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短編の墓

八神くんは心臓に悪い

作者: みのる

 私にとって、八神くんとは恐怖の象徴である。

 いや、別に八神くんが暴力を振るったり、罵声を浴びせたりするとかいう訳ではない。背中で般若が不気味な笑みを湛えていたり、丑三つ時に藁で編んだ人形に釘を打ちつけていたりする訳でもないし、腕にやたらと注射痕があるとか、蛙の解剖で異様な高揚感を感じていたりとかいう訳でもない。

 八神くんは一言で言うと不思議な人だ。いつもどこかあらぬ方向をぼうっと見ている、猫のような人。友達がいない訳じゃない。昼行灯だけど、容姿は悪い方じゃないから女子からの人気もそこそこあるし、何人かでつるんでいる仲のいい男子もいる。けれど気がつけば、ひとりでぼんやり虚空を見ていたりする。

 そんなおよそ人畜無害なクラスメイトに、恐怖というマイナスイメージを植え付けたのは一体何故なのか。

 あれは五月の事だ。高校の入学式からひと月が経って、新生活特有のそわそわした空気もそろそろ落ち着こうかという頃だった。

 私は校舎裏の木の根元を、園芸部から借りて来たスコップで一心不乱に掘り返していた。こういう単調な作業が何となく楽しくなるのは何故だろう。無心で掘り続ける私は背後に立った人物にまるで気がつかなかった。

「辻さん、何してるの」

 突然掛けられた声に、びくっと肩が大きく揺れる。慌てて振り返ると、八神くんが腰をかがめて私の手元を覗き込んでいた。あまり話した事のなかった八神くんが私の名前を知っていた事に少し驚き、すぐに同じクラスなんだから当たり前かと納得した。

「穴、掘ってどうするの」

 八神くんはのんびりと言いながら足元の穴を指差す。その動きにつられて視線を落とすと、大分深くなった十分すぎる穴に今さら気がついた。

「あ、えっと……この子」

 私はスコップを地面に置き、側に置いてあったハンカチに包んだものをそっと持ち上げる。中には何も入っていないみたいに軽かった。

「渡り廊下に落ちてて。そのままにしておくのもなんか可哀そうな気がして、せめて埋めてあげようかなって」

 言いながら、穴の底にハンカチにくるんだままそっとおさめる。ハンカチから出した方が良いのかもしれないけれど、体に直接土をかける事が何故だか躊躇われた。変な話だ。動物は普通服なんて着ていないのだから、そんなの当たり前の事なのに。

 本当はこんな行為自体に意味がないのだろう。こんなのはただの自己満足でしかなくて、でもそのまま見て見ぬふりをする自分を許せなくて、私は偽善的としか言いようのない自分の行為を否定する事も肯定する事も出来ずにため息を落とす。

 スコップで機械的に土をかけて埋め戻していると、ふっと小さな笑いが降って来た。見上げた先では、八神くんが柔らかい笑顔を浮かべていた。あんまり優しそうな目に、心臓が飛び跳ねるみたいに動いた。

「喜んでる」

「え?」

 胸の動悸を抑えながらも、言葉の意味がわからずに首を傾げると、八神くんは私の頭上の空間を指差した。

「その子。雀だね。優しくしてもらって、嬉しいみたい」

 八神くんの白い指が指す先に視線を走らせる。何もいない。

 ……いやいや、ちょっと待って。

 背筋を変な汗が伝って、心臓のドキドキが違う意味合いになりそうだった。

「あの、八神くん。私、さっき埋めたのが雀だって言ったっけ」

「言ってないよ」

「ハンカチ、広げてないよね」

「そうだね」

 八神くんはのんびりした口調で何でもないみたいに答える。

 じゃあどうしてそんな事を言い当てられるんだろう。胸の奥から湧き上がる嫌な予感に全力で蓋をして抑えつけながら、私は恐る恐る八神くんに尋ねた。

「八神くんって……その、もしかして霊とかそういうの、見える人なの?」

「うん。あれ、辻さん、知らなかった?」

 恐ろしい事に、私以外のクラスメイト全員が知っていたという彼の異能が明らかになった瞬間、私は八神くんとは距離を置く事を決めた。極度の怖がりを自認する私にとって、八神くんは非常に心臓に悪い存在なのだ。



「肝試しィ?」

 驚きすぎて語尾がひっくり返った。

「ちょ、ちょっと玲奈ちゃん、どういう事? 私聞いてないんだけど!」

 私が顔を青くして親友に詰めよると、彼女はわははと男らしく笑う。

「だって肝試しって言ったら、梓、絶対来ないでしょ?」

 ごめんごめんと謝る声に誠意は欠片も感じられない。

 事の起こりは今から一時間ほど前に遡る。夕方五時過ぎ、扇風機の前に陣取り、涼風を独占してごろごろしながら、期末テストを乗り切った解放感と妙な虚脱感に浸っていた所に、アポイントもなしに玲奈ちゃんがやって来た。それ自体は珍しい事ではない。彼女は本能のまま生きるタイプなので、突然押し掛けるくらいの事は日常茶飯事なのだ。

 お気に入りだと言っていたノースリーブのワンピースを着て妙にめかしこんだ彼女は、玄関先まで漂って来た線香の香りにほんの少しだけ眉根を寄せたが、次の瞬間には何事もなかったかのようににっこりと笑って、「遊びに行こっ」と言った。問答無用でそのまま腕を引きずられるようにして玄関から引きずり出されそうになる。本能的に良からぬ空気を感じとった私は、「こんな時間から遊びに行くなんて、お母さんがなんて言うか……」と玄関先まで様子を見に来た母に助けを求めたが、小さい頃からの親友である玲奈ちゃんの信用は絶大だ。下手したら、娘の私よりも信用されているかもしれない。「あんまり遅くならないようにね」と言って母はにこやかに手を振った。

 何が何だかわからない内に連れて来られたのは、私達の通う高校だった。しかも敷地内の一番奥にある、今は使用されていない木造の旧校舎。裏山のうっそうと茂った木々を背景にして薄暗がりに沈む朽ちかけた旧校舎は、怖がりの私でなくともまず間違いなく恐怖心を煽る代物であろう。

 やって来たのは私達だけではなかった。私服のクラスメイトが数名、旧校舎の入り口付近で固まって立っている。

 私だって馬鹿ではない。ここまで来ると、さすがに玲奈ちゃんが何を企んでいるかくらい薄々は気付く。それでも間違いであって欲しいと祈るような気持ちで恐る恐る尋ねた私に、玲奈ちゃんは「肝試し。皆でやろうって」とあっさりと吐いた。

「期末も終わった所だし、夏と言えば肝試しでしょ。旧校舎って変な噂あったりするし、うってつけだと思わない?」

 私の怖がりな性質は、もはやクラスメイト全員の知る所である。まして小さい頃からの付き合いである彼女が知らない訳もなく、よってこれは、完全なる計画的犯行なのだ。

「かかか帰る!」

「まあまあ、そう言わずに」

 青くなって踵を返した私の腕を、玲奈ちゃんが逃がすまいとばかりにがっしりと掴んだ。子どもの頃から柔道をやっている彼女に抵抗する事など、私には不可能だった。そのままずるずると旧校舎の入口の方へ引きずるように連行される。

「お、神崎と辻。こっちこっち」

 手招きしたのは土田くんだ。バスケ部の彼は部活終わりなのか、ジャージの首元にタオルをひっかけている。首謀者はおそらく彼なのだろうと納得した。いかにも肝試しとか、そういうイベントで盛り上がりそうなタイプだ。クラスのムードメーカーというか、お調子者というか、まあ一言で言うならカツオくん、みたいな。

「辻、来ないかと思った」

「き、来たくて来た訳じゃないんだからねっ!」

 感心した、みたいなトーンで呟いた土田くんに、思わずツンデレっぽい返答をする。私の心からの叫びに、周囲のクラスメイト達はうんうんと同情したように頷いた。

「神崎の騙し打ちだろ。可哀そうに」

 今度は玲奈ちゃんがぷくっと頬を膨らませる。

「なによう、参加女子が少ないから集めてくれって言ったの、あんた達でしょ」

 なんだと。数合わせ要員なら、別に私でなくてもいいじゃないか。

 荒れ狂う私の心中にも構わず、「他にも声かけてあるから、多分あと三人くらいは来ると思うけど」と言った玲奈ちゃんを、男子達は両手を合わせて「ははーっ」と拝んでいる。

 どうやってこの場を切り抜けようかと必死になって考えている内にも続々とクラスメイトが集まって来て、二十人ほどになった所で土田くんが「よし、じゃあ説明始めるぞー」と声をかけた。

「男女ペアの二人一組、くじ引きな。三階の一番奥の教室に置いてあるお札をとって来て、反対側の一階の出口から出る事。順路は自由、各ペア十分の時間差で出発。あ、懐中電灯は皆持ってきてるな?」

 半ば拉致られるようにして連れて来られた私は、当然そんなもの持って来ていない。足元もおぼつかないなんて危険だもんね、うん、無理無理。辞退するなら今だとばかりに上げかけた手に、玲奈ちゃんが何かを握らせてにっこりと笑った。

「梓の分は私がちゃんと持って来たから」

 抜かりない親友に恨みがましい目を向ける。懐中電灯で下から照らした顔はさぞかし怨嗟に満ちていただろうに、玲奈ちゃんはくじ引きの紙なんぞを見て「あ、土田とだ」と言って口元を緩ませている。なんだ、玲奈ちゃんってば花沢さんなのか。

 いよいよ覚悟を決めてくじを引こうとすると、土田くんが待て待てと私を制した。

「クラス一怖がりの辻には、特別サービスでこいつをつけてやろう」

 土田くんが八神くんの肩を叩きながら言う。

「や、八神くん……?」

「こいつと一緒なら心強いだろ。なにしろ見えるんだからな。こいつの言う通りにしときゃ間違いないって」

 私は信じられない思いで土田くんを見つめた。

 彼は本気で言っているのだろうか。見える人が一緒にいるなんて、余計怖いに決まっているのに。

 言葉を失くした私の背中を玲奈ちゃんが励ますように叩く。

「こういうのってきっと見えないから余計に不安になるんだよね。だから、梓だって八神くんに大丈夫だって言ってもらえれば、恐怖心も多少は減るんじゃない? ほら、なんだっけ。えーと、スパシーバ効果?」

「プラシーボ効果ね……」

 ロシア語のお礼に、感謝を伝える以外の何の効果があるというのか。大体見えないから不安ってなんだ。見えたら怖いだけに決まってるじゃないか。

 ともかく、今回の事に限り玲奈ちゃんは徹頭徹尾、私の味方にはなってくれないらしい。

「ね、八神くん。大丈夫よね」

 玲奈ちゃんが八神くんに水を向ける。八神くんはゆっくりと顔をあげると、たっぷり時間をとって校舎を見回してからこくんと頷いた。

「多分、滅多な事にはならないと思うけど……。これ、念のため」

 手渡された小さなチャック付きの袋の中に入っているのは、見るからに塩だった。

 ほらあ、こういう所が生々しくて怖いんだって!

 さすがに本人の前では口にする事が出来ず、小袋を持ったまま固まる。その間に、八神くんは塩を欲しがるクラスメイト達に囲まれていた。スーパーで売っている一キロ入りの塩を買って、そのまま持って来たらしい。群がるクラスメイト達に塩を分け与えてやるその姿はまるで、新興宗教の教祖様みたいだった。

 まとめ役の土田くんは出口でお出迎えをしなければいけないので、一番に出発と決まっていたらしい。なんだか急にしおらしくなった玲奈ちゃんとふたりで、校舎の中の暗がりへ消えて行った十分後。

「じゃあ、行こっか」

 淡々とした八神くんの言葉に渋々頷く。後ろ髪を引かれる思いで残るクラスメイト達に手を振って、校舎の中に足を踏み入れる。蒸し暑かった外よりも少し空気がひんやりしているような気がして、私は背筋を震わせた。

 月が出ているおかげで、校庭側に面した窓からは月明かりが入って来る。漆黒の闇を覚悟していた私はほんの少しだけ安心し、八神くんのすぐ後ろを及び腰で歩いた。歩く度に静まり返った校舎内に響く木の軋む音が、なんとも効果的に恐怖心をかきたてる。

 目の前を歩く八神くんの様子は、普段と何も変わらなかった。のんびりと足を進めながら、時々何かに気付いたように視線を動かす。その度に私はびくっと身を固くして同じ方向を見つめるが、何故彼がその方向に注目しているのか全くわからず、動悸は激しくなるばかりだ。

 駄目だ。怖い。なんなの、この拷問。

「や、八神くん」

 黙っていたら、心臓が破裂して死んでしまうかもしれないと切実な危機感を抱いた私は、とりあえず話しかけてみる事にした。何かくだらない事でも話せば気もまぎれるかもしれない。普段なら話し相手としてはこれ以上ないほどに遠慮したい相手なのだが、仕方がなかった。誠に遺憾ながら、今ここには八神くんしかいないのだ。

 小さな呼びかけに、階段を上ろうとしていた八神くんが足を止めて振り返る。八神くんの眠そうな目線が、私の右肩辺りで止まった。

 ――ああ、まただ。

 血の気の引いた顔で私は固まった。

 ここ最近、妙に視線を感じる事が多かった。周囲を見回すと、その度に八神くんがこっちをじっと見ている。なのに、目が合わないのだ。彼は私の目でも顔でもなく、ましてや起伏の乏しい胸やお尻なんていう訳でもなく、右肩のあたりを凝視しているようだった。

 それは私にとって恐怖以外の何物でもなかった。私には見えないものが、彼には見えているのだろう。他でもない、私の右肩に。

 八神くんは暗い階段に片足をかけたまま、不思議そうにこちらを見ている。くだらない話で気を紛らわせようと思っていたはずの私は、追い詰められた気持ちになった。動悸が激しくなって、手が緊張で震える。けれど何故か、今聞いておかなければいけないような気がした。

「やっぱり何かいるの……?」

 やっとの事で絞り出したのは、そんな言葉の足りない問いだった。けれど彼には私の言わんとする事が正しく伝わったようだ。八神くんは迷うように首を傾げる。

「言ってもいいの? 辻さんてそういうの、聞きたくないのかと思ってた」

 それはもう言っているようなもんじゃないか!

 有罪判決をくらったような気持ちに打ちのめされながらも、私は懐中電灯を握りしめて力説した。

「ききき聞きたい訳ないでしょ! 聞きたくないけど、聞かないにしてもどうせ怖いんだもん! どっちにしろ怖いんなら、せめて正体がわかった方がまだましな気がするっていうか……闇鍋だって、正体がわからないまま口に入れるのと、明るい状態で口に入れるのとでは気持ちが違うでしょ!?」

 やけくそな理論を展開した私に、八神くんは真面目くさった顔で「なるほど」と頷いた。我ながら納得してもらえるとは全然思わなかったのだけれど。

「じゃあ言うけど」

 階段にかけていた足を下ろして八神くんが私に向き合った。すっと腕が持ち上がって、細くて長い指が私の右肩を指す。

「右肩に、いる」

 私はよろよろと階段の手すりにつかまった。使用されていない手すりにはこんもりと埃が積もっていたのだが、そんな事には構っていられなかった。

 どうしよう、やっぱり何かいるんだ。

 こういう場合どうすればいいんだっけ。神社? お寺? 陰陽師ってどこにいるの? それとも滝行とか?

「多分、知ってる人だと思うんだけど」

 脂汗を流しながら、ぐるぐるとまとまりのない事を考える私の右肩をじっと見ていた八神くんの一言に、私は顔をあげた。八神くんは口元に手を当てて、右肩のあたりを凝視している。

「えっと……八十代くらいの女の人。髪は白髪のショートカットで、鼻の右わきにほくろがある。豹柄……じゃなくて、豹の顔のついたすごい服着てる」

 私は息を呑んだ。その特徴に当てはまる人物を知っている。

「まさか、おばあちゃん!?」

 一か月前に亡くなった祖母の事だ。関西出身の祖母は独特のセンスの持ち主で、もはや豹柄を通り越して、豹の顔がどーんとついた異様な迫力のある服を愛用していた。

「ど、どうしよう。お祖母ちゃん、成仏出来てないの?」

 てっきりなにか怖いものが憑いていると思っていた私は、おろおろと慌てた。病気で亡くなった祖母の葬儀は滞りなく執り行われたし、それ以後毎週家族でお経をあげている。詳しい事はわからないけれど、何がいけないのだろう。

「辻さんの事、心配してるみたい」

「心配?」

「うん。辻さん、ずっと元気なかったもんね。お祖母さんの事、すごく悲しかったんでしょ」

 いたわるような声音に、じわりと視界が歪む。共働きの両親に代わって、小さい頃から私の面倒を見てくれたのはお祖母ちゃんだった。お祖母ちゃんが亡くなって、葬儀も終わって、普段の生活が戻って来ても、私は何かにつけお祖母ちゃんの事を思い出してその度にこっそり泣いた。私にとってお祖母ちゃんの存在は、生活そのものだったのだ。

「私のせいで成仏できないの?」

 泣きそうになりながら聞くと、八神くんは「どうかな」と言って首を傾げた。何とも頼りない返答だ。今頼れるのは八神くんしかいないというのに。

「でも、きっと安心させてあげた方が良いんだろうね。自分のせいで誰かが悲しんでるなんて辛いもの」

 暗がりの中でどこか寂しそうに響いたその言葉は、胸の中に沈み込んだ。何故か脈絡もなく、春先に見た八神くんの笑顔を思い出した。あれ以来まともに話もしていなかったけれど、八神くんは多分とても優しい人なんだろうと思う。もしかしたら私は、すごくもったいない事をしていたのかもしれない。

 つい逸れかけた思考を、頭を振って元に戻す。今はおばあちゃんの事を何とかしなければ。

「安心……えーと、えーと、どうしたらいいんだろう」

「辻さんが楽しそうにしてればいいんじゃないかな」

 目に浮かんだ涙をぐっと手の甲で拭って、私は大きく息を吸った。

「あ、あは、あははははー!」

 我ながらびっくりするくらい棒読みだった。八神くんが目を丸くする。

「どうしたの、辻さん」

「だ、だって、楽しそうにって言ったじゃない」

 恥ずかしくて顔に血が上る。明るい場所じゃなくて良かったと心の底から思った。

「それで無理矢理笑ってみたの?」

 ぷっと八神くんが噴き出して、あまつさえお腹を押さえて俯いた。肩が小刻みに震え、押し殺した笑い声が断続して聞こえてくる。おいおい、爆笑じゃないか。

 爆笑している八神くんを見ていると、死ぬほど恥ずかしかったのも、なんだかどうでもよくなってくる。この人もこんなに爆笑する事があるんだなあ……なんて益体もない事を考えた。うん、私馬鹿だ。すごく馬鹿っぽかった。

「えへへ」

 つられるみたいにして口元が綻んだ。八神くんが目をこすりながら顔をあげる。

「あ、消えた」

「へっ?」

 思わず右肩に視線をやる。けれどやっぱり私には何も分からなくて、八神くんに視線を戻した。

「もう大丈夫って思ってくれたんじゃないかな」

「成仏出来たのかな?」

 私の問い掛けに、八神くんは「どうだろう」と言ってまた首を傾げた。いまひとつ煮え切らない。そこは嘘でもいいから肯定して欲しかった……と思うのは私の我儘だろうか。

「そうだといいね」

 八神くんがのんびりと言って階段を上りはじめる。私は慌ててその後ろを追いかけながら、気にかかっていた事を思い出す。

「ねえ、私が元気ないなんてよく知ってたね」

 いつもの制服とは違う、見慣れないストライプのシャツの背中に声をかける。

「見てればわかるよ」

 つまり元気がないのがわかる程、私を見ていたという事ですか?

 なんて言うのはさすがに自意識過剰だろう。私は「ふうん」と言葉を濁した。

 きっと大した意味なんてあるはずもない。見える人にしてみたら、肩に強烈な個性を放つ老女の霊を乗っけた同級生なんて気になって仕方がないだろう。もし私が同じ状況ならガン見する自信がある。いや、そんな状況はまっぴらごめんなのだけれど。

「神崎さんも心配してたよ。だから、今日無理矢理連れて来られたでしょ」

「え、そうなの?」

「うん。ショック療法って言ってた」

 脳裏に浮かんだ親友の顔は、てへぺろをしていた。方法をもう少し考えて欲しかったものだが、彼女なりに心配をしていてくれたようだ。

 ショック療法を試す前にもっと他の方法があっただろうとは思うものの、それも彼女らしいと言えばそうなのかもしれない。振り回される事ばかりだけど、親友の有難味がじんわりと胸に染み渡った。

「それだけじゃないんだけどね」

 前を向いたまま、ぽつりと八神くんが言う。

「ん?」

 聞き返すと、三階に辿りついた八神くんが立ち止まって振り向いた。窓から差し込む月明かりを背に、ぼんやりと八神くんの姿が浮かぶ。

「辻さん、僕の事怖がってたから」

 私は気まずさに口を噤む。

「自分でもどうにもできない事を理由に避けられるのは、ちょっと寂しいかなって言ったら、神崎さんが張りきっちゃってこんな事に」

「そんな事なら、肝試しじゃなくても良かったのに」

「神崎さんが言ってたよ。怖い体験を共有すれば仲良くなれるんだって。釣り堀効果だっけ?」

「吊り橋効果ね……」

 釣り堀でする恐怖体験って一体何だ。巨大生物が潜んでいて水中に引きずり込まれでもするのだろうか。

 玲奈ちゃんのしてやったり顔がちらついて、げんなりする。大体吊り橋効果って、男女間の恋愛関係に発展するものじゃないか。どう考えても飛躍しすぎだろう。しかもこの場合、怖い思いをしているのは完全に私一人だ。共有のきの字もない。

「やっぱり怖い?」

 いつものんびりしている八神くんの声が、少しだけ緊張しているように聞こえた。私は首を振る。

「私ね、八神くんは怖いものばっかり見てるんだって思ってた。だから八神くんの視線の先には、私には見えない怖いものが存在するような気がして、それが怖かったんだ。けど、そうじゃないんだね。怖いものや、優しいもの、いろんなものが人より沢山見えるだけなんだ」

 思い込みだけで八神くんを避けていた私は馬鹿だなあと今さらのように思う。八神くんに申し訳なくなって、ごめんなさいと頭を下げた。頭上から、ほっとしたように息をつく音がする。

「よかった」

 顔をあげるとすぐに嬉しそうな八神くんの笑顔が目に飛び込んできて、なんだかどぎまぎする。

「で、でも、この状況はちょっと怖いかな」

 気恥かしくて強引に話題を変えた事で、そう言えば肝試し中だったのを思い出す。途端に校舎内のあちこちの凝ったような暗闇が不気味に見えて、肌が粟立った。こうなったらもう、八神くんがどうこうという訳でなくても怖い。しまった、思い出すんじゃなかったと後悔しても、もう遅かった。

「じゃあ、これでどうかな」

 その言葉と同時に、左手が温かいもので包まれる。考える暇を与えずに、八神くんが私の手を引いて歩き出した。

 突然の暴挙に私は絶句し、手を引かれるままついて行く事しかできなかった。ほっぺたが熱くて、心臓がうるさくて、うまく頭が働かない。恐怖心は跡形もなく消え去って、代わりにふわふわ浮足立つような感覚で満たされる。

 状況に対処しきれない頭の中で、やっぱり八神くんは心臓に悪いという事を、私は心の底から再確認していた。


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