7 私はライラじゃない
あの後すぐ、ご主人様は気を失ってしまった。
ご主人様をベッドへ運んだ後、ダグラス様からお話を聞くことになった。この時改めて商人様の顔を見たら、商人様の顔は鱗に覆われていて、ご主人様の尻尾を思い出してしまった。
魔王を倒したと判断した人間は、勇者を筆頭に数千の兵を率いて魔王城に押し寄せたらしい。
勇者以外の人間は、ご主人様が城の最上階から放った魔法の一撃で一気に蹴散らすことができたそうだけれど、勇者はそれだけでは死ななかったとのこと。
その後もご主人様は冷静に、撃ち漏らした人間達へ向けて魔法を放っていたらしい。
ところが、そんな風に淡々としていたご主人様の目の前に怪我を負った状態の勇者が現れた瞬間、ご主人様の様子がおかしくなったという。
「勇者は最初に魔王様の魔法を受けていたため、かなり負傷していたのです。なので、せめて相打ちにと思ったのでしょう。がむしゃらに魔王様に突っ込んでいったのです。そんなの、魔王様に当たるはずがないと思って、そのまま、魔王様が勇者にとどめを刺すと思って……。そう思っていたのに、魔王様は勇者の一撃を避けなかったのです」
ダグラス様が唇を噛んで悔しそうに言う。
「あの腹部の怪我はその時のものです。私が慌てて勇者を引き剥がし、もう弱った勇者にとどめを刺そうとしたのですが、魔王様はそれを止めたのです。そして勇者を……転送しました。おそらく人間界へ」
私は話を聞いてもなぜ魔王様がそんなことをしたかわからず困惑する。せっかく勇者を倒せる機会を逃すなんて。
「一体どういうことなのですか」
私が聞くと、ダグラス様は首を振る。ダグラス様も困惑しているようだ。
「……先ほど、勇者がライラ様の生まれ変わりだと、言いました」
それまで黙っていた商人様がぽつりと呟く。
「あの……それはどういう……」
私が詳しく聞こうとすると、ダグラス様が「ああ!」と大きな声を上げる。
「そうか……そういうことなのか……」
私一人が理解できていないようで、焦燥感を覚える。ライラは私なのに、一体何のことを言っているのだろうか。心の内に不安が広がっていく。
けれど、二人は何も説明してくれない。
「とりあえず……今は魔王様が目覚めるまで待つしかないでしょうね。詳しくは、本人から聞きましょう」
商人様がそう言うと、ダグラス様は頷き、事後処理があるからと帰っていった。
「あの……商人様……どういうことなのでしょうか」
「……ライラ様。今は私もはっきりとは何も言えないのです。私は治療のためここにしばらく滞在します。部屋を用意していただけますか?」
私は喉に何かがつかえたような気持ちの悪さを飲み込んで、こくりと頷いた。
ご主人様はそれから二日間、眠ったままでいる。商人様の魔法のおかげで顔色はとても良く、傷も綺麗に消えている。もういつ目覚めてもおかしくないとのことだった。
私はご主人様がいつ目覚めても良いよう、常にハーブティーを淹れる準備をしていた。きっと、目覚めてすぐに飲みたいだろうから。
三日目の今日も、ワゴンを転がしてご主人様の寝室へ向かっていた。様子を見るために商人様も一緒である。
寝室の前へ着いた私は、返事がないと分かりながらもいつものようにノックをする。やはり、返事はなかった。
ところが、扉を開け驚く。ご主人様がベッドの端に腰掛けていたのだ。
「ご主人様っ! 目覚められたのですね!」
私は歓喜して、すぐにご主人様のそばへ行く。
きっとご主人様は、心配かけてすまぬな、と言って、柔らかく微笑んでくれるはず。
しかし、期待とは裏腹に、私が近寄ってもご主人様とは全く目が合わなかった。ぼんやりしているようで、返事すらない。その瞳は、深い闇のように暗い。
まだ寝ぼけているのだろうと思い、ワゴンへ戻りハーブティーを淹れることにした。その間も、商人様がご主人様に声をかけているが反応はなかった。
さすがにちょっとおかしいのでは……?
不安に思いながらもいつものようにサイドテーブルにハーブティーを置く。
「ご主人様、ハーブティーでございます」
すると、それまで焦点を結んでいなかった瞳に光が宿ったように見えた。それを見てほっとした瞬間。
パシリと、カップを払われた。
カップはサイドテーブルから落下し、その中身をぶちまける。
カップの中になみなみと注がれていたハーブティーは、柔らかくて長い毛足の絨毯にじわりじわりと吸収されていく。
私は起こった出来事を受け止められず呆然とする。
そんな私をご主人様は見て、今まで私に向けたことのない暗くて、冷たい目で、
「お前はライラではない」
そう言った。