32 王宮の状況が予想外でした
マティアスの屋敷はご主人様のところほどではないけれど、大きく立派だった。内装は瀟洒で無駄がなく、この屋敷の主人であるマティアスの気質がわかるような気がした。執事やメイドたちに迎えられたけれど、マティアスは彼らをすぐに下がらせた。これからする話を聞かれたくないのだろう。
マティアスの後を歩きながら、ついきょろきょろと周囲に目を向けていると、横にいたルミエールからくすりと笑い声が聞こえた。
「何か面白いものでもありましたか?」
「っ! すみません、お行儀の悪いことを……」
招かれた屋敷を無遠慮に眺め回すなんて、ご主人様に知られたら呆れられてしまう。私は恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じた。
「いえいえ。すみません、俺こそ楽しんでいるところに水をさしてしまって」
「おい、お前たちは一体どんな関係なんだ。ルミエール、お前そんな優しい人間だったか?」
前を歩いていたマティアスが、怪訝な顔で私たちに振り向く。
「人聞きの悪い。……ですがそうですね。俺は、十歳の子供には優しいと思いますよ」
ルミエールが意味深に言うと、マティアスは片眉を上げて何のことだ、と言う。
「まあいい、着いたぞ。使用人たちにはここに近づかないように言っているから、安心しろ」
促され、少し緊張しながら部屋に足を踏み入れる。そこは応接室で、マティアスの向かいに座ったルミエールの隣に腰を下ろす。
「では兄さん。ディエゴの件、聞かせてくれるんですよね?」
ルミエールの問いに、マティアスはゆっくりと頷く。
「結論から言う。ディエゴの屋敷の調査を打ち切らせたのは宰相だ。陛下は関わっていない」
ルミエールがごくりと唾液を飲み込む音が聞こえた。
「更に言うと、現在宰相と陛下は、魔族の姿勢で真っ向から対立している。だから、陛下が近衛を動かしてディエゴの身柄を預かろうとしたのは、宰相のためではない」
「預かろうと? 預かったんではなく?」
「ああ。……宰相にしてやられてな」
マティアスは眉間にシワを寄せて嘆息してから、経緯を話し出す。
レオナルドからディエゴの屋敷についての報告を受けた軍部総帥はただ事ではないと考えたようで、すぐ陛下へ上申しようとしたそうだ。しかし、それが宰相室で止められた。曰く、ディエゴは少女を拐かしてはその地下室に閉じ込めていたのだろうと。そういう噂が広まっているし、実際被害者が存在すると。そうであれば、魔物が増えている現状において、対魔物部隊である第五騎士団をこの調査に当てるべきではないとして、調査の打ち切りを指示したということだった。
これに対して軍部総帥は、ならばディエゴを騎士にしておくべきではない、直ちに第四騎士団の団長を更迭すべきと進言したとのこと。ディエゴを、少女を何度も拐かした人間であると断じた宰相に、それを否ということはできなかった。
「騎士団長の任命権や解任権は陛下にある。つまり、第四騎士団の団長を更迭するために、陛下に事の次第を説明するしかなくなったわけだ」
あいつも狸だからな、とマティアスは言う。狸とは、軍部総帥とかいう人間のことなのかしら。
「あの方は中立派でしたか」
ルミエールは思い出すように呟く。
「そうだ。だからまあ、お前たちと同じ疑問を持ったんだろう。私も施設の状況を聞いてすぐに疑った。あの慎重な宰相が、説得力のない理由で調査を打ち切ろうとするんだ。邪推されるほうがいいと考えるくらい、触れられたくない何かがあるのだろう。だから、せめてと陛下の耳に入れようとしたんだろうな」
それでだ、とマティアスは話を戻す。
ディエゴのことを知った国王も、やはりレオナルドたちと同じ疑いを持ったようだ。しかし、ディエゴが私を誘拐したのは事実で、宰相の言い分を完全には否定できず、また、魔物の増加を放っておけないのも事実だった。
そこで国王は、第五騎士団ではなく、第一騎士団、すなわち近衛が調査を引き取ると言ったそうだ。
「だからわざわざ近衛がきたのですね」
「ああ、しかし王宮までディエゴを連れてきたところで、その身柄を宰相に奪われた」
王宮までディエゴを連行してきたところで、宰相がその身を預かると、近衛からディエゴを引き受けたらしい。
「なんでそんなことに……」
「……陛下がその近衛に出した命は、ディエゴの身柄を確保して王宮まで連れてくることだった。だから宰相は、ここであなたの仕事は終わりでしょう、後は私が引き継ぎます、と言ったそうだ」
「そんな屁理屈を……」
ルミエールの困惑はよくわかる。そういう交渉事のことなんて何もわからない私でも、おかしいと思う。
「屁理屈だろうとなんだろうと、近衛にそれを拒否できる材料などなかった。相手は陛下の従兄弟で侯爵位をもつ宰相だ。身分的にも逆らえない」
「それで、肝心のディエゴは?」
ルミエールが聞くと、マティアスは目を閉じてからふー、とため息をつく。
そしてゆっくり瞼をあけ、応えた。
「逃げたのだそうだ」
「は?」
「逃げたんだと、宰相から報告を受けた」
ルミエールは言葉を失ったのか、呆然としている。
「それで……宰相は?」
「自分の失態だから沙汰が出るまで謹慎すると言って自宅謹慎中だ」
めちゃくちゃだ、と思った。私でもそう思うのだから、ルミエールやマティアスからしたらそれこそ信じられないことなのだろう。目を丸くするルミエールを見ればわかる。
「……それは、本当に、あの宰相なのですか?」
「ああそうだ。ジュドー=ユーモクレスタ様、我らが誇る有能な宰相様だ」
自嘲するようにマティアスが僅かに笑う。そしてソファの背にその身を深く埋める。
「もう訳がわからない。宰相室は大混乱だ。一体どうなってる。お前たちは何か知っているのか。知ってるなら教えてくれ」
そう言って、マティアスは私に視線をよこした。
横にいるルミエールをちらりと見ると頷かれたので、私はこれまでのことを話すために口を開いた。




