01
戦が始まって、いよいよ六年が経った。そのころの両国といえば、コモードは二年前に戴冠したばかりの若い王のもと、それまでの劣勢を立て直しつつあった。一方ブリランテ国においては、今まで支援していた島民が反旗を翻し、窮地に立たされている。
それというのも、この二つの国はもともと同じ目的で島に来た。すなわちハオン島をおのが国の領土とするためで、ただ違いといえば、コモード国がわずかに早く島に乗り込んだだけだ。
当初、それはコモードの不運だった。強引な大陸からの使者に島民は抗う。そこへあとからやって来たブリランテ軍は、島民を守るという大義のもと、歓迎された。
しかし、今や島民は気づいた。さて、自分たちをこれから支配するのは、果たしてだれなのか。自分たち以外にはありえまい。ならば敵と戦っているこの騎士たちも、我らの敵だ。
果たして、それはブリランテの不運だった。いいや、二つの国と、それから小さな一つの島。三者すべてにとって、不運の戦だったに違いない。
戦とはもとよりすべてが、不運の塊なのかもしれない。
それでも笑う者は必ずいる。
後悔はしたが、もう仕方のないことだった。風雨の吹き荒れるさまを思えばそれ以上の航海が危険であることは明らかだったし、抗ったところで知識のない彼らには自殺行為でしかない。慣れた者の判断に委ねる、選択肢はそれのみだった。
彼らは島に帰れぬままに、また歳を重ねた。
緩やかにうねり肩まで届く黒髪に、同色の瞳はまっすぐに現実を捉える。生来の顔つきは年齢よりやや幼くも見えるけれど、三年の流浪の日々は、凛々しさを彼に与えた。
一方、金に近い茶色の髪を腰元まで伸ばし、澄んだ緑の瞳が長いまつげの下で輝く。かつては愛らしいだけだった少女は、今、どこかたくましくも思えた。
レジェンとチェリファリネの旅は思うように進まなかった。
彼らは三年前にコモード国を経ったあと、当時まだ王子だったマリアンと、彼の双子の弟メリアンの計らいにより、北方の国エネルジコに渡った。しかし、二人はメリアンがエネルジコの王に宛てた手紙を預かっていたが、彼らがコモードを出た数日後に、メリアンが亡くなったという。うわさでは自害だったと聞いたが、レジェンには信じられなかった。
二人にとってなによりの不運だったのは、彼の死だった。一国の王族の死だ、ましてメリアンは他国の王と親交が篤かったから、二人がエネルジコの王のもとに着くより早く、その話は王の耳に届いた。同時に――だれの、どんな企みかは知らない。メリアンの名で出された手紙はすべて虚偽である、という報せがもたらされたらしい。
ふと浮かんだのは、トルディアスタ公の名だった。レジェンがその名を口にしたとき、メリアンは彼をたしなめた。それからカースが話してくれた派閥のことも照らせば、メリアンを邪魔に思うだれかの策略としか考えつかなかった。
いいや、けれど。それはしょせん、推測に過ぎない。聞けばトルディアスタ公も二年前に亡くなったという。ほかにも裏切り者がいたとして、コモードではずいぶんな騒ぎになったらしい。
とにもかくにも、おかげで彼らは路頭を彷徨うことになった。幸いマリアンが世話をしてくれて、路銀がいくらかあった。すぐに困ることはなかったが、船に乗るほどの余裕はない。二人は町々で商いを見つけては、蓄えをし機会を伺った。
そうして一度はヘオン大陸にも渡り、ついに島への船に乗ったのは十日ばかり前のことだ。
「止みそうにないわね」
チェリファリネが呟くように言う。港町の安宿は、階下の酒場から響く声で騒がしい。木窓からは外の景色を望むことはできないが、打ちつける雨音で安易に想像できた。
レジェンは無言に頷く。それきり、どちらもしばらく、黙っていた。互いにどこか落ち着きなく、相手に背を向ける。理由はどちらもわかっていた。
不安だった。
かつてコモードのラグリマという町で、アンジェニと名乗る魔女が言った。島に戻るまで、決してブリランテに立ち入るな、と。チェリファリネは信じたくなかったようだしレジェンも半信半疑だったが、メリアンは信じろと言った。
生きて兄に会いたいなら。
以来、二人はこの国を避けて歩いていた。そもそも、島にすぐに帰るならば徒歩ででもブリランテに渡るのが一番の近道だった。多少とがめられたろうが、一月もあれば帰れたろう。でもできなかった。
兄に会いたい。三年前、何者かに連れ去られた兄を探して島を発った二人だ。そう願うのは当然で、ささいな忠告も本心からは疑えなかった。
なのに今いるここは、ベローチェ港。ブリランテの最南端の町だ。
「明日には晴れていることを祈ろう。それでもすぐには船は出せないだろうけど」
言いながらため息をつく。対し、チェリファリネも黙って頷いた。不安というよりか、落胆に近いのかもしれない。
本当ならこのまままっすぐ南の小さな島国アバンドーノに行くはずだった船は、嵐に見舞われて一時寄港した。部屋で寝ていた彼らは報せに驚いたが、従うしかない。
船員たちにとっては想定の範囲内なのだろう。酒場で盛り上がっているのは彼らだ。と、だれかがドアを叩き、返事をする前にドアを開けた。見れば船員の一人で、だいぶ酔っているらしい。
「よう、お二方。飲まないのかい? 来いよ、さくら酒が入ってるってさ、知ってるだろ」
まだ若い男はそう言いながら片手の酒瓶を揺らす。漂う匂いは故郷を思わせて、二人は小さく笑った。というのも、レジェンの家は蔵元で、さくら酒は彼の家で造られている。ゆくゆくは彼が継ぐことになるだろう。
「遠慮しておきます。明日に響いても困る」
「この分じゃ明日も船は出せないよ」
一杯くらいおごる、と男は強引にレジェンの腕を引く。仕方なしに彼は従い、チェリファリネも付き合った。
酒場はずいぶんな騒ぎだった。船は大きなものだったけれど、乗組員がほとんど集まっている。蒸すような酒の匂いに、チェリファリネが顔をしかめる。隅で何人かはすでに酔い潰れていて、あちこちに水溜りができていた。店主に目をやれば、困ったようにため息をついている。棚の酒瓶はほとんどなくなっていた。
今、この国は戦時下にある。軍が出るときはハオン島により近いポンポーソ港を使うが、代わりにそのほかの貿易はすべてここ、ベローチェを使うようになっていた。そのおかげでこの町はほかより物資に恵まれている。酒も例外ではない。
かといって、やはり戦時下だ。酒は貴重品で、だいぶ高価な品物になっている。さくら酒においてはもともと幻の銘酒と謳われている一品だ。それが足元でシミを作ってるとあれば、店主にはなんて気の毒なことか。
二人はカウンターに並んで掛けた。それから店主に大変ですねと呟くと、曖昧な笑みが返ってきた。
「この国の人じゃあないからね。仕方ないさ」
二人にそれぞれ、水割りを出す。ほんのりとさくらの匂いがした。
「貴重な一杯だぜ。蔵元が、今年で最後かもしれないって話だ」
なんでも二人の跡継ぎが揃っていなくなってしまったとかで、と続ける。その実、旅のあちこちで耳にしたうわさだったから今さらなにも驚かないけれど、早く帰らなくてはと焦りを覚えた。
杯を傾ける。口にするのは初めてだ。
夜も更けるといよいよ船員はみな酔い潰れ、酒場は一転寝所になった。横たわる彼らはときおりうめき声を上げる。店主が一人ずつ声を掛けながら部屋に連れて行き、レジェンもそれを手伝った。チェリファリネも簡単に後片付けをした。
それももう終わるというころだった。突然、店内にドアを乱暴に叩く音が響き渡る。宿の客らしい。店主がドアを開けると、頭からマントを被った男――一人の騎士が店内に上がりこんできた。全身がぐっしょりと濡れている。寒そうに体を震わせる彼を見て、チェリファリネは毛布を差し出した。
「すまない」
受け取りながら、はっとする。騎士は彼女の顔をじっと見つめ、声を失った。それから奥にいたレジェンにも気づき、二人の顔を交互に見る。ふしぎに首を傾げていると、騎士はマントを脱いだ。
二人はあっと目を見開いた。空のような青い瞳に、肩まで伸ばした金色の髪。すっと通った鼻筋と真一文字の口許は以前のままだけれど、あごに生やした無精ひげはあんまり不似合いだ。見上げる長身は二人が島民だからというだけでなく、大陸でも背の高いほうだということが今はよくわかる。
しばらくの沈黙ののち、先に声を発したのは騎士だった。
「どうしておまえたちがここにいる?」
サー・ウォルド。
ブリランテの騎士であり、島を最後に別れた二人の友人だ。