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02

 レジェンが暖炉に薪をくべる。安宿に響く木窓を打つ雨音は相変わらずで、先ほどと違うのは、階下からの騒がしい声がないことか。

 室内はしんと静まり返っていた。

 ウォルドは毛布に包まったまま、暖炉の側で暖まっている。瞳は真剣になにかを思案しているようで、ときおりため息を漏らした。チェリファリネは彼の傍らでうつむいている。

「なるほど、経緯はわかった。けれどなんだって、すぐにブリランテに来なかったんだ」

 ウォルドが問う。乾ききらない髪を掻きながら、責めるようにレジェンを見つめる。

「魔女が言ったのさ、そしてメリアン王子が信じろと言った」

「メリアン王子、ね」

 またため息をつく。それから少し首を傾げて、けれどなにかを思い出し、納得したように頷いた。

「それを知ってるということは、頭から疑うことはできないか」

 ――それ。おそらく、メリアンを王子と呼んだ、そのことだろう。

「知ってたの?」

「なに、このあいだ刑に処された娘が言ってたのさ。小柄な、まだ若いだろうに白髪だった」

「白髪?」

 驚いて訊き返す。白髪の娘と聞けば、思い当たる人物は一人しかいない。むろん、まったくの別人とも考えられるが、メリアンを王子と知っているとくれば彼女しかいまい――アンジェニだ。

 コモードを発ってからの三年で多くの死を見聞きしたが、こればかりはどうにも慣れない。加えて処刑されたと聞けば、どうにも違和感がある。彼女はなにか、悪事を働いたのだろうか。そんなふうには思えない。

 しかし、顔を見合わせ黙りこんだ二人を見て気づいたのだろうか、ウォルドが小声で付け加える。

「ここから船で北に行くと、ヘオン大陸の南に小さな島がある。そこが彼女の故郷だと聞いてね――天気が回復したらすぐにも船が出るそうだよ」

 おかげで風邪でも引きそうだ、と笑う。チェリファリネは大きく息をついて安堵し、レジェンも意味を理解すると、ほうとほほ笑んだ。

「だれにも言うなよ。とくに城のやつら――王子には絶対だ」

「王子‥‥ジェイファン王子?」

 訊き返せば、彼は真剣なまなざしで頷いた。

 ジェイファン。その名に、レジェンたちは恨みがある。いいや、すべてを聞けば、ウォルドだって同じように思うに違いない。

 レジェンの兄、ガウリスをさらった首謀者の名。

「王子は近ごろ、どうも落ち着きをなくされているように思う。いくら彼女が魔女と名乗れど、なんの罪もない彼女を処刑するなんて尋常とは思えない」

 真実、騎士のすることではない。ウォルドは苦々しげにそう強く言った。

 その後、三人はそれぞれに眠った。遅すぎた就寝に朝は早すぎて、目が覚めたときは昼近くだった。空は晴れていたが、船乗りたちはまだ船は出せないと言う。が、それを横で聞いていたウォルドが口を挟んだ。

「なに、おまえたちには城までついてきてもらう。またどこかへ行方をくらまされちゃあたまらないからな」

 当たりまえのように言う彼に、レジェンは反抗しようにもできなかった。それほどウォルドの目は真剣で、レジェンを威圧している。

 賃金を支払うと、ウォルドは半ば強引にチェリファリネの手を引いて宿を出た。隣接する厩には二頭の馬が休んでいたがどちらも昨日はいなかったから、ともにウォルドの馬だろう。彼は装備を整え手綱を引き、レジェンに小さなほうの馬を与え、チェリファリネは自分の馬に同乗させた。

 と、レジェンは思い出したように言った。

「少し待ってくれないか、ウォルド」

 鞄の中を探る。取り出したのはデライフの杯――兄が持っていた品だ。ウォルドは怪訝そうにそのようすを見ていたが、レジェンはさらにその中に詰め込んでいた布を取り出した。

「アンジェニに会いたいんだ――昨夜話していた、魔女に」

 布を開く。そこには古びた指輪が包まれていた。三日月を二つ重ねた紋章に、中央には青い石が埋め込まれた銀色のそれは、かつてメリアン王子から預かったものだった。いつか魔女――アンジェニに再び会うことがあれば渡してほしいと、今は亡き彼の言葉を思い出す。古い約束だ。

 難しいことではない。しかし、ウォルドはしばらく考えたのち、首を横に振った。

「だめだ」

「どうして?」

 今を逃せば二度と彼女に会うことは叶うまい。チェリファリネもまたメリアンとの約束を思い、ウォルドに尋ねた。彼は一つ息をつき、考えながらこう説明した。

「二度と会わないと、彼女に誓わせられた。それに今彼女がどこにいるのか、おれは知らないんだ」

 残念だけれど、と眉でハの字を描く。それにはレジェンも諦めざるを得ず、彼は再び、指輪を杯に納めた。

 彼らはすぐにベローチェを発ち、まっすぐに北へ向かった。今夜は野営になるだろうが、明日はコンテネレツァで宿を探そうとウォルドは言う。二日ほど前に船の上から町が見えたが、おそらくあの土地だろう。海に近い、小さな町だった。

 雨の上がったばかりの平野は、馬にはやや走り辛そうだった。強い風が吹き、またレジェンは乗馬に慣れていなかったから、先導する二人の乗る馬を見失わずに追うのが精一杯だった。

 やがて日が落ちると三人はなるべく乾いた場所を選び、ウォルドが持っていた天幕を張った。簡素で小さなもので、中ではチェリファリネだけが休み、レジェンとウォルドは外で毛布に包まった。

 雨上がりの空は突き抜けるほどに晴れ渡り、欠け始めた月が花咲きの季節の始まりを告げている。湿った風は温かいけれど、少し重たくも思えた。

「なあ、レジェン」

 天幕の中から小さな寝息が聞こえ始めたころ、相手が起きていることを確認してから、ウォルドが呟くように言った。昼間話していたよりやや低い、怒気の含まれた声に、レジェンは少し間をおいてから返事をした。

「おまえたちは本当に、この三年間どこに行っていたんだ」

「それは昨夜も話しただろう」

「黙っていることもある。違うか」

 強く問われれば、否定はできない。レジェンは唾を呑んで口をつぐんだ。

 言えずにいることはたくさんある。アンジェニのことも本当なら言うつもりはなかった。ほかにも、ジェイファンの企みなどは言っていない。ジェイファンは彼の主君だし、そもそもこの国の王子だ。下手に口にすべきではない。

 だがウォルドが知りたかったのはそんなことではなかった。レジェンが黙ると、彼は深く息をついて続けた。

「おれはもうこれ以上、わけもわからず友だちを失うのはごめんなんだ。それにチェリファリネは――」

 緩やかな口調は、まっすぐ空へと向けられる。言いかけてやめた言葉の続きを予測するのはとても容易で、やがて消えゆく声は寝息に変わる。

 意味もわからずに。そうだ。彼にとってはガウリスの事件さえ、理由も犯人もわからぬままなのだ。ただわかっているのは、友人がいなくなったこと。

 彼は、ずっと待っていてくれたのかもしれない。だから、再びの別れを恐れているのかもしれない。

 その夜、レジェンは眠れずにいた。慣れないことに疲れきってはいたけれど、体のあちこちが痛んで、それからこの先のことを思って。

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