。
「やむを得まい。はあっ…。」
田中が、力を漲らせると、血が止まった。
「とおっ!!」
田中の勢いは、今までの倍はあった。
「クワッ!!」
田中の刀が男を襲った。血が噴いたが、両断はできなかった。やがて、男は倒れた。
「終わった。」
田中は、男に向かって、片手で、手を合わせた。
「ぐ、ぐばっ。ぐばば…!?」
「何!?」
男は、口から、血を噴き出しながら立ち上がった。
「ぐばっ…!!ぐわああ!!」
雄叫びとともに、男の腹からは、二本の腕が爪を持って、飛び出し、背中からは、盛り上がった肩甲骨が、肉を貫いて、鋭利な刃物となっていた。
「こいつは、今までとは、違う…。」
田中は、刀を握った。
「くっ。」
男の一撃が、木を薙ぎ倒した。男は倒れた木を、爪に刺すと、それを田中に投げつけた。
「とおっ!」
田中は、それを一刀両断した。
「俺は、死ぬ訳にはいかない!!」
田中は、さらに力を漲らせて、男に向かった。男の四本の腕と爪が田中を襲う。田中は、相手の斬撃は、構わず、突きだけを防いだ。斬撃は致命傷には、ならないが、鋭い爪で肉体を貫かれれば、そうはいかない。
「とおっ!!」
「ぐばっ!!」
田中の刀の刃が、男の至近距離に近づき、男が二本の爪でそれを防いだ。
「これまでか…。」
男のもう二本の腕と爪が、田中の背中から、その体を貫こうとした。
「今だっ!!」
「ぐばっ!?」
男の爪は、男自身を貫いた。男の爪が、田中を背中から貫こうとした瞬間、田中は、地面を強く蹴り、飛んだ。
「とおっ!!!」
男の頭上で、宙返りをした田中は、後ろに着地する勢いとともに刀を振り、男の背中を斬った。同時に、田中も、男の鋭利な肩甲骨によって、切り裂かれた。
「ぐばっ…。」
田中の捨て身の攻撃に男は、倒れた。そして、立ち上がることはなかった。
「南無…。」
男に向かって、田中は手を合わせた。
「次のニュースです。昨夜、未明、小石川後楽園で、津田英治陸軍大佐が、何者かに、惨殺されるという事件が起こりました。国軍省は、会見を行い、犯行は、E.U諸国の情報収集機関によるものであると発表しました。次のニュースです…。国軍省は、新太平洋地域安全保障条約に基づく、新たな人事を発表しました。それによると、大河内現陸軍大将が、小笠原諸島基地の監督官として、現地に赴くと…。」
「ご馳走さま。」
これは、こことは、異なる世界の話。21世紀末。世界は、東西に分かれていた。今から約300年前の20世紀初め、ヨーロッパ大陸で大戦が起きた。その間、アジアでは、清国で、第二次太平天国の乱が勃発した。近代化を遂げた日本と朝鮮は、太平天国軍を支援し、更に、長きに渡る本国の大戦に厭気をさしていたアジアにおけるヨーロッパ資本も、太平天国軍に協力し、ヨーロッパ各国の亡命勢力とともに東アジア大陸に、彼らによる新たな国際独立共和国を建てた。W.U(World Universe)太平天国と呼ばれたその国家は、世界各国の文化と人間によるミニマム国家の集合体的政体であったが、彼らは、元の国家とは独立した存在として、自由と民主主義の下、新たな世界秩序と経済の構築を目指した。大戦を終結させたヨーロッパ本国は、E.U(ヨーロッパ連合)という組織を作り、対抗し、両者は、ユーラシア大陸を舞台に、冷たい戦争と温かい戦争を始めた。両連合と位置的に中間にあるアメリカ合衆国は、中立の姿勢を取り、太平洋、大西洋を挟んで、両連合に物資を送ることで、独自の発展を遂げ、第三国と呼ばれた。日本国は、W.Uと緊密な関係を保ち、太平洋地域における輸送の安全を確保していた。国内では、自由民主主義が発展し、宗教団体ネオヤマト神道の外郭団体である民主日本党が、長年、与党として、国政を担当しつつ、民主日本党総裁が総理大臣を務め、国軍省大臣。通称、将軍が、それを補佐するという体制が続いていた。
国軍省は、秘密裏に、裏で日本を牛耳るネオヤマト神道本部とともに、バイオテクノロジーとエンハンスメント医療を用いた人間改造計画を進めた。彼らに妹を奪われた田中一は、妹の復讐として、ネオヤマト神道や国軍省と関係がある多目的経済団体、関東総連合会の組員となり、将軍暗殺を試みたが、実行直前に発覚し、人間改造実験の被検体として捕らえられた。田中は、人体強化実験により、常人の4~5倍の身体能力を発揮できるようになったが、実験の途中、研究所で起きた火災に乗じて、逃げることに成功した。そして、今では、国軍省とネオヤマト神道などを相手に、日々、奮闘している。これは、そんな世界の話である。