ロクサリウムの王女
一夜明け、じゃっかんの頭痛を抱えながらもベッドから体を起こす。
時刻は朝の九時。少し寝坊をしてしまった焦りから、手早く身支度を整える。
宿の部屋を出ると、一階のロビーにはすでにライアとソフィアの姿があった。
「ずいぶん遅かったな、あの女にそんなに飲まされたのか?」
「おはようございます、勇者様。寝癖がついてますよ」
二者二様の挨拶はいつも通りだ。
しかしそこにもう一人いるはずであろう女子の姿が見当たらず、一人きょろきょろと辺りを見渡す。
備え付けられたテーブルの席にも着いていない。受付にも姿が見えない。ヴァネッサという女海賊はどこへ行ったのだろうか?
「ヴァネッサを探してんなら、もう宿にはいないぜ」
「まさか、わしらを置いて海に出たのか?」
「あいつはそんなことする女じゃない。一度口にした約束を反故にしたことはないから、心配すんなよな。あれでけっこう義理堅いところがあるんだ」
なんだか昔馴染みの戦友のような聞こえ方だ。以前二人になにかあったのだろうか。
びちょびちょのライアを海から引き揚げたヴァネッサ。もしかしたら女子同士の絡みなんかがあったりなかったり!? そこにわしも混ざりたい! なんて妄想が止まらなくなりそうなシチュエーション。
ぜひ二人のオパーイに挟まれたいものだな!
「そのヴァネッサさんからの伝言ですわ。『うちは先に船の準備をしておくから、オヤジは写真の女を見つけて連れてこい』だそうです」
「はっ! そうだった! あの娘御を探すんだったな」
「忘れてたのかよ?」
「いや、昨日たらふく酒を飲まされてうっかり忘却しそうだったが、いま思い出したぞ!」
「それを忘れていたと言うんですわ」
盛大なため息をつき呆れ返る二人。
しかし特大ジョッキ十五杯も飲まされれば酔いつぶれてしまうだろう。それとも、強いと思っていたが実は弱いのか?
考えてみれば、アルノームにいた頃は大ジョッキ八杯くらいだったし。比べると圧倒的に量が違う。……もしかしたら、わし普通なのかもしれんな。十人並みというやつだ。
なんだ。酒にくらい強くたって良いだろうに……。わしほぼほぼ取り柄がないな。
考えれば泥沼にはまりそうだ。わしは王女の姿を脳裏に浮かべ、ネガティブ思考を無理やり払拭した。
「さてと。では魔法使いを探しに行くか!」
――気を取り直し、そうしてわしらは町に繰り出した。
王女の姿は見れば一瞬で分かる。それくらい鮮烈に網膜へ焼き付いている。
アクオームはそれほど大きな町ではないため、すぐに見つかるだろう。
色とりどりの壁色をした民家や店舗が流れていく。行き交う往来を逐一チェックしながら通りを歩き、奥の港までやってきたが。どうやら外にはいないようだ。
港には、唯一の船が停泊している。全体が薄いワイン色で、少なくとも湖畔の町で見た大型漁船よりも遥かに大きい。まあ湖上と海上に浮かべる船を比べるのもなんだが、きっとあれがヴァネッサの海賊船だろう。
船上では、昨夜一緒に酒を飲んだ女船員たちが、せっせと掃除やら積荷作業を行っていた。
帆はまだ張られていないが、複数あるマストの立派さを考えると、帆を張った時の姿はさぞ勇壮で格好いいのだろうな。
いまから乗船するのが楽しみだ。なにせ初めての船旅だからな!
期待しながらも踵を返し、わしらは来た道を戻って酒場へ向かうことにした。
昨夜は夜も遅かったため王女の姿はなかったが。情報の入る酒場でしかも昼ならばいるだろうと考えたからだ。
しかし――
「見当たらんな……」
「まさか別の方法を模索して旅に出ちまった、とか?」
「その可能性もなくはないだろうけど……海賊船とはいえ一様船は停泊してるんだし。話を聞く限り温室育ちの籠の鳥ってわけでもないみたいだから、なんとかして船に乗り込もうと画策しそうなものだけど」
たしかに、一国の王女ながらに見上げた意思と行動力だ。
母親と喧嘩して家出し、一人で今まで旅をしていた胆力。そして母親を超える魔法力と聞く。そのくらいの無茶はしそうだとわしも思う。
とするなら、間違いなくまだこの町にいるだろう。
話に聞けばロクサリウムに旅の祠はなく、イルヴァータへはここから出る船でしか行けないそうだし。
「では他を当たってみるか」
そうして酒場を後にしようと扉へ手をかけた時、「どなたかお探しですか?」と後ろから声をかけられた。
振り返ると、帰り支度を整えた町娘が立っていた。そばかすが残るあどけない顔立ち。美人ではないが可愛らしくはある。
親切に尋ねてくれたのだから礼を尽くさねばな。
「銀髪紫瞳の女子を探しているのだが、見たことはないか?」
「銀髪で紫の目ですか。あの人だとするなら、私がここへ来る前に喫茶店に入っていくのを見ましたよ」
「おっ、そうか! 娘御、感謝する!」
わしらは早速酒場を出、颯爽と町を駆け抜けてその喫茶店とやらへ。
緊張しながら扉を開けると、店の奥。カウンター席に座る銀髪の女子を見つけた! 黒いローブにコルセット、黒マント。程よい大きさの形の良い胸。間違いない!
「おったーーーー!」
「迷惑だから静かにしろっ」
思わず大声で叫ぶと、突然ライアの腕がわしの首に回されがしりとホールドされた。
何事かと振り向いた女子の紫瞳と目が合う。
もう店員他の客など眼中にない。生き別れた恋人と再会したような(付き合ったこともないため感覚が分からんがきっとそんな感じ)感覚。
「苦節半月、ついにわしは探し人に会えたのだ!」
「苦節の割にずいぶん短いですね」
「つうかテンション上がってんのは分かるけど、早いとこ話付けねえと。ヴァネッサが待ってるぞ」
「む、そうだったな」
わしは店内を奥へと進む。
いまだ状況が解らないような瞳でわしを見上げる王女。
女王から受け取った写真とロクサリウム従士勲章を取り出し、他人に見えないように差し出すと「――ッ」王女はハッと目を瞠った。
「ここでは話しづらい。わしらに付いてきてくれるか?」
優しく問うと、王女は半ば諦めたように静かに首肯した。
朝食代を払い終えた娘御を連れて、一先ずわしらは人のいない港の隅へ連れて行く。雑多に箱やロープが積まれているため、町側からは死角となって見えないだろう。用心に越したことはないからな。
「お前さんの事情は察しておる。イルヴァータの魔物に声を奪われたというのは本当か?」
王女は小さく顎を引き肯定を示す。
そしてなにやら道具袋に手を入れると、羽ペンと紙束を取り出した。
羽ペンをそのまま宙に放ると、なんと空中で浮遊し、紙束へペン先を落とし自動で筆記を始める。
「魔法の筆とは珍しいですね」
「たしかグリフォンの羽で作られてるんだったか?」
「グリフォンとは伝説の生物ではないのか? 絵本でしか読んだことがないぞ」
「イルヴァータの高い山なんかに稀にいるらしいですわ。見たことありませんけど」
「あたしも遭遇したことはないな。イルヴァータはほぼ素通りだったしさ」
ライアとソフィアも見たことがないレアな魔物ときた。しかし伝説だと思っていた魔物が実際にいるとは、なんだかわくわくするな!
ん、そうか。わしを見る人々もそんな感じなのかもしれん。魔王を倒す
伝説の勇者。それは羨望だろう。
……思い返すとけなされてばかりだが、後ろ向きになってはいけない。これからだ、これから。
そんなことを考えている内に、王女は自動筆記を終えていた。
紙束を一枚千切り寄越してくる。
『エルフの女王の力を奪った魔物を退治しようと思ったら、魔物に声を奪われちゃって。驚いている内に逃げられてこの有様よ』
「エルフ? イルヴァータにはエルフがおるのか?」
「あれ、言ってなかったか? イルヴァータはけっこう森の多い大地だ。森の民であるエルフも隠れ里にいるって話だぜ。もちろん普通に人間もいるけどな」
「むしろ人間の方が割合としては多いですが。それはそれは美しい処ですわ」
イルヴァータの特徴を聞きかじり、ふむと頷く。
エルフとは人間嫌いだと絵本には書いてあったが、王女に魔物退治を依頼するくらいだから、そこまでの軋轢はないのだろう。
エルフの女王か……。ロクサリウムの女王も美しかったが、エルフとなるとこの上なく綺麗なんだろうなー。葉っぱのビキニなんて身に着けていたりなんかしてな! 危うい、実に危うくてけしからん! 擦れてら破れてしまうだろうに。
ポロリか、……いまから楽しみでならんな!
「ん?」
ふと目線を下ろすと、王女はもう一枚紙切れを差し出していた。
わしは黙って受け取る。
『いまのイルヴァータは砂漠だらけよ。エルフの女王の能力が弱まってるからね。辛うじてまだ残ってるけど、早く魔物を倒さないと、このままじゃエルフたちも消えてしまう』
「む、それは由々しき事態ではないか! しかしなるほど。話に聞いた通り、正義感が強い女子なのだな」
王女は首を左右に振り、そしてまた筆記した紙を見せる。
『わたしはわたしの出来ることをしているだけよ』
「それが立派なのではないか」
わが身厭わず、自分の出来ることをやれる人間が果たしてどれだけいるだろう。
わしもようやく自分なりの役目が出来てきて、やれることをやっているつもりではあるが。勇者にならなければそんな自分を見ることも、それに気づくこともなかっただろう。
その点、王女は母親と喧嘩してでも率先してやっているのだ。謙遜する必要などどこにもない。
一人感動に身を震わせていると、また一枚。
『あなたたちはイルヴァータへ向かうんでしょ? 迷惑でなければわたしもあれに乗せて欲しいんだけど』
そう記した紙を持ちながら、王女は海賊船に目をやった。
船尾楼の操舵輪の前には、見慣れた帽子をかぶった赤髪の女がわしらを見下ろしていた。ヴァネッサだ。
「おーいオヤジたちー。出航の準備はもう出来てるぞー」
「だそうだ。というか、そもそもわしはお前さんを助けたいがために探しておったからな。連れてけと言うなら連れて行く。いや、違うな。わしらと一緒に行こう!」
『でも、お母様から探すように言われてきたんじゃ……あなたたち従士でしょ?』
「それはそれ、これはこれだ。それに探してほしいとは言われたが、連れてこいとは言われとらんからな。な?」
わしは確認するようにライアとソフィアを順に見た。もしかしたら、わしが聞き逃しているだけかもと思ったが、二人の表情を見る限りは杞憂なようだ。
「たしかにそんなことは言ってなかったな」
「ええ、私も聞いてませんわ」
「というわけで。女王への報告は、お前さんの声を取り戻した後でもよかろう。それに、そんな状態では満足に喧嘩も出来んではないか」
『……ありがとう。従士になったのがあなたたちでよかった』
そう記した紙を見せ、はにかむように笑った王女。
その表情からは安堵や喜び、期待や希望、様々な感情が溢れているような気がした。今まで一人きりで頑張ってきたのだ。寄る辺を求めていたとしても不思議ではない。
わしが王女を柱となって支えてやろう、不意にそんなことを思わせる笑みだった。
ふと、思い出したように王女はまたペンを走らせた。
『そういえば自己紹介がまだだった。わたしはクロエ、よろしくね――』
そうしてクロエが仲間に加わった。
声を奪った魔物を倒し、ロクサリウムへ帰すまでの限定なのだろうか? それを思うと辛くなるが。それまでだとしても、しばらく一緒に旅が出来るのだ、楽しまねば損だろう。
仲間を得た喜びを噛みしめながら、わしらは海賊船に乗り込んだ。