神凪一文字・真打
ライアと朱火が目を覚ましたのは、わしらが村へ戻って一日経ってからだった。
その間、一度も起きることなく二人は眠り続けていた。相当疲れたのだろう。
目覚めた二人は体を清めるため、一先ず入浴だと女子たちもついでに誘って近場の泉へと向かった。
わし一人を家に残して……。
「またわしは留守番か。覗きに行こうにも場所を教えてくれんかったし、さすがに水浴びを見に行くためにうろついていては、村人に不審に思われる。好感度は落としたくないから我慢するしかないか……」
それにしても寂しいものだな。
目隠ししてでもいいからご一緒させて欲しいところだが。いや待てよ、目隠しは目隠しでかなりクルものがあるのでは? 視覚を遮られると他の感覚が敏感になるというし。わしはドMではないが、そういった者に需要のある店があることは知っている。罵倒されたり叩かれたりするらしい。わしは優しい方がいいが、まあたまにならいいだろう。
おっと思考がそれてしまった、女子たちに戻そう。
泉で水浴びする女子たちのはしゃぐ声に、匂い立つ瑞々しい香り。それだけあれば、見えなくてもいろいろと想像は捗るだろう。下手すればそれだけで出てしまうかもしれん! なにがとは言わんが、あえてな!
……じゅるり。
「はっ!? いかんいかん。危うく妄想で昇天しかけた。わしは勇者だ、もう勇者なのだ妄想はいかんな!」
ピンク色の吹き出しでも出ていそうな頭をぶんぶんと振って、モヤモヤを払拭する。
しかし、彼女らが戻ってくるまで暇だしタダだから、わしはそうして時間を潰すことにした。
女子たちが戻ってきてから、泉の場所を教えてもらいわしも体を清めにいく。
彼女たちが泉でどんな様子だったか知らないが、戻って来た時はなんだか神聖な儀式の前のように厳かな雰囲気だった。
おかげで妄想も萎んで掻き消えてしまった。かなり大きく膨らませたのに残念だ。
滾々と湧き出る清らかな泉で禊とやらをし、そしてわしも朱火の家へ戻る。
すると、白装束に着替えた朱火と白い長着姿のライアが、向かい合ってリビングで正座していた。
私語厳禁のような空気感に思わず息を詰まらせる。するとこちらを見ていた楓が小さく手招きをした。
ライアの後ろで横並びに座っている皆の端っこにわしも腰を下ろす。
朱火がわしを見て小さく微笑んだ。
「ようやく揃ったか」
「すまん、遅かったか?」
「いや、構わないよ。ただ、こんな緊張感のある静謐な時間をライアと過ごすのは初めてだったからな。少し名残惜しく思っただけさ」
「なに言ってんだ、今生の別れってわけでもねえだろ?」
「そうだな。だが、私がお前に刀を託すのはこれで最後だ。そう思うと、な」
まるで言葉を噛み締めるように呟いた朱火は、どこか寂しそうな眼差しをしていた。いつまでもライアの目標でありたかったのかもしれないし、もう教えることがなくなったことへの寂寥からかもしれない。
「らしくねえ顔すんなよ。アンタは飄々としてた方が似合ってる」
「らしくないは心外だな。私だって感傷的になる時もあるさ」
「だとしても笑ってくれよ。弟子の門出を祝ってさ」
横顔しか見えんが、そう口にしたライアは笑っていた。
朱火は晴れやかな弟子の顔を見て、ふっと微笑をこぼす。
「そうだな。超えろと言ったのは私自身だ」
「弟子ってのは師匠を超えなきゃならねえ。同じじゃ意味がねえんだ。並ぶだけで越えられない壁なら、それは到達出来た弟子が凄いんじゃない。師匠が凄いだけだからな」
「守るべきもののために力を求め、そしてお前は成し遂げた。改まると、確かにめでたいことだね。こいつは明るく送り出してやらなきゃいけないな」
告げた通り明るい顔をした朱火は、うんうんと二度大きく頷いた。そして右手側に置いてあった細長い桐箱を手にすると、ライアの前へそっと置いた。
箱の表面には氷紋が描かれている。
「開けてみろ」
促され、ライアは一つ礼をして、緊張した面持ちで紫の紐を解く。
息を呑み、ゆっくりと箱に手をかけ、静かに開けた。上蓋を床に横たえ、箱の中へ手を入れる。その手は緊張からか震えていた。
そうして中から取り出したのは、漆黒の闇夜を静かに彩る銀雪を散らしたような、美しい黒鞘だった。鍔には雲海に浮かぶ月の透かし彫り、その他の刀装具には主に花の意匠が施されている。
「拵えは雪月花をモチーフにして作られてる」
ライアは一つ頷いて、刀を抜いて検めた。
差し込む光を珠のように反射する刀身には、美しい刃文が艶めいている。
「刃長は二尺三寸。鎬造り、庵棟、身幅はやや広く反りやや浅め。切先は伸びて大峰に結ぶ、豪と麗を併せ持つような打刀だ。刃文は大きく湾れて大乱れ、大小の互の目交じり。匂口は深く刃は冴え冴えと明るい」
「この刀、銘は……?」
「そういえば、影打の時にも銘までは教えてなかったな。神凪一文字、その真打だ」
「神凪、一文字……なんて刀だ。美しさだけじゃねえ。たしかにこいつは斬れる刀で、なんていうか、魔的だな。いや、奉納刀だから神的か。手に吸い付くように馴染む、まるで延長された腕みたいだ。自分の一部に感じる……」
息を止めて見入るライアは、すっかり刀に魅入られているようだった。
たしかに傍目から見ていてもこの刀は美しい。それだけではなく、恐ろしささえも感じられる。
もとから斬るために作られた武器ではあるが、このような美術品と見紛うほどの壮麗なものを見て恐怖を抱くとは。刀に明るくないわしでもそう思うのだから、相当なのだろう。
「そうか? 気に入ってもらえてなによりだ。元々、茎には『神薙』の銘が切られてるんだけどね、さすがに奉納するのに神を薙ぐじゃ字面的に罰当たりだってことで、いつからか『神凪』と名を改めるようになったらしい。まあ巫女の意味で神薙だったんだけどな……ってそんな話はどうでもいいか」
「……本当に、あたしが貰ってもいいのか?」
「昔約束したからな。それに私を超えたんだ、自信を持って受け取れよ。こいつはお前の刀だ、ライア」
師の想いのこもった眼差しを受け、ライアはそれをしかと受け止めたのか大きく頷いた。刀を鞘に納めて床に横たえると、深々と頭を下げる。
「朱火には感謝してもし足りない。孤児になったあたしを引きとってくれて、剣の基礎を教えてくれた。アンタがあたしの目標でいてくれたから、あたしはここまで至ることが出来たんだ。本当に、本当にありがとう」
「バカ弟子か、お前は。まだあの火だるまに勝ってもないのに、そんな感謝を口にするな。それにな、嬉しくないわけじゃないが、私は私で悔しいんだ。感謝されたからって、私が、そんな簡単に、喜ぶと思うなよ……」
朱火の声が詰まる。ライアは顔を上げると、わしらに遅れてその表情を目の当たりにした。
師匠が泣いていたのだ。
「泣いてんのか、朱火?」
「悪いか。ちなみに言っておくがこれは涙じゃない、涙のように見えるなにかだ勘違いするな」
「いや悪いかって認めてんだろ。それにそんなとこで見栄張る必要ないじゃねえか」
「うるさい。ちょっと強くなったからって、弟子が師匠に口答えをするなっ」
ツンとそっぽを向いて子供のように拗ねる朱火。まるで負けが込んで駄々をこねる幼子みたいで、見ていて面白い。
「……まあいい。寝すぎたせいでもう夕方だ。発つのは明日にして、今日は村でゆっくりしていけ」
「怒っているのに優しいのだな、朱火は」
「勇者、つべこべ言ってると削ぎ落すぞ」
「すまん!」
わしは床に頭をつけて平謝りした。
するとなにか思い出したように朱火。
「そういえば。お前、盾は手に入れたのか?」
「おお、そういえばと言われればそういえばだ。驚かせようと思って道具袋に入れたままだった。出すタイミングを逸して今になってしまって、すっかり忘れていたな!」
「勇者様、ボケるのはまだ早いです」
「そうだよ、しっかりしてよね勇者さん」
「新しい武具手に入れても、やっぱオジサンはオジサンだねー」
「幸先が思いやられるわね」
呆れる女子たちの中、ライアは興味深そうにわしを見ていた。
この中でただ一人、まだわしの盾を見ていないからな。わしは道具袋へおもむろに手を突っ込み、盾を取り出して見せびらかした。
ババーン! カイト型、鮮やかな紺青の盾だ。
「そいつがおっさんの新しい盾か?」
「うむ。ドワーフの王自らが鍛えてくれたアダマンタイトの盾、名をセヴェルグという」
「それ、相当硬いな」
「分かるのか?」
「ああ、この刀でも直には斬れなさそうだ、奥義ならどうかってとこだな。朱火はどう見る?」
問われた朱火は呆れ調子で首を左右に振った。
「……ライア、そいつは間違いだ。刀は折れも曲がりもしないが、この盾は奥義でも斬れない、が正解だよ」
「そんなレベルか?」
「傷つけるのが関の山だな。間違いなくこの地上で最高硬度だろう。ドワーフの鍛錬技術も相まってね、硬さだけなら化物じみてるよ。素直に驚いた」
それを聞いて自信が芽生えた。朱火のお墨付きとあれば、わしも鼻が高い。これで悩む必要もなく皆の前に出られるのだからな。しかも魔法ダメージも軽減できるという優れものだ。
「しかし、ドワーフはなんて物を作り出すんだ。これならあのオリハルコンも鍛えられそうだな」
朱火の言葉に、わしを含め聞き馴染みのある者が反応を示した。
オリハルコンは伝説の金属だ。昔読んだ絵本に出てきたのだが、実際にあるとは思わなかった。
「朱火、本当にこの世にオリハルコンがあんのか?」
「村人に聞いただけだからなんとも言えない。でも伝承だと、海を渡った先、ハイエルフの住む南の大陸のどこかにあるって話だ」
「南か……。気が逸るところだが、一先ずはラグジェイルを平定しなければいかんな」
「そうだね。エイルローグの再興のためにも頑張らないと」
神妙な面持ちで呟くクロエ。わしらは決意を確認し合うように、顔を見合わせて頷き合った。
そうして夜は更けていく。
皆で一緒に料理を作り、共に舌鼓を打ち、そして夜を明かした。
今まではわし一人、簀巻き状態にされることが多かったが、なんと今回はそんなこともなく。多少の信用を得たのかもしれんと、しみじみとしながら眠りについたのだ。
翌日。
陽の光を受けて朝霧に白む村は、一段と清涼な空気に包まれていた。目覚めもすっきりとし、頭がしゃっきりしてくるようだ。
緑の薫りが美味い。自然に癒しを得るのもしばらくお預けかと思うと、名残惜しくなるな。
見送りに来てくれた朱火を前に、わしらは村の入口に並ぶ。
「朱火よ、世話になったな」
「なに、弟子の面倒を見るついでだ、気にすることはないよ」
「アンタの貴重な涙も見られたし、あたしはちょっと嬉しかったよ」
「あれは涙に似たなにかだと言っただろ。ああそうだ、たしかあの時は欠伸を噛み殺してたんだよ」
「禊して目が覚めたって言ってただろ……」
ライアの突っ込みに、うっと喉をつまらせ、ごほんと一つ咳払う。朱火は観念したのか、軽く肩をすくめた。
「しかし身長超すどころか実力まで跨いだ上に、みっともない顔まで見られるとは……。なんかむかつくから勝つまで顔を見せるなよ」
「なんだそれ、よく分かんねえ勘当の仕方だな。まあでも、言われなくてもそうするさ。アンタの想いはたしかに受け取ったからな」
「……死ぬなよ、ライア」
「……ああ」
はっきりと頷いたライアから視線を外し、朱火はわしらを見た。
「みんな、ライアのことをよろしく頼む。それから、お前たちの無事を祈ってるよ」
「ありがとう。でも心配しなくてもライアなら死なないわ、しぶといから」
「理由になってねえ……」
「大丈夫、わたしたちもついてるから」
「それに、いざとなったらオジサン投げるから心配ご無用だよ」
「放り投げられる前に駆け付けたいところだが、間に合わん時は頼もう」
いつも通りのやり取りを見て、朱火は相好を崩した。
「ははっ、これなら心配なさそうだな」
「うむ、ライアのことは任せてくれ。終わったらまた元気に顔を見せに来よう。では、そろそろ行こうか」
そう言って踵を返そうとした時、ライアが思い出したように「あっ」と声を上げた。
そして佩いていた童子切を外して、朱火にそっと差し出す。
「朱火、使える刀持ってねえんだろ? あたしのお下がりになっちまうけど、よかったらこの童子切使ってくれ」
「いいのか、こんな名刀?」
「アンタはこの村を守らなきゃならねえだろ? 楓の師匠にもらったもんだけど、玉藻なら許してくれるだろ」
ライアがチラと横目にすると、楓は笑い、「もちろん!」と大きく頷いた。
逡巡した後、朱火は小さく頭を下げて刀を受け取る。
「そういうことなら、ありがたく使わせてもらうよ」
「ああ。じゃあ、あたしらはもう行くよ」
「気を付けてな」
別れを告げて、朱火に手を振りわしらは村を後にした。
ここからエイルローグ城まではおよそ二日。いよいよと迫ったその時に備えて、気を引き締めつつ南を目指し歩き出したのだった。