第一章「貼リ紙ノ向コウ」 ♯1
今日も朝日が昇る。
山間から金色の光が上り、空を明るい青に染める。幾度も、幾度も、月は世界を回り、その世界もまた回っている。何度それを繰り返しただろうか、それを知る者はいない。
人の一生は、自然界の歴史に比べれば、ほんの一瞬に過ぎないのだ。
今日、幾度目《いくどめ》かの朝。
高層ビルの立ち並ぶ中、人がその間を縫うようにして、蟻《あり》の如く忙しなく歩く。さて、この中の何割が本当の「働き蟻」なのか。それはご想像にお任せしよう。
人々が、列車が行き交う地下道。皆が地上へ、また次の駅へと急ぐ。そんな中、一人全く違う場所へ向かう青年がいた。超大安売りの黒いスーツに身を包み、星のような複雑な金の模様がついた濃紺のネクタイをしている。どうやら、ネクタイだけは高そうだ。
彼の名は如月睦月《きさらぎ むつき》。察しているとおり、性別は男だ。やたらと名前に「月」の字が多いので、「ツッキー」と呼ばれている。
さて、彼は一体どこに向かっているのだろうか。
彼は地下道を通り、デパート一階の化粧品売り場を突っ切り、二階へと続く階段の踊り場で立ち止まった。
そこには二つの部屋への入り口があり、看板が壁に打ち付けられている。そこにはこう書かれていた。
「W.C.」
すなわち、トイレ。もちろん、男性用である。別に便意を催した訳ではない。
ここに毎朝来ることが「仕事」だからだ。
睦月は一番奥の個室の前へまっすぐ向かっていった。扉には「故障中」と貼り紙がしてあるのだが、彼は無視した。扉が軋むような古めかしい音を立てて閉じられ、カチリと鍵がかかる。中には洋式トイレ、ウォシュレットのリモコン、トイレットペーパーホルダーと替えのペーパーが三つほど置いてあった。
彼が便器に座ると、
「このトイレは離れると自動的に水が流れます」
と、お馴染みの女性の声で流れる・・・はずだった。代わりに、便器はこう話した。
「合い言葉を、どうぞ。」
睦月はおもむろに口を開いた。
「ふぅ・・・スッキリした・・・・・・・・・。」
すると地下からモーターの動く、唸るような音がしはじめた。その音はだんだんと大きくなり、個室中に響いた。睦月は顔をしかめ、持っていたアタッシェケースから黄色いヘッドフォンを取り出し、耳にはめた。ちょうどその時、ガコンと大きな音を立てて、床が便器を、睦月を乗せたまま地下へと潜っていった。
下へ、下へと下がり、彼の靴が見えなくなり、膝が隠れ、ついには彼の姿は完全に見えなくなった。
床がなくなった個室には、暗い穴がぽっかりと口を開けていた。その穴は、暫くすると何事もなかったかのように自動的に蓋がされた。
それまでしていたモーターの音がなくなると、痛いほどの沈黙が辺りを支配した。
不思議と、外からは人の足音も、デパートのアナウンスも、全く聞こえなかった。
ここまで読んでいただきまして、誠にありがとうございます。♯1はまだ前置きみたいなものなので、どんな話かまるで見えてきませんが…続きを読んでいただけると幸いです。ま、あらすじで結構ネタばれしてる気もしますが(笑)。なので、場合によっては書き直します。
初めてネットに投稿するので、かなり緊張してますが、最低でも週一回は更新したいと思っておりますので、気に入っていただけたら今後とも是非よろしくお願いします。
※誤字脱字、文法の間違いなどのご報告、大歓迎です。