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 ――ああ。

 石畳の冷たさに目を覚ます。暗さに、夜か夕時かと思ったが、妙に高い天井の近くに設けられた小さな窓からは、明るい光が差し込んでいる。鳥の鳴き声を聞いて、朝だと気づいた。

 上体を起こすと、腕とわき腹、背中にも痛みが走る。

 改めて周囲を見渡す。床と天井、四方の壁と、六面すべてを石で組まれた小さな部屋だった。ただ窓と反対側にある小さな扉だけは丈夫な木で作られていた。鍵がかかっているらしい。押しても開かない。

 レジェンは一人だった。

 傷口は傷むが、丁寧な手当てが施されていた。立ち上がると目が眩む。もう止まっているとはいえ出血したことと、空腹が原因だろう。荷物があればなにか口にできたろうが、部屋にあるのは一枚の薄い毛布のみだった。

 と、窓外、遠くから歓声が聞こえた。なにごとかと壁に歩み寄るも、窓を覗くこともできない。

 次に、扉の向こうから話し声が聞こえた。だれかいるのか。レジェンは耳を澄ませたが、すぐに終わってしまったらしい。遠のく足音が響いた。

 ここはどこだろう。なぜここにいるのだろう。

 回答はすぐに得られた。すぐ近くでガチャガチャという金属音が聞こえ、振り返ると扉が開いた。だれか入ってくるのか、身構えていると、盆に食事を載せた従騎士が現れた。食事は麦をふやかしたもので、山菜が添えられていた。

 まだ幼い従騎士は、怯えたように眉根を寄せ、口角を下げている。くすんだ緑色の瞳は今にも泣き出しそうに潤んでいる。小さく頭を下げ、レジェンの足元にそっと盆を置くと、まるで獣から逃げるように、腰元の剣に手を掛けたまますばやく外へと出て扉を閉めた。ガチャン、という重い音が響いた。

 従騎士がいるとなれば、ここは城だろうか。違いない。不意に室内が暗くなり、見上げると窓の外に二つの顔があった。女だ。覚えがある、先日の宴会で給仕をしていた乙女たちだ。

 彼女たちは無表情だった。見下ろす目は仮面のように冷たい。なにを言うでもなく、彼女たちはしばらくそうしていて、やがてどこかへ消えた。直後に馬の駆ける足音が聞こえて、窓から小石が落ちてきた。どうやらこの部屋は地下に位置しているらしい。

 地下牢ということか。自分は今、捕らわれている。レジェンはようやく理解した。

 ――パリスはどうしただろう。

 あの美しい乙女を思う。記憶を辿る。

 トリル山を囲む森のなかで、三人の騎士に追われた。騎士らは弓を射、それを受けたレジェンは体勢を崩し、落馬した。背中の痛みはそのためのものだろう。以後の記憶はない。

 そして今、城にいる。ブリランテ城だ。ということは、あの騎士たちはブリランテの騎士だったと推測できる。

 パリスがどうなったか。確かなのは逃げられなかったことで、気がかりは彼女がどう扱われているかだ。

 彼女もまた、捕らえられているのだろうか。それとも――ああ、もし自分さえ気を失わずにいたらこう訴えたろう。彼女の美しさがため、悪意に乙女を連れ去ったのだと。ならば彼女はとがめられもしなかったろう。

 ここにいては、行方を知ることもできない。だれでもいい、次にあの小窓から姿を見せたものに、ぜひ尋ねてみよう。レジェンは窓を注視し、機の訪れを待った。

 外は次第に騒がしさを増す。扉の隙間から吹き込んだ風に、懐かしい匂いを嗅ぎ取る。酒だ。朝から酒とは、どういったことか。考えて、そういえばコモードとの会議が決着し、七年に渡る戦に終止符が打たれたのは、つい三日ほど前のことだ。

 勝利はない。しかし戦いの苦しみから解放された。さらに王が退位し、王子ジェイファンが即位する。

 そして麗しの乙女、パリスが王妃となる――パリスはそう言っていた。

 ウォルドの家を訪ねてきたときの彼女を思い出す。顔をまっ青にして、ガウリスの帰りを待ちたいのだと訴えた。しかしこのままここにいては、いずれ裏切りの咎のため、刑に処されるだろう。

 杯がないのだから。

 知らず、拳に力が入る。手のひらに汗が滲む。ここにいてはいけない。早く、どうにかして杯を探し出すか、あるいはパリスを連れ出さなくてはいけない。だが動けない。扉は、やはり開かない。

 ――チェリファ。

 幼馴染の名を、心中で唱える。

 チェリファリネは、自分がここにいることを知っているだろうか。もしや、彼女まで捕らわれてはいないだろうか。ウォルドがいたなら彼女を守ってくれたろう――だが、彼は裏切り者だった。

 ウォルドは。

 ――けれど彼は、忠告を与えた。

 トリル山の南は行くな、と。レジェンは従わなかった。結果、騎士たちと鉢合わせして、捕らえられてしまった。彼は真実、友人のために忠告したのだ。

 ああ、なぜ彼のあの泣きそうな瞳を信じなかったか。

 悔いてももう遅い。今は祈ることしかない。とそのとき、扉が開かれて、先ほどの従騎士がやってきた。やはり怯えたようすで、さっと盆を引き取るとさっさと出て行った。声をかけようとしたが、あまりの怯えようにためらわれた。

 窓外も静まった。ずっと上げていて疲れた首を、レジェンは組んだ腕のなかにうずめた。

 長くは待たなかった。

 足音を感じた。聞こえたのではない、石畳が振動を伝える。だれかが来る。従騎士だろうか、見張りの兵がいるのかもしれない。伏せていた顔を上げ、扉を見やったとき、室内が暗くなった。

「レジェン」

 窓を見上げる。光を遮る人物がいた。聞きなれた低い声だった。

「――ウォルド」

 影のせいか。ひどく疲れているように見える。いいや、三年ぶりに会ったそのときから彼は疲れた顔をしていたが、今はまるで老人のようにくたびれ、やつれている。

「よく聞いてほしい」

「待って、‥‥そこにだれかいる」

 壁に歩み寄り、できるだけ小さな声で伝える。ウォルドは首を横に振った。

「問題ない。だが、ほかのだれにも言わないでほしい」

 言いながら、ウォルドは周囲を見渡した。それからレジェンに向き直り、厳かに告げる。

「おまえにしか頼めない。勝手な願いだとわかってるが――頼めるか」

 レジェンは彼を見つめたまま考えた。今捕らわれている彼に、なにを願うというのか。町には多くの人がいるのに、なぜ彼なのか。

 しかしレジェンは頷いた。友人を見つめるウォルドの瞳は、夜の平原で出会ったときのそれとは違う、まっすぐで誠実なものだった。なにより、彼の忠告をレジェンは無視した。その結果がこの牢獄だ。彼を裏切った後ろめたさがあった。

 返答に騎士はわずかに安堵を見せる。

「チェリファリネが待ってる」

 言いながら、ウォルドは扉に小石を投げた。合図だったのか、鍵を開ける音が聞こえた。静かに開かれた向こうから、真剣な面持ちでロネウスが現れた。

「――パリス様は」

「‥‥大丈夫」

 答えながら、王女はレジェンの手をとった。振り返るとウォルドはもういない。二人はそのまま回廊を静かに駆け抜け、裏口へと回った。

 そこにはラセルと、チェリファリネが待っていた。

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