リコルタ港
シーサーペントを倒し、およそ一日。ようやくイルヴァータの港町リコルタが見えてきた。皓々とネオンの明かりが灯る大きな町だ。港には大なり小なり、様々な船が停泊している。
昼夜を問わず、定期便かと思うほど魔物の襲来を受けてきたわしらは、その都度ザコ処理に勤しんだ。半魚人のマーマンや大きなイカ、海藻に塗れたカニなんかが船に取り付くため、油断の出来ない航海だった。
もちろんわしもたくさん倒した。炎剣のおかげで燃すのが楽しくなるくらい、さくさく魔物が狩れるのはありがたい。……剣の固有技で爆発させたらさせたで、ヴァネッサに何度か怒られたが。
そんなこんなで気の休まる暇がなかったため、町へ着いたらさっそく宿を取ることになりそうだ。
……わしはまだ寝んけどな!
そうして船は入港する。
わしらが下船したあともクルーたちは居残り、錨を下ろし帆を畳んだり、舫い杭に綱を結んだりと作業を続けていた。こういった者たちのおかげで航海が出来るのだと改めて感じ入り、わしは船員たちに礼を言ってから町へ入る。
潮風に背を押され、低い木が等間隔に植わる並木通りを歩く。レンガ造りの建物を眺めながら、わしは感じた違和感を口にした。
「ここはずいぶんと賑わっておるな、緑も多いしネオンも煌びやかだ。話に聞いた荒野と砂漠だらけとは無縁のように思うのだが」
「水場が近いからな、まだこの辺りは緑が育ちやすいんじゃないか? それと船ってのは基本水夫が多い。ネオンが多いのは言わなくても分かるだろ」
「クロエの話が本当なら、以前森のあった中央部なんかはもうすでに荒れ地となっているのかもしれませんね」
ソフィアの言葉に、クロエはその通りだと首肯する。
ということは、ライアが口にした緑が育ちやすいというのも、このリコルタ限定なのかもしれんな。いまのこの大地にとって、水が大変貴重なものであることは聞くまでもないだろう。
「ところでいまの口ぶりからすると、ソフィアは以前ここに来たことがあるようだが?」
「はい。盗賊からバトラーになるためと、それからいまのクレリックになるためにディーナ神殿でクラスチェンジをしたので」
「以前にも転職云々の話を聞いたが、そうか。イルヴァータにあったのだな」
勇者が真の勇者にクラスチェンジか。なんとも勇壮な響きだ。きっと声をかけた女子を一発で惚れさせる能力とかが、開花してしまったりするんだろうな!
ふふん、これ以上モテてしまったら罪深い男になってしまう。しかし、夢のハーレムの為にはそれもやぶさかではない。というかそうならねばな!
「クラスチェンジか。ここまで長かったが、ようやくあたしも上位職になれる」
「なんだ、ライアも転職するのか?」
「そりゃ当然。なんせ相手はそこらの魔物じゃなくて魔王だからな。ただでさえ魔物も強くなってくるんだ。経験をある程度積んだら、上位職に成るのは当然のことだろ」
「奇遇ね。私もクラスチェンジしようと思っていたわ」
ソフィアもか。
しかしクレリックでなくなってしまえば、もしわしが死んだ時の蘇生は誰がしてくれるのだろうか?
そんな不安が表情に出ていたか。
ソフィアは気づくと、安心させるような微笑を浮かべて言った。
「大丈夫ですよ、勇者様。一度覚えた技や魔法は、転職しようともずっと使えるので」
「そうなのか、それは安心だ」
ほっと一息ついたところで、わしらは宿屋へチェックイン!
五階建ての宿の部屋を、皆それぞれがひと部屋ずつ借りた。誰か一人でもわしと同室がいいと言うかと思ったが、そんなことはなかった。
分かっていたことだからさほどショックというわけでもない。
わしは荷物を部屋へ放り投げ、身内にバレる前にさっさと宿を出る。そうして夜の町に繰り出した。
向かった先はもちろん、風俗のある町の隅だ。
ピンクのネオンが淡く漏れていたのを船上から見つけていたから、この町にあることは間違いない。
訳知り顔の水夫や町人なんかとすれ違い、曲がりくねる小路を幾度も折れながら突き進む。
すると路地の出口が淡いネオンに縁取られているのが見えた。ふと足が止まる。
グランフィードではこんな時に頭を殴られたのだったな。さすがに二度はないと信じたいが、世の中なにが起こるか分からん。
しかし、踏み出さなければ得られるものも得られない。ならば!
わしは一気に駆け出し、出口を抜けた。風俗店が軒を連ねる一角はピンクのネオンが色鮮やかに支配していた。
「――わはは! どうだ、わしたどり着いてやったぞ!」
不幸は二度は続かなかったことに、一人勝ち誇って大笑していたら、
「なんの用かと思ったら、こんなことだったのか。付いてきて損した気分だ」
背後からもはや聞き慣れた声。
振り返ると、谷間が覗く白いブラウスに黒いパンツスタイルの女海賊が立っていた。帽子やコートは宿に置いてきたようだ。
「なぜここにおるっ?!」
「いやあ、オヤジがそそくさと出かけるのをたまたま見かけたもんだから、面白そうだし尾けてきたんだよ。しかしまさか風俗だったとは」
ヴァネッサは呆れたように肩をすくめて、小さく息を吐いた。しかしそれは決して軽蔑を含んだものではなく、どこか仕方なさそうに見えた。
「まあ枯れてそうとは言え、オヤジも男ってことだ」
「なにを言う、わしは枯れてなどおらんぞ! まだまだ現役だ!」
「そうか、それは健康的でなによりだね」
それだけ言い置くと踵を返し、「じゃあうちは宿に戻る。体力使いすぎない程度に遊びな」とヴァネッサは路地の暗がりに消えていった。
なんだ、てっきり一緒にどこか入るかと言われるのかと思ったのに。
まあそれはまたいずれ、ということにして。
いまは!
「ふふふ、風俗よ! わしはまた帰ってきたぞ!」
声高らかに宣言し、とりあえずどういった店があるのかを確認する。
やはりここにもお馴染みのむにむに屋。そして耳かき、膝枕。洗体屋があった。なんと安いことに、洗体でも20000Gという破格! これは即決だろう。
期待感から心拍数が一気に急上昇。いざ! そう思いながら記念すべき一歩を踏み出して、気づいた。
「――これはどういうことだ……」
ネオンが点いているのに『CLOSED』。なして?
地下へ続く階段があるだろう扉には、チェーンの鍵が重々しく施錠されている。これでは入れん。
値段を見る限り、いまの所持金なら洗体も行ける! そう思ったのに、どこも
閉まっていた。
船旅中は休む間もほぼなかったために、期待していた事には到底及ばなかった。
故に、もしかしたら洗われている最中につるんと滑ってINしたりするかも! と洗体へ興奮に身を震わせていたのに……
「これでは童が捨てれんではないか!」
わしは濃紺色の夜空に向かって声を上げた。
すると――
「あんた童貞なのかい?」
路地からひょっこり出てきた、割と小奇麗な風貌の細身の男から声をかけられた。年齢はいくつか知れないが、顔立ちから二十代と思われる。
「いきなり出てきて、なんだお前は?」
「まあまあ、細かいことは気にしなさんな!」
男はへらへらと笑いながらこちらに近づいてくる。
なんだか小馬鹿にされている気がして、見てると腹が立ってくる表情だ。
「ところであんた、その年にもなって童貞なのかい?」
「それがどうした、純真無垢なわしの高尚な心を馬鹿にするでない」
そう吐き捨てると、男はとんでもないと大仰に手を振って否定する。
「いや、それがね。こんな噂を聞いたことがあってさ」
「噂だと?」
馬鹿にしているわけではないと知り、多少気を許したところで尋ねる。
男は「そうさ」と言って口元に手をあてがい、わしの耳元にそばだてながら言った。
「なんでも、三十歳まで童貞だと賢者になれるとかなんとかって噂でさ」
「なんだと!? わし四十三なのに賢者になれてないぞ! ――あれ、でもわしは勇者だから別にいいのか……?」
「なんだって!? 童貞のまま四十歳を超えると勇者になれるのかい! こいつはいいことを聞いた。ありがとう童貞勇者様、みんなにいい土産ができそうだ!」
わしの肩をバシバシ叩くと、明るい顔をして男は去っていった。
童貞童貞と大声で言うんじゃない、恥ずかしいだろう。
それにみんなとはどういうことだ。まさか童貞仲間でもいるのだろうか?
そのようなコミュニティ、惨めになるだけだと思うのだがな。
でも、
「――しかし、そうか……」
その噂通りだとするならば。
もしかして、わし四十を超えても童だから勇者になれたのかもしれん。ふとそんなことを思った。
結局、風俗店は全店営業していないということで、留まっていても仕方がないと諦めて宿へ戻った。
カジノでもあれば楽しめたのだろうが、残念なことにこの町には備わっていないようだ。




