廃街のエイルローグ
一夜明け、港町ラゴスを出たわしらは旧グランベル領を目指して西へ向かう。
海を渡り処が変われば、魔物事情にも変化があるようで。
ヴァストールには見られなかった毒霧を吐く巨大なトカゲや、こちらへ向かって転がってきては自爆する大きな岩塊。それに痺れ薬の粉末をまき散らすゴブリン亜種に、わし以上のただのデブな大柄な魔物が現れるようになった。
そのどれもが危険だ。
トカゲの毒は腐食効果もあり、盾のないわしなんかは逃げるだけで精いっぱいだったし、自爆する岩もまた然りだ。斬りかかろうとした瞬間に爆発しおった。
痺れ薬をまき散らすゴブリンとは一緒になって痺れ、トロールと呼ばれる大柄な魔物には鼻で笑われる始末。自分以下のデブだと思ったのだろうがそれは誇ることではないし、そもそもわしはただのぽっちゃりメタボだ!
まったくもっていいとこなしだった。
「……わし、なんだか弱くなった気がするのは気のせいだろうか?」
「そいつはおっさんが弱くなったんじゃねえよ。あたしらが強く、そして魔物も強くなってるってだけの話だ」
「それにつけてもよ。勇者様の成長が芳しくないのは少し気になるわ」
「たしかに。勇者さんもいい加減より強い技を覚えてもいい頃なのにね」
「もしかしてオジサン、もう頭打ちなんじゃないの?」
生ぬるい風がヒューと吹き、草原の草花を寂しげに揺らした。
まるでわしの心模様ではないか! わりと気にしていたのに、しどい。
「あ、ごめんごめん空気読みすぎちゃってさ」
「いやそれは読めてないだろ、むしろ読んでないよな?」
まあ気にするなと肩を叩かれるも、落ちた肩はしばらく上がりそうになかった。
それから自分に出来ることをこなし、魔物を倒しながら草原を行くと、やがて町らしきものを遠目に捉えた。
門壁はかなり崩れているが、かろうじて残っていた壁の高さから見て、かなり堅牢な造りであったことが窺える。
わしは地図に目を落として場所を確認した。あれがエイルローグ城下町に違いない。
自然、肩は上がり調子を取り戻し背筋が伸びる。伸ばさざるを得んだろう、あの町か城に四天王がいるのだから。
「皆、準備はよいか?」
「誰に聞いてんだ、当たり前だろ」
皆もその言葉に首肯したので、わしも一応同じくと頷いておいた。
正直緊張感は高まっている。前の二人とは強さが違うことは明らかだし、なにより強くなっていく女子たちに比べて自分は成長できていない。足手まといにならんことだけは気を付けようと思う。
堂々と町へ近づき、そして崩れた門から城下町へ侵入する。
あちらこちらから魔物の気配。息をひそめてわしらを窺っているのがビンビン感じられる。……マイサンじゃないぞ? そのような時と場合ではないからな。
小さく咳払いしつつも、いつでも武器を構えられるように油断なく町を奥へと進む。
散乱する屋根瓦や焼け焦げたレンガ壁。建築物の基礎むき出しの瓦礫の町は、ここで激しい戦いと殺戮、大破壊が行われたことを静かに物語っていた。
「見る影もない酷い有様だな。人々の嘆きと苦しみの断末魔がいまにも聞こえてきそうなほどだ」
「いやな耳鳴りがしてきやがった。昔感じたのと同じだ。弱い奴は圧倒的な力の前に成すすべなく屈するしかねえ。反吐が出るぜ」
「衣服の残骸だけじゃなく、鎧兜も散乱しているわね。町を守ろうと最期まで戦い抜いたのね、町の人たちは」
遺留品の数々に血の乾いた跡を見つけ、凄惨さをこの上なく感じさせる。
逃げ惑う人々も、魔物の手にかかって大勢死んだのだ。女子供も容赦なく、命を奪われて。
静寂の中、不意にギリッと歯ぎしりのする音が聞こえた。
目を向けると、クロエが俯いたまま肩を震わせ拳を握りしめていた。悲壮な決意を滲ませる表情に、皆の顔つきにも厳しさと険しさが浮かぶ。
感じている心は一つだ。
「オジサン、あれ見て!」
楓の声に視線を前方へ戻す。
すると幾筋の通りが交じわる大広場に、紫の甲冑を着た魔物が無数に居並んでいるのが見えた。しかしどこか様子がおかしい。見るからに戦闘態勢ではない。
念のため襲われない程度に少し離れた位置まで近づいてみて、その異様な光景に目を瞠った。
甲冑どもは通りの途中から円形の広場の縁をなぞるように列を作り、騎士がやるように武器を胸元で構えていたのだ。まるでそこにいる何かに敬礼するように。
「勇者さん、あそこにいるよ。……強い」
先ほどまで忌々しげに歯噛みしていたクロエが、じゃっかんの焦り顔をして言った。特にこれといった対象は見当たらない、だがそこにいるのだ。
見れば皆の表情にも今までにない緊張が見て取れ、童子切の鞘を握りしめるライアなんかは手も少し震えている。
「ライアよ――」
「心配すんなおっさん、こいつは武者震いだ。ようやく強い奴が出てきて、嬉しいんだよあたしは」
なにか自分に言い聞かせるように頷き、ごくりと生唾を飲み込むその横顔にはいつもみたいな余裕は感じられなかった。
三人目の四天王はそれほどまでの相手ということだ。わしにはピリピリした威圧的な空気しか伝わって来んがな……。
重々しく足を踏み出して、着実に大広場への距離を縮めていく。
通りで向き合い列を成す甲冑どもは手を出してくる気配はない。
そうして広場へと足を踏み入れたその時だ。
中央に飾られた鐘をくわえる獅子の石像の真上に、突如として炎が逆巻く。炎塊となってそれが弾けると同時に、降ってきた何かが石像を派手に破壊した。粉塵となって風と消える像。
跡形もなく吹き飛ばし、真っさらになった地面に立膝をつくその姿は炎を纏う甲冑だ。
「……よくぞ参った、勇者とその仲間たち。吾輩は四天王が一人、炎帝のイグニスベイン、お前たちを歓迎しよう」
男は静かに立ち上がると、よく響く声で名乗りを上げた。顔をすべて覆う兜から覗く黄金の瞳がギラリと輝く。
二メートルはありそうな幅広の大剣を軽々と振ると、刀身に火炎がまとわりつき空気を焼き払って宙に赤々とした軌跡を残した。
「お前が三人目か。先んじて自ら名乗るとは、魔物ながらに実に正々とした男だな」
「大魔王ゼルードから其方らの話は聞いている。勇者ワルド、剣士ライア、拳闘士ソフィア、魔導士クロエ、そして珍妙な楓――」
「ちょっと待てい! なんでアタシが珍妙だコノヤロー!」
「落ち着け楓、こっちの世界に忍者は存在しねえんだから。分からなくて当然だろ」
「でもさ、言うに事欠いて珍妙なんてっ! 人を珍味みたいな扱いすんなし!」
ライアに背後から組みつかれてもなお暴れる楓は、怒り心頭といった様子だ。
たしかに酷い言われようだが、忍者がいないのだから知らないのは当然だろうなと納得も出来る。
なんだか和みかけた謎の空気を「こほん」と咳払いで払拭したのはソフィアだった。
「この町を破壊させたのはあなたで間違いないのね?」
「そうだ。だが破壊させたのではない。吾輩が一人で壊滅させたのだ。一国を滅ぼすためにやって来た吾輩を迎え撃つために、死力を尽くし戦った者たちへのせめてもの礼儀としてな。部下たちには手を出させていない」
「グランベル領の他の町や村も?」
「そちらは部下がやった。吾輩が指示をしてな」
そこで、パッと楓を開放したライアが相手を睨みつけながら口を挟む。
「見たところアンタは武人だろ。なんで大魔王の手下なんてやってる」
その言葉を鼻であしらうと、イグニスベインは大剣を地面に突き立てた。
「愚問だな。すべては強き者と出会うため。国が滅びればそれをなんとかしようとする者が必ず現れる、其方らのような兵がな。そうしてやってきた腕に自信のある者を打ち倒す、それが吾輩の願望」
「そんなことのために、国を、町を壊して、人々を殺戮したの……」
涙声で発せられたクロエの言葉が、やりきれない感情を押し固めた怨嗟のような響きとなって聞こえた。痛み、悲しみ、苦しみ、憎しみ。それらが痛々しいほどに感じられる。
しかしなにも感じていないような魔物は微動だにすることもなく続けた。
「強き者と戦うことこそが吾輩の喜び。その前には人間の命も生の営みもすべてが霞む。聞けば其方らはカルナベレスとデスタルクを倒したそうだな」
「ああ、手ごたえがなさ過ぎて退屈だったぜ」
「こんの暑苦しい仮面男! ステキギャル忍者の楓ちゃんなめんなしっ!」
「ぎゃる、にんじゃ? よく分からんが覚えておこう」
「ステキ抜けてるしッ、よく理解してから覚えろってーの!」
「ん? 見れば其方は腕の立つ剣士とお見受けするが」
「聞いてないっ?!」
オジサ~ン! と泣きついてきた楓の頭をよしよしと撫でてやる。なんというか、こんな時だというのに緊張感のない女子だな楓は。そのおかげか、場の空気と奴の威圧に気圧されずに済んでいるのかもしれんが。
近くにいると、威圧的な気配を感じたというだけの先ほどの距離感とは違い、たしかに力の差をわしでも強く感じさせられる。こやつは間違いなく強い。前の二人が雑魚だと思えるほどに。
そんな中、ライアは不敵な笑みを浮かべて一歩進み出た。その額には珍しく汗が浮かんでいる。
「サシでやろうってのなら、受けて立つぜ」
「ふむ。……その申し出は魅力的ではあるが、其方らはまだ吾輩と剣を交えるに値する力量を備えてはいない。出直すがいいだろう」
「――なめんなッ!」
地面を蹴り、一瞬で間合いを詰めたライアは抜刀しながら斬り込んだ。
突き刺していた大剣を引き抜き逆手のまま咄嗟に刃を受けた魔物は、「ん?」と斬り込んできた方向とは逆に目を向ける。
「――無刀流・五月雨の太刀!」
すると一瞬にして背後を取っていたライアが上空から鋭く斬りつけた。最初に斬り込んでいたのは残像だったのだ。
しかし左足を軸にし瞬時に回転した魔物はまたもなんなく刀を防いだ。
それを見てニヤリと意味深に笑ったライア。刹那、魔物の両腕、そして両脚の周りに剣筋が閃き、斬撃となって襲い掛かる。
「むっ?」イグニスベインはそう小さく声を漏らす。刀を防いでいたことで隙が生まれ、それらには手が回らないようだ。
これは確実に取った! 誰もがそう思っていただろうが、その考えは甘かった。
炎に包まれた甲冑が焔を噴き出し、一瞬にして剣閃を吹き飛ばしてしまったのだ。
大振りながらもの凄い速さで剣を薙ぎライアを弾き飛ばすと、「――クロスバーン」魔物は剣にため込んだ炎の闘気を十文字に斬りつけ放出した。
まるでクロエの魔法や楓の火遁、その最大級の技にも匹敵する威力だ。
クロエはすかさず全属性軽減の「ディヴァインベール!」を唱えた。全員を淡い虹色の障壁が包む。
しかし、それを以てしても大きく威力を減衰させることが出来ず、童子切を構えて押し返そうとしていたライアは吹っ飛ばされ炎に包まれる。
城へと続く通りまで火炎は伸び、そこに並んでいた甲冑どもを一瞬で焼き払った。
炎が収まると、ぶすぶすと煙を上げるライアが地面に倒れていた。クロエのヴェールのおかげで致命的なダメージではないようだが、それでも相当削られているようだ。
「くそっ、なんてバ火力だ、危うく死にかけたぜ……」
刀を引きずりながらもなんとか立ち上がるライアの鎧がひどく損傷していた。
左の肩部から前腕の中ほどにかけて割れ、ほぼグローブの部分を残してなくなっている。鎧の表面も熱で溶けて地金が露出していた。
「理解したか? 今の其方らの力では吾輩を倒すことは不可能だ。故に出直すがいい」
「なんで今ここで殺さねえんだ」
「全ては強き者と戦うため。吾輩は其方らを見込んでいる。それにしても、今の其方の剣技。無刀流と言ったか?」
「それがどうした」
「その太刀筋、以前にも見たような気がする。その女も其方によく似た髪型をしていたな」
イグニスベインの発言に、驚愕を顔に張り付けてライアは目を見開く。
「……まさか、朱火……? おい、その女はどうした!」
「強き者ではあったが、吾輩が斬り捨てた。かなりの深手を負わせてもまだ生きてはいたが、傷が傷だからな。北の方へ逃げて行ったが、今ごろは生きてはいないだろう」
「朱火は、負けたのか……アンタに……?」
「生きていれば再戦を申し込みたいものだ」
信じられないといった顔をして、ライアは顔を伏せた。その様子から戦意を失っているのだと窺える。
「ライア!」言葉をかけ、わしらは彼女を守るように周囲を囲んだ。
「案ずることはない。吾輩は見込んだ相手をここで斬り捨てるようなことはしない、そのような愚行を犯すは忍びないからな。全ては強き者と戦うため。そのためならば喜んで見逃そう。だから強くなって出直すのだ。吾輩に至上の喜びをもたらさんために――」
「忍ならここにいるってーのッ!」
苛立ちの声を上げて飛び出した楓。激しい炎に包まれ今にも姿を消しかかっているイグニスベインへ向けて、なぜか火遁の印を結んでいた。
「消し飛びなよ赤甲冑! 火遁、炎華燕翔ッ!」
初めて聞く術は、花吹雪のように舞う火の粉が対象に集まり、華々しく彩った後に大爆発。爆風と共に飛び散った炎が無数の鳥のような形になり、周辺に居た甲冑を無差別に襲うという中々かっちょいい技だった。
しかし相手は炎帝と名乗り、炎を纏う武人だ。もちろん火遁が効く相手ではなかった。
イグニスベインはなにも発することなく、空間に黒い煙を残してぼしゅんと姿を消した。
「なんでアタシの術効かないしっ」
一人憤慨する楓の肩に、わしはそっと手を添える。
「楓よ、火の魔物相手に火遁はさすがに効かないと思うぞ。というか、わしでも分かったが」
「……オジサン、そんなことはね、アタシにも分かってたよ?」
「その割には目が泳いでおるが……」
「だってさ! お師匠は火と雷が得意なんだよっ。アタシだって火と雷得意になるに決まってるじゃん? 咄嗟に出ちゃったんだから、これは仕方ないんだよ!」
「うむ、うむ。お前さんの言い分は分かったから落ち着け、今はそういうことにしておこう。それよりもこの場は……」
背後に庇っていたライアに目を移すと、呆然自失といった様子で身じろぎ一つせずその場でへたり込んでいた。
このように意気消沈するライアは初めて見る。落ち込む様子はあっても、ここまで在り方が小さいと思うことはなかった。
告げられた事実に思考が追い付いてこないのだろう。
イグニスベインは正々堂々を重んじるタイプのようだ。わしらを魔物に襲わせるようなことはないと思うが。この場にいても何も始まらん。
「ライアよ、辛いだろうがいまは確かめることがあるだろう。あやつが言っていた北の方、そこに真実があるはずだ。行って確かめるべきだ、お前さんが前へ進むためにも」
「おっさん…………。ああ、そうだな。あたしは確かめなきゃならねえ。奴が言ってたことの真実を」
立ち上がり、刀を鞘に納めたライアは北へ目を向けた。
朱火の生死は分からない。だが、どちらにせよライアは行かねばならんだろう。
師と仰ぎ慕った女性にもう一度会うために。無事であることを祈るばかりだ。
その時、細い路地から石が転がる音がした。皆の視線がそちらへ向く。そこには竪琴を抱えた全身黒いローブのオルフィナが立っていた。
どうやらいつの間にかわしらから離れて別行動をしていたようだ。町の魔物に襲われる心配はないといっても、いくらなんでも不用心だな。
オルフィナはこちらへ歩いてくると、どこか諦めたようにため息をつき肩をすくめた。
「やっぱりダメね。どこで竪琴を奏でても思うように音色が響かないわ」
「やはり四天王を倒さなければ無理ということか?」
「そのようね、きっと魔物がいるから魂が怯えているんだわ。ところでこれからどうするの? 声が響いていたからなんとなく負けたんだとは思うけど」
「うむ、そのことなのだが。かくかくしかじかで次は北へ向かおうと思う」
「北? 分かったわ」
「あっちこっちと連れ回してすまんな」
「気にする必要はないわ、旅をするのは嫌いじゃないから」
オルフィナは会話を切り上げ、広場から町を見渡す。
瓦礫と化した町を眺めるその横顔は、とても寂しそうに見えた。
鎮魂の竪琴を持つものとしてそれを成すことはやぶさかではないだろう。しかしそれは同時に人の死に間接的に触れることでもある。
彼女は彼女なりになにかを感じ、葛藤しながら生きているのかもしれない。その眼差しから、ふとそんなことを思った。
「勇者さん、そろそろ行こ」
クロエの言葉に「うむ」と返事し、そしてわしらは町を出る。
彷徨える魂に、いましばらく待っていてくれと心の中で呟いて……。