ついに勇者になる
グリフォンの尾毛を使い、アルノームからディーナ神殿に舞い戻ったわしら。
勇者の証を得たわけだがしかし、わしの心は曇り空だった。
「おっさん、これから勇者になるってのに、そんなむすっとしてんなよ」
「そうですわ。気の毒だとは思いますけど、気を取り直していきましょう」
「そうは言うがな……」
ライアとソフィアが激励してくれるが、それでも「そうだな」と納得出来るわけがないのだ。
ルミナス嬢のことだけではなく、事は城へも及んでいる。
わしはつい先刻のことを思い返した。
アルノームに戻ったのだ。王城に挨拶でもしに行くかという流れになるのは自然だろう。わしの生まれた処である故な。
しかし、城から追い出されたあの日のように門衛に止められ、アルノーム城へかかる跳ね橋すら渡れなかったのだ。
『誰だお前は? ここはアルノーム城、お前のような輩が来る場所ではない』
『わしはアルノーム王だが? この頭に戴く王冠が見えんのか?』
『ん~? そんなレプリカで騙されるわけがないだろう。立ち去られよ』
「――なんて、あんなこと言われて納得できるわけがなかろう」
わしの生まれた城だぞ。数カ月前まであそこで暮らしていたのに。それなのに……。
一時はホームシックに陥りそうなくらい感傷的になっていたが、いまや沸々と湧いてくるのは怒りに近い感情だけ。
本当にわし、帰る場所がなくなってしまったみたいだ。
旅を始めた頃、「――旅ってのは拠点を変えることと同義だからな」とライアから教わった。家はその都度転々とするものだ。それは分かっているが。
その『家』と『実家』は、やはり根本が違うものだろう。実家がなくなるということが、これほど虚無感を生むとは思いもしなかった。
それにしても腹立たしい。
「まあ、私も帰る家はないですけどね」
「ん? お前さんはホルンの町にあるのではないのか?」
「あそこはお世話になった町ですし。孤児院に預けられるまで、私はどこに住んでいたのか覚えてないんです。ジャルノスは養父ですけど、戻る気なんてありませんし」
そうだった。ソフィアは生まれ育ちが特殊だったな。
わしよりも大変な生き方をしてきたというのに……。
「ソフィアは強いな」
「……そうでも、ないです」
呟くと、ソフィアはわしの視線から逃れるように明後日の方を向いた。
一瞬見えた横顔は、どこか物悲しさを滲ませていた。これ以上訊ねるのは野暮というものだろう。
「ライアはどうなのだ?」
「そいつは詮索か?」
ほんの軽い気持ちで聞いてみると、いつになく厳しい眼差しが返ってきて、思わず息を呑む。
聞かれたくないことなのだろうか?
「いや、ただ気になっただけだ。言いたくないなら別にいい。お前さんの気持ちも、あるだろうしな」
「ああ、悪かった。別に大した話じゃないんだ。けど、その時が来たら言うよ」
睨み付けたことを詫びると、代わりに手にする刀を見つめた。その峻烈な眼差しは、殺意にも似た決意を感じさせる鋭いものだった。
過去に何かがあった、それはわしから見ても明らかだ。だが聞けない。それに、本人が時が来たらと断っているのだ。話しても良いと思える日まで待っていよう。
ふと気になりクロエに目をやると、なんだか一人居心地が悪そうにそわそわしていた。
自分には帰る家があるからとか、そんなところだろうか?
そうだとしてもそうでなくても、配慮に欠けた振る舞いだったな。わしらはパーティーなのだ。わし一人で旅しているわけではない。ネガティブな思考は皆にも伝わるし、雰囲気も暗く重くなる。
それにライアが言っていた。「鬱陶しいくらい元気でスケベ」なのがわしなのだ!
こんな重苦しい雰囲気はわしらには似合わんな。
空気を入れ替えるため、わしは大きく息を吸い、そして吐き出した。
もう一度吸った空気から取り込んだのは、元気とスケベだ!
「さて、ではわしは勇者の証を持ってさっそくクラスチェンジしてくるぞ! ついでに大神官をわしのハーレムに勧誘してくるから、しばし待たれよ」
スチャッと手を上げ、わしは神殿に向かって急ぎ駆け出した。
「あ、おい! 失礼なことはよせよおっさんッ」
「そうですわ、雷落とされても知りませんよ!」
後ろでなにか喚いているが気にしない。
まあ、大神官も女子なのだ。わしの男らしさに中てられれば、コロッと落っこちるかもしれんしな。なにせわし、勇者になるのだから。
神殿の黒い扉を押し開けて、わしは小走りに階段を駆け上がる。鎧の下の腹肉が踊り狂う。
息を切らしながらも上りきると、またしても珍しいデブを見るようなきょとん顔で、大神官が見上げてきた。
目をパチクリと瞬き、そして、
「……あ、ここはディーナ神殿。生きとし生けるものが新たな人生を歩むための出発点。旅人よ、クラスチェンジをご希望ですか? ――って、今回は待ってくれましたね」
「にやにや。待ったついでにどうだ? お前さんも将来作るわしのハーレムに入らんか?」
「どうやら勇者の証を剝奪されに来たようですね」
「すまん、ほんの些細な冗談だ冗談に決まっとるだろうッ?!」
謝りつつも力強く否定すると、大神官は仕方なさそうに息をついた。
「女神様が仰った通りですね。『ちょっとエッチな勇者でしょうけどなんとかお願いしますね』だなんて」
「ん? お前さん、女神と会話ができるのか?」
「会話というほどではありませんよ。声は聞こえますけど。いわゆる天啓、神の啓示というやつです。というか、あなたも勇者候補であるなら聞いたことくらいあるのでは?」
「まさかあの頭の中に響く、わしにしか聞こえん声というのは……」
「女神様です」
ほほーう。ということはわし、ずいぶん前から勇者候補ではあったのだな。
厳密に言えば、ルミナスの酒場で荒くれ共とエンカウントした時が最初か。
やはり、勇者になる男は女神の視線も独占してしまうのだな。
にしたって、たまに酷いことを言われるのはどうしたものかと思うが。まあ、今はそれは置いておこう。
「ほれ、わしちゃんと勇者の証を持ってきたぞ」
道具袋を漁り、パン屋のポストに表札として埋め込まれていた証を取り出し、大神官に提示する。
青地に白銀で、竜か鳥か分からないものが模られた紋章だ。
ライアがピカピカに磨いてくれたため、窓から差し込む陽光を反射してキラリと輝いた。
「たしかに、紛うことなき勇者の証のようですね。盗んできたことには目を瞑りましょう。女神様も期待していらっしゃるようですし」
「やっぱりバレとるのか。ところで、勇者になるとなにが出来るのだ?」
「いろいろありますよ」
言いながら、大神官は椅子の横に置かれている、チェストの上に広げられた帳面を手にした。ぺらぺらと捲り、その頁を開くと「ありました」と口にする。
「まず一つ。勇者は固有の技、魔法を扱うことが出来る」
「ほう、他には?」
「二つ。勇者は特別な加護を得ているため、たとえ死んでしまっても蘇生してもらえる」
「まだありそうだな」
「三つ。勇者は民家や城などの建築物に入り、ヘソクリまたは宝箱の中身を持ち出しても捕縛されることはない」
「それでそれで?」
「以上です」
「もう一声ッ!」
「はい?」
頭上に疑問符を浮かべる大神官へ「もう一声!」と言葉を重ねた。
まだ出来ることがあるだろう!? わしは血走っていると自覚するほど目に力を込めて女子に迫る。
「もう一声と言われましても、もう記述はありませんし」
「書き足すのだ! 女子からモテモテになるとか! 股を濡らした女子が我慢できずに迫ってくるとか! ハーレムに入りたがるとか、いろいろあるだろう?」
「お、落ち着いてください、証を剥奪しますよ?」
「すまん。冗談ではないがすまん謝ろう」
しかし、勇者としてなら有り難いが、どれもこれもわし自身にとっては取るに足らない特権ばかりではないか。
もっとこう目くるめく展開が待っていたりだな、女子と乳繰り合ったり、そういったものを期待していたのに……。つまらん。
わしは唇を尖らせてすねてみせる。最後の悪あがきだ。
「それで、勇者へクラスチェンジすることを希望しますか?」
大神官は華麗にスルーしてくれた。ちょっと可愛らしいところを見せてやったのに、どうやら効果はないらしい。
「まあ、魔王を倒さねばならんのは事実だし、そのために旅をしているのだしな」
そうなのだ、それを忘れてはいけない。
平和になってからやりたいことは山ほどある。そのためにも平和を実現せねばなるまい。結果は後からついてくるものだしな。
「勇者になろう」
「少し不安ではありますがいいでしょう、認めましょう。あなたの門出を祝福するとともに、この先の人生に幸多くあらんことを」
体が淡い光に包まれた瞬間――
『似非勇者は今度こそ、正真正銘の勇者へ成った』
妙な音楽が脳内に響き、女神らしき女子の声がわしが勇者になったことを告げた。
王様という言葉がいつぞやから消えているのは気になったが、まあ勇者だからいいとしようか。
輝きが収まるのを待ち、自分の体をあちこち確認してみる。
別段普段と変わらないように思えた。なにかしら変わっているのかもしれんが、それはまだ分からない。
「――おっ、どうやら勇者になれたようだな」
聞こえた声に振り返る。
ライアとソフィア、そしてクロエがこちらに向かって歩いてきていた。
「大神官様に変な真似はしていないでしょうね?」
「見た感じ平気そうだけど、あまりのショックに呆然としてるだけかもしれないしな」
「お前さんたち、わしを何だと思っておるのだ」
しようとしたと捉えられてもおかしくないことはしたが、まだまだ未遂だ。迫っただけだしな。
「というかわし、どこか変わったところはあるか?」
「いつも通りのスケベなおっさんだと思うけどな」
「ええ、いつも通りの変態勇者様ですね」
『いつものエッチな勇者さんだね』
まったく、揃いも揃ってわしをスケベだの変態だのエッチだのと……。
しかし口ぶりからすると、わしどこも変わっていないようだな。
本当に勇者になれたのか不安になってくる。
「おっさんが勇者になったなら、ここには当分用はない。早いとこ砂漠の魔物を倒しに行こうぜ」
「こうしている間にも、女王の力が衰え森が縮小していますから。出来るだけ急がないと」
「そうだな。クロエの声も取り戻さねばならんし。フォアマストも頼まれているしな――」
そうして。
わしらはディーナ神殿二階の道具屋でアイテムを買い足し、準備も万全にしたところで神殿を出た。
目指すはイルヴァータ中央部。
あの砂嵐の向こうに立つ城のような建物だ。
勇者になってから初の大仕事。気合十分、やる気十分。活躍し男らしいところをアピールして、好感度をさらに上げねばな!