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 ラセルが落ち着かぬように足元を確かめる。全速で駆けた馬たちは荒い呼吸を繰り返す。

 心臓が痛い。

 細い月を、流れてきた雲が隠した。平原に立つ相手を視覚では認めることはできなかったが、たしかにそこにいる者を、幻とすることはできなかった。息の整わないのは馬だけではない。時間の経つほど、乗り手のそれはより乱れていく。対峙する二人は、互いに言葉を探していた。

 なにから訊けばいいだろう。レジェンは思慮を巡らせる。なぜここにいるのか、軍は城に戻ったのではないのか、そのかっこうはなんなのか、――悪党の企てに、ウォルドも関わっていたのか。

「‥‥チェリファは、」

 けれど言葉にできたのは、浮かぶ疑問のいずれでもなかった。

 想い人の名に、騎士はわずかに顔を上げる。

「チェリファは、きみの家で、きみの帰りを待ってる」

 風が強い。この震える声は彼の元まで届いたろうか。しかし友人は頷いた。弱々しくも、たしかに。

 彼が王軍とともに町を発ったとき、チェリファリネは待っていると約束した。レジェンが裏切ろうとも、彼女だけは町にとどまった。王の帰還と隣国との終戦に賑わう城下で、約束の騎士の帰りを待つ幼馴染の姿を思えば、心が痛んだ。

 同時に不安がよぎる。だれが今、チェリファリネを守ってくれるだろう。

「ぼくたちはこのままコモードに行く。パリス様には、きみのことは言わない」

 ウォルドはやはり無言で頷くばかりだった。一言も発さぬ友人を見て、やがてレジェンは背を向ける。これ以上、なにをどう言えばよいかわからなかった。

 たしかなことは、彼は裏切り者だったということだ。いいや――レジェンは首を振る。彼は島人を裏切りはしたが、もとはブリランテの騎士であり、国王やジェイファンに忠誠を誓っている。彼はしょせん、ジェイファンの手足なのだ。

 虚しさがこみ上げる。

 ――信じていたのに。

 ラセルの肩を叩くと、馬は緩やかに進み始めた。パリスのもとに戻らねばならない。そしてそのあとは、できる限り急がなくてはならない。ウォルドに、ジェイファンの手のものに逃亡を知られてしまった。

「‥‥トリル山の南は行くな」

 背後でウォルドが言った。その声はたしかに聞こえた。しかしレジェンは、聞こえなかったフリをした。するとウォルドはもう一度同じ言葉を、大きな声で叫んだ。泣きそうに震えていた。語尾はかすれていた。

 雲が晴れ、次に月影が平原を照らし出したときには、もうどちらの姿もそこにはなかった。



 外套で身を包み、わずかな荷物に隠れるようにして、パリスは待っていた。その様を見てレジェンは、乙女をたった一人で残したことを反省した。追わなければよかったと悔いた。

 ラセルのいななきを聞いて、パリスは安心したようだった。騎士は、と震える乙女に、レジェンは追いつけなかったと嘘をつく。そして、早く先に進もうと提案した。

 花咲きの季節も半ばを過ぎた。早い夜明けに、コケの先の雫が光る。老馬はそれを踏み潰すように先に進んでいく。山を北に見て、二人と一頭は木々のあいだをゆっくりと歩んでいった。

 頭上を緑葉で覆われた森のなかは、日差しを和らげ歩き続ける馬を癒した。くねり、幾度も枝分かれする道はただ進むだけでは迷ってしまう。ときおりパリスが方向を指示し、従う。山の裾野は高低も激しく、わずかずつだが坂道を登っているようだった。

 山の南は行くな。ウォルドの言葉を、レジェンは振り切る。しかしときどき晴れる葉雲のあいだから山を見たとき、同じ言葉が繰り返される。

 森のなかは静かだった。ときどき、すばやく動く獣の足音が聞こえた。鳶の鳴き声も響く。むせるような葉のにおいが立ち込めている。足元に咲く赤い花の名を、レジェンは知らなかった。

 町ではそろそろ人々が起きだす時間だろうか。白んでいた空が澄んだ青に変わったころ、彼らは少し開けた場所でやや休んだ。

「このまま進むと洞穴があるの。ほら――ウォルドが退治した獣が寝床にしていた場所よ。ちょうど日が落ちるくらいに着くと思う」

 今夜はそこで休みましょう、というパリスの提案に、レジェンは頷いた。

 朝食には昨夜パリスの残した肉を食した。やはりパリスは多くは口にしなかったが、レジェンはもうなにも言わなかった。

 食事を終えてからしばらく休み、それからまた一向は進みだした。慣れない騎手にか弱い乙女を乗せては、馬も走れない。老馬は確実に足場を選びながら歩んでいた。

 二人は黙っていた。

 レジェンは島で聞いたこの山のことを思い出していた。トリル山に住まい、幾人もの騎士たちが破れた恐ろしい獣を、兄の打った剣でウォルドが打ち破った。今もって未開の地ではあるが、戦が終われば、この森もどんどん拓かれていくだろう。この道を安心して行けるのは――他ならぬ、ウォルドの手柄だ。

 けれど彼は、行くなと言った。

 またも行き当たる分かれ道に、パリスの指示を乞う。思えばこの森を人が行き来するようになったのはごく最近のことだろうに、どうしてパリスは道に詳しいのか。尋ねれば、ウォルドが冒険を達成したのち、洞窟から少し離れた場所に小屋を建てたのだという。その際、視察したジェイファンやウォルドらとともに一度だけ来たのだと、彼女は答えた。

 けれど直後に戦争が始まってしまって、小屋は今は使われていない。

「一度だけでよく覚えられましたね」

 レジェンが感心して言うと、パリスは苦笑して首を振った。

「目印があるの。もうほとんどわからなくなってるけど‥‥枝に小さな傷があるでしょう?」

 パリスの示した先をよく見れば、なるほど、古い傷がかすかに見える。

「もう八年も前のものだから、全部が全部残ってるわけじゃないけれどね」

 木の成長とともに傷も埋まっていく。また森に住まう鳥獣らのためか、新しい傷も目立つ。なぜ新たに道しるべが加えられないのかと考えて、愚問だと悟る。

 今、この道を通るものはいないのだ。

 そう気がついたとき、違和感を抱く。だとすれば、なにかがおかしい。不自然である。

 森の獣が倒されたのは八年前で、戦が始まったのはその翌年だ。以来七年、だれもこの森に立ち入っていないとすれば。

 ウォルドの言葉を、思い出す。

「パリス様、引き返しましょう」

 手綱を引き、ラセルを止まらせる。とたん聞こえた草根を駆ける音は、ふしぎそうに彼を振り返ったパリスの耳にも届いたはずだ。

 七年前のわずか一年の立ち入りで、こう幾筋も道が分かれるものだろうか。

 だれ一人通らなかったとは言わない。しかし七年間も行き来のなかった道が、こんなに進みやすいものだろうか。

 道しるべなどなくとも、幾度も通れば道は覚える。

「ラセル!」

 力強く手綱を引く。迫る危機にラセルはいななき、来た道を引き返す。パリスは驚き、必死でレジェンの体にしがみついた。レジェンは彼女をかばうように身を丸めた。

 右から襲う風を切る音。外套の背をなにかがかすめる。続けて左から弓の弾く音が聞こえて、二の腕に衝撃を受けた。

 パリスの叫び声が木々にこだまする。

 分かれ道まで戻ったとき、ラセルが立ち止まった。目を上げれば、馬上の騎士が槍を構えている。鼻息を荒くする若い馬に、老馬は警戒しわずかにあとずさりした。

 パリスの体を強く抱く。そして友人を思う。

 背中に鋭い痛みを覚えてからあとを、レジェンはなにも覚えていない。

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