コーヒーは大人の味
「んっ……………………あっ、出ていたの。それなら起こしてくれてもいいのに」
目を覚ますと、そばに立って上から覗き込んでいたアレクシアが見えた。
「あっ、い、いや、起こすのは悪いと思ってな」
「それは、ありがとう。何か飲む? 水は勿論、牛乳とかお茶とかコーヒーもあるよ」
ソファから起き上がると、アレクシアに向き直って言った。
アレクシアはちょうど出たばかりのようで、上気した肌は水気があって、湯気が立ち上がっていた。
着ているのは、俺が用意した無地の上衣に、ズボン。
………………………………それにしても。
湯上りの美少女が自分の服を着ているのを見ていると、なんだか突然の雨に見舞われた女友達を家に上げたみたいで、想像が膨らんじゃう。
お互い全然異性と認識してなかったんだけど、濡れた服を着た友達の姿を見て、お風呂を貸している間、ムンムンとしてしまうおなじみのイベントと重なって見えてしまう。
その後ムフフな展開になったりするんだろうけど、残念ながら俺にはその度胸がないから、絶対起こり得ない、断じて。
と、心の中で一人語りしていると、
「こーひーとはなんだ?」
首を傾げたアレクシアが訊いてきた。
最後に言った耳慣れない言葉が気になったみたいだ。
俺も最近部外者と言葉を交わしたことがなかったから普段と同じように普通に言ってしまった。
言ってしまったのはしょうがないし、興味を持ってくれたのなら簡単にでも説明しよう。
「発酵させた木の実を煎って砕いたのをお湯に入れて飲むものだよ」
「はっこうとはなんだ? 他のことはわかったのだが、はっこうという言葉はとんと聞いたことがない」
「ああ…………」
もう、そこから説明しないといけないのか。
一応この世界にもある概念で、チーズみたいなものはあるんだけどね。
「高等魔術は知っているけど、発酵は知らないんだ」
「むっ……………………」
「気になるなら飲んでみる?」
軽い仕返しのつもりで言ったら、予想通りに頬を膨らませたアレクシアに俺は訊いてみた。
なんだか苦手にしていたかたっ苦しい雰囲気がなくて、とっつきやすくなっている気がする……………………というよりかは、扱いやすくなってて面白いかも。
俺が知っているのは、騎士道こそ至高っ! だからお前たちも見習えっ!、とか言ってずいずい押し付けてくる姿だけだったから、余計に新鮮なのかもしれない。
「どういう味なのだ?」
「苦いから大人じゃないとわからないかも────」
「なら、もらおうか」
説明の途中なのに、アレクシアが決意に満ちた顔で言った。
今の説明のどの部分に反応したのだろうかわからないけれど、飲みたいのなら言うことは何もない。
「了解っ。魔王はホットミルクでいい?」
「うむっ」
降ろしたらとっとと自室に戻った魔王に聞こえるように言うと、さっきまでの会話を聞いていたのか、すぐに返事が返ってきた。
アレクシアとは顔を合わせづらいけど、気にはなっているようだ。
立ち上がってキッチンに向かい、戸棚からマグカップを三人分取り出しておいて牛乳と水を二つのポットに別けてコンロにかける。
牛乳は膜ができるより早く火から離し、魔王専用マグカップに入れて食卓に置く。
「おーい、できたぞ」
「うむっ」
とだけ返事して、魔王は食卓までとたとた走ってくると、マグカップの取っ手を両手で掴んだ。そのまま戻っていくのかと思いきや、静かにアレクシアと視線を合わせた。
その視線に、アレクシアが一瞬怯んだ。
「……………………ヒロトはやらんからな」
「っ‼︎‼︎」
無言でじーっと見てから言うと、魔王はまたとたとたと部屋に戻っていった。
「? 何言ってんだろ、あいつ?」
「そ、そそそそうだな。私にもさっぱりだ」
「…………?」
魔王のセリフに固まっていたアレクシアが不自然なほどに慌てふためきながら俺に同意した。
変に思ったけど、それより今はコーヒーだ。
この世界には流石にコーヒーノキはなかったんだけど、すごく似た飲み物を飲んでいる人に出会って、原料の実をつける木と製法を教わったんだ。名前は違うけど、便宜上コーヒーと呼んでいる。
すでに挽いてある豆を小さい麻袋に入れ、口を糸で縛ってからマグカップに放り込んで、そこへ沸騰した水を注ぎ込む。
うん。いい香り。
で、自分のマグカップにはお茶っ葉を入れてお湯を注いだ。
コーヒーを飲みたいのは山々なんだけど、保険でお茶を入れる。
「ほい、できた。どうぞー」
二つのマグカップを持ってアレクシアのところへ戻り、コーヒーが入ったやつを渡す。
「独特な香りだな…………それにこんな色の飲み物は見たことない。この袋にそのこーひーとやらが入っているのか?」
その未知なる褐色の液体から研究者のようにあらゆるデータを集めようとしているようだ。
「その通り。俺のいた世界だったら、もっと美味しい淹れ方があるんだけど、この世界では再現できないんだよ」
「ヒロトの世界で飲まれていたものなのか……………………」
「その袋はお好みの時間で出してよ。浸しすぎると苦くて飲めなくなるから」
急に興味深そうにコーヒーを覗き込み始めたアレクシアに注意しておく。
前、淹れておいたことを忘れて煮出しすぎたときは流石の俺も苦さにヒーヒー言って飲んだ。
それからは、無駄にしないように気をつけて淹れている。
「そ、そうか。どれくらい入れていればいいのだ?」
「うーん…………」
と、言われても感覚的に出していたから。
「まあ、もういいんじゃない」
「わかった」
「この皿に載せて」
麻袋を取り出したアレクシアに用意しておいた皿を差し出した。
「例を言う」
「どういたしまして。ほら、飲んでみて」
「……………………っ」
皿を食卓に置いて勧めると、アレクシアは意を決して口をつけて、
「っ、ぶっぅぅぅぅぅぅ‼︎‼︎‼︎」
一瞬で吹き出した。
想像以上のリアクションだ。
あまり飲んでなかったみたいで、吹き出したコーヒーは霧状だったからよかった。
「な、なんだこれはっ‼︎‼︎」
「コーヒーだけど」
「それを訊いているのではないっ‼︎‼︎ こんなものっ、苦くて飲めないではないかっ‼︎‼︎」
顔を真っ赤にして憤慨したアレクシアが叫んだ。
「う〜ん…………大人の味はまだ早かったってことで、ほらお茶入れているから、これ飲んで」
思った以上に拒絶反応を示したアレクシアの機嫌を直すべく、飲まずに持っておいたお茶の入ったマグカップを差し出した。
「ぐっ…………それは、私が子供と言いたいのか?」
「そんなことないよ。大人の味っていうのは、ただ大人がカッコつけて言っていることだから。あの人たちも最初はまずいと思いながら飲んでいたはずだし」
「ヒロトは飲むのだろう?」
「まあね。でも、慣れるのに五年はかかったかな。飲み始めたきっかけも、父さんが飲んでいたのを見てまずいと思いながら大人ぶって飲んでいただけだよ」
初めて飲んだときは流石にアレクシアみたいに吹き出したりはしなかったけど、くっそまずいと思ったのは覚えている。
よくこんなもの飲めるなと言ったこと、それに対してお父さんがまだ大人の味は早いと言ったことは出来事として覚えている。情景はもう闇色の緞帳の向こうだ。
地球にいた頃の記憶を少しずつ忘れ始めている。
俺にはそれがいいことなのかわからなかった。
「そうなのか…………」
「だから、飲めたからってなんでもないよ」
と、言ってさらにマグカップを突き出した。
「俺がそれ飲むから」
「………………承知した」
それを受け取ると、手に持っていたマグカップを渡してきた。
色的にそれほど煮出している感じではないんだけどね。よっぽど苦いものが苦手みたいだ。
これで期せずしてアレクシアの苦手なものをまた一つ知れた。
マグカップに口をつけて一口飲んでみる。
「うん。ちょうどいい、感じ」
適当に言ったけど、結構絶妙なタイミングだったみたいだ。美味しくできている。
「ん?」
コーヒーの味を楽しんでいると、ふいに視線を感じて顔を上げた。
すると、アレクシアが俺を、いや正しく言うなら、俺が持っているマグカップを凝視していた。
「どうしたの?」
「っ! いや、何でもないっ」
声をかけると、我に返ったようにあたふたと手を横に振って言った。
なんだろう。
飲みたかったのかな。
「…………もしかして、本当は飲みたかった?」
「それだけはないっ」
「はははっ」
だけど、途端に平常に戻ったアレクシアに強く否定された。
「しかし、よくそのようなものが飲めるな」
「まあね、五年の修行の賜物だから」
「修行が必要なのか」
「いや、ただの例え。五年飲み続けただけのことだよ」
お互い、お茶とコーヒーをちょびちょびと飲みながら、言葉を交わしていると、アレクシアが一度間を置いて、
「故郷に帰りたいと思ったことはあるのか?」
と、訊いてきた。
「………………こっちの世界に来た頃はね」
はじめのうちはなにがなんだかわからなくって混乱していたけど、時間が経って落ち着いてくると急に涙が溢れ出したのを覚えている。
でも、そこまで大泣きはしなかった。
【勇者】のおかげかもしれない。
ちなみに俺のことを知っている人たちのほぼ全員が、俺が異世界から来たことを知っている。それで、俺が元いた世界がどのような世界だったか質問攻めにあったりもした。
「今はもう思わないのか?」
「思わない…………かな。俺を召喚した魔術師も帰る手立てはないと言っていたし、それなりにここにいると、愛着が湧いたわけじゃないけど、この世界も悪くないと思えてきた」
「…………そういうものか…………」
「もしかして、君も故郷が恋しいの?」
俺の答えにどこか影を覗かせた顔を見せるアレクシアに言った。
「あっ、いや、違うのだ…………ただ………………いや、なんでもない」
けれど、結局何も明かさず、逆にその顔をさらに暗くしただけだった。
う〜ん。
俺がいない間に何が起きたのかは知らないけど、何か思い詰めているようだ。
きっと、こんなところに来たのかも、それが関係しているんだろうね。
「…………出かけようか」
でも、話せないなら、別の方法で少しでも気持ちを軽くしたい。
そう思える程には、アレクシアとの仲は深いとは思うんだ、勝手にだけど。
「ん?」
「自分で言うのもなんだけど、こんな薄暗くてジメジメしたところにいたら、それだけで気が滅入る。だから、出かけよう」
「いや、出かけるのはやぶさかではないのだが……………………どこに行くというのだ? 人里が近くにあるような気配はなかったぞ」
聞き返してきたアレクシアに気の利いたセリフを言えずに、なんだか言い訳めいた言葉を重ねてしまったけれど、どうも認識の齟齬があったみたいだ。
「まあ、ここは、周りの人たちから『神の森』と言われているからね」
「なっ‼︎ そんなところに居を構えているのかっ、お前は‼︎」
「大丈夫だよ。隅々まで見たけど、神なんていなかったし」
こんな世界なら会えるんじゃないかと思って少しワクワクしたけど、逆に木と苔しかないことがわかっただけだった。
「そういう問題ではないだろうっ‼︎ 周辺住人が大切に守っている森なのではないのかっ?」
「そういう風ではなかったけど。ただ、時々龍がここで眠りにつくとかなんとか」
それぞれの周期で龍がこの森に来て決まった場所で眠りにつくみたいで、その眠りを妨げると、怒り狂った龍が周りの町を火の海にする、と聞いたけど、その出来事自体が数百年前のことで、しかも伝承として残っているのはその一回だけ。
だから、あまり気にしていない。
自分から龍にちょっかいかけようと思ってもないし。
「なっ、では私を襲ったのは……………………」
アレクシアは何かに思い至ったのか、何とも言えない顔をする。
襲われたのは、深手を追わせた人間だったからというわけではなく、命からがら逃げた安全な場所に現れた人間を追っ手と思ったからで、自分がこの森に踏み込まなければ、龍に襲われることはなく、龍も殺されずに済んだ。だけど、龍は魔人に与した魔物で何も負い目を感じる必要はないはず、って考えているのかな?
「傷を癒やそうとして安息の地のこの森に逃げ込んだんだろうね。あの傷じゃあ長くはなかっただろうけど」
フォローのつもりで自分の考えを言った。
解体したとき、矢が内臓にまで達しているのがわかった。出血もかなりしていたから、死ぬのも時間の問題だったと思う。
この場所で最期を迎えたかったのかもしれない。
「そうか……………………そういえば、なぜあの場にヒロトは現れたのだ? ……………………まさか、私の声が……聞こえたり、したのか?」
「いや、アレクシアの声は聞こえなかったよ」
「そ、そうか……………………」
期待違いの返事だったようで、アレクシアは明らかに肩を落として落胆している。
そのアレクシアを静かに見詰めていた俺は、言うか言うまいか逡巡した末に口を開いた。
「言っておくと、アレクシアが助かったのは魔王のおかげだよ。魔王は力を失っているけど、魔力を感知できるんだ。それで、龍の魔力を辿ってあそこに現れたんだ」
「あ、あの魔王に……………………っ」
すると、やはりと言うべきか、アレクシアは魔王のいる部屋を見ながら、何とも言えない顔になった。
「どう思うかは、アレクシア次第だけど、魔王もまた俺と同じように望んでないのにこの世界に生を受けた者だよ」
「っ…………‼︎」
アレクシアが俺の言葉に、とっさにこちらの方を見た。
その目が何かを訴えてきているように感じたけど、その内容が俺にはわからなかった。
代わりに、この重い空気を終わりにするために、話題を変える。
「取り敢えず、一番近くの街まで行こう。走れば、二時間もかからないよ」
「……………………行ってどうするのだ?」
アレクシアは思うところがあったようだけど、素直に話題に付き合ってくれた。
「決まってない。そんなことは着いてから決めればいいよ」
「そうか……………………そうだな………………そうしよう。しばし待て、体を乾かす」
自分に言い聞かせるようにアレクシアは伏し目がちになって答えると、《乾燥》の魔術で完全に水気を払った。
「じゃあ、決まりだね。魔王はどうする?」
「行かんっ。まおぅはどっしりと構えているのだ」
「あい、わかった。留守番は頼んだよ」
「うむっ。任された」
部屋から出ることなく答えた魔王の返事を聞いて俺は階段を登った。
「じゃあ、行こうか」
「わかった」




