二人の時間(上)
「待ってくれ、ヒロト」
走り出して一時間が経った頃、呼び止められてやっとアレクシアのスタミナが底をついていることに気付いた。
「大丈夫? 気にかけられなくてごめん」
「いや、いいのだ。悪いのは黙っていた私の方だ」
両膝に手をついて荒い息を吐くアレクシアを見ながら、後悔する。
アレクシアはどんな弱みを見せないようにして、いつでも毅然と振る舞おうとするのはよく知っていた。
それに、龍と戦った後でスタミナがもとから少ないことも思い至ってもいいはずだった。
────と、思いながらも、視線は前かがみになって見えてしまっている胸の谷間に釘付けだったりする……………………。
「もう少し休めば、走れるようになる」
「駄目だよ。街についたのにヘトヘトじゃあ楽しめない。ほら、背中に乗って」
「なっ‼︎ い、いいのかっ︎?」
背を向け、しゃがみこんで言うと、アレクシアの勢い込んだ喜びとも驚きともつかない声が聞こえてきた。
「いいけど、どうしたの?」
「いやっ、何でもないっ。で、では、乗るぞっ」
「う、うん」
なんか獲物を前にした肉食獣のような気迫に気圧されながら、待っていた。
「?」
のに、いつまでもアレクシアが乗ってこない。
不思議に思って振り返ろうとした、その時だった。
「やはり駄目だっ‼︎」
「えっ? 駄目なの?」
アレクシアが頭を抱えて、その場にしゃがみ込んでしまった。
「なんで駄目なの?」
「何でもだっ! やはり、自分の足で行くっ‼︎」
「え〜〜〜〜……………………」
何がどうしてこうなったのかわからないけど、変に決意を固めたアレクシアに少し困ってしまう。
アレクシアの具合を見るに、また走ってもすぐにバテるのが目に見えてるんだよね。
なんで心変わりしたか本当にわからないけど、これ以上時間は無駄にしたくない。
今は日の傾き加減で見ると、正午を三、四時間過ぎているぐらいだと思う。
「まだ半分しか行ってないから、急がないといけないんだよ」
「なら、私を置いて先に行け」
「いや、それじゃ意味ないし、街がどこにあるのわかるの?」
「ぐっ……………………」
必要性皆無の死亡フラグを立ててゆくアレクシアに指摘すると、言い返せず言葉を詰まらせた。
「だから」
「?」
そんなアレクシアに自然な動きでで近付いて、警戒される前に、
「無理矢理にでも急いでもらうよっとっ」
「わわっ‼︎‼︎ な、何をするのだっ‼︎‼︎‼︎」
足を掬い上げるようにしてアレクシアを抱え上げた。
つまり、俗に言うところの『お姫様だっこ』をした。
「お、降ろせっ‼︎‼︎‼︎ 降ろすのだっ‼︎‼︎‼︎ 降ろせというのがわからないのかっ‼︎‼︎‼︎」
でも、それがお気に召さなかったお姫様は腕の中で暴れて、しっかり抱きかかえることができなかった。
「暴れないでって。暴れたら余計重く感じるでしょ」
「っ‼︎‼︎ ……………………」
それが、次の瞬間、ビクッ、と肩を震わせてから石のように固まってしまった。
重いという言葉に反応したみたいだ。
たしかに女性に『重い』という言葉は禁句だったかもしれない。
けど、それで静かになったのなら結果オーライ。この間にしっかり抱え込んだ。
「おっ、なんだ。案外軽いじゃん」
「案外とはなんだっ‼︎ 案外とはっ‼︎」
「はいはい。転移するから、ちゃんと捕まってよ」
また体重のことに噛み付いてきたアレクシアに一応忠告してから、転移の魔術を行使した。
「っ‼︎」
視界が柔らかな白光に包まれ、次の瞬間に消えたときには、目の前に広がる光景は完全に変わっている。
場所は目的地の街のどこかの裏路地。
草木が一つもなくガヤガヤとした雑踏が本通りに続く道から聞こえてくる。
「なっ………………《転移》まで使えるのか」
そのことに唖然としながらも、俺が口にした『転移』という言葉から容易に状況を飲み込めたアレクシアは語気こそ強くはないが、驚愕と呆然を多分に含んだ声音で言った。
「うん、まあね。だけど、まだ慣れていないから自分ともう一人ぐらいしか一度に運べないけどね」
魔王曰く、この世界の魔法にはどうやら習熟度があるみたいで、発動回数を重ねるに連れて強化されていくらしい。
まあ、魔法を極めたいなんて思ってない俺には関係のない話で、どっちかというと剣とか魔法とは無縁の生活をしたいから、あまり使わないようにしている。
「王国の歴代宮廷魔道士でも数人しか使えなかった魔法だというのに『まあね』、か。ヒロトの異常ぶりは戦う姿を初めて見たときからわかっているつもりだが、また認識を改めねばならぬようだ」
「と、言われてもね。まあ、そんなことより早く行こう」
転移魔法に注意が行ったおかげで、先程までの機嫌の悪さがすっぽり抜けたアレクシアを下ろして本通りの方へと向かったが、
「しかし、ヒロトがこれほど無礼なやつだとは」
有耶無耶にはできなかったようだった。
「ごめんってば」
「本当にそう思っているのか? なんだか、あまり信用できないな」
「本当にそう思ってるよ」
「ふん、言葉ではなんとでも言える」
「確かに。じゃあ、誠意としてなんでも買ってあげるから、許してよ」
「むっ……………………」
石で舗装された本通りを歩きながら、機嫌を直してもらうために、言葉を重ねた。と言っても、発言するたびに微妙に変わる、不機嫌を装ってこっちをちらちら見るアレクシアの表情を楽しんでいたりするけど。
本当に会わない間に表情が豊かになった。
だけど、それも俺の言葉に惹かれて黙り込んで見納めになった。
「なんでもいいのだな」
「うんうん。なんでもいいよ」
もともとなんでも買わせるつもりだったけど、食い付いたならいいや。
「わかった…………それで、許す」
「ありがとう」
──── ❖ ✥ ❖ ────
目的地は最も近くにある城下町だ。
背の高い石壁で囲まれていて、幾つかある城門では衛士が詰めている。
そこを通り抜けると、区画整理された家が軒を連ねていて、整備された石畳の道がその間を通っているのが目に入る。
その道の端を明るい顔をした人たちが絶えず行き交い、真ん中を満載の荷馬車が勢い良く通る。
「案外栄えているのだな」
「まあね。ここの木材は宮廷に献上されているぐらいだから、それなりに栄えているよ」
魔人領に近く、王国の中でも辺境の地だけど、魔人領に近いから取れる特産物がある。
「ほう。こんな街があるとは知らなんだ」
「まだまだ、知らないことは多いってことだよ。まあ、俺もだけど。それより、ほら屋台のあるところに行こう」
この街はこのあたり一帯を収める辺境伯のお膝元で、周辺の交通の要所だから人が集まる。
そして、集まるところには娯楽もある。
しばらく中心に向かって歩くと、噴水のある街の中心地にやってきた。そこでは、日が沈み始めて仕事を終えた人を狙った屋台が並んでいる。
「すごいな」
初めから騒々しかったけど、中心まで来ると人通りが増えてさらに騒がしくなった周囲に圧倒されるようにアレクシアが見回しながら言った。
王国の騎士団に所属していたから、王都しか知らなくて、辺境の地もそれなりに賑わっていることを知らなかったんだろうね。
「すごいでしょ」
この街になんら関係のない俺だけど、ちょっと自慢するように言ってみる。
「ああ…………皆が幸せそうだ」
「そうだね。魔人が迫ってきたときはピリピリしてただろうけど、今ではもうそれに悩まされることはなくなったんだし」
「そうか。そうだったな……………………」
「ほら、行こう。ここに不味いものはないよ」
遠い目をして記憶に意識を落とし込もうとしていたアレクシアの手を掴んで、歩き出した。
「これ何かはどう?」
串焼き屋の屋台の前で足を止めて、言った。
ここの串焼きは万人受けのする味だからきっとアレクシアも気に入ってくれる。
そう思ったけれど、
「……………………思ったことが一つあるのだが、言っていいか?」
「どうぞどうぞ」
アレクシアは串焼きよりも気になることがあるようで、俺をまっすぐ見詰めて言った。
「私は欲しいものを何一つ言ってないにもかかわらず、なぜヒロトは私を迷うことなく串焼きの屋台に連れてきたのだ?」
「……………………」
確かにそうだった。
これじゃ、食い意地が張っていると思っていると思われてもおかしくない。
魔王を連れてきたときは必ずここに食べに来るから、ついアレクシアにも同じことをしてしまった。
「ああ。魔王がここの串焼きが好きだったから、別にアレクシアが食いしん坊だとは思ってないよ」
「っ……………………なぜ、魔王にそれほど入れ込んでいるのだ?」
それに、何かまたアレクシアの気に障ることに触れてしまったみたいだ。
「それに、あれは────」
「そういう話はよそうよ。きっと、意見が合うことはないから。あっ、おじさん、串焼き二つ」
アレクシアが顔を歪ませるのを見て、遮るようにして言った。
アレクシアがあの時から変わっていないのだったら、『魔人・魔物は悪』っていう凝り固まった一辺倒な考えのままだろうし。
怪訝そうな屋台のおじさんに串焼きの代金を渡して串焼きをもらうと、さっさと中央にある噴水の縁に座って食べ始めた。
「これ、アレクシアの分ね」
「……………………貰おう」
おずおずとついてきたアレクシアに串焼を渡して、隣の空いているスペースに座らせた。
そして、二人で黙々と串焼きを食べる。
美味しいんだけど、前ほど美味しく感じられなかった。
「……………………なあ、ヒロト。一つだけ訊かせてくれないか?」
食べ終わったのを待っていたアレクシアが真剣な目で俺を見据えて言った。
その目からは反感や怒りといった感情の色がないように見える。
どちらかというと、率直に真実を知りたいという気持ちが感じられた。
「…………いいよ」
だから、質問の内容を問わず、取り敢えず聞いてみることにした。
「出発するときに言っていたことなのだが、ヒロトはやはり故郷に帰りたいのではないのか? それと、魔王が生を受けたことを望まなかったと言うのはどういうことなのだ?」
「ああ、えーっと」
確かに数は指定してなかったけど、一気に二つも訊かれるとは思わなかった。
というか、こんな人がたくさんいるところで果たして答えていいものか。
それにアレクシアがかなりの数の男の人たちの興味を引いているみたいだ。さっきからずっとこっちをチラチラと見る数人の視線を感じている。
男装をしているからかもしれない。
……………………でも、周りが騒がしいから聞こえないかな。
そう結論づけて話し始めた。
「まず、今はもう帰りたいと思ってないよ、本当に。それは嘘じゃない。それで、魔王のことだけど、魔王は膨大な数の魔物を生贄にして生み出された魔人だったんだ。つまり、意図的に魔人によって生み出されたんだ」
「っ…………」
「だから、唐突に現れたんだと思うよ。だけど、魔王は戦いたくなかったんだって。でも、自分を生み出した同族を殺されていくのも見たくなかった………………なんだか、自分に重なって見えてしまったんだよ」
「………………………………」
「まあ、それだけのことだよ」
口を挟まず、時折ピクリ、と反応しながら聞いていたアレクシアに視線をやって締めくくった。
「……………そうか」
考え込みながら、アレクシアは答えた。
後はアレクシアがどう考えるかに委ねよう。前みたいになんでもかんでも決めつけてるわけではなさそうだし。
「アレクシアはここで待ってて。デザート買ってくる」
何やら深く考えているアレクシアを置いて、ここに来たときに決まって行く屋台に向かった。
ちなみにそれも魔王の大好物だったりする。
「おじさん、これ二つ」
「毎度ありー」
注文に返事した店主が平べったい二つの鉄板の真ん中に白色の生地を流し込んで素早く円形に伸ばした。
ここまで言えばわかると思う。
クレープだ。
流石に同じ名前ではないけど。
この世界と地球では、はっきり言って魔術とか魔力、亜人や魔人、魔物が存在するかしないかの違いだけだ。
生態系はほとんど同じで、完全に同じ生物はいないけど、似通ってるものは多い。
そのせいか、文化にも共通するものがあったりする。
特に食文化は似通っているものが多い。
「はいよっ」
「ありがとう」
代金を置いて、ホイップクリームとスライスされたイチゴっぽい果物が入ったクレープを貰った俺は、踵を返してアレクシアのところへ戻った。
「いいと言っているだろうっ。なんなのだ、お前たちはっ」
「そんなことどうだっていいだろ。それより、俺達と遊ぼうぜ〜。新しい服も買ってやるぜ」
そしたら、既視感しか覚えないようなテンプレな展開が繰り広げられていた。
座っているアレクシアを包囲するように四人の男がいて、あろうことが俺が座っていたところにまで座っていて、我知らずムッとした。
防具や剣を身に着けていて酔っ払っているから、冒険者のパーティで依頼が終わって酒場で飲んだ帰りの輩だろう。
「おーい、君たち。残念だけど、諦めてくれないかな?」
「あ〜ん? お前が、女置いてどっか行くからだろうがぁ! 失せろっ!」
うあー。
酒臭いし、口ぶりからして確信犯か。
ずっと、視線を感じていたのはこいつらのだったみたいだ。
そんな酔っ払いどもの隙間からアレクシアが困ったような目で見てきた。
「何やってるのさ。そんな奴ら、一人でどうにかできるでしょ。俺は手が空いてないんだ」
見た感じ、完全な雑魚だから無手でもアレクシアならどうにでもなるのに。
「ああ? 失せろって言ってんだろっ‼︎‼︎」
「しかし、こいつらは一応民草だ。騎士は民草に暴力は震えぬ」
「ああ…………めんどくさいな」
そういうことか。
こんな馬鹿な人たちお灸を据えるという意味で殴ってもいいと思うけどな。
「なに無視してんだっ‼︎‼︎ てめぇっ‼︎‼︎」
「うるさい」
「っ‼︎‼︎」
喚きながら近づいてくる男の股間を蹴り上げた。
手加減は勿論してる。
けど、蹴られた男は白目を剥いて崩れ落ちて痙攣していた。
加減を間違えたみたい。
「おいっ‼︎‼︎ てめぇ、よくも手を出しやがったなっ‼︎‼︎」
すると、仲間が倒されたのを見て他の男どもが俺を囲んだ。
なんか今にも腰にさしている剣を引き抜きそうな剣幕だけど、相手にしてるのは両手にクレープ持ってる完全に年下の男だよ。
「アレクシア、この人たちの相手をしたらこぼれそうだから頼んだよ」
「あぁ? 何言ってんだてめぇ?」
「むぅ……………………わかった」
「「「はっ?」」」
と、アレクシアの思わぬ返事に皆がそちらの方に目をやった瞬間に、目の前の男に肉薄して股間を蹴り上げた。
「とぅっ!」
「がっ‼︎‼︎‼︎」
「なっ、ぐぁっ‼︎‼︎‼︎」
それに気付いてこっちを向こうとした男の股間を蹴り上げる。
「ほら、君も餌食になりたくなかったら、そこの人たちを連れて消えるんだね」
横たわってピクピクしている三人のちょうど真ん中に立って言った。
かなりシュールなのはわかっている。
けど、仕方がない。クレープ持ってるし。アレクシアは殴りたそうじゃなかったし。
「くそっ‼︎‼︎ 覚えてろよっ‼︎‼︎」
これまたテンプレな捨て台詞を吐くと、仲間に肩を貸して立ち上がらせ、四人はよたよたと去っていった。
その姿にムッとした気持ちは霧散した。
「ヒロト………………今のはどうかと思うのだが…………………」
「だって、下手に鎧があるところを蹴って一撃で倒せなかったら、相手が可哀想だよ。痛いし、また蹴られないといけないし」
去っていく男たちを見ながら微妙な顔をするアレクシアが言ったけど、気にしない。
反省もしないし後悔もしない。
だけど、おかげでかなり人目を引いてしまって居心地が悪いから移動したい。
「そんなことより、歩こう。はい、どうぞ」
「かたじけない……………………これはなんだ?」
アレクシアも特に話を長引かせるつもりはなかったらしく、素直に従って並んで歩き出した。
「スイーツだよ。コーヒーのときのようなことはないから食べてごらん」
コーヒーの件で俺から出された初めてのものに警戒を示しているアレクシアに言うと、その言葉に惹かれたのか、
「甘いものなのか……………………っ‼︎ うまいっ!」
一口食べて、すぐに瞳を輝かせた。
魔王と全く同じのリアクションをされて思わず口元が綻ぶ。
よほど気に入ったのか、子供のようにパクパクとすぐに平らげてしまった。
「気に入ってくれて、よかったよ」
「っ、あ、ああ、まあな。久しくこのようなものを口に入れてなかったのだ」
「はははっ。別に責めてるわけじゃないから」
取り繕うように言い訳めいたことを言うものだから、堪えきれずに笑ってしまう。
「むぅ………………」
「悪かった悪かったよっ」
それでさらにむくれてしまうのだから、笑いが止まらなくなる。
────人生、やはりこうでなくちゃ面白くない。
俺はそう思いながら、ふくれっ面をするアレクシアを宥めすかした。




