42 彼を狂気に追いやったもの
宰相はふう、と息をついてから少し考えるように視線を彷徨わせてから口を開いた。
「きっと、私がこんなことをしたことに、誰より陛下が驚かれていることでしょう」
その言葉に肩を揺らしたフェデリックは、宰相を詰る。
「なぜだ。宰相……いやジュドー兄上。貴方は、金や権力に興味などなかったではないですか! 何よりも国のことを優先し、これまで国のために尽くしてきたのに、どうしてこんな……!」
嘆くフェデリックは、王ではなく、宰相を慕う一人の人間にみえた。
「私は今でも金や権力に興味などありません。私は……私は、夢を抱いてしまったのです」
「夢……?」
宰相はゆっくりと瞬いてから、何もない空間を見つめる。その目は、ここにいる誰をも映していない。
「ええ。三年前から、私には譲れない夢ができたのです」
ここにはいない何かを見つめていた目が、ふいに現実に戻ってきたようにフェデリックに焦点を合わせる。
「陛下はどこまで歴史を知っているのでしょう。魔族の方がいるということは、かつての人間の行いは知っているのでしょうね」
「ああ。……魔族を研究するために魔族の子を拐ったのだろう」
「ええそうです。そして、その研究所の研究者の中に、我がユーモクレスタ家の祖先がいました」
その発言に私の隣に座るご主人様がぴくりと反応する。
宰相は語る。
魔族の子を拐ったのは、一部の研究者による暴走だった。けれど、強欲な貴族の要望で、魔王からの返還要請を跳ね除けた。
とはいえ、研究者の中でも研究に対する姿勢は二つに分かれていたという。
「私の祖先は、魔族の子を利用することに反対していました。非人道的であると。そうこうしているうちに、魔物が現れたのです」
なぜか守られたアルグレティア王国。私たちはその理由を知っているけれど。
しかし、外からの魔物はなくとも、国の内側に生じた魔物はその限りではなかった。
「研究所も魔物の襲撃に遭いました。その時、魔族の子は人間の少年と逃げたのです」
そもそも、なぜ子どもとはいえ魔王の器を持つ魔族が人間に拐われることになったのか。
「拐われたのは、魔族の少女でした。彼女は、人間の少年と仲良くなり、頻繁にアルグレティア王国に遊びにきていたのです」
そのことを知った研究者は、もの知らぬ少年に囁いた。
「女の子には、贈り物を。しかし、貧しかった少年にはそんなものを用意することはできませんでした」
そんな少年に、隷属の首輪を流行りの首飾りだと嘯いて渡したという。どんな理由をつけたかまではわからないけれど。
確かに、隷属の首輪には魔石が散りばめられ、一見美しい装飾品に見える。
「少女は、少年からの贈り物だからと、警戒せず首輪を身につけたのです」
「醜悪な」
ご主人様から、歯をギリリと食いしばる音が聞こえる。
「騙されたことを知った少年は、彼女を助けるため機会をうかがっていました。そして、私の祖先が手引きし、彼らは研究所から逃げることに成功したのです」
ぱちぱちと、宰相は手を鳴らす。とても、嬉しそうに。
けれど、この話が今回のことにどう繋がっているのかが全くわからない。
「おかげで私の祖先は、彼女にとって恩人になりました。混乱の時期を辛くも乗り切り、現れた勇者による魔物の討伐がなされ、祖先が年老いた頃、彼女はふらりと会いに来たそうです」
まだ、若い姿のままで、と宰相は言う。
「その時の姿絵を、三年前に私は見つけたのです」
宰相の目は爛々と輝いている。その目の奥に潜む何かに気味の悪さを感じる。
「それはもう美しかった! 私は、あんなに美しい人を見たことがない。私は彼女の姿に魅入られた。けれど、彼女は……」
言葉を切った宰相は、顔を歪ませる。
「彼女は、少年と添い遂げ、彼が亡くなった時にその命を絶ったのです。魔族ならば、今この時代にも生きていたかもしれないのに、私は彼女に会うことができなかった」
大きく息をついた宰相は、表情に冷静さを戻し、ご主人様の方を向く。
「私もこのような立場ですから、これまで数々の縁談がありました。けれど心動かされたことは一度たりともありません。人間の女性ではダメなのだと、彼女の姿絵を見て納得しました。私は、彼女のような美しい女性を手に入れたかった」
「そんな……そんなことのためにこのようなことを!」
強い怒りを滲ませフェデリックが宰相を睨む。
「でもそれは、この国にとってもいいことなのです。私と魔族の間に子ができれば、この国のためにとって有用な人物となったでしょう」
「子だと? 魔族と人間の間に子ができるなど聞いたことがない」
ご主人様が言うと、宰相はゆっくりとその唇で弧を描く。
「そこにいるではありませんか。証拠が」
視線の先を見ると、ダンテがいた。
つまり、それは。
「俺……?」
呆然とした顔で呟くダンテ。それに宰相は頷く。
「突如現れた魔物になんとか対処しつつそれでも多くの人が亡くなり、内乱が起き。その地獄のような時代が二十数年続いた頃、一人の少年が人間とは思えぬ魔力を宿し、その人並外れた身体能力で強大な魔物を退けた。……たった一人の人間にそんな特別な力が宿るなんてことあると思いますか?」
誰かが息を飲む音が聞こえる。
「ダンテ、貴方は、彼女とその少年の子孫なのですよ」
「俺が……」
「二度目の襲撃で、何人かの魔族を連れ去る予定でした。それがまさか……一度目があまりにうまくいきすぎて、読み違えましたね」
狂っている、と思った。
この人間は、魔力も意志も封じた魔族の女性を拐うことに、なんの罪悪感も抱いていない。そんな酷いことを、夢と語る姿にぞっとする。
「次こそは万全を期して……と思っていましたが、まさかダンテが剣を握れなくなるとは思いませんでした。ディエゴの件もありましたし、あがいてもみましたが、もはや私の夢は叶いません」
「……ディエゴはどうした」
「さあ? 逃げたので知りません」
フェデリックは疲れたように息を吐いた。もう何も聞きたくないとばかりに首を横に振る。
そしてしばらくその場に沈黙が続く。
沈黙を破ったのはお姉様だった。
「つまり、魔族のお嫁さんが欲しくて、魔界へ侵攻している最中に隷属の首輪を使って魔族を拐って意のままに操ってあわよくば自分の子どもを産んでもらおうとしたってこと?」
全員の視線を集めたお姉様は、不味いものを食べた時のような顔をして言う。
「気持ち悪っ! そんなんで何が手に入るって言うの? 美しい女の肉体が手に入ればよかったの? というかさあ」
容赦ない物言いは続く。
「あんたさ、要はその魔族の子の絵を見て恋に落ちたってことでしょ? 初恋なんだかどうだか知らないけど。でもその子はもういないからってことで拗らせて。で? その代わりになる魔族の女性を手に入れようとしたと。……全くなってないわ」
お姉様は立ち上がってカツカツと靴音を立てながら宰相の横まで行き、人差し指でその顎を上向かせる。
「こーんな回りくどいことなんてしないで、魔界へきて好みの女の子口説けばよかったじゃない。そんなこともできなかったの?」
宰相は目を丸くしてごくりと喉を鳴らす。
「それとも自信がなかった? 口説いても振り向いてもらえないと思ったから、無理やり言うこと聞かせようとしたの? っは。これが人間の国が誇る有能な宰相様? とんでもないわね」
「……私自ら魔界へ赴くなど、そんなことができる立場では」
「立場? 魔族も人間も巻き込んでこんなことはできる立場なのに、自分一人魔界へ行くこともできない立場なの? それにさ、魔族の女っていうなら私もそうだけど、あんた初めて私を見たときに惚れた? 私が魔族だって知って喜んでたけど、魔族ってだけであんたは相手を好きになるのかしら?」
宰相は目を見開いたまま固まっている。
「はー、やだやだ本当信じられない。女が理由って言っても、意中の魔族の子が魔界にいるのかと思ったのに、こーんな初恋拗らせただけの人間の意味わかんない欲に巻き込まれてたなんて。死んだ前の魔王様があまりに哀れだわー」
お姉様は踵を返して私たちの前に戻ってくる。
「帰りましょ。あとは人間たちが対処することよ」
「……サーシャ、まだ人間側と話すべきことはあります。どんな理由だろうと、人間と魔族の間に火種ができているのです。そこの対処を打ち合わせねば……」
「はいはい、じゃあトカゲ野郎は頑張って頂戴。私はとっても気分悪いから先帰るわ。転送して」
そのままお姉様はルドラ様の転送でこの場を去っていった。
再びしん、と静まる。




