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11 一方その頃

 悲しみが、身体中を覆い尽くす。余すところなく、隅々まで。



 最愛を失って、心に大きな穴がぽかりと空いた。何をもってしてもその穴を埋めることができず、色を失った世界がその喪失を告げてくる。

 何もかもがどうでもよくなり、全てを壊してしまいたくなった。けれど、全てを壊したら彼女はなんと言うだろう。優しい彼女は余を許さないかもしれない。

 そう考えて、しかし彼女はもういないから、余を叱る者もいないのだと気付く。そして再び喪失感が襲ってくる。

 その日々が繰り返されて、いよいよおかしくなりそうになった時、再び彼女が目の前に現れた。


 ああ、よく戻ってきてくれた。


 彼女の姿形をしたそれは、彼女ではなかった。


 けれど、彼女を失ってから初めて、心の穴が少し埋まった。やっと、余を苛む喪失感が薄れ、世界に色が戻ってきた。


 そしてその彼女もまた失った。


 けれど、今度はすぐに戻ってきた。


 今度の彼女は表情がなく人形のようだった。それでもよかった。彼女の存在を感じられる存在がいるだけで、心が慰められた。


 そして再び彼女も失う。


 今度は長く生きますと、そう言われて現れた彼女は、彼女の笑顔を思い出させてくれた。


 穏やかに過ぎていく日々。心に空いた穴は、その日々の中で少しずつ塞がっていった。穏やかな日々が、ずっと続くと思っていた。


 けれど、ほんのちょっとの不注意で、その彼女も失ってしまった。


 彼女を害した者は、余の手で屠った。


 次は、絶対に余の目につくところに置いておこう。


 そう決意して、次に現れた彼女は屋敷の中から出られないようにした。


 彼女はよく笑った。


 毎朝彼女と同じようにハーブティーを淹れてくれた。彼女は一番彼女に似ていた。


 彼女と過ごすうち、心に空いた穴はすっかり埋まった。このまま、この屋敷の中で、二人で過ごしていけたらどれだけ幸福だろう。


 狂いかけた時に魔王は辞していた。


 だから、その望みを叶えることはできると思っていた。



 なのに、勇者が現れた。



 すぐに殺して、彼女の元へ帰るつもりだった。


 でも、勇者を目の前にして気付いてしまった。


 勇者の魂が、彼女のものであると。


 瞬間、埋まっていたはずの心が、心を埋めたものが、紛い物だったのではないかと、不安が襲いかかってきた。


 あれは、なんだ。


 彼女の姿形をしたもの、彼女のように笑うもの、彼女のように振る舞うもの。


 腹を貫かれ、間近で勇者を見て、これが真の彼女なのではと、あれは彼女ではないのだと、頭の中がぐるりとひっくり返されるような気持ち悪さを感じた。


 誰かが勇者を貫こうとするのを咄嗟に止めて、勇者を人間界へ転送した。


 彼女の魂を、彼女の魂を宿した肉体を傷つけることなどできなかった。


 そのまま意識が薄れ、再び意識が戻ってきた時、懐かしい香りがした。


 ああ、彼女だ、と思ったのに、そこにいたのは彼女の魂を宿していない彼女だった。


 違う、違う、違う!!


 彼女じゃない! 彼女じゃない!!


 彼女は、彼女は、なんだ。


 最後に瞳に映ったのは、泣きそうな顔をした彼女だった。



 ああ、悲しい。 




「……っは」


「起きましたか、魔王様」


 声がした方を向くと、鱗まみれの仏頂面があった。


「……ルドラ」


 なぜ、起き抜けに此奴の顔を見なければならないのだ。


 上体を起こし、周りを見ると、少し離れた場所にサーシャとレイがいた。二人とも、ルドラと同じような顔をしている。


「……ライラはどこにいる」


 なぜ、ライラがいない。余が起きたら、まず最初にここを訪れるのは彼女のはずだ。


「っ……よくもまぁ……そんなことが言えたわね!」


 サーシャが顔を赤くして目をつり上げている。

 一体なんだというのだ。

 訳がわからずにいると、無言で近付いてきたレイが、余の頬を殴った。


「お前は……いつまで寝ぼけてんだ。見損なったぞ!」


 レイに殴られたところで大した痛みはない。

 しかし、その赤い目に灯された怒りの理由がわからず、ルドラを見る。


「どういうことだ」


「……覚えていらっしゃらないのですか」


 ルドラは呆れたようにため息をつく。


「このクソ野郎が! ライラちゃんのことを拒絶したんでしょうが!」


 激昂したサーシャが訳のわからないことを言う。本当に、何を言っているのだ。


「……勇者が、ライラ様の生まれ変わりだったのでしょう」


「っ……!!」


 ルドラの言葉で勇者のことを思い出す。


 余は、彼女の魂に印をつけていた。すぐに彼女のものとわかるように。


 そしてあの時、あの者が印を持っていることに気付いたのだ。


 勇者は、勇者が……。


「……ライラ様に、なんておっしゃったか、覚えていますか?」


 ゆっくりと、しかし怒りを孕んだ声音でルドラが聞いてくる。


「余は……」




 お前はライラではない。




 思い出した。


「ライラはどこだ!!」


「……貴方が言ったのでしょう。彼女に、ライラではない、と」


「そんなことを聞いているのではない。ライラはどこにいる」


「……貴方が! 拒絶したんです! 拒絶したのだから、どこにいったっていいでしょう」


 普段声を荒げることなどないルドラが怒声をあげる。しかしそんなことはどうでもよかった。


「……お前が、ライラをどこかへやったのか。返せ。あれは、余のものだ」


「……作ったのは私です。大事にしてくださると思ってお渡ししたのに、大事にしてくれないから返してもらったのです」


「何を……」


「いいじゃない? だって、勇者がライラ様なのでしょう? だったら勇者を口説き落とせばいいじゃない」


「違う! 勇者は……勇者の魂はライラだが……余は勇者など……」


「だったらなんで! なんでライラちゃんにあんなこと言ったんだよ!」


「……混乱していたのだ……。まさか勇者がライラの魂を宿しているなど……。確かに勇者の魂はライラのものだが、あれはライラではない。……ライラの魂を持っている以上、余に勇者を傷つけることはできないが……あれは別人だ」


 そうだ。余は何を迷っていたのだ。勇者はライラではない。全く違ったではないか。ただ、勇者の材料の中にライラのものが含まれていただけだ。


「……魔王様。いつまでそうやって現実から逃げているおつもりですか。あの子だって、ライラ様ではないのです。姿形が同じだけの、別人なのです。貴方が愛したライラ様は、天寿を全うし、大往生なされたのです。……そろそろ目を覚ましなさいませ! もう、ライラ様が亡くなって百年以上経っているのですよ!」


「……ライラはどこにいる」


「だから! 彼女はライラ様では」


 余はルドラを睨みつける。


「彼女の名は「ライラ」だ! 余が名付けた!! 余の……大事な……大事な子なのだ」


 そうだ。わかっていた。彼女は最初からあのライラではない。でも、余は確かに彼女に、ライラに慰められたのだ。彼女といると幸せだったのだ。


「……人間界へ」


「なんだと……?」


「ライラ様は健気にも、魔王様にとってのライラ様が勇者ならば、勇者に前世のことをお伝えして魔王さまに会わせるのだと言って、勇者に会いに人間界へ行ったのですよ」


「なぜ止めなかった!!」


「ライラ様を否定したのは貴方です。ライラ様は、自分がライラではないのなら、ここには居られないと言っていました」


 なんということだ。なぜ余はあんなことを言ってしまったのだ。後悔しても、ここにライラはいない。


「ライラは……人間界のことなど何も知らぬ。余と繋がりがあると知れたら……」


「人質になるかもしれませんね」


「お前は!! わかってて」


「とはいえあの子の肉体は間違いなく人間ですからね。そこまで酷いことにはならないでしょう」


「なんということを……」


「ライラ様を否定したのは貴方です。そして、人間界へ行く決断をしたのはライラ様です」


「あの子はまだ十年しか生きていない! 見た目は十七歳かもしれないがまだ子供だ! そんな子の言葉を間に受けるなど……」


「お言葉ですがその子供に酷い言葉を投げかけたのは誰ですか?」


 痛いところを突かれて責める言葉を失う。


「……ご安心ください。ライラ様には私の眷属をつけております。危険が迫れば、眷属がライラ様を守るでしょう」


 そんなことで安心などできるわけがない。


「……余も人間界へ行く」

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