亡国の王女と女騎士
危なげなくグランドロックマイマイを退治したわしらは、ラウスと共にドワーフの村へ戻った。
皆で協力して開けた町への扉を、彼一人でなんなく開けてしまうところを見るに、やはりドワーフ族は力持ちなのだなと思った。
ドワーフ王の元へ戻り、さっそく戦果を報告する。
「王よ、依頼されたカタツムリはちゃんと対峙してきたぞ。これでこの町が脅かされることはないだろう」
王は立派に蓄えられたヒゲを撫でながら頷いた。
「ああ、地鳴りがしなくなったからすぐに分かった。それにヴァルム鉱石まで持ち帰ってくれるとはありがてえ。これだけあればアダマンタイトも余裕をもって鍛えられる。約束通り、盾を作ってやるよ。おそらく三日ほどで完成するだろう」
「三日!? 鍛冶が得意そうなお前さんたちでも、そんなにかかるのか?」
「特殊な金属だからな。それに世界の命運はお前たちにかかってる。俺としても伝説を超えようってんだ、なおさら生半可な仕事は出来ねえ」
「そうか。分かった、では待っていよう。盾をよろしくお願いする」
ああ、と頷いたドワーフ王はおもむろに立ち上がると、椅子の脇に置かれた大きな袋を担いだ。中身はアダマンタイトだろう。
そのまま背後にある階段の奥、隠すように設置された扉に向かおうとしていた彼の背に、クロエは慌てて言葉をかけた。
「あの、エイルローグの王女様に会わせてくれるんですよね?」
「ああ、王女はこの裏の家にいる。ついてこい」
扉を開けて外へ出ていった王に続いて、わしらも裏口から屋外へ。
すると目の前には幅の広い石橋がかかっており、ゆるやかな傾斜を上った先の丘に一軒の家が見えた。
家の前までやってくると、王は突然振り返って言った。
「俺はこのまま工房へ向かう。一つ断っておくが、工房はドワーフにとって神聖な場所だ。絶対に入るんじゃねえぞ。なにか用事があるんなら、そうだな……お前たちも馴染みのあるラウスを通せ」
「あい分かった」
返事したわしに軽く手を挙げて、王は家の向こうへと消えていった。
少しだけ気になって見に行ってみると、今度は下り坂の先に大きな建物が鎮座していた。その周りには水路が整備されており、綺麗な地下水が建物内へ引かれているのが確認できる。王が入っていくのが見えたので、きっとあれが工房なのだろう。
「オジサン、なにしてんのー。早く入ろうよ」
「お、うむ、そうだったな」
ちょびっと気になるが、入るなと言われては見に行くことも出来ん。いまは王女に会わねばならんしな。
皆の元まで急いで戻り、わしは家の扉をノックした。が、石で出来た扉は大して音が響かず。返事もなかったので、仕方なく気持ち扉を押し開けて声をかける。
「ちょいとすまんが。わしら勇者とその仲間たちなのだがな、エイルローグの王女はいるだろうか?」
シンと一瞬静まり返った後、石の扉がゆっくりと開かれる。
わしらを出迎えたのは、白銀の鎧に身を包んだ明るい茶髪の女騎士だった。目鼻立ちは整い、軽くウェーブがかった髪をゆるく縛って下ろしている。
港町ラゴスのバーテンが言っていた、例の女性だろう。
警戒心を露わにした目をこちらへ向け、彼女が問うてくる。
「お前が勇者というのは本当か?」
「証がないと信じられんというのなら、ほれ」
わしは道具袋に手を突っ込んで、勇者の証を引き出して提示する。
女騎士は覗き込むようにして見ると、ハッとして目を瞠った。
「これは、伝説の聖竜の紋章……どうやら本物のようだ」
「信じてくれたか」
「ああ。それで、勇者一行が王女様に何の用だ?」
訊ねられ、わしはさっと扉の脇へとはける。代わりに一歩踏み出したクロエが、抱えたドレスを差し出しながら口を開いた。
「このドレスを、届けに来たんです」
「これは星屑のドレスっ! そうか、完成していたのか……」
しみじみと零した女騎士の表情は安堵に満ちていた。一つ深々と頷いて、無事だったことにホッとするように頬を綻ばせる。
「そういうことなら謁見を許そう。っと自己紹介が遅れた。私は王室直属の近衛隊で、王女様の侍女をしているネリネだ。アリシア様もきっとお喜びになられる、さあこちらへ」
中へ通されたわしらは二階へと案内された。
殺風景な部屋かと思いきや、小さな石の彫刻や花瓶に花なんかが活けてあったりして、およそドワーフの趣味ではないことが窺える。
おそらく花はネリネが摘んできたもので、彫刻は気を利かせたドワーフが削り出したものだろう。
一国の王女が滞在するのだ。そういうことに疎そうなドワーフでも、回せる気は回すし気遣いもするということだな。
部分的な色しかないそんな灰色の部屋に、異彩を放つ存在が座っていた。
綺麗に結われた美しい金の髪、真っ白いドレスに身を包んだ上品な姿は、まさにおとぎ話の王女のイメージそのものだ。
一見どこか神秘的な雰囲気を持つクロエとは、毛色が違う感じがした。
ネリネは王女の元まで歩いていくと立膝をついて頭を低くする。
「アリシア様、勇者の一行をお連れ致しました」
「ええ、ご苦労様」
王女の返事を受けてからネリネは立ち上がると、彼女が座る椅子の斜め後ろで控える。
わしらを見渡して王女はやわらかく微笑んだ。
「はるばるようこそ、勇者とそのお仲間の皆さん。わたくしはエイルローグの第一王女アリシアと申します。どうぞこちらへいらしてください」
寄るように促されたわしらは、足を揃えて王女の元へ歩いていく。
近づいてみて改めて感じたことは、可憐で愛らしいということ。そしてなにより、亡国の王女であることを忘れてしまうくらいに、彼女は心が強いのだろうということだ。
国を失い、家族を、国民をも失った人間が、短期間でここまで笑顔など取り戻せはしないだろう。自分自身がしっかりしなければと気丈に振舞っているのももちろんあるだろうが、それでもそれを感じさせないところが健気だ。
境遇を慮って、思わず涙がちょちょ切れそうになる。
「下での会話はなんとなく聞こえていました。ドレスを持ってきたとのことですが……」
「あ、ドレスならここに」
クロエが王女の元まで歩いていき、青のグラデーションが美しいドレスを両の手で渡す。
愛おしそうに目を細めると、王女は「ありがとう」と子を抱くようにして受け取り労わるように撫でた。揺れるたびに表面がキラキラと星屑のように輝く。
よほどこのドレスを心待ちにしていたのだろう。
「特別な輝蚕糸が使われたこのドレスは、わたくしの誕生日に両親がプレゼントしてくれたものなのです。好きにデザインしていいと言われ、一生懸命に描いたことを思い出します」
「だから思い入れが強いんですね」
「ええ。いまとなっては両親の形見になってしまいましたが……。でも本当は諦めていたのです。国が滅んで、依頼したデザイナーも作るのを止めていたらと。けれど、こうしてわたくしの手元に届いた。本当にありがとうございました」
ドレスをぎゅっと抱きしめて王女が頬を染める。恐らくクロエよりも少し年上だろうが、少女然としたその笑みに、ふわっと心が浮くような感情を覚えた。
わしらは自己紹介も兼ね、このドレスを手にするに至った経緯を説明することにした。
上の世界の魔王を倒しこの世界に下りてきたこと。この地方へ来るために必要となった船を手に入れるために、このドレスを借用しコンテストに出場したこと。
王女はそれを熱心に耳を傾けて聞いていた。
「アリシア様、わたしたちはこのドレスのおかげでここまで来ることが出来ました。本当にありがとうございました」
「いえ、わたくしのドレスが皆さんのお役に立てたのであれば、良かったです」
クロエの礼に王女は屈託のない笑みを返す。それだけで場が華やぐようだった。
「私たちの目的はそれだけではないですわ。エイルローグを滅ぼしたイグニスべインを倒すためにもここへ来たのです」
「っ?! あの忌まわしい魔物を、倒していただけるのですか?」
王女は信じられないような顔をして息を呑んだ。その驚愕する表情を見ても窺い知れる。襲撃された時はきっと、阿鼻叫喚の地獄絵図だったに違いない。
見聞きして、この国に起こったことのすべてを知っている旨を、わしは静かに告げた。
肩を震わせて俯く王女の肩を抱き、ネリネが傍らにそっと寄り添う。痛ましそうに横顔を見つめるその姿に胸が痛くなった。
「こう見えてもアタシたち、すでに四天王を二体も倒してるからさ。大船に乗ったつもりでいてよ、王女様っ」
「あと一人仲間がいるのだが、その者はいま修行中でな。きっと強くなって戻ってくるはずだ。もうじきわしも強力な盾を手に出来る。さすれば不可能なことなどない。お前さんの国を滅ぼした魔物は、わしらが必ず倒してみせよう」
震えていた王女はゆっくりと顔を上げた。
さきほどまでは笑顔だったその顔が、いまは涙で濡れている。雫となって落ちた大粒の涙が、王女の白い手の甲に落ちて弾けた。喉を詰まらせてはいるが、だが声を上げはしなかった。本当に強い娘御だ。
縋るような思いを宿すその濡れた瞳は、わしらを真っすぐに見据えた。
戦慄く口がわずかに開かれ――
「……皆さんに、お願いがあります。……エイルローグの、仇を……取ってくれますか……?」
「もとよりそのつもりだ、わしらに任せておけ。……わしらが必ず、国の、民の敵を……う、討って……うぅう」
「ちょっ、オジサンなに泣いてんの!?」
「我慢できんかったぁああ~」
ちょちょ切れそうだった涙は、王女の涙声を聞いて本当に涙腺崩壊し大洪水となってしまった。
しかしこれは情けない涙ではないだろう。負けて悔しいとかではないからな。というか、涙がこれほど温かいことを久しぶりに実感した気がする。
とめどない涙をハンカチで拭いてくれるクロエと楓。あやすように背中をぽんぽんと叩くソフィア。それを仕方なさそうな顔をして見つめるオルフィナ。
涙でぼやけた視界の向こうで、不意に王女が「ふふっ」と笑った。
「どうしてかなんて、分からないですけど、皆さんならきっと大丈夫な気がします」
泣き笑う王女の顔を見て、わしの涙も緩やかに流れを止めた。
出かかった鼻水をズビズビとすする。
「うむ、やはりお前さんには笑顔が似合うな。心から笑える日々を、わしらがきっと約束しよう」
皆を見渡しながら言うと、笑いながら揃って頷いてくれた。
仲間がいれば恐れるものなど何もないのだ。
なにか感じ入るように胸に手を当てていた王女が、ゆっくりと瞼を開いた。その双眸には希望の光が灯っている。
「ありがとうございます。皆さんのおかげで、わたくしも決心がつきました」
「アリシア様、それは……っ」
「ええ。わたくしは、この地が平和になった暁に、エイルローグを再興しようと思います。亡くなった数多の命とともに、王女として皆と最期まで歩んでいきたいのです。……ネリー、貴女にもぜひ協力してほしい。わたくしには、貴女が必要なの」
「アリシア様……、もったいなきお言葉。こんな私などでよければ、たとえこの身が灰になろうと、貴女と共に在り続けます。永久に」
王女の手の甲に口づけし忠誠を誓う女騎士。なんだか絵本で読んだような場面だな。
だが前を向くのはいいことだ。ほんの先の未来でも、そのずっと先の未来でも。顔を上げていれば、きっとなにかが見えてくるはずだ。
道の上にはいいことばかりが転がっているわけじゃないだろう。時には辛いことや悲しいことも必ずある。
だが側で支えてくれる者がいるのなら、共に歩んでいけるだろう。支え合って、助け合って。……わしらのように。
「勇者さん、わたしたちも頑張らないとね。絶対、あいつを倒そう」
「うむ。わしらの責任は重大だが、成し遂げねばならん。確実にな」
改めて意思を固めたところで、突然階下から「お料理持ってきた!」といったドワーフの元気な声が聞こえてきた。
太陽のない地下だったから気付かなかったが、どうやらもう夕餉の時間らしい。
二階に運ばれテーブルに次々並べられていく料理の数々は、ここが地下であることを忘れるほど豪華だった。石窯で焼いたというパンに肉と魚料理。新鮮な野菜にスープなど、地上で出されるものとまるで遜色ない。
材料の調達をどうしているのかと聞くと、地下坑道にはいくつか地上へ出られる扉があり、それぞれの出入口近辺から調達しているという。
なるほどと納得し手をつけた料理は、ドワーフの豪快そうな見た目に似合わず繊細な味だった。もっと大味を想像していたが、意外と料理が上手いのだな。
王女も味を気に入っているらしく、エイルローグで料理人として雇いたいと冗談交じりに口にする。ドワーフたちも満更ではないようで、親分がいいと言うならと、こちらも冗談めかして笑った。
笑いの絶えないそんな明るい晩餐を楽しみ、そうして夜は更けていったのだ――。




