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 夜が明けると、レジェンはすぐに城へと向かった。馬は使わない。慣れぬ乗り物に精一杯になって、大事なものを見落とすわけにはいかない。

 チェリファリネは昼までウォルドの母を手伝い、死の恐怖に怯えるパリスを慰めもした。昼食を取ってからは昨日と同様に馬の世話をし、ときどき、こっそりと川辺へと降りていった。

 しかし、ロネウスには会えなかった。

 不安ばかりが募る。苛立ち、焦る。雨のせいか昨日よりも水かさの増えた川が、荒くしぶきを上げながら流れていく。

 ――なぜパリスはウォルドの家に来たのだろう。

 灰色の雲が覆う空を見上げて、ふと思う。

 なぜ乙女は、ウォルドの家に助けを求めたのか。やはりウォルドが恋人の親友だからだろうか、しかし彼は今、ここにはいない。

 ならばウォルドの母か。婦人もまた、彼女の過ちを知っているようだった。そしてそれを、責めはしなかった。

 婦人は温和で寡黙だが、王家に反発心を抱いていると、チェリファリネは感じた。とてもささやかではあるけれど、戦を批判し、遠征に疑念を口にする。息子の出立にも、彼女の顔色は強ばっていた。向かったのが戦場なのだから、喜んで送り出せはしないだろうが。

 そんな彼女の邸宅は、パリスの逃げ場所としては最適であるに違いない。ウォルドのいない今なら、王子が訪ねてくることもないだろう。なるほど、彼女がここを選んだわけも頷る。

 が、冷静に考えての結論だとしたら、それもまた怪しい。昨夜のパリスはひどく取り乱し、ほとんど正気を失っていた。彼女は選んだのでも考えたのでもない、ここに来るほか、なかったのだ。

 かわいそうに。美しく生まれたがために。

 日が暮れるころ、川へ葬列がやってきた。最初に現れた先導の騎士がチェリファリネに挨拶していると、続けて司祭が一人と六人の騎士、彼らに運ばれて三体の遺体が、川辺に下ろされる。チェリファリネも彼らに倣って、死者への祈りと、胸を二つ叩く。

 葬列は遺体をそれぞれ舟に乗せると、波立つ川へと流した。司祭は舟が見えなくなるまで祈りを唱え続け、騎士たちは目を閉じ、胸に手を当てたまま黙っていた。

 やがて祈りが途絶えると、騎士たちは目を開き、大きなため息をついた。

「島から、船が戻ったのです。今回の殉死者はあの三人でした」

 黙って見つめていたチェリファリネに、先導の騎士が言った。

「みな、立派な騎士でした。最後までブリランテの勝利を信じておりました」

 彼らのためにも、我が軍は必ず勝利します、と、騎士は言った。



 レジェンが戻ったのは夕食のすぐ前で、なにも言わずに出て行ったことから、ウォルドの母には心配をかけ叱られた。彼は子どものように視線を落としうなだれていたが、叱られたことにそうしているのではないと、チェリファリネはわかった。

「なかったのね?」

「ああ」

 囁くような声で問い、確認する。それからチェリファリネも、ロネウスには会えなかったと報告した。

 夕食はジャガイモのスープと二切れのパンだった。木製の皿には、やはり削られた跡がある。ここにも聖書の一説というものが書かれていたのだろう。

「夕方、川に葬列が来たわ。島から船が戻ったと言っていた」

 チェリファリネが言うと、食卓は静まり返った。婦人はスプーンを置き、パリスは目を見開く。

「葬列の騎士たちはなにも知らないみたいだったわ。王さまが今、会議のためにコモードに向かっていることを」

「きっと会議はもう終わっているわ」

 婦人が冷たく言い放つ。

「本物の会議なら、ね。明後日には、軍もお戻りになるでしょう」

 皮肉混じりの言葉は、視線とともに卓の下へと落ちていく。パリスはおろおろと目を泳がせ、泣きそうにも見えた。

「なにも知らない、というのは?」

「彼ら、必ず勝利します、と言ったわ」

 レジェンの問いに、チェリファリネはすぐに答えた。

 戦を終わらせるための会議に王が出ているというのに、それはあんまり、おかしな誓いだった。が、婦人はこう推測した。

「それはあなたを、庶民だと思ったからですよ。まだ終わると決まったわけではないのですから、国民には最後まで信じさせることが肝要なのです」

 これまでの長い戦いが、たった一日の話し合いで勝ち負けもなしに終わるとあっては、国民はどう思うだろうか。そうだ、騎士だって、その疑問を王に投げかけた。

「もう、葬列の話はおやめくださいな」

 婦人が静かに言って、チェリファリネはうつむいた。色香をまとう美しい顔立ちをゆがませて、婦人がスープを睨みつけている。ゆっくりとスプーンを掬い上げると、湯気が柔らかに上がった。

 パリスはもはや、手を完全に止めていた。婦人が最初に席を立つと、彼女も続いて、部屋へと戻っていった。レジェンとチェリファリネは黙って、婦人とともに食卓の片づけを手伝った。

 上階で扉の閉まる音を聞いてから、婦人が、先ほどよりは柔らかな口調で言った。

「葬列の話はあまりするものではないですよ。ことに、彼女は今、とても不安になっていますから」

 口許には笑みを含ませながら、二人をたしなめる。洗った食器を布巾で丁寧に拭きながら、棚に並べていく。それから思い出したように、レジェンに向かって言った。

「そうそう、明日はダロンさんがお見えになるから、どうぞ家にいらしてくださいね」

「ダロンさんが?」

 パリスの父親であり、レジェンの兄ガウリスの師でもある、大陸一と名高い刀鍛冶。疑うまでもない、パリスのことで来るのだろう。

「もちろん、こちらに来ることは内緒ですからね。王子さまに知られたら――」

「ダロンさんは、パリスさんがここにいることをご存知なのですか?」

 言葉を遮って発せられたチェリファリネの問いに、婦人はしばらく考えて、一つ頷いた。きゅっと唇を結び、小さくため息をつく。

「杯がないことには、彼女も家に帰れないですからね」

 でも心配しなくていいのよ、と、婦人は不安を打ち消すようにほほ笑んだ。ひととおり片づけ終わった台所を見て、小さな二人に、礼とおやすみを言った。そうして三人は台所をあとにし、それぞれ、部屋へと戻っていった。



 まだ、二人とも寝つけぬうちだった。

 昨夜考えたとおりにはまったく進まなかったことが、彼らを焦らせていた。道の途中で落としたのではなかった。となれば望みはロネウスだが、次にはいつ会えるかわからない。それに、島から船が戻ったのなら、今ごろ城はそれなりの騒ぎになっているはずだ。

「三人って、多いのかしら、少ないのかしら」

「少ないさ」

 今ブリランテが戦っているのはコモードではない、ハオン島の島民だ。もしまともに戦っているとするなら、島民の側にもっと多くの死者が出ているだろう。

 コモードも今は沈黙している。会議の結果を待つのみだ。

 と、トントン、と、控えめに扉を叩く音が聞こえた。レジェンは上半身を起こし、見やって返事をする。婦人だろうか、それとも。

 ゆっくりと開いた扉の向こうから現れたのは、――パリスだった。

「ごめんなさい、少し、‥‥いいかしら」

 うつろな瞳が二人に問う。わずかに間をおいてから、レジェンは頷いて、彼女を招き入れた。

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