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03

 コンテネレツァに着いたのは、翌日の日没後だった。夜闇に賑やかしい町の明かりが三人を迎え入れる。

 ウォルドによれば、ブリランテ国内で今一番平和なのがこの町だという。城下ではないが一日馬を走らせれば城に行けるし、ベローチェ港との中継地として、行き交う商人も多い。ベローチェほど物はないにせよ、飢えに苦しむものもない。

「かえってフェローチェ――城下のほうが今は不安定だ。コモードとの国境に一番近い町だしな 」

 ウォルドが顔をしかめる。それから呟くように、早く終わればいいのに、と嘆いた。

 三人は町の中では馬を降り、手綱を引いて進んでいた。ウォルドが見知りの宿があると言って先導する。前日からの疲れによろけながらついて行くレジェンを、チェリファリネが支えた。

 人でごった返す大通りを抜け、小道に入る。夜道を親に手を引かれながら帰路に着く子の姿や建ち並ぶ住宅から響く子どものはしゃぐ声が、レジェンたちにラグリマを思い出させた。

 なるほど、平和な町だ。

 先を行くウォルドが立ち止まって振り返り、二人を急かす。けれどレジェンがぐったりと顔を歪ませるのを見ると、彼は笑った。

「だらしないな、ガウリスは鍛冶屋のくせに、おれより乗馬が得意だったぞ」

「ぼくはあまり馬に乗らない」

 口をとがらせてみても、息が切れて長くは続かない。そのさまにチェリファリネも苦笑した。

 やがて宿に着く。ウォルドが二頭の馬を厩に繋ぎ、レジェンは部屋に入るとすぐに横になった。よほど疲れていたのか、柔らかい寝床はひとときの間もおかず、彼を寝つける。続いて入ってきたチェリファリネが見たときにはすでに寝息を立てていて、ウォルドも苦笑する。

「仕方ない、チェリファリネ。夕食は二人で食堂に行こう」

 その実、レジェンに感謝しながら。ウォルドはチェリファリネを連れて宿を出た。



 空腹に目を覚ましたのは、外が少し静かになったときだった。

 相変わらず体のあちこちが痛い。先ほどまでとはいかずも、足を動かすのは辛かった。また先ほどは疲労に満たされていた体が、今度は筋肉痛に、とくに太ももの内側を襲われる。

 ぎちぎちときしむ体をゆっくりと伸ばしてからあたりを見渡す。と、荷物は手の届く場所に置いてあったが、長らくともに旅をしてきた相棒と、二日前に再会した友人の姿がない。虫の鳴く腹をさすって、夕食はどうしたものかと、彼は一人で思案した。

 いや、おそらく。二人とも食事に出ているに違いないと思いつくことは、そう難しくはなかった。ならばと気兼ねなく彼も部屋を出る。

 宿の主人に尋ねれば、一番近い食堂は三軒隣だが、もう閉店している時間だという。代わりに五軒向こうの酒場を教えてくれた。酒場といっても酒は今は満足にないが、軽い食事くらいならできるだろう、と付け足して。レジェンは礼を言ってから宿を出た。

 言われたとおりに進むと、たしかにそこはあった。この建物自体、安宿も営んでいるらしい。ただ小さく厩もない。酒場もそう賑わっているようすもなく、なんとなく寂れているような感もある。

 木の扉を開けると、キイと軋んだ。中には数人の客が静かに杯を傾けている。しかし酔っているらしい者はなく、酒の匂いもない。

「いらっしゃい」

 小さなカウンターの中から、老いた女主人がしわがれた声で言った。愛想よくほほ笑みながら、好きなところへ、と手で促す。レジェンはカウンターの一番はじに腰かけた。

「今はお酒はないんでね。山菜料理かサンドウィッチだ」

 控えめな声で言いながら品書きを差し出す。けれどレジェンは文字を読めず、勧められるまま山菜料理を注文した。それから出された冷やを飲みながら、ほかの客が飲んでいるのはただの砂糖水だと知る。いいや、ただのといっても、このご時勢だ。砂糖も貴重なものではある。

 やがて食事が出てくると、レジェンは無言で食べた。空腹のわりには食事の進みが遅い。食べるだけでも案外疲れるものだ、とぼんやりと考えた。

 時間は静かに過ぎていく。

 先に来ていた客が一人二人と店をあとにする。もとより静かだった店内がいっそう寂しくなり、ついに客はレジェンだけになった。女主人は空いたテーブルを片づけながら、何度かため息をついた。

 息苦しささえ感じる沈黙が長いあいだ続く。それが破られたのは、ようやくレジェンがすべてを食べ終えたときで、しかし声の主は彼でも女主人でもなかった。

 キイ、と木の扉が開く。驚いたのは女主人で、目を見開いて客人の第一声を待った。つられ、レジェンもその人物に目をやる。

 客は小さな、けれどよく澄んだ響く声で、震えながら問うた。

「まだ大丈夫ですか?」

 ――目を奪われる。

 月のように輝く金色の長い髪、さくらの花のようにまっ白な肌。淡い碧の瞳が、髪と同じ色の長いまつげの下でその存在を主張する。憂いに結んだ唇はばらのごとく紅く、瑞々しい。

 現れたのは茶色い外套を羽織った、とても麗しい女性だった。

「どうぞ、お好きな席へ」

 女主人がレジェンにもしたように手で促す。彼女のか細い腕が震えていると見ると、湯を沸かし砂糖を溶かして差し出した。女性は隅の卓でうつむいたまま、礼を呟くように言った。

 すでに食事を終えたレジェンだったが、どうにも彼女が気になって、席を立つ気にはなれなかった。砂糖水を飲みながら彼女を遠巻きに見つめる。けれど女性は気づくようすもなく、なにかに怯えているかのように壁に身を寄せていた。

 彼女の注文したサンドウィッチが運ばれてくる。女主人はそれらを並べながら、宿はどうするかと尋ねた。すると女性はしばらく考えたあと、悲しそうに顔を歪ませて首を横に振った。

「恥ずかしい話ですが、もうお金がないのです。これを食べたら終わり」

 肩をすくめ、今にも泣きそうに、けれど無理やりに笑ってみせる。哀れに思った女主人は一夜くらい代などいいと説得したが、女性はなおも頷きはしなかった。

「長く留まれば家に着くのも遅くなります。そうなれば余計にお金が必要になります。ですからこれを食べたら、すぐにこの町を出ようと思っています」

「急ぐ理由がそれだけなら、ここに泊めてもらうといい」

 声に女性が顔を上げた。いよいよ見かねたレジェンが、言いながら立ち上がり彼女のもとへ歩み寄る。彼女は驚いたように彼の顔を見つめ、しばし口を開いたまま呆然としていた。

 そんな彼女をよそに、レジェンは鞄の中を漁って、まず女主人に食事代と彼女の宿代を支払った。彼女にも二日ほどの寝食には困らない程度の金を差し出す。これまでの旅で、彼らが商いで稼いだものだ。

「これであなたの旅に足りるかどうかはわからないけれど」

 優しくほほ笑んでみせる。が、すぐに訝しむ。まるで話など聞こえていないかのように、彼女は依然、ただ彼をまっすぐに見つめていた。

 唇がなにかを言いたげに震え、華奢な腕が彼へと伸びる。彼女がなにをしようとしているのか、レジェンはふしぎに思いつつもじっと待った。

 と、また新たな客が訪れて、女主人は慌てて出迎えた。反射的にレジェンもちらりと目だけを向けるが、その姿を確認できないうちに、ついに女性が彼の腕を掴んで叫んだ。

 ――驚いたのはそこにいた全員だった。レジェンは彼女の美貌の顔を、間近で見つめた。

「ガウリス!」

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