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 「戦の終わったあかつきには、わたしは退位しようと思う」

 突然の宣言に、堂内はにわかにざわめく。居並ぶ騎士たちの顔には一様に驚きと戸惑いが浮かび、王子であるジェイファンも例外になかった。

 再び静まるのを待って、王は言葉を次いだ。

「ずっと考えていたことだ。長引く戦に、けれどわが国に、勝って得るものはあるまい。また敵国においても、二年前に王ゲズディンが崩御し、今は若き王マリアンが治めている。敵将ながら、彼の貴き騎士道にはわたしも敵わぬ。彼の使いは、フィーネ双山へ行くためならば、戦時下においても国境を越えることを許すと告げた」

 王の演説にウォルドの手が細かに震えたのを、チェリファリネは見逃さなかった。

 フィーネ双山への許し。つまり、ラドリアナ教徒としての死が、これからは許される。見渡せば彼だけではない、教えを信ずるすべてのものの瞳に、喜びに似た光があった。

 もう一度、ウォルドを見やる。うつむく彼の、杯に伸ばしたまま卓の上に置かれた手に、チェリファリネはそっと触れた。

「わたしはあの若き王を信用する。コモードとの戦に終止符を打ち、ハオン島からも手を引こうと思う」

「それでは王よ。我らの戦いを、まったくの無駄骨にするおつもりですか」

 王の言葉が終わるや否や、だれかが立ち上がって叫んだ。見覚えがある――ああ、かつてレジェンたちが懐かしいセンプリーチェを出たあの日、町の入り口で番をしていた老いた騎士だ。

「王よ、お忘れなきよう。わたしの子、バーネスは勇ましく戦い、かの島に散ったのです。それというのも、ブリランテの勝利を信じていたからです。しかし、王よ。彼の死を無駄にするのですか」

 響き渡るしわがれ声は震え、涙は頬を伝って、生やした白いひげに滲んだ。

 だれもがこの老いた騎士を注視するなか、レジェンははっと思い出した。バーネスという名にも覚えがある。

 兄がいなくなった夜の明けたあの朝、町の入り口で兄の帰りを待ったレジェンを慰めてくれたのは彼だった。金色の髪の、小柄な騎士。

 ――亡くなったのか。

 そういえば見ていない。ほかにもかつて親しかったものの見ない騎士がいるが、単純に城にいないだけだと思っていた。しかし、そうだ。レジェンたちがいないあいだも剣は交わり、多くの命が散っていったのだ。

 そうしてきっと、彼の遺体も、フィーネ双山ではなくあの川へ流されたのだろう。いずれ海へ出て、舟もろとも沈んだのだろう。それを思えば、老いた騎士の心中を察するにあまりある。

 王は小さく頷いた。一文字に結んだ口許には、けれど頑なな決意が見えた。

「サー・エネレスよ、無駄な死などだれ一人果たさなかったことは、わたしがよく存じている。しかし、わたしたちのそもそもの目的は、ハオン島の民をコモードの侵略から守ることだった。そしてハオン島の民と、より親しくなることだった」

 最後の一言は嘘だと、レジェンは思った。建前だ。しかしレジェンは黙っていた。

「目的は果たされた。サー・エネレス、サー・バーネスをはじめ、優れたる騎士たちの働きあってこそのものと、わたしは感謝する」

 エレネスはしばし黙ったまま王を見つめ、やがてうなだれて椅子にくずおれた。王は大きく息をつき、それからまた、顔ぶれを見渡した。

 多くのものがうつむき、思案していた。エネレスに同情し、亡き同胞を想い、彼らの名誉を守らんとすれば、目前の平和もためらわれる。

 静まり返る食堂に、深夜の冷たい風が吹き込む。遠くで夜鳥の鳴く声が聞こえ、半分近く欠けた月が見えれば、ずいぶん長い時間ここにいることを物語っている。

 ――腑に落ちない。

 エネレスへの答弁に、騎士らは惑いながらも、王への忠義が揺らぎはしなかった。亡きバーネスに向けた謝辞に真心を得て、だからこそ騎士らは、王の言葉を真実に受け止めたのだろう。けれど、レジェンは傍らに掛けるこの善き王を、薄気味悪く思った。

 なぜロスダルニャは、このような話をするに今を選んだのか。卓に残ったわずかな騎士らに報せるだけには、それはあまりに重大な決断だ。酔った勢いだろうか、けれど王の演説は歯切れよく明確だ。

 もしや、この話をするために今夜の卓を催したのだろうか。酒を飲み、多くの騎士は去った。これに、王の意図を感じずにはいられない。いまや立ち退いた騎士らのなかに、この話を聞かれたくないものがあったのだろうか。だとしたらそれは、きっとレジェン自身にも当てはまったろう。王の言葉を思い出す。ロスダルニャはレジェンに酒を強く勧め、その上で彼の酒豪ぶりを称えた。

 いいや、けれど――まさか。

 と、沈黙を断ち切る声が響いて、レジェンの思案は遮られた。立ち上がり、みなの視線を集めたのは、ウォルドだった。

「陛下、終戦にはご賛同申し上げます。しかし、退位なさるには早すぎると考えます」

 若い騎士の意見に、ロスダルニャは片眉を上げる。

「そして、陛下。早く本当のことを仰ってください。この深夜の会議に、あなた様の企てを聞いて口外するものは一人とておりますまい」

 言い切って、ウォルドは再び掛けた。またも堂内は静まる。張り詰めた、冷たい沈黙だった。

 企てという句に、レジェンとチェリファリネはウォルドを見やった。ウォルドは視線に気づきながらも答えはしない。ただなにかを言いかけて差し出されたチェリファリネの手を、ウォルドは強く握りしめ、小さく頷いた。

 ロスダルニャに目を戻す。と、王はさっと、隣人から目を逸らした。

 ぞくりと、レジェンの背筋を冷たいものが走る。

「明日の旅立ちに、今ここに残るものこそ、わたしの供として同行願いたい」

 杯を傾ける音さえもよく響く。王はリトミコを一息に飲み干すと、ウォルドを見てにやりと笑んだ。

「企てというほどのものでもない。だが、念には念を、だ――もちろん、ウォルド。きみにも来てもらいたい。そのあいだの彼らの世話は、十分にいいつけておく」

「‥‥いいえ、家には母がおります。お心遣いに感謝いたします、陛下」

 そうか、とロスダルニャが呟いて、ほかの騎士らの意思を問うているところ、ウォルドが悲しそうに思案したのを、レジェンもチェリファリネも気づいていた。チェリファリネの小さな手を、ウォルドのたくましい手が強く握る。しばらくは耐えていたものの、チェリファリネはもう片方の手を添えて、優しく解いた。

「わたしたち、あなたの帰りを待ってるわ」

 幼馴染の言葉にレジェンが頷くと、ウォルドは弱々しくもほほ笑んだ。

 そのうちにほかの騎士らの意思は固まったらしい。すべてのものが王に同行すると誓った。ただし、ジェイファンだけは王の命で残されることになった。

「そなたにはわたしのいないあいだ、城を守る義務がある。戦が終われば王となる身だ、政の一切を任せる」

 厳かに子に告げる王に、ジェイファンは頷いた。

 半月が南の頂に昇るころ、会議は解散した。

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