4 庭での昼食
約束の日がやってきた。
昨日の夜から今日が楽しみで、なかなか眠ることができなかった。おかげで睡眠不足だけれど、全然眠くない。
起き上がった私はいそいそとメイド服を着てキッチンへ向かう。途中庭師さんから摘みたてのハーブを受け取って。
お昼はサンドイッチがいいかしら。サンドイッチの具材は……。それを考えると朝食は……。
キッチンに着いた私は、るるると歌いながら料理を始める。最初の頃はうまくいかなくて、怪我をしたり火傷をしたり。けれど今は自分でも惚れ惚れするほどの手際の良さ。
「よし、ご主人様を起こしにいかないと」
一通り朝食の準備が終わったので、いつものようにハーブティーの用意をする。摘みたての瑞々しいハーブの爽やかな香りを吸い込み、ほう、と息をつく。
私は上機嫌でご主人様の部屋へ向かった。
「ライラ。今日はご機嫌だな」
ハーブティーを飲み終えたご主人様と食堂へ向かう途中、ついついるるると歌ってしまった私にご主人様が言う。
「あ、今日のお昼のことを考えていて……」
「まだ起きたばかりなのにもう昼のことか。確か、今日は庭で昼食を取る予定だったか」
「はい! 初めて外へ出るのですごく楽しみで」
「そうか。そんなに喜ぶなら、もっと前に出すべきであったな」
ご主人様は私の頭を撫でながら言う。私はその優しい手を堪能しながらえへへと笑う。
「朝食後は一人客が来る。昼の準備が整ったら呼んでくれるか」
「はい! かしこまりました」
いつものように和やかに朝食を済ませ、私は早速昼食の準備に取り掛かる。今日は特別な日だからタルトを焼くのだ。
気合を入れて腕まくりをした私は、商人様から買ったレシピと睨めっこしながら、初めてのお菓子づくりに挑んだ。
「それで、焦がしてしまったのか」
サンドイッチは美味しくできた。もう料理なら大丈夫、と自信を持っていたのに、残念ながらタルトは上手に焼けなかった。というより、焼き上がるのを待っている間、ついうたた寝をしてしまい、気づいたらキッチンが焦げ臭い匂いに包まれていたのだ。
朝起きた時は全然眠くなかったのに。
しょんぼりする私をご主人様はよしよしとばかりに撫でる。
「そんな顔をするな。余はライラの笑顔が好きなのだ」
「でも……今日は外に出られるから……」
私にとって特別な日だった。俯いていると上からため息をつく音が聞こえる。
ああ、私はダメな子だわ。ご主人様を困らせてしまった。
さらに落ち込んでいると、急に視界が高くなった。
「え」
すぐ横にはご主人様の顔。
私……私……ご主人様に抱っこされている?
「あのっ……ご主人様!」
恥ずかしいのと嬉しいのと申し訳ないのと、色々な感情がぐるぐるして、どうしていいかわからない。
「うむ。先ほどの顔よりよほどよいな」
ご主人様が柔らかく微笑む。吸い込まれそうな夜色の瞳に目を丸くした私が映っている。こんな至近距離でご主人様の笑顔を見るのは初めてで、顔がどんどん熱くなる。
「どうしたライラ。真っ赤だぞ」
「ご、ご主人様のお顔が美しすぎてっ」
「そうか? 余はライラの方が可愛いと思うが」
「そ、そんなわけが……」
ご主人様は私を片腕に乗せたまま歩き出す。私は重いから下ろしてくださいと言ったけれど、軽いから問題ないと言われてそのまま庭まで運ばれた。
どうしようと動揺していたけれど、庭に出た途端、私の意識は別のところに持っていかれた。
「わあ……!」
窓を一つ隔てただけなのに、なんだか空気が違うような気がする。すうっと大きく息を吸うと、少し甘くて、でも清涼感のある香りが鼻を通り抜けていく。これはきっと、庭に華やかに咲き誇る花や、力強く背を伸ばして青々とした葉を繁らせる木々の香りなのだろう。
すっかりご主人様に抱えられていることを忘れていた私は、ご主人様に下ろされてそのことを思い出す。
「あっ。申し訳ありません、ご主人様」
「余がしたかったのだ。さあライラ。昼食にしよう」
庭には既にテーブルがセットされており、私が作ったサンドイッチも用意されていた。
テーブルへ向けて一歩足を踏み出すと、さくり、といつもと違う感触がした。
下を見ると、草の上に私の足がある。
これが、地面の感触なのね。
私は初めて感じる地面が楽しくて、その場でさくりさくりと何度も足踏みをする。
すると、前方からクスクスと笑う声が聞こえた。
「庭は楽しいか」
「は……はい!」
恥ずかしくなって慌ててご主人様のところまで行く。
「ライラは可愛いな」
多分私の顔はまた真っ赤になってしまっているだろう。
テーブルに座って力作のサンドイッチを食べても、ちっとも味なんかわからなかった。
食後の紅茶を飲んで一息ついていると、ふわりと風が吹いてご主人様の長い髪が空を泳ぐ。
ご主人様は私を可愛いと言ってくれるけれど、きっとそれはお世辞なのだろう。
だってご主人様はいつ見ても美しいけれど、鏡を見てもそこに美しい人は映っていない。
私の髪の毛はご主人様みたいにサラサラしていなくて、くるくるぴょこぴょこと跳ねている。伸ばしたら少しは真っ直ぐになるかもしれないけれど、「ライラ」の髪の毛は顎までの長さだから伸ばせない。髪の毛の色も瞳の色も地味な焦げ茶色で、丸い形の目はなんだか子供っぽい。立派なツノも、艶やかな尻尾も私にはない。スタイルも……前にお屋敷に遊びに来た淫魔族のお姉様と比べると……比べることすらできない。
ずっとお屋敷の中にいるから肌はそれなりに白いけれど、ご主人様の透き通るような白さには到底敵わない。
「ライラ?」
私はいつのまにか自分の腕をじっと睨み付けていて、ご主人様の声にハッとする。
「腕がどうかしたか?」
「っいえ、なんでもありません」
わたわたとしていると、甘い香りが漂ってきた。
香りのする方へ顔を向けたら、メイドさんがタルトを持ってこちらへ向かってきているところだった。
「タルト……」
「ああ。ベルベリーのタルトだ。先ほど商人に連絡を取らせ、取り寄せた。今日は特別な日なのであろう?」
メイドさんが綺麗に切り分けたタルトをサーブする。
それは私がご主人様と一緒に食べたかったタルトだった。
「次はライラの手作りを食べよう」
「……っはい!」
自分の手作りではないのは残念だけれど、私はご主人様と一緒に美味しいタルトを食べたかったのだ。特別な日である証として。
タルトを口に含むと、じゅわりと口いっぱいに幸せが広がる。
あんまり美味しくて、私はおかわりまでしてしまった。
そんな私をご主人様は優しい眼差しで眺めている。
初めての外はとても新鮮で、幸せで、温かかった。