女騎士・アレクシア
場所は鬱蒼とした広大な森の中。
昼だというのに、光が遮られて薄暗い。
ただ、その中でポッカリと明るい場所があった。
木々が暴力的に根本から折られていて、日光を遮るものがないために、ステージのように明るく照らされていた。
「はぁっはぁっ」
その真ん中で女騎士、アレクシア=ウィルディ=ラズドヴェント、は肩で苦しげに息をしながらも、剣を構えていた。
齢は、18歳。
凛とした顔、鋭利な双眸、後ろで一つに束ねられた艷やかな金髪は質実な気風を感じさせながらも、確かな美麗さがあった。
が、彼女の体を包むのは実用性にのみ注力した革鎧で、お世辞にも似合っているとは言えず、その美麗さを損なっている。
それに加えて剣にも少しばかり注釈がいる。アレクシアの手に握られている剣は、中程から無残に砕き折られていて、とてもではないが継戦するには不可能な得物だった。
そんな剣を構えるアレクシアは、目の前の手負いの龍を睨みつけている。
龍、すなわちドラゴンは大陸内最強の魔物。見上げるばかりの巨体をあらゆる攻撃に耐性を持つ鱗に覆われ、無尽蔵の魔力で大魔術をいとも簡単に発現する災厄に等しい存在の龍は手練の冒険者を数十人掻き集めてやっと討伐できるというほどに脅威とされていた。
しかし、そんな龍の横腹に、人間の腕の太さに達する弩矢が突き立っていて、そこから絶え間なく血が流れ出していた。
それはアレクシアによるものではなく、元から刺さっていたものだ。
だが、手負いとは言えど、龍を一人で相手できようはずもなかった。
龍の放つ魔術や物理攻撃、はたまた薙ぎ倒された木の幹を避けながら、どうにか刃が通る腹と目、傷口を狙って剣や魔術で攻撃したが、ことごとく防がれ、逆に鋼の鱗に刀身を折られてしまった。
剣は折れ、精魂も尽きかけて魔術も使えないアレクシアはまさに万事休すの状況に立たされていた。
それでもアレクシアの表情に焦りはなかった。それどころか、彼女の目には戦意、殺意、敵意、いずれの感情の色も窺えない。瞳はただ諦観と安堵が混ざりあった澄んだ色を呈していた。
──── ここまでか ────
目を怒りに染め、口から青い炎を吹き散らす目前の黒き龍を見据えながら、不思議と安らかな気分で心の中で囁いた。
気付けば心の中に住み着いて自分を苛み続けていた蟠りが溶けて消えている。
アレクシアは死を前にして久しく感じなかった清々しさが心を満たしていることに気付いた。
──── ついに、最後まで見付からなかった。が、もうそれで苦しむことがなくなるのか ────
そう思うと、不思議と心が軽くなった。
剣を構える手にはもう力が入らない。
足も石になったように動かない。
死がその巨大な顎を開いた。
龍炎を吐くのだろう。
それを見て、アレクシアは剣を下ろし、目を瞑った。
──── さらばだ……………………ヒロト ────
そして、閉じた瞼の裏に不意に浮かび上がった青年の名を呟いた。
──── ❖ ✥ ❖ ────
「今日はこんなもんかな。おい、起きろぉー、帰るぞぉー」
釣糸を棒に巻き取りながら、俺にもたれかかって寝ていた幼女、もとい魔王を起こした。
場所は森の中にあるそれなりに広い湖の辺り。時間は正午前。
「なんだぁ? もう、終わりか?」
「うん、もう終わり」
ふぁーっ、と背伸びして目を擦りながら魔王っぽいことを言うけど、見た目が見た目だから全然威厳も恐ろしさもなかった。
背丈は、最終測定値183cmの俺の胸下あたり。顔は絵に描いたような童顔で、クリクリとした大きな青い瞳はサファイアを埋め込んだように綺麗だ。無駄に艶がある黒髪は腰まであって、これまた無駄に瑞々しい褐色の肌に馴染んでいる。
つまり、かなり可愛いんだ。
買ってやった黒のワンピースがこれでもかと似合っている。
こんな姿だけど、一応魔王の名残で、額には二つの小さな黒角がある。まあ、でも、その角もはっきり言ってコブと言った方が正しいかもしれない。
「まおぅはまだ眠いぞ」
「それなら帰ってから寝ればいいから、取り敢えず起きてくれ」
むずがる姿までも、構いたくなるほど愛らしい。頑固親父が、孫ができて丸くなるのもわかるというもの。
だから、頬を緩ませている俺は決して危ないやつじゃない……………………はず、だよね。
「ほら、おぶるから」
「うむぅ…………」
しゃがむと、半ば眠りから覚めていないのか手探りで俺を探して見付けると、もぞもぞとよじ登ってきた。
しっかりと捕まったのを確認して立ち上がり、歩き出した。
「で、釣果はどうだったのだ?」
「0だよ」
しばらくして、後ろからひょっこり顔を出した魔王が訊いてきたから、手に持っている木の枝で編んだ軽い魚籠を揺らして言った。
「またか」
「まただ」
「腕が上がらんのぅ」
「上がらないなぁ」
魔王の責めるような言葉を受け流す。
しかし、本当に上手くならない。この世界の魚を詳しく知らないというのもあると思うけど、それにしても全然釣れない。
やっぱり、職業に関係しているのかな。
だけど、職業に就くにもそれをしないといけないんだよね。ちょっとした堂々巡りに迷い込んでしまった。
まあ、こういうのは、概して職業に就くのは骨が折れるけど、一度就いてしまえばかなり楽ができるというシステムのはず。
現に、就いてるのと就いてないじゃ、大きな差だし。
──── と、手持ち無沙汰に今まで何度も無意味に考えたことを考えていたときだった。
「むっ!」
「ん? どうした?」
背中で魔王が驚きの声を上げた。
この反応が示すことはいくつかある。
けど、俺だからわかる小さな差からおよその予想はできた。
「大きな魔力の奔流を感じる。それに、近いぞっ」
眠気が吹っ飛んだらしい魔王が真剣な声で言った。
予想は的中。
「どっち?」
「あっちだ」
「よしっ、しっかり掴まってよっ︎」
魔王がぎゅっと掴まってから肩越しに指差された鬱蒼とした森の中へ、リミッターを外して飛び込んだ。
栄養が豊富だからなのか、この世界の動植物は俺の知る動植物より一、二回り大きく、飛び込んだ森も例に漏れず何もかもが大きい。
規模もそうなんだけど、一本一本の木の幹の直径がどれも、両手を広げた長さ以上で、高さもよじ登るのに半日掛かりそうなほど。
そのてっぺんで光を奪い合うように葉っぱを茂らせているから、いつだろうと暗い。
その森の中をステータスの恩恵を受けて一歩目で魔王が振り落とされない最高速度に達しながら、迫り来る恐竜の足のような樹木を避けて走る。流れていく風景の速さ的に、自転車を全力で漕いだときのスピードと同じかな?
今はもう慣れてしまって驚きも薄まったけど、自転車とか車に乗ってでしか見たことがない風景の流れる速さで走っているのは今でも爽快。
「はははっ‼︎ 早い早いっ‼︎」
それに同意するように、いつものごとく背中で魔王がはしゃいでいるのが聞こえる。
迫り来る木を避けながらも揺れがあまり起きないようにしているからさぞかし快適だろうね。喜びに満ちた声を聞いただけで報われるというもの。
それで調子に乗って、スピードを出しすぎて魔王を振り落としたことがあったりするけど。
「おっ、あれかな」
スピードの出しすぎに気をつけて駆ける俺の目に、暗かった森の中で明るくなっている場所が見えた。
「ん? おおっ、龍がいるっ!」
そして、その日の光に照らし出された黒い巨体に驚いた。
「なんとっ! 龍であったかっ! かなりの魔力の奔流だとは思っておったが、なるほど納得だなっ」
俺の上げた驚きの声に、顔を出した魔王が黒いドラゴンを見て半ば面白そうに言う。
まあ、俺も少しワクワクしていたりする。
龍はかなり珍しい魔物で、大陸でも数えるくらいしかいなかったと思う。特に、人間、亜人が残党狩りで魔物を殺しまくってるからその数をさらに減らしているはず。
強さは、知らない。
かなり強いと聞くけど、俺より強いことは多分ないからそこらへんの情報は聞き流している。
「あれは黒焔龍だな。龍の中でもかなり上位のやつだぞ」
「へぇー……………………だけど、なんか、矢が刺さってない? 人間から逃げてきて、痛みに暴れ狂っているのかな?」
魔王のうんちくを聞き流しながら、目を凝らしていたら、龍の脇腹にでかい矢が刺さっているのが見えた。
数人がかりじゃないと撃てないような大きさだけど、現時点で見えている人影はないし、こんな森の中でそんな弩を運用できるはずもないから、あってると思うけど────
「いや、誰かいるっ!」
距離が近くなってきて、やっと倒れた木の間のぼやけていた輪郭から立っている人の像が浮かび上がる。
それと同時に、龍が口を開けたのが見えた。
「魔力の動きを感じるっ! 龍炎だっ!」
「わかったっ! ここで降りてっ」
「わかっておる。大丈夫だろうが、無茶だけはするなよ」
そう言い残し、俺の背を蹴って魔王が降りたのを確認した俺はさらにスピードを上げて突っ走った。
そして、目測で射程距離に入ったことを確認して、地面から突き出した木の根を、敏捷にさらに筋力まで加えた足で蹴ると、その反作用で体が撃ち出された弾丸のように水平な軌道をなぞって、
「よっしっ‼︎‼︎ 間に合ったっ‼︎‼︎」
木々を抜け、龍と人の間に地表を削りながら躍り出た────が早いか、龍の口から蒼焔が濁流のように放たれた。
「はぁっ‼︎‼︎」
腰から聖剣を抜き放ちながら、炎に向き直って剣を高く振りかぶった。
すると、俺の考えを読み取った聖剣が目が眩むほどの白光を放ち、呼応するように右手の甲に金色の紋章が浮かび上がる。
「ふッ‼︎‼︎‼︎︎」
光り輝く聖剣を地面に深く突き立てると、刀身を包んでいた光が地に流れ込んだ────時には変化が始まっていた。
突き立てた剣を中心にして、一瞬にして地表に無数の亀裂が走り、その範囲と幅が急速に広がるに連れて白い光が漏れ出し、それが目が眩むほどになったときだった。
大地を裂いて不壊の光壁が屹立する。
次の瞬間、焔が壁に当たり、大気を揺り動かすような、ゴウッ、という音が大壁の向こうで起きた ──── その音を耳にするより早く、俺は聖剣を振り上げて大上段に構えていた。
「行くよっ」
声に応じて、再び聖剣が光を帯び、瞬く間に巨大な光剣となる。
「はっ‼︎‼︎」
それを持って駆け出し、一回の跳躍で壁を飛び越え、龍の遥か頭上に到達する。
大きかった龍が親指で覆い隠せるほど小さく見える。
「ごめんよ。だけど、こうするしかないんだ」
焔で俺がそこから移動したのが見えなかったのか、未だに壁に蒼焔を吐き続けている龍に言うと、重力に引かれて落ちてゆく。
痛みは与えない。
心の中で呟いて、柄を握る手にさらに力を込めた。
それに聖剣が応えたように感じた。
「ラアアアアアアアアアッッッッッッ‼︎‼︎‼︎」
その聖剣を渾身の力で、眼前に迫った龍に振り下ろした。
抵抗なく光の刃は龍の外皮を切り裂き、ケーキを切るように簡単に振り抜けた。
形を保ったままの龍の背を蹴って、炎の嵐が止んだ地面に降り立ち、血の一滴もついていないもとの姿に戻った聖剣を鞘に収めた────と、時を同じくして、音を立てながら龍の体が正中線をなぞり縦に裂けて倒れた。
そして、役割を終えた光の壁も、亀裂を残して消え失せた。
「また、ど派手なことをしよってからに」
それを見ながら森を抜けてきた魔王が呆れたように言った。
「まあね。でも、痛みは多分感じなかったはず」
「だと、良いがな」
と、ステータスにリミッターをかけてから、言葉を交わしていると、
「ヒロト…………ヒロトなのか……………………?」
聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。
「っ‼︎」
咄嗟に声のした方を向いた俺は、
「……………………………アレクシア?」
半年前に袂を分かった仲間の姿を見た。
見覚えのない革鎧に身を包み、刃が砕けた剣を握り、ふらついた足で立っている。
「ヒロトっ‼︎‼︎」
その仲間、アレクシア、が俺の顔を見るなり、一瞬で怪訝そうだった顔に笑顔の花を咲かせて剣を投げ捨てたと思ったら、フラフラとしながらも俺に向かって走り、飛びかかってきた。
「ちょっ、待っ ────」
まさかの展開にあたふたした俺はリミッターを外す間もなく、アレクシアの下敷きになった。




