16
その夜、彼らは城に留まることになった。東に設けられた窓からは、先ほどまで騎士たちが集い、奇妙な宴に騒いだ食堂が見下ろせる。給仕らが片づけをしているのだろう、まだ明かりが灯っていた。
「寝ないのか」
問いかけられて、レジェンは振り返る。すっかり寝支度を済ませ、ウォルドが隣の寝台に腰かけたところだった。
チェリファリネは隣の部屋にいる。もう寝ているだろうか。
「早く寝ろ、夜が明けたら家に帰るからな」
言いながら柔らかな布団にもぐりこみ、あくびをかく。少量ではあるが酒を飲んでいるためもあってか、ウォルドはひどく眠そうにしている。まぶたはほとんど閉じ、呂律の回りもよくない。
レジェンも相当には眠かったが、それよりも気がかりなこともあり、なかなか横になれないでいた。
一つを疑うと、なにもかもが疑わしく思える。
ロスダルニャはずっとレジェンを見ていた。少なくとも、彼自身はその視線をほとんど常に感じていた。隣に座っていたこともあろう、彼が客人だったこともあろう、けれど、それにしては、邪な意思が見え隠れしていた。
なぜ王は彼らを夕食に招いたのか。にも拘らず、なぜ彼に酒をよく勧めたのか。およそ、彼らを食堂から追い出すためとしか思えない。
そうだ。王には、レジェンらが邪魔だったに違いない。宴のあとにあのような重大な話を用意していたならなおさらだ。しかし、では、なぜ。
「なぜ王さまは、ぼくらにもあの話を聞かせたのだろう?」
追い出すことだってできたはずだ。なのに、なぜ?
問うた言葉に答えはない。ウォルドはすでに眠ってしまったのだろうか、いいや、彼もまた考えていた。
おかしい。なにもかもに、違和感がある。
闇夜が静まり返る。鳥の声さえない。寝返りを打てば寝台の軋む音が、布の擦れる音がうるさく感じるほどに響く。
「――魔女は」
不意にウォルドが呟く。窓辺のレジェンに背を向けているのは、月光が眩しいからだろうか。
欠けるばかりの月は、なんとなしに不安をあおる。
「魔女は、言った。策はいずれ尽きる、夜明けが訪れ、闇が明かされる、と」
魔女――アンジェニか、とレジェンは思った。三年前に分かれた白髪の魔女を、彼は思い起こす。
徐々に力をなくしていく友人の言葉に、レジェンは聞きのがさじと耳を傾けた。
「それを、王子は――お怒りになった」
それきり、彼はなにも言わなかった。すぐに小さな寝息をたて始め、レジェンは一つため息をつき、また窓に目をやった。
ウォルドと再会した日のことを思い返す。
その日、彼は処刑されるはずだった魔女アンジェニを救うため、港町ベローチェに来ていた。魔女は王子の機嫌を損ね、ここでは処刑されたことになっているらしい。
ウォルドはなぜ処刑されねばならないのかと訝しがっていたが、レジェンは確信した。
策はいずれ尽きる、夜明けが訪れ、闇が明かされる――これだけではなんのことかわからないが、王子には心当たりがあった。その罪はレジェンも知っている。
アンジェニの瞳はすべてを見抜く。彼女を信じるものがなかったとしても、ジェイファンにとって、彼女は邪魔だったに違いない。
そうでなくとも、婚約者の裏切りに、王子は平静を保てずにいる。ささいなことに我を失い、正誤を見極められずにいる。
不安は、そのような男を近く王と迎えるブリランテか。
かつてラグリマでアンジェニと話をしたとき、彼女は言っていた。いかに未来を知れようと、地位がなければ無意味な能力だ、と。思い返せば、そもそもアンジェニは四、五年前にもこの国で罪を問われ刑に処されるはずだったという。反戦を訴える彼女を、ブリランテは反逆者として捕らえた。
だというのになぜ今になってまたブリランテに来たのか――それもわざわざ、なぜ王子に喧嘩を売るような真似をしたのか。
かぶりを振る。今はそのようなことを考えても仕方あるまい。急に眠気が襲ってきて、レジェンは窓外を見やったままふちにもたれた。
――いかな暴君でも愚かな罪人でも、その生まれあれば国の上に立てる。邪魔者は反逆者として捕らえ、付き従うものだけを我が元にとどめる。それが、権力あるものにはできる。
アンジェニの言葉を逆にいうならばそれもありだ、と、レジェンはおぼろに考える。
ブリランテにもよい騎士はいる。友人のウォルドはもちろん、今夜の宴で最後まで残り、王の演説を聞いたものはほとんどがそうだろう。今までに戦場に散った騎士らも、自らの正しきを信じ、自国の勝利をかけて戦っていた。
彼らの働きが報われる日は来るのだろうか。
遠ざかろうとする意識のなかで、中庭を、二つの影が横切るのを認めた。なにかを話している。静けさは音をよく響かせたけれど、ひそめた声に、内容までは聞き取れない。暗がりにうつむいては表情を見取ることはできないが、それが王と王子だということだけは察した。
明日から王は城を留守にする。今夜残っていた騎士たちを連れ、不在のあいだの一切を王子ジェイファンだけに任せて。きっとあれは、そのあいだの注意を言い聞かせているところだろう。
その旅に、ウォルドも同行する。そう思ったとたん、言い知れぬ不安に襲われて、彼の意識は再び明瞭になってきた。
服の襟元をさする。今朝、ジェイファンから受けた乱暴を思い出す。
あれは王子が、レジェンをガウリスだと思っていたからだ。誤解はすでに解けている、心配などもういらない。それにウォルドの家にいれば、王子と関わることもないだろう。
言い聞かせるも、彼は落ち着けなかった。今や目をたしかに開き、中庭で語らう二人をまじまじと見つめている。あと少し、もう少し近ければ、話を聞くこともできたろうに。
思ううち、王が先に去っていった。子は深々と頭を下げて見送る。
知らず、睨みつける。
王はなにを企んでいるのだろう。王の不在のあいだに、王子はなにをするだろう。今夜の宴は、奇妙な会議は、なにを意味していたのだろう。
あの演説のなか、真実はどれなのだろう。
と、不意にジェイファンが顔を上げた。目が合う。見下ろす存在に気づいて、ジェイファンは驚いたように目を見開いた。レジェンも少し動揺したが、努めて平静を装う。
長い一瞬だった。見つめあう視線は次第に棘を持ち、互いに睨みつけるようにして、やがて王子が引いた。建物のなかに消えていくジェイファンのあとうしろ姿を、レジェンは見えなくなるまで追って、窓から離れた。
どう、と、倒れるように横になる。まぶたを閉じると、またたくまに眠りが彼を巻き込んでいった。
夢か現か。その狭間で、いくかの真実を見出す。
一つは、今度の王の退位は、王自身が一人で決めたこと。なぜなら、王の宣言に子であるジェイファンも心底驚いていた。
一つは、明日に出かけるコモードとの会議は真実であること。なぜなら、それが偽りならば心正しき騎士を連れて行くはずがない。
そして一つは、――まもなく、夜が明ける。