エステルの提言
聖都へ戻ったわしらは、エステルが思いついたという考えを女王に伝えるため、さっそく聖樹の麓へと向かった。
聖樹ユグドラシルは近づけば近づくほど、その巨大さに圧倒される。
「近場から見上げると樹の天辺が見えん。それほどの大きさというわけか……」
「おっさん、そもそも枝葉が茂ってんだから近くから見上げて天辺が見えるわけねえだろ」
「む……たしかに」
当たり前のことを指摘され、わしは思わず頬を掻いた。
前を行くエステルが呆れるようにため息をつき、憐憫の眼差しで振り向いた。
「その頭の悪さで大丈夫か? 私の話、理解できるか?」
「大丈夫だ問題ない。わしだってそこまで馬鹿じゃないのだ。ところで、お前さんの案というのは、まだ話してはくれんのか?」
「陛下にお伝えする前に話してどうする。何事も第一に伝えねばならないのは女王陛下だ。それに、今回はことが事だけにな……」
不安、畏敬。そんな緊張に顔を強張らせているエステルを見るに、怒られることを覚悟の上での話だということが分かる。
自分が悪さをしたわけでも、しに行くわけでもないのに、なんだかこちらまで緊張する。
やがてたどり着いた聖樹の麓には、四本の柱に囲まれた台座が設えられていた。
台座は三段に切り出された大理石。さらにその中央には平たい台が置かれている。
しかしそこに女王とアルティアの姿はない。
どこへ行ったのだろうと方々見渡していると、
「――あら、ずいぶんと早かったのね」
と声をかけられた。
そちらへ目を向けると――聖樹の西へと迂回する小道から、宝剣ヴェルティーユを携えたアルティアが女王を伴ってこちらへと歩いてくる。
そんなアルティアの姿に、わしはつい見惚れてしまった。
先刻まで見ていた騎士としての軽装鎧ではなかったからだ。
清らかな空気をまとう純白のドレス。飾るレースや刺繍は、このためだけに粋を結集したような豪華さで、品格にさらなら美しさが乗算されている。
結い上げた髪を飾る青い宝石のティアラも相まって、じゃじゃ馬呼ばわりされていた彼女の姿はなく、まさしくプリンセスとしてのアルティアがそこにいた。
「どうしたの、そんなにぼーっとして?」
「えあ、いや、なんでもないのだ」
着衣と髪型でこうも変われるものなのか。わしも勇者の鎧……なんぞがあるのか知らんが、着られれば少しは変われるだろうか。
わしは見惚れていたことを誤魔化すように、「おほん」と一つ咳を払った。
「わしらの帰還が早いのは、エステルがあっという間に魔物を一掃したからでな」
「あー、やっぱりあの魔法使ったのね。宝珠が発動したのはすぐ分かったから、そんなことだろうとは思ってたけど」
「すみません、ついカッとなってしまい」
「エステル、あんまり無茶なことしないでよ? いざって時のためにも力は温存しておかなきゃ。禁術まで唱えなかったのは褒めてあげるけど。これでもし禁呪が使えてたらどうなってたのかしらね」
わずかに目を怒らせて諭すアルティアに、エステルはしゅんとしながら頭を垂れた。
「面目ないです……」
「禁術? 禁呪……??」
聞きなれない魔法に反応を示したのはクロエだ。
アルティアは一つ頷いてから語る。
「神聖と暗黒魔法の中には、圧倒的な大破壊をもたらす魔法が存在してるの。自身の魔力をすべて解き放つことになるんだけど……。この大陸が瘴気に包まれた死の大地になったのは、女神と魔王が禁呪を撃ち合った結果だと云われているわ。その魔法は神代のもので、私たちは使えないんだけどね」
女神と魔王がやり合って汚した大地に、聖樹を植えて浄化させた?
なるほど、火をつけて自分で消火するという、いわゆるアレみたいなものか。
「それに比べて威力はかなり劣るといっても、禁術は甚大な被害をもたらすから。いくら苛立ったからって絶対にノリで使っちゃダメよ」
「肝に銘じます……」
再三頭を下げるエステルは本当に参っているようだ。
なんだかいつもと立場が逆転しているような……。やはりプリンセスには敵わん部分もあるのだな。
「ところで、ベルファールはどうしたのです? 討ち取りましたか?」
「いや、あやつは途中で東の方へと去っていった。すまん、大きなことを言ったわりに取り逃がしてしまって」
「森への侵入を許さなかっただけ良しとしましょう。瘴気を残されては、アルティアの負担にもなりますから」
「そのことなのだがな……」
わしが言葉を切ると、女王は訝しげに眉尻を上げた。
「わしらを試しに来たと言っていたし、どうやら聖都へ進撃するつもりで来たわけではなかったようなのだ」
「そうなのですか?」
「うむ。わしらを待っていたようだし、魔物は雑魚しかいなかったから偽りはないだろう。それよりも、ベルファールは去り際に気になることを言っていた。『計画を進める』とな。推測でしかないが、あやつは間違いなく今度こそ聖都へ攻め入ってくるだろう。準備は万全なのか?」
わしから視線を外してアルティアを見た女王は、やわらかく微笑んで頷いた。
アルティアもそれに応える。
「禊も済ませたし、私の準備は整っているわ。あとはあの台座に剣を刺して、延々と魔力を搾り取られるだけよ。私の力が尽きるのが先か、魔物が尽きるのが先か……地味でぜんぜん楽しくない勝負だけど、必ずやり遂げてみせる」
意思の力強さはその目力からも伝わってくる。プリンセスの意地だな。
そのひたむきな姿勢に覚悟を決めたように、エステルは一歩進み出た。
「……女王陛下、私から少しお話したいことがあるのですが。お時間を、いただけますか?」
「それは神託の巫女として、ですか? それともエステルとして?」
「巫女ではない一個人としての、私からのお話です」
真剣な眼差しを見返して、女王はしばし無言で見つめ合った。
ややあって小さく頷くと、「分かりました。聞きましょう」と呟く。
エステルは深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「それで、どのような話なのです?」
「はい。その前に――勇者よ、盾を」
「ん? うむ」
わしはセヴェルグの盾を女王へと示す。
「美しい盾です。勇者という称号に実にふさわしい防具ですね」
「次に、剣を……」
「よいのか?」
「ああ。示さなければならない、必要なことだ」
「……分かった」
覚悟を持って首肯したエステルの気持ちを汲み、わしは道具袋から剣を取り出した。
「それは……、なんてみっともない剣なのです。そのようなひどい造形の剣を私の前に晒すとは……恥を知りなさい」
厳しい目をしながら頬を引きつらせる女王の表情を見て、これはなにを言っても聞き入れてくれなさそうな雰囲気を感じ取った。
しかしエステルは毅然として進言する。
「陛下。たしかにこの剣は武骨で醜い武器です。見るからにドワーフ特有の野蛮さが溢れ出ています。ですがこの盾、セヴェルグも、……かのドワーフ王が鍛えたものだと聞きました」
「エステル、私は冗談は好みません。なにを言い出すかと思えば、そのような美しい盾を、あんなちんちくりんのもじゃもじゃ蛮族が鍛えられるはずがないでしょう。大方、上の世界の産物でしょう。真面目に取り合うだけ時間の無駄ですね」
そう切って捨てる女王に、わしはなんだか少しだけムカついた。
エステルがこんなにも真剣に訴えているのに、聞く耳を持たんとは。
そりゃあ基本的に信じないのがハイエルフだろう。アルティアもそうだった。しかし、臣下の訴えを無下にするとは如何なものかっ。
「女王よ――」
「母様!」
わしが声を上げたのを遮って、アルティアが言葉を発した。
「アルティア、まさかあなたまでこの盾を、本気でドワーフ王が鍛えたと思っているのではないでしょうね?」
厳しい目つきで睨む女王から目を逸らさずに、アルティアは泰然とし見返して言った。
「私も最初は信じられなかったけど、でもいまは勇者を信じてるわ。たしかにこの盾はドワーフが鍛えたにしては美しすぎる。信じられない母様の気持ちも分かる。でもよく見て、盾に刻まれたこの女神文字を。これは私たちハイエルフのほかには、もう扱える種族はドワーフの、それも王しかいないはずでしょう?」
「見よう見まねということも無きにしもあらず、ですし――」
盾を見てからわずかに目を逸らした女王は口端を歪める。
わしはすかさず今しがた遮られた言葉を続けた。
「……さきほど上の世界の産物と疑ったがな。女王よ、わしらがいた上の世界に、アダマンタイトは存在しないのだ。伝説の鉱物として、架空の金属扱いだった。それに人間では、この金属は硬すぎて扱いきれんのだよ。イグニスベインと対峙するにあたり、ドワーフ王が種に伝わる過去の伝説の盾を超えるものとして、このセヴェルグを作ってくれた。出来上がった時、王はずいぶんと嬉しそうだった。ハイエルフにも負けない盾を作り上げたことを喜んでいた。わしはそんなドワーフたちに感謝しているのだ、勇者の武具にふさわしいこの盾を贈ってくれたことを」
真摯に女王の目を見つめてわしは訴えかける。エステルの話を聞いてやってくれと。しばらく女王と視線を交わすだけの沈黙が横たわった。
少しして、「ふぅー」と深く息をついた女王は、あきらめたような困り顔を見せた。
「たしかに、女神文字は私たちの他にはドワーフ王しか扱えないもの。アダマンタイトが超硬度の金属であることも知っています。……その盾を、ドワーフが鍛えたという事実を、出来ることなら信じたくはないですが。現に存在し目の前にあることを鑑みるに、それが真実なのでしょう。分かりました、一先ずは信じてみます」
女王の言葉に、場の緊張がわずかに緩んだ。
エステルもほっと胸を撫でおろしている。
「それでエステル、あなたの話というのは?」
「はい。無礼を承知の上でお許しを乞いたいのです。……勇者の剣を、ドワーフと共作することを認めていただけないでしょうか」
「なん、ですって……あなたは、この聖域にドワーフを入れると言うの……?」
この世のものではないものを見たように、女王は大きく目を瞠る。
エステルはかまわず続けた。
「恐れ多くも陛下。ドワーフ王の鍛造技術は、この盾を見てもお分かりになられる通りかなり高次に達しています。竜の巣のオリハルコン……アレを鍛錬することが出来る鍛冶師は、おそらくこの世でドワーフ王しかいないでしょう。神代に宝剣と魔剣を生み出したこの聖域の工房ならば、鍛えるに必要な火力は十二分に起こせるはず。ドワーフ王の鍛えた刃とハイエルフの魔力で紡いだ柄と鞘。それらの技術が合わされば、伝説にも名を連ねる逸品が出来るはず」
エステルはわしの剣を一瞥する。
「ご覧いただくとお分かりのように、勇者の剣は先ほどの戦闘で腐食し、全力での戦闘はほぼ不可能に近い状態です。この先のことを考えると、この者に世界の行く末を託すのであれば、新たな武器は必要不可欠――」
エステルは静かに腰を下ろし、女王の前で跪いた。
「どうか彼らのため、そして世界のために。ドワーフ王の協力を仰ぐことをお許しください」
深々と頭を下げて、許しを乞うエステル。
世界を案じ、また種族間をも超えた想いは、わしらの胸を強く打つ。
すると突然、今まで沈黙を保ち動向を見守っていた女子たちが動いた。
エステルの横に並び、そろって跪いたのだ。
「女王、あたしからもお願いだ! 頼りないおっさんかもしれねぇけど、これでもちゃんと勇者やってんだ、頼む」
「私たちにとっては、もういなくてはならない仲間なのです。それに、こう見えてけっこう役に立つんですよ?」
「絵本とかの主人公みたいにかっこよくはないけど、それでも勇者さんは一生懸命戦ってくれているんです」
「どっちかっていうと情けないとこばっか見てる気がするけどねー。でもま、それでもアタシたちには必要なオジサンなんだよ」
「……お前さんたち……」
健気な姿を見て胸が温かくなり、目頭に熱いものを感じた。
わしのために、皆が頭を下げてくれている。
グッと唾を飲み込んで、わしは嗚咽をこらえた。
女子たちにだけ、こんなことをさせるわけにはいかん。
膝を折り、わしも皆の背後で正座する。両の拳を地面につき、地面に額をこすりつけた。腹が邪魔で尻上がりになってしまう。みっともないが、そんなことは構わん。
「……恥も外聞もない……。わしの頼みなど、聞かんでもよい……。だが、皆の気持ち、想いだけは、汲んでやってくれ……、頼む……」
決して泣かぬようにとこらえた嗚咽は、涙声となって震えた。
わしの心からの、魂の懇願だ。
目にたまった涙は、雑草を伝って大地に滲みていく。
しばらく風の音だけが聞こえていたが、不意に前方の気配が動いた。
「顔をお上げなさい」
女王のやわらい声音にゆっくりと顔を上げる。
するとどこか居心地の悪そうに、女王は腕を組んで明後日の方を向いていた。
「そこまでされて却下しては、私が悪者みたいになるでしょう……」
「では……っ?!」
「ええ、許可します。ですからお好きになさい。まったく、アルティアにまで頼まれては、認めざるをえないでしょう」
「母様が頑固だからよ」
母親の横顔を、責めるようなジト目で見ていたアルティア。
そんな彼女を見上げ、エステルは体を震わせていた。
「ア、アルティア、様……」
「よかったわね、エステル」
「……は、い……うぅ……」
微笑むアルティアの顔を見て、エステルは安心したように急に泣き出した。「よしよし」と頭を撫でられては泣きじゃくるエステルは、まるで少女のようだった。
女王に対し、歴史上でも類を見ないことへの許しを乞うこと。その緊張もあっただろう。
微笑ましい二人の姿に、すっかりとわしの涙は引いていた。というか、わしのきちゃない涙がひどく安っぽく思えて、急に恥ずかしくなってきた。
そんな二人を戒めるように咳払いした女王は、静かに告げる。
「許したからには、生半可な物を作ることは許しませんよ」
「……はい陛下……ヴァレンティン王家と女神に誓って……」
目にいっぱいの涙を浮かべて見上げるエステルに笑みを返し、女王はわしに目を向けた。
「勇者ワルド。オリハルコンはエゼルミストの森の南東にあるガーブ山地、その山中に空いた洞窟の底にあるそうです。竜の巣と呼ばれる洞窟には、ベルファールが当時封印することしか出来なかった強大なドラゴンが住んでいます。行くのなら気を付けていきなさい」
「忠告ありがたく頂戴する。……いろいろとすまんな、面倒をかけて」
「気にすることはありません。それに世界のためであるならば、私一人が拒み続けるのもおかしな話でしょう。けれど正直、あちらが承諾するか否かの方が心配です。あなたにドワーフ王の説得など出来るのですか?」
「心配いらんよ。あやつも話せば分かる男だ。そうでなかったら土下座してでも頼むから大丈夫だ」
「大の男がそう簡単にひれ伏すものではありませんよ」
「頭の片隅にでも置いておこう……」
情けないと言いたげな目で見てくる女王から目をそらし頬を掻くと、エステルが立ち上がり振り返って言った。
「説得には私も付いていく。お前にだけ任せてはおけないからな」
「それはいいが、……戦闘になったりはせんだろうな?」
「その時になってみないと分からないが、あちらの出方次第だろう」
少しだけ表情をかげらせるエステルのもとに、女子たちが集まった。
「そん時はそん時だろ? アンタなら大丈夫だ」
「安い励ましで焚きつけてはダメよ。魔力は温存しておかなければって話だったじゃない」
「でもきっと大丈夫だよ。勇者さんが守ってあげればね」
「そうそ、オジサンの数少ない取柄だしねー」
「うむ、そうだったな。……って、数少ないことはないぞ!」
皆に笑われ、場に残っていた緊張の残滓はようやく消えていった。
前向きに、ひたむきに。皆の心を一つに……。
その想いさえあれば、きっとドワーフ王も納得してくれるはずだ。
……わしの新たな武器、オリハルコン製の剣か。ベルファールと戦うためにも、大魔王と戦うためにも必要になるものだろう……。
心配がないと言えば嘘になる。だが、わしが尻込みしている場合ではないからな。気を確かに持たねば、説得することもままならんのだ。
なにせハイエルフ嫌いの、あのドワーフ王だから。
理解してくれるはずと期待を込めて、聖樹の先にあるラグジェイルの大地に、わしは一人思いを馳せたのだ――。