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8 私は決断する

 ショックで固まってしまった私に、商人様が部屋の外で待っているよう言う。私が動けずにいると、商人様が私の背をぽんぽんと優しく撫でる。


「ちょっと混乱している様子ですから。あとで詳しくお話します」


 私は頷くことしかできなかった。

 ご主人様の寝室を出て、蹲る。足が小刻みに震えている。

 ご主人様が私に向ける目はいつも優しかった。夜空みたいな瞳が大好きだった。あんな、あんなどこまでも暗い、真っ暗闇のような瞳で見られたことなんてなかった。

 急にどうしたというのだろう。私は何かしてしまったのだろうか。

 もしかしてもう二度と、あの優しい目を私に向けてくれないのだろうか。

 それを想像すると背筋がぶるりと震える。


 私は、どうすればいいのだろう。




 しばらくして部屋から出てきた商人様は、蹲る私を促し、サロンへ向かう。

 その間、私も商人様も無言だった。


「ライラ様、ご自身のことはどこまで理解されていますか?」


 促されて椅子に腰掛けたところで商人様に尋ねられた。私は質問の意図がわからずに首を傾げる。


「魔王様からある程度は説明を受けているのかと思ったのですが、その様子では違うようですね。はぁ…….こんなことなら、私が説明しておけばよかった」


「あの……?」


 言われていることがよくわからない。


「ライラ様、ここへきて何年でしたっけ?」


「十年です」


「その前のこと、ここへ来る前のことで何か知っていることはありますか?」


「その前?」


 私は十年前に生まれて、十年前からここにいる。だから、その前なんてない。


「……ライラ様はご自身の見た目が、十歳の少女ではないことをわかっていますか?」


 そう言われてもよくわからない。私は人間を見たことがないから、自分の姿が人間としてどうなのかなんてわからない。でも、一つ確実なことがあった。


「あの、私は十年前からずっとこの姿です」


 私がそう言うと、商人様が頷く。


「そうです。それを、おかしいと思ったことはありませんか?」


「そんなこと、考えたことがなかったです」


 だってずっとそれが当たり前だったから。ご主人様だって最初から何も変わっていない。執事さんも、メイドさんも。

 でも、よく考えたらそれはおかしいことだった。私は人間で、人間は寿命が短くてすぐに年老いていくはずだから。


「……ライラ様は人間ですが、普通の人間とは違います」


 そうなのだろう。歳を取らない人間が普通のわけがない。


「……ライラ様は……私が作った人間なのです」


「え?」


 作った……? 何を言われているのかわからない。どういうことなのかと問う視線を商人様に向けるが、商人様はそんな私の視線に気付いてるのかいないのか、そのまま話を続ける。


 昔々あるところ、退屈を持て余した魔王がいた。誰も彼に敵わず、刺激のない日々。

 魔王は暇つぶしに人間界へ行ってみることにした。ツノも尻尾も隠して、人間に扮して人間界へ降り立った。

 ただの暇つぶしのはずだったのに、そこで魔王は一人の少女に恋をした。「ライラ」という名の少女だった。

 少女も魔王に恋をして、少女は魔王と共に魔界で生きる決意をした。そして二人は幸せに暮らしましたとさ。


「ここで終われば物語はハッピーエンドなのですが、そうはいかなかったのです」


 商人様は眉間にシワを寄せ、難しい顔をする。私は、これから言われることが、おそらく自分にとって良くないことなのだと直感した。何か得体の知れないものが身体中を這うような気持ち悪さを感じる。


「私たち魔族と人間では寿命が大きく異なります。特に魔王様は膨大な魔力がありますから、その隔たりはさらに大きい。私はね、実は商人ではなく魔王様の側近だったのです。私は魔王様に言いました。ライラ様を魔族化するようにと。……けれど、魔王様はそれを拒否しました。魔族化というのはつまり、眷属化するということなのです。魔王様は、愛したライラ様が魔族化することでその在りようが変わってしまうことをおそれ、人間であるライラ様を愛し続けました」


 話が進むにつれ、私の心臓は音を刻む速度を上げていく。


「私はね、ずっと嫌な予感がしていました。何にも執着せず冷徹だったはずの魔王様が、些細な変化すらおそれてしまうような相手。ライラ様が亡くなったあと、魔王様はどうなってしまうのだろうと。私は人間であるライラ様に何かあった時の治療のためと称し、ライラ様の協力を仰いでライラ様を構成する組織をいただいて、杞憂に終わればいいと思いながらこっそりとある研究をしていました」


 そこまで話した商人様は、ふぅ、と一つ息をつく。これで終わりではない。これから、何か決定的なことを言われるのだ。

 私は膝に乗せていた自分の拳を強く握った。


「ライラ様は、天寿を全うして眠るように亡くなりました。大往生っていうのでしょうね。そこに悲劇などありませんでした。けれど、ライラ様を失った魔王様は、次第に精神を病んでいかれたのです」


 当時を思い出したのか、商人様は苦しそうな顔をする。


「ライラ様を失った悲しみを乗り越えられなかった魔王様は、どんどんおかしくなっていきました。突然暴れたり、魂が抜けたようになってしまったり……。そこで私は、研究の成果を……ライラ様の生体情報から作り上げた人間を、魔王様へお渡ししたのです」


「……それは」


 思わず口を挟む。商人様はそんな私の瞳をじっと見つめ、私の口を塞ぐ。


「それが二番目のライラ様です。けれど、そのライラ様は十年足らずで動かなくなってしまいました。そして三番目。今度はうまく動いてくれましたが、何故か情緒が育ちませんでした。二番目のライラ様よりは長く生きましたが、人間の寿命程度しか生きられなず……。四番目のライラ様は、情緒の点も克服し、寿命も長く生きられるよう作りましたが、ご存知の通り、外出中に襲われてその命を絶たれました」


「私は……」


 聞きたくなかった。この先を聞いたら、きっと何かが変わってしまう。


「もうおわかりですね。貴方は、五番目のライラ様なのです」


 しかし商人様は、無慈悲に私に事実を突きつける。

 私は、何も知らなかった。当たり前のようにここにいて、当たり前のようにご主人様の側にいて、当たり前のようにこの日々が続いていくのだと思っていた。

 自分が何故ここにいるのかとか、そんなこと一度も考えたことがなかったのだ。


「私はライラ様を作るたびに、色々な調整を行いました。見た目は出会った頃の十七歳の姿に固定し、寿命を伸ばし……」


「そんなことができるのですか?」


「できるから貴方がいるのです。でも、だからこそ貴方は見た目や機能こそは人間ですが、実際は人間とは少し違うのです。ライラ様の体の中には様々な魔石が埋め込まれていて、魔素を取り込んでその状態を維持しています」


 私は言葉が出なかった。普通の人間どころか、私はあまりに歪な存在だったのだ。


「……あと、四番目のライラ様の事故から、ライラ様が魔王様の目の届かないところへいかないよう、ライラ様は魔王様の命令には反することができないようになっています。他にも色々と……」


「……そんなことまで」


 私は自分のことを何も知らなかったことに愕然とした。私が当たり前だと思っていたことも、当たり前ではなかったのだ。


「そして……最悪なことに、勇者がライラ様……オリジナルのライラ様の生まれかわりのようなのです」


 血塗れのご主人様の言葉を思い出す。あれはそういう意味だったのか。衝撃的なことが多すぎて、もう驚くことすらできない。


「勇者は、ご主人様のことがわからないのですか?」


「そうですね。魂は生まれ変わる時にその前の生の記憶を全て失うといいます。ですから、勇者は何も知らないはずです」


 そうですか、と呟く。


「……勇者がライラ様の生まれ変わりなら、私はなんなのでしょう。私の魂は、一体誰なのですか」


「……ライラ様に、魂は入っておりません」


「え……」


「ライラ様には私が作り上げた学習能力のある媒体が埋め込まれています。それが魂の代わりになっているのです」


 言われていることがよくわからず首を傾げる。


「まあつまり、ライラ様は誰の生まれ変わりでもないですし、ライラ様が亡くなっても生まれ変わることはありません」


 つまり、どういうことなのか。

 つまり、私は、誰でもないということなのか。

 ご主人様が言った、私はライラではないという言葉が耳の中で響く。


「では、私はやはり「ライラ」ではないのですね」


「……もとより、オリジナルのライラ様は既に亡くなっています。でも貴方は、ライラ様です」


 そう言う商人様の顔は真剣そのもので、きっと私を慰めるために言っているのではなく、本当にそう思っているのだろう。

 でも、私はご主人様に「ライラ」であることを否定されてしまった。私には、それが重要だった。私にライラ様の魂は入っていないし、そもそも私は普通の人間ですらない。

 では、そんな私がご主人様のためにできることはなんなのだろう。

 この、ご主人様を思う気持ちも、もしかしたら商人様に植え付けられたものなのかもしれない。けれど、そんなことはどうでもいい。この気持ちがなければ、私には何もないのだから。


「……私、勇者に会いに行きます」


「…………え?」


「ご主人様にとって勇者がライラ様で、ご主人様にとってライラ様が必要なら、私が勇者にご主人様のことを説明して、ご主人様のところにきてもらいます」


「何を言って……」


「ご主人様は、私はライラではないと言いました。なら、もう私はご主人様のお側にいることはできません。でも、私はご主人様のためにしか生きられないのです。私には、それしかもうできることがないのです」


 商人様の深い緑色の瞳が揺れる。

 そして何か考えるように顎に手を当て俯いた商人様は、しばらくしてからはあ、と息を吐いてから頷く。


「…………本来なら反対すべきなのでしょう。でも、私は少し魔王様に怒っているのです。いつまでもうじうじうじうじと……。ですから、そうですね。協力しましょう」


 そう言って商人様は私に向けて微笑む。


「けれど、今のままではライラ様は外へ行けません。わかりますよね?」


 私はハッとする。そうだ、私はご主人様に外出を禁止されている。外へ出ることはできない。


「ですから、私がその設定を外しましょう。準備してからここへきますから、私の部屋で待っていてください」


 そう言って商人様は屋敷を出ていった。


 私は、与えられたたくさんの情報で頭がパンクしそうだったけれど、やるべきことだけはわかっていた。ご主人様のために、できることを。

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