獅子頭人身の魔物
城は三階あり、二階までは迷路のように入り組んだ道を進んだ。階層を上がるにつれ、奥へ進むにつれ少しずつ魔物も強くなってくる。砂漠で見たサソリの色違い、小さいが力は強い紫色の怪鳥、そして角持つ豚。いろいろ現れた。
しかしわしは自分に出来ることをやりながら経験値を稼ぎ、レベルもようやく8に到達した。
するとどうだろう。本当に勇者になったらしく、勇者専用の技を一つ覚えたのだ!
「ふふふん、これでわしもボスに真っ向から対峙できるというものだな!」
「あんまり調子に乗るなよ? 言ってもまだ攻撃も防御も心許ないだろ」
「無茶だけはしないでくださいね」
「それは分かっとるが。時には無理も無茶も押してやらねばならん時がある。と、絵本の脇役が言っていたな」
直後に死んだが、あれは渋いオヤジだった。わしもあんな風になれればいいが、勇者ということはわし主人公だし。そこに欲を出してはいかんな。
本当に分かってんのか、と呆れる皆を背に、わしは三階へと続く階段の前へ歩む。
今まで何度か強い魔物と戦ってきたが、雑魚の強さからしても、今までのやつらより強いことは明白だ。
自然、体が震える。
「いよいよ、この先にボスがいるのだな」
「なんだ、怖いのか? 今さっきまでの威勢はどうした、おっさん」
「これは武者震いだ……」
「声に元気がありませんわ。無理しなくてもいいんですよ、私たちが付いてますし」
『大船に乗ったつもりでいていいよ』
「心配すんな」
娘御たちの優しい言葉が胸に感じ入る。
こうして励まし合いながら旅を出来る幸せを噛みしめながら、わしは剣をきつく握りなおし、体の震えを無理やり止めた。
「わしも頑張る! だから皆の力を貸してくれ!」
「いまさら過ぎだぜ、おっさん」
「当然ですわ」
『イルヴァータの平和を取り戻すために、頑張ろ』
「よし、では行くぞ!」
わしらは勢い駆け出し階段を上る。
三階は完全にフラットで、計六本の支柱が並んでいるが奥までほぼすべてが見渡せた。ところどころ開けられた窓から差し込む光が、砂壁を照らしては黄金に輝かせている。
一番奥、赤絨毯の上に一体の魔物が立っていた。
直立するその体長はおよそ二メートル。筋骨隆々とした肉体に、鋭い爪を持つ太い四肢。その頭は立派なたてがみに覆われた獅子の顔をしていた。腰布に黒い瓢箪をぶら下げている。
離れているのにビリビリとした圧力を感じた。これが俗に言うプレッシャーというやつか。
「グルルルルゥ、よく来たな人間ども」
「こやつも喋るのか」
ボスクラスの魔物は総じて知能が高いようだ。
「魔王様から聞いてるぞ。その形で勇者らしいな。脂身ばかりで不味そうなただの肉塊にしか見えないが、仕方ない。魔王様の命令だからな、お前は食い殺す」
「勇者に対し肉塊とは失礼千万! ところで、“は”とはどういう意味だ?」
「そのままだ。そこの美味そうな女どもは侍らす。別の意味で食ってやる」
ゲラゲラと、獅子頭は品のない笑い声をあげる。
真、不愉快極まりない。
「そんなことをわしが許すと思うのか? 頭の悪い獣人の分際で、身の程を弁えんか。それにこの娘御たちはわしのハーレムに入ることが決まっている故、諦めるのだな」
「どの道お前が死ねばそんなことは関係なくなる。ここでくたばれ、デブ勇者。――グォオオオオオ!」
咆哮を上げた獅子頭。気が膨れ上がり全身から闘気が満ち溢れているのが目に見えた。紫のオーラが噴き上がり、魔物の体を取り巻いていく。
刺さるようなプレッシャーを前に怯む。
「ったく、誰がハーレムに先約してるって?」
「まったくですわ。そうしたいのでしたらもう少しくらい格好いいところを見せてくれないと」
呆れた口調で前に出る二人。
わしは少し気圧されて仰け反るほどなのに、二人はさして気にも留めていないようだった。
「なぜお前さんたちは平気なのだ?」
「なんでだろうなー。まあ、頼もしい仲間が増えてるからかな」
わずかに目配せするライア。ソフィアもそちらを向く。
釣られて目を向けると、土色の幾何学の円陣を広げて魔法の詠唱に入っていたクロエが、剣呑な目つきで獅子頭を睨みつけていた。
これは怒っている。しかも、結界を破った時と似たような魔力の増幅加減だ。
大魔法を繰り出す気だな……。
「勇者様、私たちがなんとしても時間を稼がなくてはいけません。付いてこれますか?」
「頑張ると決めたからな!」
「よし、なら行くぜ、おっさん!」
ライアに発破をかけられ、わしも駆け出す。
獅子頭はふしゅーと大きく息を吐くと、丸太のように太い腕を引き、グワッと右手を開いて構えた。研ぎ磨かれたナイフみたいな爪が光る。
床を蹴るとあっという間に距離を詰めてきて、わし目がけて猛進してきた!
ソフィアは素早く散開。
その背から視線を正面に戻したほんの一瞬で、魔物は数メートル先まで迫っていた。
「おっと、させねえぜ!」
咄嗟にライアが割って入ってくれ、その凶爪を刀で受け止めた。
ガキィンと硬質な音を響かせ鍔競り合うライアと獅子頭。
にやり、と不敵な笑みを浮かべた魔物と同時、フッと小さく息をもらしたライア。
足をわずかに動かした獅子頭の機先を制し、先に仕掛けたのはライアだった。
雷切が瞬時に纏った雷はバリバリと音を響かせながら太さを増していく。爪を押し戻し跳ね上げ、そのまま袈裟に下ろした刀は直接的に斬り付ける目的ではない。狙いは雷。
咄嗟にバックステップで避けようとした獅子頭の胸元に伸びていく雷光の刃。まるで逃げる者を追いかけるが如く、じゅっと毛を焼きながらその体を斬り付けた。
「ぐおっ!」
「まだまだ!」
追撃に出たのはソフィアだ。
床を蹴って跳躍し、「はあっ!」と引き絞った拳を魔物の背中に思いっきり叩き付けた。
衝撃波が突き抜け、わしの髪を揺らす。
「おっさん、いまだ! 新しく覚えた技をぶちかませ!」
「お、おぉ任された!」
ミシミシと骨を軋ませ、「グハッ!」と口から血をこぼしながら仰け反る獅子頭。
わしは絶好の機会だと炎剣を逆手に持ち脇に構えると、思いっきり振り抜いた!
「くらえ、ワルドストラッシュ!」
すると光り輝く剣閃が、空を切る甲高い音を響かせながらものすごい速さで飛んでいく。
名前は昔読んだ絵本からちょいと拝借したものだ。なんとなく似ていたのでな。
瞬く間に獅子頭の胴部に直撃すると、強かな怪音とともに掻き消えた。
「あれ、それほどのダメージはなさそうだが……」
「雑魚勇者が、お前の攻撃など痛くもかゆくもないわ、グフッ」
前二人の攻撃は痛かったのだろう。
焼け焦げた胸と背を撫で擦り、苦悶の表情で無理やり口元に笑みを浮かべる姿が痛々しくもある。
しかし、魔物。
わしのハーレムを護るためにも、それを脅かすこやつはここで倒さねばならん。
それにと――、ふと思い出す。
「そういえば貴様がクロエの声を奪ったのか?」
「クロエだ? ああ、あの魔法使いか。そうだ、話す能力を奪わせてもらったからな。おかげで話せるようになったんだぜ」
なんだ。賢いから話せるわけではなかったのか。
まあどうでもいいが。
「どのようにして奪ったのだ?」
「そんなもんこの瓢箪で封じたに決まってんだろう、馬鹿か?」
そう言いながら掲げたのは、腰布にぶら下げられた黒い瓢箪。
怪しくそして鈍く光っている。
なるほど、とわしは口の中で呟いた。
「バカは貴様だろう。タネが分かりさえすればどうとでもなる。そいつを奪い壊してクロエに声を取り戻す!」
「やる気出してるんじゃねえ不味そうなカスデブが。オレがみすみす奪われるような下手こくわけがねえだろう。鈍くせえお前にだけは奪わせねえ」
女子なら良いということか? そういうわけじゃないか。
しかし奪えなくとも壊せばいいということだな。破壊を否定しなかった。
誘導尋問みたいだが、わし、ちょっと賢くなったかもしれん。
ふふんと得意げに鼻で笑っていると、
「――おっさん! クロエを守れ!」
突然ライアの烈しい声音が耳朶を叩いた。
魔物に目を向けると、グバッと大きな口を開けていた。吐息がメラメラと赤い。まるで炎のような――
そう認識したわしは咄嗟に駆けていた。
射線を塞ぐ、ただその一心で。
鈍くさいと言われても仕方がない足の遅さだが、懸命に走る。横目にした獅子頭の口の中はすでに真っ赤だ。
マズい! 心の中で唾棄した瞬間――それは放たれた。
焔の尾ひれを引きながら迫る火球。
このままでは間に合わない。そう判断したわしは射線上に飛び込んだ!
腹側を向けていたため腹部に直撃。丸い腹を平らに慣らされるような衝撃に、鎧の中で腹肉が激しく波打つ。
「ぬぅうううううん!」
耐える。耐え抜く! 詠唱中で無防備なクロエを守るのだ!
いまのわしに出来ることを精一杯やり遂げる!
宙ぶらりんのまま押し戻される最中、わしは炎剣で火球を刺し貫いた。感触としては固い、だ。スライム程度の弾力はありそうな不思議な感覚だった。
こいつは切れそうにない。
そう判断したわしは、ラヴァブレードの火炎を玉の内部に送り込んでやった。
内部から膨張させて破裂させてやろうという考えだったが、
「熱い! 熱いっ!」
同時に増してくる熱量に『失敗したか?』と不安が頭を過ぎる。
しかし、まるで嫌がるようにうにょうにょと蠢き出す火球を見て、わしは一人ほくそ笑んだ。
そして少しもしない内に、火球は瞬間的に膨張し爆発した。
「のわぁああ!」
爆風に大きく吹き飛ばされ、支柱に背を強かにぶつける。
激しく咳き込んだが、フレイムメイルのおかげで火炎のダメージは軽微。なんとか事なきを得た。
「よくやった、おっさん!」
「感心しますわ」
「うむ、YDKだからな!」
返事しながらも獅子頭に視線を戻すと、身動きもせずに固まっていた。
いつぞやライアから聞かされた、『大技後の硬直』というやつだろう。
とすれば、今の火球がこやつの大技だということ。そして今はその硬直状態。ということは――
クロエに目を向ける。と、
膨大な魔力の増長を感じさせる黄色のオーラが全身を包み、準備は整ったという表情をしてわしらに目配せをしてきた。
「おっさん、クロエの後ろまで後退だ」
「分かった!」
ライア、ソフィアとともにクロエの後ろまで急ぎ下がる。
すれ違いざまに窺ったクロエの眼差しは峻烈だった、まるで白刃のような鋭さと冷たさで魔物を睨んでいる。
見た目にクールだが、より磨きがかかった美しさを湛えていた。
わしらが退避した直後、クロエが目標を示すように左手を魔物へ向けた瞬間――それは発動された。
ゴゴゴゴゴと地鳴りが城を大きく揺らすと、獅子頭の足元付近から無数の石柱が突出する。それはえげつない尖り方と太さで、なんの抵抗もなく魔物を刺し貫いた。体から血がこぼれ、石柱を伝っては床を赤く濡らす。
それで終いかと思っていたら、今度は赤い魔法陣が広がった。瞬間的に発生したのは、わしが十五人くらいは入れそうなほど大きな火の玉だ。
まるで止めだと言わんばかりに放たれた火球は、床を焼き払いながら獅子頭に向かって飛ぶ。
石柱に縫い止められ身動きの出来ない魔物は、絶望をその瞳に宿す。
そして――
直撃した瞬間、火球は複数回炸裂し大爆発を起こした。
爆風と熱風が部屋に吹き荒れ、圧に耐えられなくなった城の壁は盛大に吹き飛んだ。
もちろんわしもふっ飛ばされ、風が収まるまで支柱に抱きつく形でなんとかやり過ごす。
しばらくし収拾がつくと、わしは支柱から離れて状況を確認した。
支柱だけを残し外界と一体となった城の三階部分。砂漠の風に白煙が流されていく。
注意深く観察し、存在を探るが。
「獅子頭は……、生きているわけがないか」
「さすがにあの爆発じゃな」
「それ以前に、土属性魔法で瀕死でしたし」
「負けた時を思い出してついカッとなってやっちゃった。散らかしちゃってごめんね」
「まあお前さんが謝ることではな――――ん?」
ライア、ソフィアに続いて聞こえた女子の声。
二人の他にいる女子と言えば、クロエしかいない。
「クロエよ、声が戻ったのか!?」
「うん、おかげさまでね」
そういって微笑むクロエに歩み寄るわしら。
「よかったじゃねえか」
「一件落着といったところね」
ライアとソフィアも声が戻ったことを共に喜ぶ。
少し照れくさそうにはにかむクロエの頬がほんのりと赤い。
「それにしてもお前さん、しれっと会話に混ざってきたな。おかげで一瞬気づかなかったぞ」
「自動筆記してる時と似たような感覚だったから、なんとなく」
わしとしてはもっとこう、『あ! 声が戻ったよありがとう勇者様っ! だきっ』みたいにだな、抱きついてきたクロエを文字通りお姫様抱っこなんかしてそのままスタコラと宿屋へIN! なんて展開を期待していたのに。
声が戻ったというのに、当の本人がここまで感動なしだと、無理やりわしがその展開に持って行くことも憚られるというかなんというか……。
いや、声を取り戻せたことは大いに喜ぶべきなのだが。もう少し感動してくれたら、ひとしお感も増しただろうに。
「でも、やっぱり話せるのっていいね。以前もそれほど不便は感じてなかったんだけど」
「……そうだな、そうだ。わしもお前さんの声を聞けて嬉しいぞ」
「前よりもいろいろやり易くはなるな」
「意思疎通もダイレクトになりますし」
クロエは一つ咳ばらいをすると、わしらにしっかりと向き直る。
そして、
「改めて自己紹介するね。ロクサリウム第一王女、クロエ。これからよろしく」
挨拶し、見惚れるような美しい所作で礼をするクロエ。顔を上げると、セミロングの銀糸の髪がさらさらと肩口に流れ落ちる。
ため息しか零れん!
しかし同時に湧き立つリビドー。いつか夢見るハーレムが楽しみだな!
胸を高鳴らせ、そうしてわしらは砂城を後にした。
次の目的地はエルフの里だ。可愛い女子に、会えるといいなぁ。