魔王城地下一階
五人並んで歩けるほどの幅がある、長い階段を下りていく。
蝋燭に導かれるままやがて地下一階の床を踏んだ。わしはてっきり、地下だからと洞窟のようなダンジョンを想像していたのだが。なんのことはない普通の建造物だった。
黒灰色の石壁には燭台のような物が取り付けられており、煌々と灯る松明がそこに差し込まれていた。
短い通路の先はT字路になっているようで、ちょうど分岐の中心に黒鉄の甲冑が立っているのが見える。
「……あれはまた通せんぼをしているのだろうか?」
「その可能性もなくはないだろうけど、あいつ武器持ってないぜ」
「それに変なポーズをとっているのも気になるわね」
言われてみれば確かに。甲冑は両拳を腰に当てて堂々と胸を張っていて、付近に武器などは見当たらない。
「見るからにやる気はなさそうな甲冑だね」
「わっかんないよー? もしかしたら拳で殴ってくるタイプかもしんないしさ」
「その時は叩き潰すわ」
そんな頼もしくもあり物騒なソフィアの言葉を背に受けながら、わしは警戒しながらも甲冑へ近づいた。しかし目の前に来てもなんの反応もない。ただの置物なのだろうか?
甲冑を眺め小首を傾げていたところ、「ん?」となにか見つけたようにクロエ。
「なんか後ろの壁に小さなプレートが打ち付けてあるよ?」
わしも甲冑の背後を覗き込むと、ちょうど腿の高さの辺りに打ち付けられた金属プレートを見つけた。
立ったままでは少々読みにくいため、膝を折って確認する。
『黒い鎧は寂しがり、白い鎧は気難し、赤の鎧はよく迷子、銀の鎧は気分屋さん』
「…………なんのこっちゃ」
「さっぱり意味が解らねえな。なんかのヒントか?」
「意味は解らないけれど、他に鎧が三つあるということは確かね」
「ポーズからは寂しそうな感じはしないけど」
「どっちかっていうと偉そうな感じ? でも偉そうな鎧はいないんだよねー」
「ますますもって理解しがたいな……。まあ答えはそのうちに見つかるかもしれんし、今はとにかく先を急ぐか」
そうして、とりあえずT字路を左に折れた。
直線の通路を少しばかり歩いていると、背後でガシャリといった物音がする。振り返ると、あの黒い甲冑が動き、後をついてきていた。
戦闘かっ?! ――と身構え剣の柄に手を添えたところ、どうやらそうではなさそうな雰囲気だ。ある程度の距離を取って、鎧は立ち止まった。
「んん?? 戦闘でないのならなんだというのだ?」
「もしかして、寂しがりだから付いてきてるんじゃないかな?」
「これはなんか仕掛けがありそだねー」
それから頻繁に出現するようになった魔物を蹴散らしながら、通路を行くのだが。戦闘中はジッと見守るように立ち止まり、わしらが歩き出すとまたついてくるという繰り返し。
「……なんだか尻を捲くられているみたいで落ち着かんな」
「おっさんの小汚いケツなんか誰が捲くるんだよ……」
「小汚いとは失敬なっ。小奇麗なおケツかもしれんだろう? しかしなんのなんの。思い出したくもないことだがな、こう見えて背後から股間を弄られたこともあるのだぞ」
「えっ、そんな奇特な人がいるの……?」
「なにそれっ? オジサンそんなことされたの?」
唖然とするクロエと、笑いを堪えるような、また憐れむような微妙な顔をして楓が問うてきた。
「そういえばクロエと楓はまだ仲間になっていない時だったな」
「あー言われてみればそんなこともあったな、懐かしい」
「たしかロクサリウムで従士になるために、ギルドの依頼をこなしていた時ですね」
「そっか。お母さまからの信頼を得るために」
「そういうことだ」
「それでそれで、オジサン続き聞かせてよ」
そう言って先を促してくる楓は興味津々だ。
「まあ大した話ではないのだが。ギルドのSランクの依頼というのが、お屋敷で一日メイドをするというものでな。以前喫茶店でウェイトレスをしたことがあったため、似たような感覚で行ったらこれが大変だったのだ。耄碌した禿げ爺に女と勘違いされていろんなところを撫でられるわ。挙句股間を弄ってきたからな、わしが男だと理解させるため、不本意ながらマイサンを晒して帰った。とまあ、そんな話だ」
「あはは! やっぱオジサンっておもしろいねー!」
「そうだろうそうだろう」
そんな風に褒められれば、誰だって気分を良くするだろう。
浮かれ気分でふと視線を転ずると、その先でベルファールが汚物に困惑するような目でわしを見ていた。
「……いや、わしは被害者だぞ?」
「知らん」
軽蔑の眼差しは矛先がそれることはない。
変に誤解させてしまったか? いまさら館のメイドが爺を改心させるために仕組んだ依頼だと明かすのも、言い訳じみているしな。
まあこの程度で好感度とやらが下がるほど、わしらは理解し合えない生き物ではないだろう。
そういうことにして先を行く。
地下のマップはまだ手に入れていないため、完全に手探り状態だ。
しかし先人は言った、『壁伝いに行けばいい』と。たしかそんなだったはずだ。
そうして歩いていくと、やがて長い通路は右に折れた。
すると道の先が二股に分かれている分岐に立つ。
「こういう場合は、左だな。迷路もそうだと言うしな」
「ここは迷路じゃなくてダンジョンだけどな」
「どちらになにがあるか分からない以上、どっちも行くしかないのでどちらでもいいのでは?」
「それを言われては元も子もない」
至極最もな意見にわしはお口を閉じる。と同時に左の道を選択した。
西へ西へと続く通路は行き止まりの右手の壁に扉が存在する。開けて中へ入ってみると、そこそこの広さのある部屋だった。
他に外へ出るための扉などが見当たらないため、こちら側はこの部屋で終わりのようだ。
そんな部屋の中は雑然として殺風景なものだった。
太い柱が四本天井を支え、かがり火が八つ光源となって部屋を照らしている。
ただそれだけの部屋ではあるが、奥の壁に歪に伸びる影を発見した。気になり移動してみると、柱の陰に隠れるようにして立っていたのは銀の鎧であることを知る。
黒い鎧と同様ポーズをとっており、こちらは頭を掻くような仕草をしていた。
「……銀色はたしか、」
「気分屋さんですわ」
「おお、そうだったそうだった」ソフィアから教えてもらい、わしは得心しポンと手を叩いてから続ける。「こやつも黒いのと同じく付いてくるのだろうか?」
「どうだろうね、気分屋ってことは気分次第なんじゃないかな?」
「ま、離れてみれば手っ取り早く分かるだろ」
という言を受けて、試しに入口まで戻ってみる。――が、銀の鎧はその場から動こうとはしなかった。
「やはり気分次第なのか?」
「この鎧がどんな仕掛けか判明してからでも遅くはないし、先行こうよオジサン」
「む、それもそうだな」
というわけで、手前の分岐まで戻り次は右の廊下を行く。
コの字に折れた通路を道なりに進むと、今度は北へ伸びた先にまた扉がある。
中へ入ってみると、そこは横に長い部屋だった。しかし今まで見てきたどの部屋とも様子が違っている。
柱とかがり火があるのは変わらないが、ひときわ目立つ巨大な絵画が飾られていたのだ。奥の壁にそれはあり、金の額縁の中に描かれていたのはプレートに書かれていた『黒』『白』『赤』『銀』の鎧だった。
それぞれが武器を持たずにポーズを取り、実に威風堂々とした風貌をしている。
「これが仕掛けなのだろうか? だとしたならば、一体あやつらをどうしろと……」
方々に散って怪しいところがないかを探す最中――、「おいこっち来てみろ、床の一部が窪んでるところがあるぜ」とライアから声が上がったのだ。
わしらは集まり確認する。それは絵画に近い位置の床で、まるでグリーヴの裏のような形をした窪みになっていた。計四足分。鎧の数とピタリと一致する。
「もしかして、この絵画のようにあの鎧たちをここへ立たせるのではないですか?」
ソフィアが黒い鎧を見て言ったので、わしは離れた位置で突っ立っていた黒い鎧に近づき、訊ねてみた。
「お前さん、そうなのか?」
黒い鎧はガシャリと音をさせながら大きく頷く。どうやら人語を理解するらしい。なんとも平和的な仕掛けだな。本当に大魔王が考えた仕掛けなのだろうか?
そんな疑問は置いておいて、わしは鎧に促した。
「そうと決まれば早い、さっそくそこへ立つのだ」
また一つ大きく頷いた鎧は、描かれていた絵画と同じ左から二番目の位置へ。
拳を握って前へ示すポーズまで取って見せ、その姿で制止した。
「面倒くさそうだが、わりと簡単に終わりそうだな」
「でもまだ二体見つけてないから、過信はできないかも」
「んじゃ、さくさく探しにいこっか!」
軽快な楓の言葉に頷き返し、わしらは部屋を後にしようとした。
がしかし、つい今しがた制止していたはずの黒い鎧がまた動き出し、わしらの後を付いてこようとする。
「……そういえば忘れていたな。黒い鎧は寂しがりだと」
しかしなんという情けない魔物だ。一人でそこでじっとしておれんとは……。
「仕方がないですね。黒はこのまま連れて行って、立たせるのは最後にしましょう」
「そうするほかなさそうだな」
そしてわしらは最初の分岐のT字路へと戻る。
右の廊下へ進むと、こちらはコの字に折れる途中の壁に扉があり、廊下はさらに奥へと続いている。
一先ず扉の先を確認するため部屋へ入った。
銀の鎧が居た部屋よりもかなり狭いが、ここには宝箱が置いてある。開けてみると、中にはマップが入っていた。
「大仰に宝箱なんて置いてあるから、てっきり強力なアイテムでも入っているかと思えば、まさかマップだけとはな」
「上じゃあ五つ全部空だったし、マップでも入っててよかったじゃん」
「物は考えようか」
「そうそ、ポジティブにいかなきゃねー」
「楓に見習うべきところだな」
マップを手にした後部屋を出て、それを見ながら道なりに進む。
廊下の突き当りにはまた部屋があり、高そうな絨毯が敷かれダンスホールくらいの広さを持っていた。
そこで、件の一体である白を見つけたのだ。
「赤は覚えているが、白は……」
「気難しいだよ」
「おお、すまんなクロエ」
クロエに礼を言って、わしらは白い鎧の元へ。
まるでそっぽを向くように顔をそらし、わしらの方にはチラリとも目をくれない。
「気難しい白とやら、こんなところにいないで、所定の位置に着いてはどうだ?」
しかし白はうんともすんとも言わず、反応すら返さない。
これが本来鎧としてあるべき姿なのだろうが、黒の人懐っこさを目の当たりにした後だと、いささか冷たく感じるな。
「一先ずお前さんはここに置いて行くが、戻ってくる頃には考え直しておいてくれよ」
少々面倒くさいため、わしらは赤い鎧を探すことに。
ここまでの道中見当たらなかったため、おそらくこの先にいるだろう。
白のいた部屋の奥、西側から廊下へ出て、角を折れてから道なりに進んでいく。
長い廊下の角を左に折れると、また広い部屋に出た。マップによると、地下一階最後の部屋のようだ。
何本も並ぶ柱は、部屋の奥に安置された祭壇のような場所へと誘っている。かがり火と松明の明かりのせいもあってか、荘厳な雰囲気にも感じられた。
そんな部屋の中をうろちょろと忙しなく歩き回る赤を見つける。
その様子は、母親とはぐれてしまった幼子のようだ。
赤はわしらを見つけると、ガシャンガシャンと鎧を鳴らしながら駆けてくる。そして、わしの目の前で急に止まった。
「どわぁ! 勢いよく走ってくるやつがあるかッ」
「相当困ってたんだね」
「まあ、これで二体は確保したわけだし、あとはどうとでもな――」
そこで背後を振り返ったライアの声が途切れた。
気になり振り返ってみると、さっきまでは確かに居たはずの黒がいなかったのだ。
「あやつ、いつからいないのだ?」
「黒いやつなら白のところに残っていたぞ」
そう教えてくれたのはベルファールだ。
まったく気付かなかったな。
「お前さん、よく気付いたな。わしらが先しか見ていなかったとはいえ」
「私は最後尾だからな」
「だがそうか、あの部屋にいるのであれば安心だ」
わしは赤い鎧に向き直り、問う。
「うろちょろしないと約束できるならば、絵画の部屋まで連れて行ってやろう。どうだ?」
「どの道、連れて行かなければ先へ進めそうにありませんけど」
「まあそこはよいではないか」
訊ねたわしに、赤はうんうんと頷き返す。
こやつは安心できそうだ。
問題は黒、白、銀だが……。
あの二体の部屋に戻ろうとする途中、現れる魔物をまたその都度処理していく。頻度はあまり変わらないが、魔物の頭骨をかぶったゴブリンなどの新しい種を見かけるようになった。
なかにはその頭骨の持ち主だろう獣に跨ったゴブリンに、無数の目玉のある浮遊する黒い塊、黒い傘をさした骸骨は仕込んだ刺突武器で攻撃してきたりと、なかなかに新鮮で面白い。
そうして二体のいる部屋まで戻ると、ツンとしていたはずの白が黒となにやら身振り手振りで会話しているようだった。
わしらに気づくと、白は顔を背けながらもこちらへと近づいてくる。
「ん? なんだ、もと居た部屋に戻ることを決めたのか?」
訊くと、いままでなら無視していたはずの白がこちらを一瞥し、小さくだがたしかに首肯したのだ。これは黒のおかげかもしれんな。
気難しい白と寂しがりの黒、この二体は相性がいいのかもしれん。相反する色ではあるがな。
そこへ加わった赤。面倒くさかったが三体を連れていけることに安堵する。
だが、危惧していることが一つあった。
「問題はあの銀色だな。気分屋というのはタチが悪そうだ」
「たしかにな。けどここまできたんだ、なんとかするしかねえだろ」
「そうね。三体がいればどうにかなるかもしれないし」
「みんなも協力してくれる?」
クロエの問いに、鎧の反応は様々だ。大きく頷く黒に、相変わらず愛想のない白、そして顎に手を添えるようにして小首を傾げる赤。
前二体はなんとなく解るが、赤の反応は幸先不安でしかない。
というわけでさっそくT字路へ戻り、左の道の分岐をさらに左へ行った先の部屋、その奥に立っている銀の鎧の元へ向かった。
相変わらず頭を掻くポーズをしている。
「お前さん、いつまでこんなところにいるつもりだ? 三体は皆付いてきてくれているが、お前さんだけどうにも自由すぎるのではないかと、わしは少々不満に思っているのだがな」
わしがそう言うと、三体は銀の傍に寄り、また身振り手振りで会話を始めた。
あちらはわしらの言葉を理解できるようだが、こちら側はまるで理解できないのは不便だ。
どうやら鎧たちは説得しているらしく、だが銀がまるで取り合わないため平行線のままのようだ。
わしはいい加減焦れてきて、つい横合いから口をはさんだ。
「ここで時間を食えば、大魔王に力を取り戻させる機会を与えてしまうことになる。わしらは大魔王を倒すためにここまで来たのだ、どうかお前さんたちも協力してほしい」
友好的ではあるが、魔物になにを言っているのだろうとは思う。だが、ザクスリードに住む魔物たちという前例もある。理解し合えないかもしれないが、共存という道は無きにしも非ずと、その可能性にかけてみたくなったのだ。
ダメもとでした発言は、しかし皆一様にしてわしを向くその様子に期待値が高まる。
しばしの沈黙の後、鎧たちはまたなにか身振りで会話し――そしてわしを向いては、胸元に拳を当てて礼のような姿勢をとった。
「うん? 協力してくれるのか?」
そう訊ねたわしに、鎧たちは揃って頷いた。
「すまんな、協力に感謝する」
「よっしゃ! ならさっそくあの部屋に戻ろうぜ」
そしてわしらは絵画の部屋へ向かう。
その道すがら、先ほどよりも魔物の出現頻度が増したことに疑念が生まれる。今度はわしらだけではなく、鎧たちにも攻撃し始めたのだ。
この鎧たちは、どうやら本当に敵ではないらしい。
ますますこの城が謎めいてくるが、いまはそのようなことを考えている時と場合ではない。
わしらは鎧を守りながら、現れる魔物どもを駆逐してゆく。
やがて絵画のある部屋まで辿り着くと、鎧たちは支持するまでもなく自ずと定位置へ着いた。
白は気取ったように腕を組んで一番左、黒は先ほども見た拳を胸の前で握るポーズで左から二番目、その右隣りが銀で黒の肩に手を置いたポーズ、一番右端が赤で左手を腰に当てて少し斜に構えた。
すると、鎧たちの足元の床が突然光の柱を迸らせ、それはつぼみが花開くように徐々に倒れていく。
完全に床まで倒れきると、部屋全体が光輝く。やがて輝きが落ち着いた頃、絵画に変化が訪れた。
額縁がせり上がり、まるで強大な力で破壊されたような大きく崩れた壁面が露呈したのだ。
役目を終えたように沈黙する鎧たちに感謝しつつ、わしらは崩れた壁から奥を覗く。
「下へ階段が続いているな。いままでの城というわけではなさそうだし、この先は洞窟か?」
「いよいよ本格的なダンジョンじみてくるな。それに強力な魔物の気配を感じるぜ」
「いくら敵が強かろうが、やることに変わりはないわ。出てきたら潰す、それだけよ」
「油断はならないけど、わたしたちなら大丈夫。ここまで旅してきたんだし、みんな強くなってる」
「それに、いまはベルファールもいるしねー。アタシ、こう見えてけっこう頼りにしてんだー」
「ふん。頼られるのはゴメンだが、気晴らしに暴れてやるのもやぶさかじゃない」
「お前さん、捕虜にしたことを相当根に持っておるな……?」
「……別に……」
逡巡したような間ののち、ベルファールはツンとそっぽを向いた。気難しい年頃なのだな。このような若い容姿をしているが、わしより圧倒的に年上だそうだがな……。
「とまあそれはともかくとして! ではそろそろ行くとしようか、洞窟模様の地下二階へ――」
暗く深い深淵へ誘う洞窟の入口へ侵入し、そしてわしらは石の階段を下りていった。




