表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ドストエフスキー論

村上春樹と総合小説

 

 村上春樹はドストエフスキーをリスペクトしていて、ああいう壮大な小説を書こうと思っているそうだ。それは大変結構な話というか、作家としての志は高いほうがいいから、自分も皮肉ではなく、普通に応援しているし、そういうものを現代で作れるのなら(どうやって作るのか想像もできないが)作って欲しいと思っている。


 しかし、そうは言っても、村上春樹の「多崎つくる」を読んで、自分は首をひねらざるを得なかった。ごく普通に考えても「多崎つくる」で村上春樹が開示している村上的な哲学は、ドストエフスキーの思想と明らかに矛盾している。「多崎つくる」における倫理性というのは、昔と少しも変わらず、恵比寿のバーだとか南青山のフランス料理店なんかで綺麗な女性と飲んだり食ったり、後はホテルに行って抱き合って時々自分のアイデンティティについて疑って「冒険」を始めてみるものの、最終的には「まあいいや」という事で、また彼女と一緒に酒を飲んだりデートをしたり、楽しくやるという所に収まる。


 今は嫌味な言い方をしたが、これは要するに唯物論的・快楽主義的方向で、ドストエフスキーが非難したそのもののように自分には思われる。最も、ドストエフスキー本人も病んだ都会人で、快楽的な人物ではあったが、彼が一貫して神を、キリストを、生活を越える高いものを希求したのは確かであって、彼が生活に癒着してそれを全てとした事は一度もなかったと言っていい。生活者としての彼は嫌な人間だったかもしれず、まあ厄介な人だったのではあろうが、彼が理想を抱いて牢獄の中を、ペテルブルグの街をうろうろしたのは間違いない。


 ドストエフスキーは作家の日記で「霊魂の不滅」という思想がいかに重要かというのをしつこく説いている。この重要性は「『罪と罰』読んだけど、面白かったよ」という人に話しても何の事やらさっぱりわからないだろうから、ドストエフスキーがどういう精神構造でああした作品を作ったのかは、最高レベルの批評であるミハイル・バフチンあたりを持ってきても、未だに謎の部分が沢山残されていると自分は思う。


 で、いずれにしろ、村上春樹が彼の念願である「総合小説」を書きたいと思うのなら、テクニカルな面ばかり話すのではなく、師匠であるドストエフスキーと血みどろの思想的闘争を行うべきだと思う。ドストエフスキーは師のベリンスキーとの思想的な対決をしたが、これはベリンスキーの死後にもドストエフスキー内部で行われたのであって、この事はドストエフスキーを理解する上の重要な一つの鍵なのは間違いない。ニーチェがショーペンハウアーと対決するとか、他にも、弟子と師匠の対決、内面的に行われる対決というのが芸術家や哲学者を鍛えあげる、というのは過去を振り返ればしばしば見られる。


 村上春樹という人が本気で総合小説を書きたい、カラマーゾフのような小説を書きたいというのであれば、そういう血みどろの、自分も傷ついてただではいられない、そういう内面的な対決が必要になってくると思うが、そういうものは村上春樹には見られない。この辺り、村上春樹はどう考えているか、ハルキストはどう考えているのか、気になっている…というか多分、考えていないんだろうけど、どうして考えずに済むかという事を考えるのは無益ではないと自分は思っている。


 村上春樹の「職業としての小説家」が図書館にあってパラパラ読んでいたが、タイトルの時点でそうだが、要するに「職業としての」という事が問題なのだから、そこで彼が作家として何を世界に表現すべきなのか、言い換えれば彼が作家としてどのような宿命を持っているのか、それが本のどこにも書いていないように自分には思われた。


 例えばゴーゴリとかトルストイとかいう人は、最終的には芸術否定のような場所に落ち着いてしまって、彼らは理想を表現するのにすっかりうんざりしてしまって、いわば理想が彼らを越えていってしまったがゆえに内面的には、少なくとも芸術家としては破滅したと言っていいだろう。だが、この破滅は、ドストエフスキーにも背中の方に張り付いていて、ドストエフスキーが「悪霊」を最初、『パンフレットになってしまっても言いたい事を全部言う』と言っていたのなどがその例証になると思う。


 何が言いたいかと言うと、当時のロシア社会では、今の我々のように、落ち着いた趣味的な気分で文学なるものをいじっている暇はなかったのであって、彼らにとって文学の問題は同時に政治であり、哲学であって、「いかに生きるべきか」という事がすぐに「いかなる文学であるべきか」という問題へと直結してしまう。一つの殺人行為は世界全てを揺るがす行為となってしまう。社会が混乱し、新しい価値観が見いだせない時、成熟し洗練された西欧社会のようなものとは全く違う荒々しい文学というものが、生きる上でどうしても必要と感じられたのでああいうものが出てきたのだろう。


 だから、ドストエフスキーはそのような土壌で生まれ、彼は西欧から入ってきた物質主義・快楽主義・唯物論を越えるものをキリストに見た。彼は死刑・牢獄を経て、肉を越えた霊性を指向したので、そうなると、これはキリストやソクラテス、かつての偉大な宗教、またキルケゴールなどと接続するものとなる。


 もちろん、ドストエフスキーはそれだけではなく、彼自身聖職者からほど遠く、信仰からも遠い人間だった。だが、信仰からあまりに遠い人間が神を求めたからこそ、その長大な距離に「カラマーゾフの兄弟」のような巨大な作品は生まれたのであって、その距離をドストエフスキー本人は実際我が身で歩かざるを得なかった。そこには恐ろしいほどの苦痛と苦悩があっただろう。


 そう考えて、村上春樹を振り返ると、村上春樹がドストエフスキーくらいの小説を作るには、根本的にドストエフスキーの思想とは相異なるわけだから、この問題は無視できないと思う。一般読者やジャーナリズムが適当に持ち上げるのはそういうものだからまあいいとしても、村上春樹本人は自分の内面において、本当に偉大な作家になりたいのであれば、彼らが見た「恐るべき光景」とでもいうものを見ざるを得ないと思うが、村上春樹にそれを見る気はないように思われる。


 例えば、村上春樹は「オウム真理教」の事件に興味を持って、インタビュー本を作った。これに関してはちゃんとした仕事だと思うが、とはいえ結局村上春樹は、「オウム真理教」について深く洞察する気はないと思わざるを得ない。村上は地下に降りると言うが、その地下というのはどんなものだろう。


 村上春樹の態度は、ドストエフスキーがネチャーエフ事件に対して取った態度と比べると明白になる。ネチャーエフ事件というのは、当時の左翼の集団が内輪もめで仲間を殺してしまったという事件で、オウム真理教もネチャーエフ事件も、ある思想に取り憑かれた狭隘な集団が、犯罪を犯す所まで行き、人を殺したという点では共通している。


 一般市民的態度からすれば「あいつらおかしいよね。気が狂っている」で話は済む(というか済ます)。しかし、作家というのはそれでは駄目なのではないだろうか。彼らが何故そうしたのか、それを深く洞察する必要がある。しかし、今や作家というのも社会制度の内に包摂されるものになったので、新興宗教の問題を取り扱うとしてもやっぱり「あの人達おかしいよね」という態度を取るのが普通ですらあるように思われる。


 ドストエフスキーはネチャーエフ事件に関して「私は老いたネチャーエフィアンだ」と言った。これはドストエフスキー自身が社会主義集団に入っていたので事実なのだが、彼はネチャーエフを愚か者、馬鹿者とは全然思わなかった。ここに彼の作家としての一番重要な点が眠っていると僕は思っている。彼は牢獄で「同じ人間」を発見した男である。ドストエフスキーという男が非凡な男か、色欲と賭博に取り憑かれたただの男だったか。どっちでもあったのだろうが、確かに思えるのは、彼は人間というものを「こんなものだよね」というあっさりした定義で斥ける事だけは絶対にしなかったという事だ。


 彼は時に人を憎みもしただろう。それも相手からすれば理不尽と思える増悪を抱き、また同じくらい強く人を愛しもしただろう。だが、彼は人を、どんな犯罪者であろうと、最初から確定した定義の中に放り込んで、それを「異常」と名付け、自分を「正常」の枠内に放り込み、そこで安堵する事だけは絶対にしなかった。彼は一市民としては厄介な人物だったかもしれないが、人間を人間として理解しようとする意志はずば抜けていた。(ここにドストエフスキーの対話的態度、ポリフォニー性、人間の相対性への認識があると見たい)


 対して、村上春樹がオウム真理教事件に対する態度は、やはり「健全な一般市民」の枠組みを越えていない。それを越えたら「本格的な作家」になって、世間がもてはやすには手に余る存在となってしまうが、そこまではいかない。村上春樹という人は結局は、その認識が限界を越えはしない。文章力がどうのという事は二の次というか、トルストイやドストエフスキーを見た時、彼らにとって大切だったのは理想と現実との深刻な対立であったのであって、村上春樹はそれを持っていない。というか、それが何かそもそもわからない。それは村上春樹だけの責任ではなく、我々が「大きな物語を喪失した」時代に生きている事と関連している。実際は大きな物語がなくなったのではない。我々はただ一つの物語を絶対としたので、それを相対化し、意識する事すら不可能になったのだと思う。


 村上春樹の、資本主義や消費社会にゆっくり迎合する様が後に古典となって残るとは僕には思えない。それは我々の「流行」である。思えば、人間というのは様々な音階を鳴らすものだ。人間は底辺から一番高い所まで、畜生以下のクズから、自らの動物性やエゴイズムを越えていく聖人まで、様々な音階を鳴らして一つのハーモニーを形成している。村上の言うような「総合小説」において、例えば先行するシェイクスピアやバルザックのような人達は、そういう人間の様々な有り様を作品の中に盛り込む事によって、巨大な作品世界を形成した。

 

 そして、この作品世界の形成は、我々が思うようなものではない。我々は文学を「趣味的」あるいは「高尚」なものとして見るのに慣れている。文学が社会を、人間存在を包摂するというのはありうる。それを知らない人は、「世の中にどんなコンテンツがあっても、それは我々の『為』にあるのであって、人生の価値を越えてはいけない」と言明する。この意見は一見正しいように見えるがむしろ答えは逆で、我々はこういう意見を正しいとする世界に住んでいるのである。そうしてこの世界を文学が描く事は(とりあえず)可能である、と言える。それが「この世界」に受けいられるかどうかは知らないが。


 こう言うと、芸術至上主義と思われるかもしれないが、この問題をよく考えてみよう。僕は芸術が至上のものだと、人生を越える価値があるのだと言いたいわけではない。そうではなく、人生というものの価値の上限、その絶対性がはっきり認識された時、それが芸術として現れるというのはありうる、と言いたいにすぎない。


 シェイクスピアという人は人間の愚かさ、醜さ、いやらしさを徹底的に描いた後、最後の作品「あらし」で若い女性のキャラクターにこんな事を言わせている。


 「ああ、不思議な事が! こんなに大勢、綺麗なお人形のよう! これ程美しいとは思わなかった、人間というものが! ああ、素晴らしい、新しい世界が目の前に、こういう人たちが棲んでいるのね、そこには!」


 これが人間の醜さを徹底的に描き出した男が最後に放った言葉である。シェイクスピアという人物は果たして人生と和解したのか、あるいは彼は最後には人間を褒め称えたのか。もし彼が人間を褒め称えたとしても、それがどういう意図、構造のもとにしたのか、卑賤な我々の手に余ると僕には思える。


 いずれにしろ、シェイクスピアとかドストエフスキーとかいった人は村上の言う「総合小説」というものを形作るにあたって、人間の最も高貴な部分と最も醜い部分を、避ける事なく自分の意識に、芸術に取り込み、彼らの作品を形成したのだった。


 そこで、村上春樹に戻って考えてみると、彼が漠然と溶けている現代の社会風俗とか、消費社会の肯定、また「底辺」と「天才」を取り除いた漠然とした中庸意識、小市民性、こういうものを基礎にして偉大な「総合小説」を作るのは僕には無理であると思う。人間というものの最も低い段階と最も高い段階、それらを「同じ人間」として意識し、それらをパレットに盛り、画布に塗り、一枚の絵を作り上げなければならない。その為には、自分のカテゴリに閉じこもり、他者をある定義に当てはめ、理解するのを拒むという態度では、人間性というものの幅を狭める事になる。そうするとどうしても、その作品は同時代、同意識の内でのみ通用するものとならざるを得ないだろう。


 そもそも文学とは何か、と自分は長い間考えてきた。しかし、人と話してみると、人は「制度として認証された文学」について語るので、自分はまごついてしまった。そこから、文学の本質について更に探っていくと、どうしても世界から孤立せざるを得ない。


 これは我々の世界が、自分達で自分達の定義を決め、正常の境界を決め、市民として、人権というものが備わっているものとして、そういう風に自分達を了解し、そこからはみ出たものに対しては異端のレッテルを張るという風になったのを示しているのだと思う。そうして、人間の上限と下限はともに排除された。即ち犯罪者は人間ではなくなったし、また中庸を越える大きな存在ーーつまり、天才は社会では排除される事になった。名前を上げるまでもないが、メディアが取り上げる「天才」はみな小さな才能ばかりである。小さな才能を持ち上げる上では、我々はその中庸意識を撹拌される事はない。


 村上春樹が自分を優れた作家だと思うのは大変結構な事だが、もし本当に村上春樹がドストエフスキーのような偉大な作品を作るというのであれば、今のような安寧の場所を捨てて、精神の地獄に赴かねばならないだろう。その結果、ゴーゴリやトルストイのように芸術を否定し、あるいは狂人になるかもしれないが、それはそこまで行けば他人がとやかく言う話ではないようなものになってしまうだろう。普通人が「これぐらいで留めとけば良かったのに」というのは、利口さとしては賢いが、その賢さが愚かさに見えたからこそ、天才は狂気に至る。


 狂気ぶった天才もどきは、我々の享楽物にはなるかもしれないが、我々にとって天才と異常者はともに邪魔である。我々は都合の悪いものを排除した。我々は自分の幻想空間を作り、それを讃え、それを肯定するものを「才能」と呼び「優れている」と呼んだ。だが、我々は我々を知っているのか、本当に意識された我々が我々の全てなのかという所に疑問は起こる。


 つまり、排除された人間性は未だ我々の内に眠っているわけだ。人が「こういうのがいい人生だ」と(「多崎つくる」的に)定義しても、それを越えようとするのもまた人間である。人々が作った覆いに自ら捕まるのは心地よい。他者との温かい交流があるようにも感じる。しかし、そこには矮小化されたものしかないし、矮小化された才能しかない。これからの大きな才能はそうした幻想空間を破るものとして現れるだろう。


 彼は、ドストエフスキーのように牢獄で人間を発見するかもしれず、人々の世界の外側で自分を発見するかもしれない。今は、ここ何十年かで作ってきた、ぼんやりした価値観が壊れていっている最中だ。人が、壊れた価値観に対してまた別の嘘を当てて、それを修正しようとするのは目に見えている。真実は人々の目にはあまりにも強すぎるので、彼らは正視できず、幻想をこしらえる。そうしてこの幻想を幻想だと言えば、その人間は排除される世界に我々は生きている。それでも、本当に優れた作家がいるとしたら、この幻想そのものに生きている人間を、またこれを越えようとする人間をも描き出すだろう。


 「人間性」という概念は、人間が思っているよりも遥かに大きい。ドストエフスキーは最初、空想的社会主義に耽溺したが、そんな思考を越えて人間が存在すると牢獄で知ったのだった。人間性というのは、深く、同時に極めて高い。吐き気のするものから、崇高なものまで極めて幅広い。本当に優れた作家はこれを自己の意識で、全身で、自分の全人生で捉えようとする。村上春樹がこれからこれを捉えようとする事はおそらくないだろう。彼は大勢のファンに支えられて、温かい交流の中でゆっくり作家生活を終えていくだろう。しかし僕にはそこに、真の文学はないような気がする。


 村上春樹という人は結局、社会幻想にうまく合致した作家という事になるだろうし、彼が「技術」だとか「物語」だとか言っているものも既存の概念を越えはしない。村上春樹という作家は、ある時代に流行った作家として刻印されるに留まるだろう。彼の考える文学という概念は、正常な市民社会を生きる個人に受けいられそうなレベルを越える事はない。その為に、次なる世界において彼が深刻に読まれる事はないだろう。ドストエフスキーは、その深刻さ故に、マルクス主義政権下では発禁処分になった。彼は次なる世界(永遠なる世界としての)に生きていたので、近視眼の人々には疎外された。



読者の方から指摘いただいて一部誤字訂正しました。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言]  村上春樹は現代アメリカ文学の影響を強力に受けた作家で、ドストエフスキーとの接点はほとんどない、というのが私の解釈です。  ネットで知ったのですが春樹は自分が最も影響を受けた三大小説の一つに…
[一言] はい。村上主義者(ハルキストの別名)がとおりますよ。 村上春樹自身がこう述べています。 小説を書いているとき、「文章を書いている」というよりはむしろ「音楽を演奏している」というのに近い感…
2018/12/07 20:20 退会済み
管理
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ