ユグドラシル地方の異常
ハイエルフの女性アルティアについて、わしらは森の中をひたすら歩いていた。
罠を仕掛け直すと言っていたのに、そのまま奥へ向かうことを疑問に思ったが。
アルティアが草笛を吹いたことで、その疑問の答えはすぐに知れた。
どこからともなくエルフの女子たちが現れ、罠を仕掛け直しに向かったのだ。そこから考えても、人に指図できる立場にある者だということが窺える。
まさか女王とか? それとも近衛隊長とかか?
女王と近衛隊長といえば、エルフのリーフィアとレニアが懐かしい。また会いたいものだな、正装だと言っていたあの葉っぱビキニに。
「それにしても、まさかその聖獣がハイエルフの身を案じて盗みを働くとは。ずいぶんと親しく近しい存在なのだな」
「私たちに伝わる話だと、女神から聖樹の種を預かってこの大地に蒔いたのは、この子だって聞いてるわ。守り手としてこの大地にハイエルフが遣わされたその時から、ずっとオルハが大地と私たちを見守り続けてくれているの」
「なるほど。それだけ深い繋がりがあるんなら、やってることは悪いけど、畑から野菜盗んでまで助けたいと思う、こいつの気持ちも分からなくもねぇな」
アルティアを乗せて歩くオルハのお尻の辺りを、ライアがポンと叩いた。
するとオルハは得意げに「ワン!」と返事する。
その様子に目を細めながらも、ソフィアがふと訊ねた。
「ところで、この子が盗んだ野菜っていうのはどうしてるの? 騒動が起きてからずいぶんと長い期間に渡ってるようだけど」
「もちろん倉庫に保存はしてあるわ。でも……さっきは建前上ああ言ったけど。私たちも食糧難でね。中には小さな子もいるから、食べなければ死んでしまう。だから、人間を毛嫌いしてるからと食べさせないわけにはいかなくて。頂いた分もあるわ……ごめんなさい」
アルティアはイルマに振り返ると、申し訳なさそうに眉を垂れて謝る。
イルマはぶんぶんと首を横に振り、笑みを浮かべた。
「そのことならもう気にしないでください。きっと町の人たちも話せば分かってくれるはずですし。それに困っている時はお互い様ですよ。むしろ聖樹の恩恵にあやかれる私たちが逆に感謝したいくらいです」
「そう言ってもらえると多少気が楽だわ、……ありがとう。あなたみたいな人間もいるのね」
抱いていたわだかまりがとけていくように、アルティアの表情はやわらかくなっていく。
イルマの真摯な思いが伝わっているのだろう。
「そういえば。さっきから幹に埋まった石柱のところをよく通るけど、なにか理由があるの?」
「言われてみれば、確かに……」
わしも今さら気が付いた。アルティアが倒れていたところにあった、幹に埋没する石柱。それと同じものをよく見かけていたことを。
クロエの問いに、アルティアは小さく頷き答える。
「あなたたちを信じて話すけど。あの石柱は遺跡の町への道しるべになってるの。
でも正しいルートを通らなければ、いつまで経ってもたどり着けない迷いの森なのよ」
「ということは、ルートさえ暗記すればたどり着けるのか?」
「いいえ、ルートは定期的に変えてるから無理ね。まあ運よく抜けられても腕利きのアーチャーに蜂の巣よ。合ってる場合は石柱が青く光るの」
通り過ぎふと石柱を見やると、たしかに淡い青色に光っていた。
「間違うとどうなるのだ?」
「一度でも間違えると赤色に光って、永続的にかけられてる魔法トラップの餌食よ」
「それは恐ろしい……。というか、わしらもおいそれと立ち寄れんではないか」
「町に行けばパスをあげるわ」
「この短時間にずいぶんと信用を得たのだな、わしらは」
「あなたを信用しきったわけじゃないけど、ほかの人間は害がなさそうだもの」
「うむ、そうかそうか。まあそういうものだろうな、わしなんて……」
つい涙目でいじける。
だが、『しきったわけではない』ということは、多少なりと信用はされているということだ。そこに希望を見出して前を向かねばな!
顔を上げ、そこでふと視界の端に映った楓。いつもなら会話に混じってきそうなものだが。なぜか明後日の方を見つめていた。
「楓、どうかしたのか?」
「オジサン……油断しない方がいいよ。まだ微力だけど、妖しい気がそこかしこにいるから」
楓の一言でパーティーに緊張が走る。
「あたしにはまだ気配は感じられねえけど」
「同じく、私もだけど」
「楓ちゃんが言うなら、そうなんだろうね」
皆、楓の言葉を信用し油断なく構える。
忍者は気配察知にも長けた職業だ。上忍になったとあれば、その感覚は鋭敏極まるだろう。仲間たちは皆、楓の能力を信頼しているのだ。
もちろん、わしもな!
「くる!」
楓の言葉と同時、わしらを取り囲むように地面から瘴気が噴き出した。
それはやがて魔物の姿を形作る。
小さな竜の頭を持つ、リザードマンみたいな魔物計五体。ドラゴンソルジャーだ。全身を硬そうな鱗が覆い、軽鎧を身に纏っている。
手にしているのは身幅の広い大きな曲刀。
「アルティアよ、イルマを頼んだぞ」
「ええ、任せて。オルハ」
「バウ!」
「わっ」
突然イルマを押し倒したオルハは、その上に覆いかぶさり全身で少女を守る。
真っ白い毛がぶわっと膨らみ丸みを増したその体は、まさにモフモフの塊だ。
イルマの安全が確保されると、アルティアはオルハの脇で待機する。
それを見届けて、わしらは各々武器を構えた。
ライアとソフィアがともに飛び出し、それぞれが対する魔物を叩く。
「この程度の雑魚であたしらをどうにか出来ると思ってんなら、甘すぎるぜ。――五月雨の太刀!」
ライアがドラゴンソルジャーの脇を刀で払い抜ける。瞬間、幾筋の剣閃が魔物の体を斬り苛んだ。一瞬にして細切れになった魔物は瘴気を吐き出し、ドラゴンの頭蓋骨だけを残して消滅する。
剣筋が冴え渡っている。イグニスべインを倒した時から、さらに成長しているようだ。
「もう少し格上と戦えなきゃ、大して経験値の足しにもならないわね。――ドラグーンフィスト!」
聞き馴染みのない技、新技だ!
ソフィアが闘気を纏わせた拳を魔物に叩き込むと、インパクトの刹那――衝撃波とともに弾けた気が、咆哮するドラゴンの頭部をオーラとして具象化した。
盛大に吹き飛んだ魔物は樹の幹に体を打ち付け、頭蓋骨ごと粉々となる。
ザクスリードの闘技場、そこに出場するつもりみたいだからな。ソフィアも気合が入っているのだろう。
「でもこんな現れ方されたんじゃ、森の中を気軽に歩くことも出来ないね。――グラキエルエッジ!」
瞬時に白青の魔法陣を展開したクロエ。
宙にいくつもの氷のつぶてが現れると、それはパキパキと音を立てて急激に成長する。やがて鋭く尖った剣のような氷柱となって、魔物へと一斉に発射された。
胴部に五本命中し、最後の一本は鮮やかに首を刎ねる。地に落ちた瞬間、ソルジャーの頭部は骨と成り果てた。
クロエの魔法もキレが増しているな。賢聖に近いと言われるだけのことはある。
「クロエちゃんは氷かぁ。森の中だとお互い得意な属性使えないからちょっと厄介だね。――冥遁・擬人影殺」
楓が印を結ぶ。冥遁を使うのは、酒吞童子以来これで二度目か?
今度はどんな術かと思い見ていると。
ドラゴンソルジャーの足元に広がる影が、蠢きながら急に起き上がった。真っ黒で判りづらいが、身に着ける装備などのシルエットは魔物そのものだ。
その影が、こちらへ向かってきていた本体の背にいきなり斬りつけた。
何事かと振り返った本体の顎元を、返す刃で斬り上げる。
「こいつは、同士討ちか?」
「術者の技量で影の強さが変わるんだー。魔物によっては使えないやつもいるんだけど。一方的にやられてるとこ見ると、あの魔物相当弱いみたいだね」
「いや、それは楓が成長しているのでは……」
上忍といえば、剣聖、拳聖、賢聖と呼ばれる『三聖』に並ぶクラスとされている。最上位に一番乗りをしたわけだからな。しかもまだまだ成長途中ときたものだから末恐ろしい。生まれが生まれだから、素質があるのは当然だが、楓は努力をしてきた。その結果だ。
まあ、ドラゴンソルジャーが弱いかどうかは、わしが殴ってみれば一番分かりやすいだろう。
影が問題なく本体を処理し共に消えたのを見届けて、わしは残っていた一体に正対した。
トカゲでなくドラゴンの頭をしているだけあって、見た目は強そうだ。
だがしかし! 女子たちに後れを取るわけにはいかん。
フシュー、と息を吐き、わしに向かってくる魔物。
振りかぶられた曲刀を難なく剣でいなし、勢いに任せて自ら剣を宙に放る。逆手でキャッチし、そのまま――
「いきなりワルドストラーッ……と見せかけてブレイクだ!」
剣気を飛ばさず、直接魔物へと剣を叩き込む。
いつもの癖で、危うくストラッシュを放つところだった。咄嗟に気付いてよかった。下手したら、守り人であるハイエルフの前で、森林伐採をするところだった。
そうなればわしの評価はだだ下がりだったろう。
爆散した魔物は頭蓋骨だけを残して消滅する。
「……たしかに弱かったな。盾を出すまでもなかった」
町へ着いたら見せびらかしてやろうと思って、道具袋の中に入れたままだったが。これはある意味ありがたい誤算だ。
武器を収めて、わしらはアルティアの元へ集まる。
オルハは元の毛並み美しい姿に戻ると、腹の下に匿っていたイルマを開放した。
モフモフがよほど気持ちよかったのか。イルマは緊張感のない緩んだ顔をして寝息を立てている。
「まあ仕方ないわね。私もよく寝落ちするくらい気持ちいいから」
アルティアはイルマを優しく抱き起こすと、オルハの背に寝かせた。
柔和な顔をして寝顔を見つめているところ気が引けるのだが、わしらには訊かねばならんことがある。
「アルティア。このユグドラシルの地で起きていることは、やはり四天王の仕業で間違いないのだな?」
オルハの体を撫でかけた彼女の手がピタリと止まる。
そして、アルティアは重い口を開いた。
「……ええ、そうよ。獄黒のベルファール。……唯一生き残ったダークエルフよ」
「ダークエルフ? それより、唯一の生き残りとは?」
わしの問いかけに、アルティアは固く口をつぐんだ。言葉にするのを憚っているようだ。
絵本でしか読んだことはないが。ダークエルフはエルフを憎んでいるような描かれ方をしていることが多い。
ここでもそういった種族間の軋轢があるのだとしたら、アルティアの表情にも得心がいく。
小さく吐息をついたアルティアが、オルハを優しく撫でながら言った。
「その辺りの詳しい事情は、母に聞いた方がいいかもしれない。けど、ベルファールはこの大地に瘴気の魔物を放って、森を徐々に侵食しているの。見て」
言われ、指さされた先を目で追う。
そこには先ほど倒した魔物の骨が落ちている。黒い瘴気の水溜まりを下敷きにして……。
「これは……」
「聖樹を抱くエゼルミストの森は強力な自浄能力を持っている。この程度なら大した脅威じゃないけれど、大量に魔物を投入されたら被害の想像は難しい。それに問題はそれだけじゃなくて、場所によっては瘴気が湧き出して沼化してるところもあるの。私たちがなんとか広げないよう対策はしているけれど、そのせいで森は徐々に弱ってきて聖樹にも大地にも影響が出始めてるのよ。ただでさえ聖樹は森がなくては維持できないっていうのに……」
「ところでよ、なんであいつらはドラゴンの頭だけ残して消えるんだ?」
ライアの疑問は最もだ。いままでの魔物と消え方が異なっている。
「この大陸には、もともとドラゴンが多く生息していたのよ。ベルファールはそのドラゴンを片っ端から始末していったの。付いた異名が『ドラゴンキラー』。たしかに私たちにとっては、ドラゴンに襲われる心配をしなくて済むこと自体は助かっているけど。その退治したドラゴンを使って魔物を生み出されるなんて思いもしなかった」
「なるほど。あの頭蓋骨は始末した子供の竜のものを用いて魔物とした。だから大して強くないってわけね」
顎に手を添え、ソフィアがふむと頷いた。
「ということは、もっと大きなドラゴンの場合もあるってことだよね?」
「ドラゴンゾンビなら戦ったことあるけど、あれより強いのかなー」
クロエと楓が危惧を吐露する。
それほど大きな体ならば、吐き出す瘴気も大量になるだろう。いくら自浄能力が高い森といえど、大量投入されたらただでは済むまい。
「いずれにせよ。このまま捨て置けば聖樹どころかこの大陸に住むすべての人々の命も危うい。過去に何があったのか詳しく話を聞くためにも、早いところ町へ急ごう」
と、わしが先を促したところで。
アルティアの視線がわしの持つ剣に注がれていることに気付いた。
「どうしたのだ?」
「さっきから気になっていたんだけど。あなたのその剣。武骨だけどまさかドワーフの物?」
「よく分かったな。ラグジェイルの方でちょいと世話になってな、ドワーフの王がわしのために剣をくれたのだ」
「そう……野蛮ね」
嫌そうな顔をして彼女は呟く。
「やはりそう思うのか。ドワーフ王が言っていた通りだな。ならばこいつはどうだ?」
わしは道具袋から、町まで隠しておくつもりだったセヴェルグの盾を取り出した。
銀で縁取りされ、盾表面には聖竜の紋章が金色で配された、鮮やかな紺青に輝くカイト型のシールドだ。
「綺麗な盾ね。どこで拾ったの?」
「拾ったのではない。これはドワーフ王が自らアダマンタイトを鍛えて磨き上げた、最強の盾だぞ?」
「冗談。ドワーフなんかがこのレベルの武具を拵えられるわけがないわ。剣と見比べてみなさいよ。天と地の差でしょ」
「たしかに比べるとそうだが。この剣は昔鍛えた物だそうだし、盾は伝説を超えるために作ったもので……。だが王はこうも言っていたぞ。この古代女神文字を扱えるのは、自分とハイエルフだけだと」
わしは盾に刻まれた文字を指さして示す。
アルティアは猜疑的とも言えるほど目を細めて文字を読む。
「たしかに、古代女神文字ね。物理と魔法軽減の加護を持たせてある……。いや、……でも、あのちんちくりんのドワーフが……ウソでしょ……」
どれだけ信用ないのだドワーフは。なんだかかわいそうに思えてくるな。
「と、とにかくだ。いまは先を急がねばならんだろう」
「そ、そうね。いまはこの件については置いておきましょう。あ、それと一つ断っておくわ、」
「ん?」
アルティアは言葉を切り、一呼吸置いた。
「町へ入る前に、その剣はしまっておいた方がいいわよ。私たちハイエルフは基本的に、ドワーフを快く思っていないから」
「分かった。王には悪いが、そうしよう」
そう約束したところで、わしらは先を行く。
石柱を越えて奥へと進むごとに、清涼さを増していく森の空気。
聖樹が近い。果たして遺跡の町はどのような姿をしいているのか。わしは
期待に胸を躍らせた。