女神の試練
再び塔の最上階へ戻ると、来た時とは少し様子が違っていた。
先ほどまでは淡く輝いていた魔方陣が、眩いばかりの光を迸らせていたのだ。
いつの間にやら二脚あったはずの椅子もなくなり、魔法円の中心では女神ルナリアが静かに佇みわしらを待っていた。
立ち上る光の中へ足を踏み入れると、木漏れ日のような温かさと同時、妙な緊張感に糸が張り詰めるような感覚に見舞われる。
肌がひりつき、指先が冷たく痺れ、寒くもないのに背筋が粟立つ。
我慢できずに思わず唾を飲み込むと、スッと目を開けたルナリアがこちらを見据えてきた。
「全快は出来ましたか?」
「う、うむ、おかげさまでな。ところで、この魔方陣の輝きは……」
「これは力が下界へ漏れ出さないためと、足場を延長するためのものです」
言って女神が指を弾くと、立ち上っていた光が倒れサッと床を広がっていく。
「これでこの最上階でどれだけ強力な力を行使しようがどこまで吹き飛ばされようが、下の世界への影響はなく、この床の高さから落ちることもなくなります」
「本当にか? にわかには信じられんな……」
「では試してみればいいです」
そう言うなり女神が外を指さすと、「……お、おっ? おぉ??」わしの体は見えない力に摘まみ上げられるようにして浮き上がる。
バランスのとれない浮遊感に戸惑い、なんとか床に下りようと藻掻くが、それも空しく。
「――のぅわぁあああっ!?」
ピュウウーっと勢いよく塔の外へと飛ばされてしまったのだ。
落ちる落ちるぅううう! と叫んで思わず目を瞑ると――次の瞬間、わしは硬い床のようなものにドンと尻もちをついていた。
恐る恐る目を開ける。すると、なんと空の上に座れているではないか!
透明な床がそこにあるような感じで、叩いてみても確かな硬さがある。しかし心許ない気もして、なんだか股間がぞわぞわしてきた。
それにしても、なんの断りもなくいきなり外へ放り出すとは、なんちゅう女神だ。
立ち上がり、わしはいそいそと皆の元へ戻る。
「これで信じましたか?」
「否が応でもな……」
「理解もしたようですし、さっそく始めますか。こうしている時間も惜しいので――エーデル=ジ・アレスト」
そう唱え女神は見えない壁に五指で触れるように、指を開いて前方へと手を伸ばした。
すると触れたらしい場所から、水晶に写り込むプリズムのような虹の輝きが発生し女神の周囲を覆う。
「まずは第一の試練です。この結界を見事破壊してみせなさい」
「……なんだ、その程度でよいのか?」
「その程度かどうか、試してみれば解ります」
女子たちは顔を見合わせ、誰から行くかを話し合う。
そして平和的にジャンケンで順番は決まった。
……わしには訊かないところがまた良いな。まあ最後でもいいが。
「まとめて攻撃すれば早いと思うのですが、本当に一人ずつでいいのですか?」
「いいんだよ、あたしらはコレで。最強技ぶち込んでさっさと次の試練に行ってやる」
「その意気や良し。ですが、意気込みだけで終わらないことを願いますよ」
「言ってろ。絶対に鼻明かしてやるからな」
ニッと好戦的な笑みを口端に浮かべると、一番目を勝ち得たライアが高く跳躍した。
高めた闘気を神凪一文字に乗せて大きく振りかぶり、「――一撃で破壊してやる……無刀流奥義・刃雨大曝ッ!!」振り下ろした刀から放たれた闘気は、幾百もの刃へとバラけ女神に降り注ぐ。
着弾ごとに爆発を繰り返し、辺り一面に白煙が立ち込めた。
最上階を吹き抜ける風が煙を押し流すと、そこには何事もないかのように佇む女神ルナリアと、まるでビクともしていない七色の結界が在った。
「いや、固すぎだろ……奥義だぞ」
「ライアの必殺技でもダメなら、アタシの術でどうこう出来ないでしょ」
「ならば諦めますか?」
「じょーだんっ! 『諦めるなら死ぬ気でやってダメって思うところまでやってから諦めろ』ってお師匠に言われて育ったかんね! アタシこう見えて諦めは悪い方なんだよ。ヒビくらいは入れてやるしっ」
「期待していますよ」
「ヨユーかましてられるのも今のうちだよ――火遁・燐華龍炎舞!」
素早く印を結んだ楓の周囲に、突如発生した渦を巻く青白い炎。火勢を増しながら龍の形を成していき、それは咆哮するように大口を開けた。
わしらがよく知る翼のあるドラゴンではなく、蛇のような長い体をしている。おそらくジパングに伝わるものだろう。
龍はうねりながら女神に向かって突進し、頭突きをかまして結界に巻き付きながら舞い上がった直後――真下へ急降下し結界ごと女神を飲み込んだ。
ゴォオオオという轟音を響かせながら弾けた炎は、火の粉となってまるで花が狂い咲くように空間を彩る。
しかし、女神の結界は微細な傷がつく程度で。
「いま使える火遁で一番強いんだけどなぁー。ま、アタシが無理でもクロエちゃんならなんとかしてくれるでしょ! てなわけでヨロシクー」
「そこまで期待されても困るけど、エステルからもらった魔導書の魔法を試してみるよ」
「……クロエはこの中で一番賢聖に近かった。その実力、この目で見させてもらいます」
「だから、そこまで期待されても困るんですけど……」
そんなことをぼやきながらも、クロエはさっそく詠唱に入る。
紡がれる言葉とともに、炎で描き出された魔方陣がやがてクロエの眼前に展開された。
間近に見た感想は、「デカい」だ。これはマズいと思ったのか、わし含め仲間たちもクロエの後方に下がる。
わしは念のため盾の準備もしておいた。
「なるほど。あなたの潜在的な魔力の純粋さ故に成せるものですね。禁術を除いては最上級の火炎魔法とはいえ、これほどとは」
あの女神が感心を呟いている。やはりクロエは特別な血統なのだな。仲間としても頼もしい限りだ。
「手加減出来そうにないですけど、いいですか?」
「手加減など無用です。あなたの思う通りに、存分に力を発揮なさい」
「では、いきます――オルディリアス・イグニート!」
魔法名とともに発生した幾筋の炎が、焔を噴き上げながら床と宙を這い女神へと集まっていく。
結界を取り巻くようにして収束しやがて球状へと形を変えた火炎は、クロエの魔力量に比例するようにして回転しながら肥大する。
まだ爆発させてもらえないことに焦れるように、ボコボコと小爆発を繰り返す巨大な火球。それを抑えるクロエも少しだけ辛そうに「くっ」と漏らす。
赤熱していた球がやがて白光を始めると、苦しさに藻掻き腕を伸ばすかの如く紅炎が噴き出して――次の瞬間、凄まじい爆風を伴って大爆発を起こした。
わしは皆を魔法障壁で覆いなんとか黒煙と熱風から守れたが、それでも熱ダメージを完全には相殺しきれない。
それもそうだ。普段ならばクロエがレジスト魔法を使ってくれるし、そもそも祝福前の装備で効果も不完全なものなのだからな。
レジストを忘れていたことを思い出したクロエはこちらへ振り返ると、「あ、ごめん忘れてた」と申し訳なさそうに苦笑いをする。
わしは「大丈夫だ、このくらいならば」と少し強がりながらも、爆発の影響で塔の外まで燃え広がる炎へと目をやった。
「しかしとんでもない威力の魔法だったな。空を走る炎の先が見えんぞ」
「初めて使ったし最上級ってだけあって、まだぜんぜん使い慣れないけど。威力はまだ上げられると思う」
頼もしい限りの言葉だが。
突如逆巻く風が魔方陣の中央に現れ、一瞬で炎と煙を消し飛ばした現状に、皆がげんなりとして肩を落とした。
クロエの魔法でもダメなのだ。
だが今までとは少し様子が違うことに気づく。
七色の結界が、うにょんうょんとたわんでいたのだ。
「おっ? 少しは効果あったんじゃねえのか?」
「ええ、あなたたちが思っている通りです。が、この程度はすぐに元に戻ります」
「厄介極まりないわね……」
「大魔王のものも同等ですよ」
「破壊できなきゃ、まるでダメージが通らないってわけねー」
「悔しいな……単体に対して現状で放てる最強の攻撃魔法なんだけど」
悔しがる面々を見て「ふふっ」と涼しげに笑うルナリア。
その反応に対しわずかに眉根を寄せたソフィアが、次はようやく自分だと意気込むように前へ出た。
「サクッと殴るわ……」
そう呟いて、羽衣のような白銀の闘気を身に纏うと、グッと拳を握り構えた。
「ちゃんと見ていました、ザクスリードの武闘会での一幕を。大した技のようですが、果たして突破できるかどうか」
「いまはまだ無理でしょうね。でも、私たちは出来るまでやるだけよ――武神天崩撃ッ!」
踏み込みと同時にフッと姿を消したソフィア。一瞬で女神との間合いを詰めると、抑えきれないほど高めたオーラに輝く拳を結界に向かって叩き込んだ!
凄まじい衝撃に、爆風と轟音とが外へ向かって突き抜けていく。
衝撃を逃がすようにウワンウワンと波打つ結界だったが、破壊するには至らない。
「さすがに堅固ね。これでもチャンプの防御を突き崩した技なんだけど」
「悔しそうな口ぶりの割には、ずいぶんと落ち着いていますね」
「この試練の意味を理解したからよ」
ルナリアはわずかに片眉を上げて訝しむ。ソフィアを真っすぐに見つめるその瞳は、続く言葉を待っているようだ。
「この試練の意味。それは私たちの成長を促すための修行も兼ねているのよね。経験を積んで結界を突破する頃には、全員がいま以上の成長をしていることを見込んで」
「気づいていましたか。より経験値を得るには強い者と戦うのが一番手っ取り早い。結界とはいえ、私と対峙しているのですからこれ以上の効率は存在しない。あなたたちには期待している、故の試練です。そうでなくとも、結界を破壊できなければ私とも戦えませんので」
「なるほど、意地悪とかで言ってたわけじゃねえってことか」
「口調がちょっとそれっぽかったから、勘違いするとこだったよねー」
「そうと決まれば、どんどん試していこうよ。時間ももったいないし」
それもそうだ、と頷き合う女子たち。再び攻撃に移ろうとしていたところを「ちょいちょいちょいー」とわしは制止した。
「なんだよおっさん、止めんじゃねえよ」
「時間を無駄にするわけにはいかないんですよ?」
「それは解っとるが、次はわしの番だろう?」
「そういえば忘れてたね」
「オジサン影薄かったからなー」
熱風から守っていたというのに影が薄いとは……。
おほん、と一つ咳ばらいをして気持ちを切り替える。わしだって試してみたいのだ、この剣と技でどこまで出来るのかを。
皆の前に進み出て、アールヴェルクを抜き逆手に持ち替えたところで、女神がぽつりと言った。
「その技、わざわざ逆手に持たなくても放てるのですけど」
「わしもなんとなくそんな気はしていたが、絵本の主人公がかっちょいいからな。わしも真似して逆手にしているのだ」
「そうですか。ですが絵本の方は格好良くても、あなたのその技名は遥かにダサいですけどね」
「ダサいのではない、愛嬌があるというのだ。とにかくゆくぞ」
「全力でかかってきなさい」
わしは剣気をアールヴェルクに溜められるだけチャージした。
およそ十発分だ。それ以上はどう頑張っても足せない。MPが足りないわけではないから、十発が限度のようだな。
しかしレベルが上がったせいか、MP消費量も減ってきて幾分余裕が出てきた。自身の成長を実感する。
「その剣の攻撃力も相まってか、見た目だけは凄いですね」
「まあ、これを撃ったらあと三発しか使えんが。見た目だけかどうかは食らってから判断してくれ――ワルドストラーッシュ!」
全力で腕を振り抜きズォオオオオ! っと剣気を解き放つ。極太の光は結界にぶつかり瞬時に爆散する。
確実に威力は増している、その手ごたえはあった。だが結界はビリビリと波打ちはするものの、亀裂を入れるほどのヒビが入るようなこともなく……。
「わしの全力でも壊せんのか……あ、ギガルデインを纏わせてみれば少しは違ったかもしれんな」
「かしこさゴミのわりにそこに気が付くとは。着眼点だけは褒めてあげます」
「ゴミではなく53だ……」
「それはともかく。MPが尽きてはまともに戦えないでしょう。消耗したならば都度、回復の泉に戻ってくれて構いませんので」
毒づいたりしょっぱい対応だったりと、冷たい印象ばかり目立っていたが。時折こうして優しい一面も見せてくれるルナリアは、思った以上に優しい女子だなと思った。
それからしばらく、最上階と回復の泉を往復する時間だけが過ぎていった。
ライアとソフィアは、一点突破を狙い間髪を入れずの連続技ならどうかと競うように試したり、クロエは最上級の属性魔法を順に放ったり、楓は閃いた術をいくつも試したりした。
わしはというと、ギガルデインを纏わせたワルドストラッシュを試してみたり、ひたすらギガルデインを落としてみたりしたのだが。
亀裂が入りかけたこともあるが、皆の攻撃そのほとんどが今までとほぼ同じ反応だ。
そうこうしている内に、いつの間にか日が暮れていた。
「――今日のところはこの辺りで終いにしましょうか。お腹も空いているでしょうし、食事にしましょう」
女神から戦闘の中断を提案され、これ以上やっていても今日は無理だと悟ったわしらは、素直にそれに従った。
どこからともなく出てきたテーブルに着き食事をとった後、廊下の途中にある扉付きの個室を割り当てられたわしらは、各々そこで一日を終えた。
二日目。女神との戦闘は早朝から始まった。
最上階には相変わらず炎に氷、雷に水、風に土に光に闇にと。熱やら冷気やら爆風なんかがいろいろと吹き荒れていた。
「――昨日の戦闘で経験値は得てるはずなんだけどな。なんで大して変化がねえんだよ」
「それはあなたたちがまだ弱すぎるからですよ。この程度崩せないのであれば、大魔王と戦っても勝てはしません。蟻の頭を潰すようにただ殺されるだけです」
「言ってくれるな、まあその通りなんだろうけどよ」
「そんなことより、ライアは応用技は使わないのですか?」
「あ? そういえば昨日は使ってなかったな」
「あの技、見ていて綺麗だったので見てみたいのですが」
「別にあんたを喜ばすために使ってやるわけじゃねえけど。ちょうどいい、おっさんもまだ見てないからな」
応用技というと、ドラゴンレクターとの戦いで使ったらしい奥義の別バージョンというやつか。そういえばわしは見る機会がなかった。いまからそれが見られると思うと楽しみだ。
「刮目してよく見やがれ!」強く言って獅子咆哮で闘気を高めたライアは、それを凍気へと転換した。床を蹴って高く跳躍し、「――無刀流奥義転刃・凍雨氷瀑ッ!」刀を振り下ろし白青っぽいオーラを一気に放出する。
バラけた凍気の一つ一つは鋭い氷刃となり、降り注ぐと同時剣山のような氷柱となり床一面に広がる。最上階の気温を数度下げた後、氷の針山は砕け散り白霧となって消えた。
確かに綺麗な技だ。効果があれば尚よかったが、残念ながらピシピシッ程度の亀裂で終わった。
「美しいですがいま一つですね。前日よりも成長は感じられますから皆さん頑張ってください」
「棒じゃねえか……」
まだまだ女神をエキサイトさせられんということか。
だが、たしかに女神が言うように、昨日よりも成長したという実感はあった。わしですらそうなのだから、皆もきっとそうなのだろう。
レベル、ステータス変化に伴い、MPの総量も増した。わしの場合で言うと、消費量も多少下がったため、ストラッシュは十六発分撃てることになった。
一見無駄なように見える結界殴りも、存外効果は覿面なようだ。
経験値稼ぎだということを理解しているからか、仲間たちはその後もただひたすらに必殺級の攻撃や魔法を繰り出し続けた。
わしも負けじとフルチャージで頑張った! ただ、消耗が激しすぎて回復の泉との往復が一番多いが。まあ気にすることでもないだろう。
しかし、やはり勇者の技は特別なものなのか。わしの攻撃がいまのところ一番亀裂を入れられている気がする。クロエも凄いがな。
「……力を合わせれば多少技の威力を落としても壊せるレベルにはあると思うのですが。なぜそれをしないのですか?」
突然結界を解いた女神からの問いに、誰ともなく顔を見合わせる。
皆の考えは一緒なのだろう。
「一人ででも壊せた方が戦闘が楽だろうからな」
いの一番に声を上げたわしの返答に皆が頷いた。
女神はなるほどと軽く顎を引いて、再び結界を張る。
「そうですか。ならば全員が壊せるようになるまで続けましょう――」
そこからさらに戦闘は続いた。
ライアもソフィアもさらに技のキレを増した最強技を叩き込み続け、ビシビシビシ! という音をさせられる程には亀裂を入れられるようになった。
クロエは、女神の周囲を冷気の霧で包み極寒の凍気の嵐に巻き込んだ後、範囲を凍らせ氷の棺に閉じ込める最上級氷属性魔法『グラセリュート・アルカルム』で氷漬けにした。
女神が内側から魔力を放出し氷を砕くと、刹那、結界には全体的に半分近くまでバリバリのヒビが入る。クロエは破壊まであと一歩というところか。
楓はもう一つの得意属性である雷遁『烈神轟雷』を編み出して、激しすぎるほどの雷の大嵐に巻き込んだ。一筋一筋が太い雷は想像以上の威力で、クロエに勝るとも劣らないほどの成果を上げる。
そう言えばと思い出したのは、楓のいまのクラスは上忍。ジパングにおいて『剣』『拳』『賢』を冠する三聖クラスと同等の忍者だった。ここにきて急激な成長を遂げているのは、クラス自体が晩成タイプだからだろう。
皆に負けじとわしもギガルトラッシュを撃ち続け、レベルとステータスが上がったことで、半歩とまではいかないまでもあと一息というところまでダメージを負わせられるようになった。
と、各々強くなってきていい感じではあるが。
日暮れとともに、それがもう決まりごとであるかのように夕食のため戦闘は中断となる。
「あと少しなのだが……」
「休むことも必要です。寝ることで経験は確実に身になります。明日に期待するといいでしょう」
ということだそうだ。
夕食後はそれぞれの部屋に戻り夜を明かす。
風呂に入ってベッドに横になると、思いのほか疲労が溜まっていたのか、わしは泥のように眠りについた。
翌日。修行も兼ねた試練三日目。
少しばかりお寝坊してしまい焦ったが。扉を開けて廊下へ出ると仲間たちが待っており、話を聞く限り皆同じのようだった。
しかし一様にすっきりとした表情を浮かべ、今までひたすらに結界を攻撃し続けてきたその成果を、確実に経験値として自分のものとしているようだ。
皆揃って女神の元へいくと、「ふぅ」と少し疲れ気味な吐息をついていた。
「疲れているのならば休むことも必要だろう。というか、お前さんはちゃんと睡眠をとっているのか?」
「睡眠はとっていますよ、瞑想しながらですけど」
「寝てもいい瞑想ってあんの? なにそれ羨ましすぎるっ。アタシなんて寝たら速攻で怒られてたのにさぁ」
玉藻との修行時の話だろうことは容易に想像がつくな。その絵が目に浮かぶようだ。
「寝ているというよりは深淵に沈むほどの深い瞑想といった方が正しいですけどね。そうしなければ今、あなたたちとこうして戦闘など出来ていません」
「とすると、その瞑想とやらで力を取り戻しているのか」
「ええ。あなたたちの相手をするのに使っていますし、そもそもルミナスがいないので元の状態にはどうあっても戻りませんが……」
そう言ってルナリアは少し寂しそうに外へ目をやった。
勇者の選定に際しては、いろいろあったりもしたのだろうが。やはり妹のことが心配なのだな。
これはなんとしてでもルミナス嬢を救い出さなければっ!
「二人で一つ、まあ双子女神の宿命ですね。なのであなたたちが頼みの綱なのですが、どうです? この二日、全力で暴れまわっていくらかの自信にはなりましたか?」
訊かれ、まず深く頷いたのはライアだった。
「昨日は思いのほか疲れててさ、久しぶりに眠りが深かったせいか懐かしい夢を見たんだ。朱火に面倒見てもらってた時に、あいつが目標だと時折口にしてた『千の刃』って言葉だ。当時も、そしてこの試練を始めるまでも、あたしはそんなの無理だろって思ってたんだけどさ。……いまならやれそうな気がするんだよ」
力強い眼差しで女神を見据え、黄金の闘気を噴き上げさせたライア。そのオーラの勢いは今までを遥かに超えていた。
感心するように頷いたルナリアは静かに口を開く。
「力強く清廉でいて、洗練されたよい闘気です。まさかこの二日でこれほど成長するとは思いませんでした。これならば最も強い結界でも大丈夫そうですね――エーデル=ジ・グレイル」
「は?」
再び張られた結界は、プリズムの向こうに細かい多角形の結晶ががっちりと組み合わさったようなものだった。
というか、いままでのものが一番強いわけではなかったのか……。
「自信がありませんか? いまのあなたたちならばこれを壊せると判断したのですが」
「馬鹿言うなよ、ちょっと急だったから面食らっただけだ」
「そうですか。でしたら今ここで、あなたの力を証明してみせなさい」
「ああ――」
呟き、獅子咆哮の状態を維持したまま上空へ飛んだライア。ここまでは奥義と変わらない。刀を振りかぶる動作もほぼ同じだ。
なにが違うのか。そんな疑問は技の出を目の当たりにした刹那に分かった。
「これがあたしが辿り着いたいまの全力だ! ――無刀流絶技・千刃瀑布ッ!!」
刀を振り下ろすと同時に降り注いだ闘気は千の刃となり、唸り声を上げるように轟きながら大瀑布のように降り注ぐ。
刃雨大瀑は幾百という表現になるだろうが、その圧倒的な物量の刃をさらに超えた途轍もない数の暴力だ。それがある程度の束のようになっているのだから、直撃したらとんでもないことになる。
現に、いままで相手をしていたプリズムの結界はあっという間に壊れ、その下の結晶も見る間に崩れ去っていく。
結界が消し飛びあわや女神を殺りかねんと思った刹那、ルナリアは前方に右手を出し結界とは違う力場を発生させて技を凌いだ。
もくもくと煙を上げる向こう側で、女神が「ふぅー」と大きくため息をつくのが聞こえた。
吹き抜ける風が煙を流すと、少しだけ焦ったような顔をしたルナリアが姿を見せる。
「力が戻っていないとはいえ、私に直接シールドを張らせるとは、やりますね。危うくダメージを負いかねませんでしたよ」
「そんな技まで持ってたのか」
「その辺りはぬかりありません。ですが、この調子であれば皆さん問題はなさそうですね。次は楓ですか」
楓に向き直りながら、女神は再び結界の準備。
それを待って印を結んだ楓の足元には、よく分からん文字が書かれた真っ赤な円陣が広がり、火柱が計九つ立ち上った。
それらはたちまちのうちに形を変えて、九頭の龍となる。
熱量が半端ではない。間違いなく言える、現状で最強の忍術だ。
「また新たな術ですね。あなたの成長を見るのはマジックを見ているようで本当に楽しいです」
「アタシはやっぱ一番得意な火遁で勝負したいからさ」
「自信があるならば、いつでもどうぞ」
「そんじゃ遠慮なく――火遁・九頭龍神火咆!」
炎の龍は一斉に口を開け、轟という凄まじい音とともに猛火を吐き出した。
ただ一点に集中しそこから放射状に広がっていく炎の威力は、クロエの魔法にも匹敵するだろう。
目標地点で吹き荒れる火炎の向こう側は薄っすらとしか確認できんが、女神はすでにシールドとやらを張っているように見受けられる。あらかじめ用意しているのかもしれんが……。
どうなったかと首を伸ばして確認していると、やがて術の効果時間が切れ九頭の龍は口を閉じ、寝入るようにして大人しく掻き消えた。
またも結界はすべて破壊出来たものの、女神のシールドだけは無傷だった。
「あれーそいつは無傷なの? でも結界は壊せたから、別に大丈夫だよね?」
「ええ、見事です。というか、この絶対守護領域まで超えられたらお手上げですね。まず無理でしょうけど」
「絶対守護領域?」
わしが訊ねると、ルナリアは一つ頷いた。
「あらゆる物理攻撃、魔法攻撃を遮断する全方位型の究極のシールドです。欠点は、これを張っている間は内側からは攻撃できないことですが。遠隔タイプならば使えるのでさほど問題ではないですね」
「わしらには殺せないと言っていたのは、そういう理由だったのか」
「ルミナスがいれば最大半径二五〇メートルに拡大も可能ですが、残念ながらいないので、この狭い範囲でしかありませんが……。さて、おしゃべりはこのくらいにして、次はクロエですね」
「疑うつもりはないんですけど、その絶対守護領域を壊すつもりでやっていいですか?」
「もちろん。たとえ禁術でも壊せないこれを破壊するつもりならば、面白いです」
結界を張り、そして絶対守護領域を展開した女神は余裕の笑みを浮かべている。
今度は忘れないようにと、仲間全員に最上級レジスト魔法『エレメンタル・ディグレース』をかけてからクロエは詠唱に入った。
女神に対して彼女が用意した魔法は、やはり得意だという最上級の火炎魔法だ。
しかし、今度の魔方陣は赤と青の炎で描かれている。魔方陣の展開の仕方としてはオルディリアス・イグニートと同じ魔法のように思うが……果たして?
「あなたも面白いことをしますね。既存の魔法を応用するとは」
「ロクサリウムに伝わるフラムアズールを混ぜられたら、もっと火力が上がるんじゃないかと思って」
そういえば以前に見たな。オークどもに乗っ取られたライアの里を荼毘に付したあの魔法。あれもロクサリウムの青い炎だった。
「そのためには二重詠唱を必要とするはず。しかももう唱え終わっているところを見ると高速詠唱も身に着けているようですね。まだ賢聖になっていない内に物にするとは。やはり魔法のセンスが頭抜けています」
「御大層なことをしているつもりはないけど、わたしたちにしか出来ないのなら強くなるしかないですから」
「一途でいて慈愛に溢れている。あなたのような人間が勇者とともにいてくれてよかった。その想い、私が受け止めます」
小さく顎を引いたクロエは、静かにその魔法名を告げた。「――ヴォルクァズール・インフェルノ」
幾筋も伸びていく炎の色が赤と青に変わっただけかと思いきや。
青い火球に閉じ込めた女神を中心に床を走り回る業火が一面を火の海にすると、突如風を取り込みながら渦を巻き始め、炎の竜巻が火球を宙へ持ち上げていく。
その炎を吸収するかのようにさらに肥大していく火の玉が急に巨大化した刹那、――爆ぜるとともに塔自体が崩壊するのではと思うほどの轟音と衝撃波が突き抜けた。
念のため盾を用意していたが、あまり必要ないほどレジスト魔法が効いている。
ふと振り返ったクロエが口にしたのは、「属性ダメージを八割カット出来る魔法だからね」だそうだ。賢聖であれば九割はいけるかもしれないということだから、とてもありがたいものだな。
塔の天井へ向かって、超火力で燃え上がる青い炎の中心を皆で見つめる。
火の海の中の女神のシルエットが片手で振り払うような動作をすると、また突風が吹き炎をすべて消し飛ばした。
絶対守護領域に守られた女神は当然無傷だ。
「どう頑張っても破壊は出来ないんですね」
「残念ながら。ですが張り続けるにも常に力を消耗しますので、あまり長々と使っていたくはないですけど。さて、次はソフィアですか――と、準備が早いですね」
「ここまで焦らされてたから。でもみんな、ちゃんと成長していて凄いわ」
どことなく溢れ出るソフィアのお姉さん感。うむ、キライじゃない、むしろ好き。たまに叱られたくなるな!
思わず顔がにやけかけたが。女神が結界と守護領域で守りを固めたため、無理やり表情を繕い事の行く末を黙って見守ることにする。
ソフィアの場合も羽衣のようなオーラに形状変化は見られない。だが、ライアの時に女神が言っていたように、力強く清廉でいて洗練されているというのは感じる。なんというか、こちらは鬼気迫る感じでもあるが……。
「あなたはどのような技を繰り出すのか、いまから楽しみですね」
「まだ完全じゃないけど、それはこの試練の先まで取っておくわ――」
低く構えた姿勢から掻き消えるようにして姿を消したソフィア。
瞬き直後には女神へと殴りかかっており、一撃で虹色の結界を破壊。間髪を入れず殴る蹴るの乱打で結晶結界をも破壊し尽くすと、瞬時に間合いを取り拳にオーラを集中させる。
「――いま出来る最高を叩き込むッ、天武煉獄羅煌拳!」
まるで瞬間移動でもしたかのように女神との間合いを刹那で詰めて、腕を振りかぶったその時。突然、女神の周囲にソフィアが三人増えた。
いや、何を言っとるのかと思われるやもしれんが、その通りなのだからほかに言いようがない。
合計四人のソフィアは挙動を同じくし、同時に守護領域を殴りつける!
と、直撃の瞬間オーラが盛大に爆発し放射状に拡散した。まるで極大の爆裂系魔法を直に叩き込むかのような恐ろしい技だ。
いまのソフィアならば、あのワンワンも一撃で死なせてしまうだろうな……。
技の直後、分身たちは空気に溶け込むようにして消えていった。
「実に面白い技ですね。オーラを具現化して分身を生み出すとは」
「まだ三人だけど、私も拳聖ならもう少しいけるかもしれないわ」
「まったく。あなたたちには期待しか出来なくなりました。末恐ろしい」
「でもこの守護領域がある限り、あなたは倒せない。最初に勝つことを条件に出されたけど、これでは資格は得られないのかしら?」
ソフィアの問いに、女神は小さく首を横に振った。
そして、どこかイタズラを詫びるように眉をひそめて口を開く。
「いいえ。最初はまさか私がここまでさせられるとは思っていなかったので、勝つことを条件にしていましたが。この短期間に、あなたたちは私の想像を遥かに超えてきました。まあ、私を相手にしているのですから、成長してもらわないと困りますが……。なので認めましょう、あなたたち三人の三聖クラスへのクラスチェンジを」
「やったぜ!」「当然ね」「ここまで長かったね」などと喜ぶライア、ソフィア、クロエを横目に、わしはずかずかと前へ出た。
「ちょいと待て! 毎度毎度わしを除け者にするんじゃないっ」
「別に忘れていたわけではありませんよ。ただ結果が目に見えていますし、やろうとしていることもすでに分かっているので、やるだけ無駄なのではないかと思っただけです」
「わしも試せるレベルになったのだから、実戦で試したいのだ!」
「なら準備しますので、いつでもどうぞ」
嘆息しながら結界を準備する女神ルナリア。もう少しやる気を出してくれてもいいのになぁ。
背後でまだ喜び合う女子たちを驚かせてやろうと思い、わしは気を取り直してフルチャージしたストラッシュを準備した。
「どうやらあなたは遅すぎる晩成のようですね。まあ、もともと勇者の素質の低い一般人ならば遅くて当然ですが。威力は申し分なく、これならば結晶結界も問題なく壊せるでしょう」
「やりたいことはこれからなのだよ。いくぞ、ワルドストラーシュッ!」
剣気を飛ばし、同時駆け出す。
刃を追いかけながら再びオーラを最大まで溜めたわしは、飛翔する刃が結界にぶつかる瞬間を見計らい、そこへ渾身のブレイクを交わらせる!
結界に十字のオーラが刻みつけられ、わしはニヒルな笑みを口元に浮かべながら「――これがフルパワーのワロスブレイクだ」と呟いた。
決まったぁああ、これ、これがわしがやりたかったこと!
いやー決まるとかっちょいいなー、なんて思っていた矢先にワロスブレイクの剣気が爆発した!
「どぅわぁああああ!」とわしまで吹っ飛ばされ無様に床を転げまわる。
濛々と上がる煙の中で、女神は絶対守護領域を展開したまま呆れた顔をしていた。
「技を繰り出したら走り抜けるか、飛びずさるかなさい。爆発に巻き込まれては態勢が崩れるでしょう」
「体が重いものでな、絵本の主人公みたくそう上手くはいかんのだよ」
「転がればいいでしょう」
「それでは格好がつかん」
「ならば痩せなさい」
「無理」
「そもそも技名がダサすぎます」
「わしはかっちょいいと思っているのだからいいだろう」
互いに譲らない無為な時間だ。だが、こうして女神と言い合うのも久しいからか、楽しく思う自分がいる。おそらくルミナス嬢とは言い合うことはなさそうだからな。双子ならではの楽しみというやつか?
一人ニマニマしながら女神を眺めていたら、守護領域を解除したルナリアが再び魔方陣を起動して塔の最上階を元に戻した。
二脚の玉座も再び円の中央に鎮座する。
「さて、これにて試練は終わったわけですが。これから行うことは儀式なので、各々部屋に戻って身を清めてからまたここへ来てください。あ、回復の泉で全快することも忘れずに。それから三人のクラスチェンジと装備の祝福を行います」
「うむ、了解した。ところで一つ聞きたいのだが。ベルファールは試練をしなかったのか?」
「彼女は暇つぶしと言って、すでに一日目の夜、あなたたちが寝ている間に終わらせていましたよ」
目を見開いて驚いたライアが、廊下の先、バルコニーの方を見やる。
「アイツ、来てすぐに終わったのか?」
「ええ。彼女には禁術もありますから。あなたたちよりも火力面においてはかなり有利でしょうね。魔炎剣クリムゾンラウヘルも扱いきれていましたし、紅魔炎の結界は問題ないでしょう。まあ絶対守護領域を前にしたらやる気をなくして、結局クゥちゃんの元へ戻っていきましたが」
……クゥーエルを枕にしてただ寝ていただけではなかったのか。
しかしこれで皆相当にレベルが上がったということだ。
いまの結界壊しでも経験値は得られたから、かなりの成長度合いだろう。
わしのかしこさが53から変わらんのは、どういうわけだと思わなくもないが。さほど重要なことではない、大魔王を倒しさえすればいいのだからな。
目的は単純至極明快だ。
「さあ、皆さん準備をしてください。私はここで待っています――」
女神ルナリアの言葉に頷いて、わしらは各々の個室に戻った。
風呂に入った後、あらかじめ手入れをしておいた装備に身を包む。
引き締まった気持ちで部屋の扉を開けると、仲間たち。と、ちゃっかり身なりを整えたベルファールの姿があった。
「……仕方がないから貴様らのクラスチェンジでも見届けてやる」
「…………」
「? なんだ?」
「寂しくなったのか?」
「違うっ、相変わらずクサい奴だ。この剣で燃すぞ」
「それは困る。お前さんと仲良く出来んからな」
「貴様と仲良くなどしないと言ってるだろう」
「わかったわかった、一先ずそういうことにしておこう。――では行こうか皆の者」
聞けよッと舌打ちするベルファールも引き連れて、わしらは回廊を行く。
というか、ベルファールの扱いに少々慣れてきたかもしれん。これはいい傾向だな。確実にいつか城を建設してやらねばなるまい。
ここにいる女子たちのためにもな!
夢と希望を胸に、一歩一歩確実に、わしは女神の元へと歩いて行った。