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 気まずさは朝になるとより存在を強くした。まだ眠っているチェリファリネを起こさぬように、レジェンは部屋を抜け出る。台所では婦人が朝食の準備をしていたが、気づかれぬように通り過ぎ、外へ出て厩へ向かった。近ごろ世話をしていたからか、二頭の馬はどうやらチェリファリネに懐いたらしい。そんな話を聞いて、レジェンがたてがみを撫でようとすると、馬は不機嫌に鼻息を荒らげた。

 馬はどうも苦手だ。兄はよく乗りこなしたというが、とても無理だ。レジェンは興奮気味にいななく馬からやや遠のいて、独り言ちた。パリスと旅をするならば手綱を取らねばならないだろうが、きっとつらいものになるに違いない。

 が、行かねばパリス自身が馬を操ることになる。そういえば、彼女は馬に乗れるのだろうか。

 のどが渇いて、屋内へ戻る。スープのいいにおいが漂ってきて、二階からはちょうどチェリファリネが降りてきていた。挨拶を交わしたものの、けれど二人はそれ以上話をせずに、静かに朝食を取った。

 パリスはまだ、起きてはこなかった。

「いいえ、起きてはいらっしゃるのですけれどね。あまりになにも召し上がらないので、すっかり弱ってしまわれて」

 婦人はそう言いながら、盆に朝食を用意した。一人分というにはやや少なめで、食べやすいように柔らかく調理されている。パリスは自室で食べることにしたらしい。

 階段を上がる婦人のうしろ姿を見送って、チェリファリネは外へ出て行く。おそらく厩だろう。レジェンは食卓を簡単に片づけてから、自室へと戻った。

 自分の荷物を片づける。これまでの商いで得た収入を二分し、売れそうな品物も荷物に含める。さほど多くはなかった。

 パリスに、ついて行く。

 兄の愛した、兄を愛した美女。こんなにも一途に兄を求める乙女が、今頼っているのはだれだろう。期待を、どう拒めばよかろうか。

 初めて会ったとき、レジェンをガウリスと思って喜んだ彼女。誤解と悟り顔を伏せた彼女。

 彼女の喜びのためにできることは、限られている。

 扉の軋む音がして振り返ると、チェリファリネが立っていた。決意を固めた幼馴染の顔を見るなり、彼女は深いため息をついて、寂しそうに目を細めた。それから、静かに告げる。

「今、急使が帰ってきたそうよ。コモードとの会議は無事に終わって、これから王がお戻りになる、と」

 コモードとの戦は、終わる。チェリファリネが窓に歩み寄り、そっと開くと、遠くから喜びに沸く声が響いてきた。この屋敷にも数人の町民が訪ねてきており、庭先で、婦人と喜び合っている。もっとも、婦人の顔にはわずか、不安げなものが見て取れるが。

 戦の終わりはつまり、ジェイファンの即位が近いことを意味する。さらには、パリスとの結婚――彼女の過ちの露呈をも脅かしている。

「今夜を除いては、機会はないわね」

 厳かな口調でチェリファリネが言う。レジェンは黙ったまま頷いて、ようやくまとめた荷物を、じっと見つめた。

 明日には王一行も戻るだろう。そうなれば、これまでは王城への出向を避け続けてきたパリスも、もう逃れることはできなくなる。パリスが出発を今夜に選んだのは幸いといえる。夜中馬を走らせれば、いくらも遠くへ逃げられるだろう。

「ねえ、でも、約束して、レジェン」

 窓の外を見やったまま、チェリファリネが呟くように言う。

「必ず帰ってきて」



 婦人の寝入ったころ、三人は川辺へと降りていった。暗闇に流れる水音はもののけの声にも似ている。野鳥の羽ばたく音が木々のあいだにこだまして、パリスは怯えにレジェンの腕を握った。

 パリスの友人は、まだ来ていない。

「昼間の知らせもあって、うまく抜け出せないのかもしれません」

 不安げにパリスが声を震わせる。昼間の知らせ――コモードとの和解の成立のことだろうか。

 焦るパリスの肩を、レジェンは撫でる。もし彼女の友人が現れなくとも今夜のうちにここを発たねばならない。いざとなれば徒歩でもって行くことも覚悟する。レジェンには、今までで十分慣れた手段だった。

 新月までまもない夜空に、まだ月はない。きっと筋ほどの輝きしか残されていないだろうそれが上るころには出発しよう。三人はそう決めて、せせらぎのはたに腰を下ろした。

 冷たい風が髪をなびかせる。

「ところで、」

 重苦しい沈黙があってから、チェリファリネが口を開いた。

「まずはどこへ向かわれるのですか」

「‥‥まだ、なんとも」

 問いに、パリスは力なく首を振る。およそ予測していた返答に、チェリファリネはただ頷いた。

 ガウリスがどこにいるかなど、知れるはずもない。だから探しているのだから。

「ただ、ガウリスはコモードの悪党にさらわれたのだと聞きました。今までは国内を探すに留まっておりましたが、この機に、いっそ国境を越えてみたいと思うのです」

 ちょうど和解も成立した。だからといって簡単に越境できるわけではないが、価値はあると、レジェンは思った。かつて兄のものと思しき葬列を見たのは、ほかならぬコモードだ。

 いや、しかし。兄に会えると期待してはいけない。魔女の言葉がある。すなわちこの旅はガウリスを探し出すためのものではない、パリスを逃がすためのものだ。

 ――愛に狂った、悪党の懐から。

 真実をパリスに告げはしない。コモードに行けば思い当たるあてもある。首尾よくパリスを送り届けたら、自分は島へ帰ろう。

 レジェンは心に誓った。幼馴染にも気づかせまい、たった一人、心に刻み込む。でなくば幼馴染を裏切ることになる。乙女を裏切ることになる。兄をも裏切ることになる。

 強い風が吹いて体を震わせたチェリファリネに、レジェンは自身の外套を脱いで差し出した。これから旅立つ二人に比べ、見送りのために出ていたチェリファリネは薄着だった。

 空を見上げる。

「来たわ」

 パリスが控えめに叫んだ。指さす方向に目をやれば、なるほど、黒い影が近づいてくるのが見えた。二頭の馬――先行する一頭に、だれかが乗っている。

 馬は駆けることなく、足音を忍ばせてやってくる。よく訓練されたものとみえる。三人は立ち上がって、その到着を待ち受けた。

 騎手の顔を認めたとき、レジェンとチェリファリネは驚きに目を見開いた。いいや、思えば、どうして疑わなかったろう? 今や戦時、馬を他人に与えられるほどの富を持つものがどれほどいるだろう。

「遅くなってすまなかった。城内が落ち着かなくてね――兄上も先ごろ、ようやくお休みになったばかりだ」

 女性らしい高い声は、かしこまった強い口調でそう告げた。星のわずかな光に現れたのは、栗色の髪を耳下で揃え、黒いマントに身を包んだ長身の――昨日の昼間にチェリファリネがここで待ち続けていた女性。

 この国の王女、ロネウスだった。

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