一時の休息――そして決勝へ
準決勝から一夜が明けた。
今日は大会が休みの日。久しぶりにゆっくりと羽を伸ばせるとあってか、女子たちは揃って町へと繰り出した。
そんな中、わしはというと。
少しだけ付き合ってくれんかとソフィアに声をかけ、いまは町の中に設けられた小さな公園に来ている。
それというのも、昨夜のディナーにて気になることがあったからだ。
健啖家ぶりが相変わらずなソフィアも、皆で過ごす時間を楽しんでいるように見えた。実際楽しんでいたのだろうが、その表情が時折、ほんの一瞬かげったようにわしには見えたのだ。
普段はクールでポーカーフェイスな彼女。旅の始まりからほとんど一緒だったからこそ、なんとなく察せられる機微というものがある。
それは恐らくだが、ソフィアが大会に出ると言い出したことと関係があるのだろう。そう思い、話をしたくてソフィアと連れ立ってここへ来たわけだ。
道すがら見つけた店で買ったこじゃれたドリンクで喉を潤し、ベンチで一息ついたわしら。
風に揺れる植木の葉っぱを眺めるソフィアの横顔を見ながら、わしは静かに口を開いた。
「……すまんな、貴重な休日にわしに付き合わせて」
「いえ、気にしないでください。特にしたいこともなかったので、のんびり出来るならこういうのもたまにはいいかなと。でも、勇者様から誘われる日が来るとは思いませんでした」
ふとそんなことを言われ、思い返してみた。確かに記憶にはない、気がする。
「そういえば、ソフィアとこうして何もない日に話をするのは初めて、か?」
「なにかしらのイベントで、といったことならあった気もしますが……。それにしても、急にどうしたんですか? 私よりもクロエや楓を誘った方が楽しいと思いますけど」
「なにを言う。わしはお前さんと話したかったからこうしておるのだ。それに、わしは皆の中に優劣など付けてはおらんよ。お前さんたち皆を愛しているからな」
「相変わらず歯の浮くようなセリフを恥ずかしげもなく……」
「結局伝えることは変わらんのだ。ならば恥ずかしがるよりも自信をもって堂々と想いを伝えたい。……だからソフィアも、そうやって自分を卑下することはないのだぞ」
わしがそう告げると、なにか思うところがあるのか、ソフィアは地面に目を落とした。表情には出ていないが、どこか憂慮を感じさせる在り方だ。
自分の言葉尻を引っ叩くように、切り出すなら今だと勢い任せにわしは続けた。
「お前さんが武闘会に出る旨を告げた時。……わしはそこにどんな思いがあるのか気づけなかった。しかしそれから幾度の戦闘を経ていく中で、傍目に見ていて、ソフィアが抱える悩みをなんとなく察せられるようになったのだ」
「………………」
「ソフィアは、以前の楓と同じことで悩んでいるのだろう?」
そう訊ねると、ソフィアは小さく「ふぅ」とため息をついてから顔を上げた。
「鈍そうな勇者様も、たまには鋭く切り込んでくるんですね」
「ほぼライアと同時期に仲間になってくれたお前さんのことだからな。それに長く共に居れば、昔の自分なら気づけないことにも少しは気づけるようになってくるものだ。それも、皆と深く関わるようになったからこその成長なのだと思う」
城暮らししていた時など、他人にあまり関心を抱かなかったからな。むにむに屋でパティスちゃん(ライア)のおぱーいを揉むことしか頭になかったあの頃から比べると、ずいぶんとまともに成れたものだと思う。
最近は昔ほど風俗という言葉に反応もしなくなってきたしな。女子に恵まれた環境に身を置けば、自然とそうなるのかも知れんが……。
ただ漫然と生きていたあの頃の自分とは、いつの間にか決別していたのだ。そう考えると感慨深いものがある。
一人しみじみとしていると――ソフィアがすっと姿勢を正して、おもむろに口を開いた。
「……勇者様の言う通りです。私も以前の楓と同じ悩みを抱えていました。自分だけ役に立っていないのではないかと。元盗賊で、元クレリックで、そして今はバトルマスター。なんだか私だけが中途半端な気がして……。速さだけは誰にも負けない、そう思いながらやってきましたが。いつの間にか楓に追い抜かれ、いまでは攪乱に隙を突いた攻撃など、遁術においても彼女は目を瞠るほどの成長をしています。ライアはついこの間奥義を会得し、ドラゴンレクターとの戦いで応用技を放てるほどに力をつけました。クロエは魔法王国の王女で、生まれながらに高い魔力を有しています」
いったん言葉を切り、さわさわと涼しげな音を奏でる梢に目を細めたソフィア。
その横顔は切なそうで、しかしそれだけではないひた向きさが眼差しから感じられた。
「近くで見ているからこそ感じるみんなの凄さ。私だけ取り残されて置き去りにされているのではないか。そんな不安から眠れなかったこともありますが……。魔物も出場するという武闘会に出てみれば、私自身の中で何かが変われるのではないか、そう考えたんです」
「そうだったのか……」
弱音を吐かなかったソフィアの中に、そこまでの葛藤があったことを初めて知った。楓と似ている悩みではあるが、その性質は違う。
楓は表に出せるタイプだが、ソフィアは内に抱え込むタイプなのだ。おそらくこのことは誰にも相談していないはず。
そのことに気づけない仲間たちではないと思うが、それを訊ねられたからと、いままでのソフィアがそのことに答えるかどうかは分からない。はぐらかすか、とぼけるかしそうな気もする。だからあえて皆も聞かなかったのかもしれんな。
「……わしが訊ねたことで、ソフィアを嫌な気持ちにさせてしまっていたらすまん」
「いつもの勇者様らしくありませんね。私はそんなことで傷付くほど、軟な乙女じゃありませんよ?」
微笑を浮かべるソフィアの表情からは、やわらかい印象だけが伝わってくる。
心に抱え込んだ悩み、そういったものは感じられなかった。
ソフィアの中では、もう悩みの答えが出ているのかもしれない。だが、わしはあえて伝えることにした。
「……お前さんが自身をどう思っていようと構わん。だが、これだけは言わせてほしい。わしにはソフィアが必要だ。きっと皆もそう思っている。だからどこへも行かんでくれ」
「別にどこかへ行こうと思っているわけではありませんが。でもそう言っていただけるのは嬉しいですね」
パーティーを離れるようなことはないことにまず一安心だ。
やはりソフィアのいないパーティーなど物足りないからな。それはほかの女子も同じだが……。彼女の少々冷たいところなんかも癖になるのだこれが。
話も一段落、と小さく伸びをしたソフィア。悩みについての憂いはないと判断し、わしは決勝戦について切り出した。
「ところで。ソフィアが自分自身の証明として武闘会に出ると決めて、明日はいよいよ決勝なわけだが。あのふざけたワンワンとかいうマスクマン相手に、それは自信になり得るのか?」
わしの疑問に、ソフィアは急に神妙な顔をして前を見据える。
「勇者様も、あの魔物の試合を観戦しましたか?」
「一応はな。チャンプがどの程度なのか知っておきたかったし」
「なら気づいていると思いますけど。あの魔物の防御力は、ドラゴンの鱗にも匹敵するものだと私は睨んでいます」
「ど、ドラゴン? ――あ、ああまあそうだな、それくらい硬いだろうなわしもそう思っていた」
思いもよらぬ発言に、わしは動揺を隠しながらポリポリと頭を掻いた。
……あのわんこマスクがそんなレベルの防御力だったとは。ぜんぜん気づかんかったな。確かに堅固だとは思ったが。
「だがドラゴンと言っても、さすがにレブルゼーレほどの硬さではないだろう?」
「あの魔物、まだあの時よりも硬くなりますよ。先の試合は決して全力ではなかった。もし本気で守りに入れば、恐らくレブルゼーレ並みの硬さを誇ると思います」
「……お前さんを以てしてそう言わしめるならば、きっとそうなのだろうな。洞察力はさすがだ。果たして勝算はあるのか?」
レブルゼーレの鱗並みと聞き、当然抱く不安感。
黒竜との戦いにおいて、ソフィアの攻撃はほぼ弾かれていた。瞬間的な火力は武王螺旋衝にも劣らないドラグーンフィストでさえも、竜鱗はほぼ無傷だったのだ。
そんな硬さの相手とまともに遣り合っては、ソフィアが息切れしてしまうだろう。疲れたら最後、ワンワンの腕力自慢な剛拳にやられかねん。
「幸いなことに、防御力が高いだけで戦闘技術があるわけではないようです。長引かなければ勝算はありますわ」
「たしかに疲れた相手を殴るところしか見ていないが……」
自信ありげなソフィアの表情を見てもなお、不安を払拭しきれないでいたわしに、彼女はやわらかく微笑みを返した。
「勇者様、楽しみにしていてください――」
そう言われ、昨日はそこで別れたわしとソフィア。
そして一夜明け、決勝戦当日となったわけだが……。
ソフィアとデートじみたことをしていたにもかかわらず、女子たちの反応は薄かった。もう少しくらい羨んでくれても良いと思うのだが……悲し。
とまあいつまでも嘆いてなどいられん。
ソフィアがワンワンと戦うのだ。楽しみにしていろと言われたからには、しかとこの眼で彼女の成長を見届けなければ!
一昨日と同様、なぜか先に観戦席を陣取っていたベルファールの隣に腰かけ、選手の入場を待つ。
ふとベルファールに目を向けると、小難しい顔をして腕を組み、ただリングを見据えていた。
「どうしたのだ、そんな眉間に皺を寄せて。愛い顔立ちがもったいないぞ?」
「……退屈だ。魔法が使えるのなら私も出たのに。他人の戦闘をただ黙って見ているだけというのは至極つまらん」
「ならばわしと運動でもしてみるか?」
「運動だと?」
「そうだ。わしもダイエットになるやもしれんし、なによりお前さんが相手ならば申し分な――」
その時、わしの眼前にすっと刀の鞘が伸びてきて視界を遮った。
「おっさん、その運動ってのは上か、下か?」
「ななななにを言っておる、それはその上、上に決まっているだろうに。腕立て伏せや腹筋なんかしてみたら痩せるかなとおも思っただけだ!」
「そうかそうか、ならいいんだあたしの勘違いだった。悪かったよ」
チキッ、と一瞬だけ鯉口を切る音が妙に生々しく耳に響く。
ライアもなかなか耳ざとい。クロエたちと会話していたのではないのか……。
あ、もしかしたら、わしへの好意ゆえに過敏に反応するのかもしれんな! そう思うとなんだか嬉しくなってきたぞ。
そんな可愛らしいライアをジッと見つめていると、「ニヤニヤしてんじゃねえ」プイッとそっぽを向かれる。
素直にはなりきれん年頃なのだなー。
その時、ドキドキする胸の昂ぶりが伝播でもしたように、会場が急にドッと湧いた。
選手入場がアナウンスされたからだ。
まずは南門が開いて、ソフィアが紹介された。表情を変えることなくいつも通りの涼しい顔で、彼女は先に戦いの舞台へ上がる。
続いて北門から入ってきたワンワンこと、ワンダレン・ワンダーマスク。相当入念にウォーミングアップをしていたのか、噴き出す汗が気化し湯気となって立ち上っていた。
四本の腕を上げ、大歓声に応えながらワンワンもリングに上がる。
「……いよいよ始まるな。ソフィアならあの堅い守りを前にしても問題ねえとは思うけど」
「相手の防御力をどう突破するか、それが問題だね」
「ドワーフに作ってもらったグローブがあればヨユーなんだろうけどさ。あいつかなり堅そうだもんねー」
やはり皆もワンワンの堅固な守りに気づいていたか。わしだけ見破れなかったことが恥ずかしくなってくるな。
忸怩たる思いは奥歯で噛み潰し、気を改めてわしはソフィアを見守ることにした。
レフェリーが諸注意を告げリングの外へ出ると――『それでは決勝戦、ソフィア対ワンダレン・ワンダーマスクの試合を開始します。始め!』銅鑼が鳴らされ、戦いの火蓋が切って落とされた。
動こうとしないワンワンは、今まで見てきた戦い方から変えないようだ。
膂力の強さを如実に物語る腕を組んでの仁王立ち。盛り上がる大胸筋、バッキバキに割れた腹筋、金床として鋼でも鍛えられそうな背筋、黒のパンツ越しでも判る腿の筋肉。
ふざけたマスクを差し引いても、その風貌は確かに王者の風格を醸し出している。
だがそれを前にしてもソフィアの表情は変わらない。
相手が動かないことを理解している彼女は構わず攻撃を開始した。
まずは一気に間合いを詰めて、挨拶代わりと言わんばかりの初歩的な『正拳突き』。ゴッ! とまるで石でも殴ったような硬い音を響かせる。
続けざまにソフィアが繰り出したのは両の拳による乱打技、『爆裂拳』だ。拳に纏わせた闘気が瞬いて見えるほどの速さで、会場からは歓声も沸き起こった。
想定内ではあるが、もちろん効果はない。完全体でないとはいえ、あの酒呑童子を呻かせたほどの威力なのだがな……。
そこからさらに追撃に出たソフィア。全身が白い輝きに包まれると、まるで閃光のごとく目にも止まらぬ動きで連撃を叩きこんだ。これも酒呑童子の時に見た『ブランネーヴストライク』という技。
鬼の体にえげつない打撲痕を刻んだはずの技も、褐色の肌に薄っすらと赤みを差させる程度に終わった。
心配などしていないが、こうも技が意味のないものにされると、見ていて少しだけ辛くなる。だが、ふと垣間見えたソフィアの表情は、技が無効にされているにも関わらず、口元に微笑すら浮かべていた。
諦めてなどいないし、自信があるということだ。わしらはそれを信じるほかない!
暇すぎて今にも寝てしまいそうなワンワンへ、続いてソフィアが放った技。
無数に拳と蹴りを繰り出したのち宙へ飛び、体を回転させ頭部へ鋭い右足を見舞う。空気摩擦により発生した火炎を纏った足が、頭を蹴り下ろした瞬間に盛大な爆発が起こった!
これはオロチの時に出した『バーストゲイルスマッシュ』だ。
「さすがに爆発ならば多少は効果があるのではないか?」
「煙ってて見えねえが、よろけてすらいねえってことは、効果はなさそうだぜ」
ライアの言葉通り、ワンワンは直立不動。一歩どころか半歩すら動いていない。
神殿のオベリスクか……。
やがて晴れた煙の向こうでは、なんとワンワンはあろうことか舟をこいでいた。
これにはさすがのソフィアも苛立ったのか。むっと眉根を寄せてその場で倒立し。体をよじって急速に回転すると、竜巻のような旋風を巻き起こしながら足技を叩きこむ。
しかし『トルネードグロウ』では目覚ましにもならんらしい。
「ソフィア、いままで使ってきた技全部出すつもりみたいだね」
「こうしてみると意外と多いんだねー。歴史を感じるっていうかさ。ね、オジサン」
「うむ、皆と共に成長してきた軌跡を見ているようだ」
技の数もそうだが、全てにおいてキレが増していることに感心する。だがそれでも、ワンワンの硬い防御力を超えられない。
それも想像通りだと大して気にすることもなく、今度も宙へ飛んだソフィア。無数の蹴りを繰り出すと、蹴撃は光の粒子を吐き出す光刃と化してワンワンを襲う。オークの群れを塵にした技『夢幻塵光脚』だ。
しかしワンワンの体に触れた刹那、光の刃はパァン! と弾けるようにして掻き消えた。
着地と同時、グッと拳を握りこんだソフィアは間髪入れずに『爆裂破砕拳』を放つ。
凄まじい速度の連打は、空気摩擦により拳と軌跡に炎が走る。数十発もの拳撃を打ち込んだが、分厚い岩壁を破壊し尽くした威力の技でも効果は薄い。
さらに追撃をかけるため、ソフィアはワンワンの頭上へ跳躍する。前宙し闇色のオーラを纏いながら垂直落下して思いっきり頭頂部をぶん殴った!
直撃の瞬間、軽く地震が起こるほど建物を揺らすも、『デトロゲイルフォール』ですら意味を成さない。並みの魔物であれば頭蓋が砕け死んでいるだろうに……。
だがしかし、今回は目覚ましにはなったようだ。
瞼を開けたワンワンは、何が面白いのかニタリと笑って肩を揺らした。
その仕草を目にした観客が、どういうわけか息を飲むように一斉に静まり返る。
「ん? どうして急に黙ったのだろうな」
「ヤツが本気になったからだ。ここからさらに防御力が跳ね上がるぞ」
ベルファールの言葉に昨日のことを思い出す。
「ソフィアが言っていた、レブルゼーレの鱗並みに硬いとかいうあれか……」
固唾を飲んで見守っていると、会場が静まり返ったおかげで選手二人の会話が聞こえてきた。
「某、ようやく好敵手を見つけた喜びにいま、感動で筋肉が打ち震えている!」
「そう。私はあなたが硬すぎていい加減イライラしてきてるんだけど」
「それが某ゆえ、容赦願いたいが。いまの攻撃、なかなか刺激的だった! 某も目が覚めた」
「そういう割にはダメージなさそうだけど」
「ジャイアントアントに突進された程度ではあるが、それでもよい目覚めのマッサージだ」
「蟻の体当たり程度、ね」
呟いて肩をすくめたソフィアだが、もちろん諦念は感じられない。
ワンワンは腕を組んでいる方とは別の腕で、力こぶを作りながら言った。
「だがこの先が楽しみに思える実力をお前は有していると判断し、某も全力で守り固めようと思う。思う存分に殴り蹴るがいい」
「ドMなの……。というか、あなたから仕掛けようとは思わないわけ?」
「お前は動きが速い、某では手に負えん。カウンターもままならないのならば、動き疲れたところをとどめ刺すのみ!」
「潔いのか諦めが悪いのかよく解らないわね……」
「それが某ゆえ――」
「容赦はしないからさっさと防御に入りなさい。私が必ずぶっ飛ばしてあげるから」
「ふむ、某の剛壁を打ち破ることを楽しみにしている!」
頷いたワンワンは一対の腕は組んだまま、もう一対の腕を腰元に当てて変なポーズを取った。
今までとそんなに変わらんと思っていたが、突然肌の色がサァッと黒色に変色する。黒い犬のマスクと合わせて、まさに黒犬のような風貌となったのだ。
鉄壁ではなく剛壁とは……。自らそう呼ぶのなら、相当な自信があるのだろう。
ここからが本当の本番だ。ソフィアの真価が試される時。
まずはより硬さを増したワンワンの防御が如何ほどか、それを確かめるようにソフィアは両手に闘気を集め、地面に手を叩きつけた。瞬間、ワンワンの足元から突出した『レイジングスレイブ』の気の刃が仁王立ちする彼を襲う。だが刃は折れるようにして崩壊し一瞬で霧消した。
続いて足に闘気を纏わせたソフィア。活躍の機会が多かった『アゼルドラクト』を蹴り込むも、こちらも同様、光の刃はワンワンに傷一つ負わせることは出来ない。
「あの白い毛玉との試合で放った技だな。だが某には届かん」
「みたいね。別に私も期待なんてしてないけ、ど――」
床を強く蹴り、拳に闘気を纏わせたソフィアは、もはや十八番の一つとなった『ドラグーンフィスト』を叩きこんだ!
弾けたオーラが竜の頭部を形作り、まるで攻城弾でも打ち込んだような轟音が響く。
だがさほど効果は見られない。
助走するための距離を取るため一旦離脱し、今度は前腕までを螺旋状の闘気で覆った。あの技は、現時点で放てるソフィアの最強技『武王螺旋衝』だ。
「それも毛玉に放った技だな? 大した威力であったと記憶しているが」
「チャンプが他人の試合を見ているなんて意外ね。もっと自分に集中しているのかと思ってたわ」
「お前は予選の時から一目置いていたからな。こうして戦えて嬉しく思っている」
「光栄だわ、チャンプにそう言ってもらえて」
「……試してみるか、その技を」
「当然――」
駆け出し一気に間合いを詰めたソフィアは、ワンワンの腹に拳を突き入れた!
螺旋の闘気が放出され、一撃打ち込んだだけにも関わらずガガガガ! と無数の打撃音を響かせる。
その威力にわずかに一歩引いたワンワンだったが、「むん!」と腹部に力を入れた刹那、武王螺旋衝の闘気が押し返されソフィアが大きく跳ね飛ばされた。
上手く受け身を取って滑るように着地し、彼女はふっと自嘲気味に笑いながら立ち上がる。
「これでもたったの一歩。まるで届かないのね、竜鱗にも、その剛壁にも」
「お前の最強技はここに敗れた。これ以上やっても無駄だとは思うが、お前はどういうわけか諦めた目をしていない。むしろ闘志が溢れているように思う、某には理解できない」
「人間っていうのは諦めの悪い生き物なのよ。それに特に私みたいなのは、他人に前を歩かれるのが嫌いなの。だから仲間であってもライバル視する。でもそんな状況を楽しめる自分がいることに気づけた。一長一短、個性があるから面白いのよね。ま、最近になってようやく解ったんだけど。単純な勝ち負けだけがすべてじゃない、そう考えたら幾分楽に生きられるようになったわ」
「そのことと闘志を漲らせる現状とがどう繋がる?」
「自分にないものでも、それに近づけることは出来る――」
ソフィアがそう告げた直後、全身から噴き上がった白銀の闘気が羽衣のように体を覆った。これはライアの『獅子咆哮』によく似ている。
拳には極まった輝きが集約されていき、凄まじいまでの覇気と力の波動を感じた。
「そしてそれは、自分次第で自身のものとして昇華させられるのよ」
極限まで高まった闘気を纏うその姿は、美しくもありまた畏敬すら抱かせる在り方だ。
見守っていた仲間たちからも驚きの声が上がる。
「ドラゴンレクターとの戦いでなにか掴んだような顔してたけど、まさかこんな大技だったなんてな」
「悩んでたことへの答えがやっと出せたんだね」
「吹っ切れたソフィアは強いだろうねー。アタシもうかうかしてらんないなー」
それを目にしたワンワンも、思わず息を飲むほどのようだ。
「これは素晴らしい! 我が好敵手として申し分ない! かつてここまで高揚する戦いがあっただろうか、否! 某は感動で今にも失禁してしまいそうだ!」
「みっともないから止めなさい。二度と地上を歩けないように天まで吹っ飛ばすわよ?」
「それもまた一興と思えるから不思議だ」
「やっぱりドMなの……」
張り詰める緊張感の中での緊張感のない会話。
だがソフィアの闘志は少しも揺らぐことはない。
ワンワンもこれが最後だと理解しているのだろう。構えを一度解いて、改めて剛壁の構えをとった。
「それさえ凌げば某の勝ち。いま一度、全身全霊をもって防御に徹する所存だ」
「なら私は、その防御を全力で打ち砕くまでよ」
スッと拳を引いてソフィアが構えた。
会場には呼吸すら忘れたように沈黙の帳が下りる。
ワンワンが頷いたのを見咎めたソフィアが、強く床を蹴った瞬間――フッとその姿が掻き消えた。「速い……」と楓が小さく呟くほどのスピードで、さすがにわしには知覚出来ない。
だが進行方向とは逆に、勢いよく噴き出すようなオーラだけは認識できた。
わしが一度瞬きした直後、ワンワンの目の前に突然現れたソフィアは、腰を入れた右正拳を腹部へ叩き込む。
「――武神天崩撃!」
ズパン! とえげつない音を響かせ直撃したその時、ドラグーンフィストや武王螺旋衝の比ではないくらいのオーラが爆発的に拡散した。
リングの石床はそれだけで砕けるほどの威力で、殴られたワンワンも必死の形相で耐え凌いでいた。
ダメ押しと言わんばかりにソフィアが思いっきり拳を振り抜く。「ぐぬぅ」とあのワンワンが呻き、武王螺旋衝の時とは違って、彼はリング上をズザザーと滑るようにして勢いよく押されていく。
何とか耐えようと踏ん張る足と床が摩擦で炎を上げた。
やがてリングの縁でようやく止まったワンワン。その腹部では自慢の腹筋が大きくへこんでいた。力を失うように見る間に元の褐色の肌へと戻った後――なんと彼は膝を屈したのだ。
「ぐふぅ……、某の、負けだ。なんという威力。よもやこの剛壁が破られるとは、まさに武神の一撃……ゴフッ」
咳き込み血を吐いたワンワンの元へ、ソフィアは歩み寄っていく。
見上げた彼に手を差し伸べたソフィアは静かに口を開いた。
「ありがとう、あなたのおかげで自信になったわ」
「差し伸べてくれたその手を取ること能わず……しばらく身動き取れそうにない」
「そう、でも私は手加減していない。それに耐え抜いたあなたは、やはり強いのね。もっと精進しなきゃいけないわ」
「いや。一瞬でも気を抜いていたら、某は今頃死んでいただろう。それほどの技だった」
脂汗を掻きながらも、なんとかという笑顔を口元に浮かべたワンワン。
相手に敬意を払い勝利を称える姿は、まさに真のファイターだ。
「ところで、お前に一つ言っておきたいことがある」
「……なにかしら?」
「勝者であるお前には、敗者である某のこのマスクを剥ぐ権利がある」
「そんな権利なんていらないわ」
「いいや、剥ぎ取ってもらわなければ某の気が済まない」
「それなら自分で取ればいいでしょ。汗臭いマスクにも、あなたの素顔なんかにも興味はないの」
少々冷たいソフィアの言葉に、寂しそうに項垂れたワンワン。
哀愁が漂っているな……。
「そうか……。ならば某は、この恥を耐え忍び、これからもこのマスクと共に生きていくことを決意しよう。ソフィアという一人の名選手と手合わせ出来た思い出とともにな」
「見た目のわりにセンチなのね……」
ドMでセンチメンタルとはこれ如何に。
会話する二人を遠巻きに見ていたレフェリーが、ワンワンにこれ以上の戦闘の意思がないことを確認。
『――第83回武闘会優勝者は、……ソフィア!』そう勝者が告げられると、会場が割れんばかりの歓声に包まれた。
大して反感が湧かないのは偏に、ワンワンが潔く負けを認めたこと。そしてなによりもソフィアのあの技が、観客の度肝を抜いたからなのだろう。
『楽しみにしていてくださいね』彼女のその言葉通り、実に緊張感のある手に汗握った試合だった。
ソフィアの歴史とともに確かな成長を見られたことを、わしは嬉しく思う。
それから――。
ワンワンの回復を待ってから行われたセレモニー。
優勝者であるソフィアには、賞金50万Gと、ザクスリードの一等地にある一軒家の鍵。そして地下歓楽街へのフリーパスが渡された。フリーパスはパーティー間で共有出来るらしい。
風に散る花のように紙吹雪が舞う中。
表彰台の上で晴れやかな表情を見せるソフィアが、なんだか誇らしげに見えた。
ふとわしらの方へ顔を向けたソフィアが手を振ってくれたので、わしら全員で手を振り返すと、にこやかな笑顔を返してくれたのだ。
彼女に笑顔を向ける心の内で――わしももっと強くならねば――そんな向上心を抱かせてくれた熱き戦いを見せた二人に、わしは心から感謝した。




