楓の師匠はお狐さん
たまも庵のあった都の中央部から南に下り、楓について歩くこと数時間。
建ち並んでいた家々も徐々に数を減らし、やがて大きな川沿いの街道へ出た。
この辺りは緑も多く遮るものがほとんどないため、清々しい風が吹きつけている。遠望する景色には山が見え、手前には橋が小さく映っていた。
ここまでの道中。楓は今までのわしらの行動を振り返りながら、なぜ尾けていたのかを説明してくれた。
勇者一行が旅をしているという情報を耳にした師匠から、それらしい者たちがジパングを訪れたなら尾行しろと命を受けたこと。
そしてその動向を調査し、信頼に足る人物かを見極めることが主な理由だったそうだ。
そのため、師匠に黙って持ち出した傀儡粘土とやらで村人を偽装したり、河童を操ったり。また式札で小鬼を使役したりしてわしらを試したのだと語った。
「――そういうことだったのだな」
「んで、こうして付いて歩かされてるってことは、あたしらは信頼に足る人物だと判断されたってわけか」
「そういうこと。でも結果として手間かけさせるだけになっちゃったことは謝るよ、ごめん」
本当にそうだ。初めから話してくれていれば、ここまで時間はかからなかっただろうし。
まあ見ず知らずの人間を、最初から一〇〇パーセント信頼しろといっても難しいことは分かるが……。きっと忍という職故の警戒心というものも、輪をかけて働いたからなのかもしれんな。
わしはそれを慮り、軽口は叩かないで置いた。
「それで、いま私たちが向かう場所というのは楓の師匠の元なのよね?」
「そうだよー」
「お師匠さんはわたしたちに、何をお願いしたいの?」
ソフィアとクロエの問いかけに、楓は急に神妙な顔つきをして周囲を警戒するように目を泳がせた。
ややあって表情を元に戻すと、
「まだここじゃ止めた方がいいかな。往来があるし、どこに怪しい目と耳があるか分かんないからさ。それにアタシが話すより、やっぱお師匠から聞いてほしいし。その方が安全だしね」
そう言いながら楓は前方を指さした。
「あの渡月橋を渡った先の山の麓に、お師匠の家があるんだ。急ごう――」
そうしてわしらは桂川に架かる橋を渡った。
橋からの眺望は実に美しい。風光明媚と言うのだろうか。
ゆったりと流れる川のせせらぎと近景になった山の緑、そして点在する家々が景観として見事な一枚絵を成している。紅葉する秋なんかは、さらに目を瞠るだろうな。
時期にまた訪れることを楽しみにしながら、わしらは橋を渡り切った。
しばらく小さな町中を歩き、様々な店を物見しながら、やがて山の麓へ到着する。
一カ所だけなぜか大きな竹林になっている場所があり、楓は慣れた様子で入口の竹柵を外して中へ入った。しばらく爽やかなにおいの小路を歩き、そうして案内された家を見て、わしは言葉を失った。
屋敷とは聞いていたが、今まで見たどの家よりも立派だったのだ。
敷地は白壁に囲われ、入口には黒塗りの門が聳えている。門の屋根にはなぜか小さな狐の石像が。
迫力に圧倒されていると、「んじゃ入ろっか」と楓はスタスタと門へ行き、扉を開けると中へ促す。
足を踏み入れた先には、これまた見事な庭園がお目見えした。
敷き詰められた白砂。小さな池に灌木が彩を添え、苔生した岩がどこか哀愁を誘う。
楓に続きぞろぞろと飛び石の上を行くと、屋敷の玄関の手前までやってきた。
すると――
ドタドタと盛大に駆けてくる足音が家の中から聞こえてくる。と思ったのも束の間、少しもしない内に玄関の扉が蹴破らん勢いで開かれた!
「こりゃ楓! 私を放って一体いつまで尾行してたんじゃ! 帰るのが遅すぎるだろう馬鹿者!」
烈しく叱責しながら飛び出してきたのは、白皙の肌を包む単衣の青い着物を絶妙にはだけた、セクシーな出で立ちの娘だった。
金色の髪の毛に鮮やかな碧眼。柳眉麗しい目鼻立ちの整ったこれもまた美人だ。
寝不足なのだろうか。目の下に大きなクマが出来ているのが気になるが……。
しかし、肩口まで下ろされた着物から覗く立派な谷間は、その大きさを如実に物語っている。ライアには敵わんだろうが、この時点でもう合格だ! 加えて裾から見える脚! 太もも! 触りたい!
だが、少し思い踏み止まってみよう。
よく見ると、その頭には大きな獣耳。そして背中側でいくつもふよふよしているのは、どうやら尻尾のようだった。もふもふを数えてみると九本もある。
これはいったい……。
ただ唖然としていると、楓は軽く肩をすくめながら娘に歩み寄っていく。
「しょうがないじゃん、任務なんだからしっかりやんないとさ。いい加減だと怒るくせに」
「それはそれじゃろ。しかも勝手に傀儡粘土と式札持ち出してからに。お前は陰陽師の素質がないんじゃから使うなとあれだけ釘刺しておいたじゃろう」
「それだって手っ取り早く相手を見極めるために使ったんだし、別にいくない?」
「ならさっさと帰ってこんかッ! わしの安眠をどうしてくれるんじゃ!」
なぜか涙目で抗議する獣耳の女子。
楓は少々呆れたように嘆息した。
「あのさあ、アタシのこと抱いて寝ないと眠れないお師匠のそのクセ、いい加減直したら? 直るかと思ってわざと遅く帰ったのにさ、ぜんぜん薬にすらなってないじゃん」
楓を抱いて寝る……? そうしないと眠れない?
なるほど。寝不足だからクマが出来ていたのか、納得。
「……しょうがないじゃろ、昔からそうしてきたんじゃから……」
獣耳の娘は、先ほどまでの威勢が嘘のようにしゅんとしてしまった。耳も申し訳なさそうに垂れている。
なぜか分からないが、楓はそれを見て笑いを堪えるように肩を震わせていた。
うん? ……待てよ。いまお師匠と言ったのか。
「もしかして、楓が会わせたかったお師匠というのは、この娘御のことか?」
「そうだよー。まあ娘って歳でもないんだけどね」
「――また年齢のことをッ! ってなんじゃ、そやつらは?」
楓のお師匠とやらは、いまさらわしらに気づいたように目を丸くした。
とりあえず自己紹介しておくべきだと思ったわしは、進み前へ出て「わしは、」そう切り出したところを「――待て! 楓が連れてきたということはまさか……」とお師匠に激しく遮られてしまった。
「あ、」とも「う、」とも発せられずに、勢いを無くした口はそのまま閉じさせられる。
そんなわしに代わり、楓が紹介してくれた。
「そうそ、お師匠が連れてこいって言ってた勇者のオジサン」
「こやつが勇者……太巻きに似たとは聞いてはいたものの。どちらかといえばダルマじゃろ」
「だ、ダルマだと?!」
ジパングに来てから、もう二つ目のあだ名だ。
デブに始まり、ブロッコリー、モジャ毛、太巻きに今度はダルマときた。わし悲しい。
しかしここでめげては勇者の名折れ。マイサンも萎縮してるんじゃない!
自分を鼓舞し、わしは訊ねた。
「わしをダルマ呼ばわりする、そういうお前さんこそ何者だ? 耳や尻尾なんかつけおって。いい年した女子がコスプレなんぞして恥ずかしくはないのか」
「コスプレじゃと? お前にはこれが紛い物に見えるのか? 動いとるじゃろうが。正真正銘の本物じゃ」
言いながら指さすそれらは、確かに忙しなく動いている。
作り物でなく本物だとどうしても言い張る女子に、わしは怪訝な顔を返した。
すると、背後で盛大なため息が聞こえる。
「いい年したって部分なら、ブーメランもいいとこだろ」
「勇者様のウェイトレス姿は、とても見られたものじゃないですわ」
「正直、初めて見た時は鳥肌が立っちゃったよ」
目をやると、呆れと冷めた目と身震いといった三様の反応が見て取れた。
そんなにも酷いものだったろうか……。たしかに、最初姿見で自身を見た時はそれなりの反応をしたものだが。慣れてくるとそう悪くない気もしてくるのだ。
本人と他人では見た感覚が違うのかもしれんが。
それはそうと。
まずは目の前の女子だ。正体が判然としないのはどうにも落ち着かない。
「楓よ、お前さんのお師匠は一体何者なのだ?」
「まあ見て分かると思うけど、人間じゃないよ。お師匠は妖狐って狐の妖怪だからさ」
「なんだ、妖怪だったのか。ならそう言わんか」
「見て気づけ、勇者なのにバカなのか?」
うぐっ、と喉を詰まらせる。なんとも辛辣で小生意気なお師匠だ。
スタイルも顔も良いのに、なんだか残念な女子だった。重ねて美人だが――
「……まあ、ちゃんと自己紹介しなかった私にも非はあるが。とりあえず名乗っておくかの。九尾の妖狐、玉藻じゃ。遠路はるばるよう来た」
――などと思っていたら。丁寧に挨拶し、少し照れた様子で手なんか差し出してきた。
握手を求められればすることもやぶさかではないというか、ぜひともしたいというもの!
「わしは勇者ワルドだ、よろしくな」ダンディに笑いジワを刻みながら手を握り、開いた左手で玉藻の手の甲をなでなでしてやる。
すべすべで素晴らしく滑らかな肌触りだった。
「なにをしておるんじゃ、離さんか」
ぶんぶんと手を振られ、握手は強制終了させられた。しかし余韻はいつまでも手に残っている。なんだか久しぶりにほっこりした。
手の平を見つめながらニマニマしていると、「あっ、もしかして」と何か気づいたように脇から口を挟んだクロエ。
「たまも庵のたまもって、お師匠さんのこと?」
「む、そうじゃ。よく気づいたな娘。なにを隠そうこの私が、たまも庵の店主じゃからな。まあ店は楓に丸投げしておるが」
口元に手を当て、コロコロと上品に笑う玉藻が可愛らしい。
横から「笑い事じゃないよ」と楓に怒られている様子は、なんだか二人親子のように映った。
「そうだったのですね。それはそれとして。楓から聞いた話によると、何か私たちに頼みたいことがあるとか?」
ソフィアの言葉に、玉藻の耳がピクリと反応を示した。
尻尾はピンと張りつめ、なにやら緊張を漂わせている。
「そのことなのじゃが、中で話そう――」
玉藻の表情が急に凄みを増し、言い知れぬ危機感にわしは思わず息を呑んだ。
ただならぬ事態だと、皆一様に感じ取ったのだろう。
玉藻に続き屋敷へ入っていくその背中は、どこか緊張に強張っているようだった。




