モウ一人のワタシ (6)
バレンタインデー当日の放課後。家庭科部が調理実習室を丸借りし、チョコレート制作作戦が開始された。いや、これは確かに大変だわ。
積み上げられたブロックチョコの山。湯せんで溶かす。溶かす。もう実習室の中がチョコの匂いでいっぱいに満たされる。甘い。匂いだけで口の中がだだ甘になる。なにこれ。くらくらする。
家庭科部部員たちと協力しながら、流れ作業的に量産体制に入る。溶かす、流し込む、固まったものからデコレート、ラッピング。愛情なんて入り込む余地無いんじゃないの?これ、貰って嬉しいのか?
夏休みにやった惣菜工場のアルバイトを思い出してしまった。いや、良い勝負だって。もっとこう、女の子たちがふっわふわしながら、きゃっきゃお喋りして作ってる光景を想像するじゃん。
無言だよ?終始無言で、器具のぶつかる音しか聞こえてこない。マシーンだ。チョコを作るマシーンたち。手作りなのに完全オートメーション。なんだこれ。
「こうでもしないと数さばけないから」
理屈ではそうなんだけどさ。ユマも含めてその格好見るとどうしてもね。エプロン、三角巾、マスクに手袋って。完全防備だね。
「風邪流行ってるし、衛生的な方が良いでしょ?」
むしろバレンタインの場合、髪の毛とか爪とか入ってると喜ぶマニアな男子もいるんじゃないですかね。ヒナはやらないよ。そんな怪しげなもの、ハルには絶対食べさせられない。
サユリ、チサト、サキは流石に手際が良い。なんでもそつなくこなすよな。チサトはもっと、ドジっ子属性とかあるのかと思っちゃってた。失礼しました。楽器やるから手先が器用なのかな。
サキは家が美容室だし、普段からチサトやヒナの髪をいじって遊んでるからね。こういうの得意みたい。王子様キャラなのに乙女なこと大好きなんだから。サキはバレンタインチョコ、どうするのかね。サキの場合は、相手が傷心だから難しいか。ゆっくり行こうよ。ヒナも応援しているからさ。
サユリはお嬢様だからな。手作りチョコなんてメイドさんにでもやらせてるのかと思ってた。てきぱきしてんなぁ。何をするにしても完璧主義って感じだな。シングルのOL独り暮らし十年目、って貫録だ。いや、何も言ってませんよ?
驚いたのはフユだった。声をかけた時にはもう何も出来ないみたいな口ぶりだったのに、やらせてみたら結構頑張ってくれた。正直戦力としては全然期待していなかったのに。ひょっとして、練習とかした?
「へへ、家でちょっとね。やってみたら面白くって」
なんか悪いことしちゃったなぁ。ごめん。今度晩ご飯のおかず作って持って行ってあげるよ。遠慮しないで。計画的に作り過ぎちゃうだけだから。
ハルといもたちは、制作工程には関わらないでいてもらう。そりゃそうでしょ、JK手作りブランドに傷がついちゃう。男子の役割は主に力仕事。出来上がったものの整理、運搬。材料やら何やらの出し入れ。そして、ジュース類の買い出し。
はぁ、ハル以外の誰かのために、こんな汗水たらして手作りチョコとか。よくよく考えてみたらアホみたいだ。ヒナのそんな様子を察したのか、ことあるごとにユマが声をかけてくる。「ヒナ、ファイト」はいはい。いっぱーつ。
段々みんなハイになって来ちゃって、最後の方は歌なんかうたってた。バレンタインデーキッス。フユにも教えてあげながら、みんなで大声で歌う。確か、こんなアイス屋さんあるよね。このくらいになってくると、ようやく女子高生がきゃっきゃうふふして作ったチョコと言えないことも無い。正確にはラリってる感じ。最高にハイってヤツだぁー。
三時間以上かかって、ようやく戦闘は終わった。外はもう真っ暗だ。単純なものを大量に作るだけだったのに、酷く手間がかかった気がする。うへぇー、しばらくチョコは見たくないかも。
配布の方も無事終了。人手不足で、一部ハルとかいもたちが配った際に、ちょっとしたクレームがついたとか。うるさいねぇ、作ったのは紛れも無く女子だよ。それで勘弁してくれよ。こっちゃタダ働きなんだ。
「みんなお疲れ様」
フユも、体力がもってくれたみたいで良かった。あまり無理しないで。ヒナもここまで悲惨な状況になるとは思ってなかったからさ。ごめんね。
「ううん、すごく楽しかった」
そう応えたフユの笑顔は、本当に輝いていた。
「誰かのために何かをするって、私に向いてるのかもしれない。それが、私自身のためになるのかも、って」
フユの出した答えは、それなんだね。良いんじゃないかな。誰かのために動いていれば、きっとフユ自身の中身が満たされてくるよ。ヒナはそう思う。
でも、今日はフユのための日なんだ。
「じゃあ、今日の本番、行ってみようか」
フユはきょとんとしている。ホント、こんなに忙しいとは思ってなくてね。準備を全部ハルたちに任せちゃった。またおかず奮発してやらないとなぁ。
調理実習室の隣は、調理準備室になっている。今日のチョコレート制作作戦の間、材料置き場になっていると聞いていた。朝倉ハルとか、他の男子が矢鱈と出たり入ったりしてるなーって、そう思ってた。
「はいはい、じゃあ準備室に移動ね」
ヒナにそう言われて、フユは準備室に押し込められた。何だろう。まだ何かあるのかな。フユ、今日はもう、ちょっと疲れてる。
準備室に入ったら、明かりが消えていた。
真っ暗では無かった。小さな光が、ぽつ、ぽつ、って灯っている。
ゆらゆらと揺れる、可愛い炎。円形に並んだ、十六個の光。
茶色いプレートが浮かび上がっている。白いチョコペンで字が書いてある。
「フユ、おたんじょうび、おめでとう」
みんなの声がして、明かりが点いた。
拍手の音。笑顔が、フユを囲んでいる。ヒナ、サユリ、サキ、チサト、ユマ。宮下君、和田君、高橋君、朝倉ハル。みんな、フユの方を見て、笑って、手を叩いて。
ハッピーバースデーの歌を、うたっている。
「ほら、ロウソクの火を消して」
ヒナに言われて、慌ててケーキに近付いた。チョコケーキ。そういえば、ケーキを焼くって聞いていたのに、そんな様子はちっとも無かった。ケーキは、フユに見えないところで作っていたんだ。
十六の炎。フユは、十六才になった。十六年間生きた。何も無いって思ってた。
生きてるからなんだ。ここにいるからなんだ。ずっとそう考えてきた。フユがいることに、意味なんて何も無い。いつ消えてしまっても良い。むしろ、消えてしまいたい。
でも。
今は、生きていたい。こうやって、生きていて良かったねって、言われたい。祝われたい。誰かに愛されて、必要とされて。そこにいても良いんだって。
そう、思われたい。
みんな、ありがとう。
フユは、初めてここにいて嬉しいって思えた。ここにいたいって、そう願えるようになった。みんなと一緒にいたい。みんなに、フユを満たしてほしい。
それから。
ありがとう、ヒナ。
ヒナは、フユの希望。フユに、この世界にいたいって思わせてくれる、素敵な光。もう一人の、私。
ううん、違うな。ヒナはヒナだ。フユはフユ。私たちは、同じで異なる。フユは、やっとそう思えるようになった。フユは、フユだ。ヒナには憧れるけど、フユは、ヒナになりたいんじゃない。
フユは、フユになる。他の誰でもない、フユ。唯一の私。たった一人の、私。
さようなら、もう一人の私。そしてもう、一人の私。
フユは、一息にロウソクの炎を吹き消した。
「今日が誕生日だって、カマンタに聞いていたから」
なるほど、カマンタがヒナに喋っていたのか。誕生日のことは誰にも話したつもりがなかったから、かなりビックリした。ちゃんとフユにも伝えておいてほしかったよ。
自己紹介で「寒い季節に産まれた」って言っても、そこのところは誰も触れてくれなかったんだよね。案外そんなものなんだなって、諦めてた。ふふ、ヒナ、ありがとう。
みんなでジュースを飲んで、ケーキを食べて。もうチョコなんて見るのも嫌だ、って文句たらたらだったのに。不思議、やっぱりみんながいると、何でも美味しく感じる。素敵だ。
優しくして貰って、嬉しくなっちゃって、すっかり忘れてた。そうだ、こんなにお祝いしていただいたんだから、ちゃんとお礼をしないとね。練習して、上手に出来るようになったんだよ。
カバンの中から、小さな包みを取り出す。はい、みんなにチョコレート。今日は流石にチョコ尽くしだったから、明日とか、後で落ち着いてから食べてね。
宮下君。フユとお話ししてくれるのは嬉しいから、これはお礼。あんまりうるさく騒がないんだよ?これからも、仲良くしてね。
和田君。フユからチョコ貰って、本当に嬉しい?そう言ってもらえると、フユも嬉しい。お世辞でも良い。嬉しかったって、これは感謝の気持ち。
高橋君。ええっと、これは義理です。そう言っておかないと、面倒なことになりそうなので。ははは。じゃあそういうことで。
それから。
朝倉君。ヒナに怒られるの覚悟で、受け取ってください。この前、保健室に運んでくれたこと、とても嬉しかった。多分、フユが今一番男の子の中で気になっているのは、朝倉君です。ただ、フユが気にしているのは、ヒナの彼氏の朝倉君だから、そこは間違えないでほしいかな。ほら、ヒナも睨まないで。取らないから。取れないから。
みんなありがとう。フユは幸せです。こんな風に誕生日をお祝いしてくれたことも、バレンタインデーにチョコレートを渡すのも。フユには初めてのことでした。こんなに楽しくて、こんなに嬉しいこと、あるんだね。
何も無いフユのために、みんながここまでしてくれるなんて、考えもしなかった。フユは、みんなにどうやってお返しすれば良いのか、今はまだ全然見当もつかない。
どうか、フユがみんなに恩返し出来るようになるまで、その時まで。
フユのお友達でいてください。よろしくお願いします。
すっかり夜が更けて、外は凍えるくらい寒かった。うー、こんなに遅くなるなんてなぁ。お嫁さんクラブもチョコレート配布なんて無茶なイベントやらなきゃ良いのに。恵まれない男子ィなんかほっとけってんだ。
家に帰る途中でみんなと別れて、今はハルと二人きり。へへへ、だってバレンタインですから。このくらいはさせてくださいよ。寒いって言って、ハルの腕をぎゅって抱いている。暖かい。心も、身体も。
フユ、とても喜んでくれてた。良かった。誕生日もバレンタインデーも知らないなんて、やっぱり悲し過ぎるよ。ヒナは、フユに幸せになってほしい。楽しいことがいっぱいあるって、知ってほしい。
それにしても、ハル。
フユにチョコ貰えて良かったね。鼻の下のばしちゃって。もうヒナのチョコなんかいらないんじゃないの?
「そういうこと言うなよ。フユのため、なんだろ?」
それはそれ。これはこれ。ハルがヒナ以外の女の子にデレデレするのは許せません。ヒナはハルだけなのに、そういうのは良くないでしょ。
「ヒナだけだよ」
もっとちゃんとはっきり言ってくださーい。聞こえませーん。
ハルが立ち止った。人通りの少ない夜道。うん、ちゃんと計算通り。この辺りで、こうなる。愛の告白の日なんだからね。女の子からだけじゃなくて、女の子にも、愛の言葉をささやいてほしいよ。
「俺が欲しいのは、ヒナだけだよ」
「チョコレートですか?」
すっとぼけてみせる。ハルの目を真っ直ぐに見つめる。ハルの気持ち、ちゃんと態度で示して。
少しはにかんでから、ハルはヒナをそっと抱き締めた。うん、あったかくて良い気持ち。もっと強く抱いて良いよ、ハル。ヒナを幸せにして。ヒナの心を満たして。
「全部。ヒナは全部、俺のものにしたい」
はいはい。
「どうぞ」
したいだけで、まだしないくせに。我慢強いね、ハル。ヒナはいつも、いいよって言ってるのに。大事にするんだって、きかないんだから。ヒナのことは、いい加減にしないんだって。
ハルとキスをする。もう何回目かな。高校に入って、彼氏彼女になって、何回もキスした。もう自然に唇が触れ合う。うっとりとする。ヒナは、ハルのもの、ハルの虜だよ。
「こうやってさ」
ん?
「ヒナのことを抱き締めたり、キスしたりするのが、当たり前になって行くのが、なんだか怖くてさ」
そうだね。最初の頃は、手を繋ぐだけでどきどきしたのにね。今は、もっと触れ合いたいって思っちゃう。触ってほしいって、強くしてほしいって、際限なく願ってしまう。
「ヒナを汚してしまって、それが当たり前になって。ヒナを、大事に出来なくなるんじゃないかって。それが怖いんだ」
ふ。
ふふふ、ハル、可笑しい。こういう時、やっぱり幼馴染なんだなぁ、って、そう感じちゃう。参ったな。
ハルが次に言いたいこと、判っちゃった。どうしようか。
それは、今言っちゃう?どうする?
「ハル、私のこと、大事にしてくれる?」
そう言って、軽く首をかしげて見せる。別に今でも良いんだけどね。ただ、折角仕込んだからさ。ちょっともったいないって考えちゃった。焦る必要だってない。
こうやってお互いのことを大切に想えているなら、いつだって大丈夫だ。
ハルはしばらくヒナのことを見つめて。
「そうだな、ごめん、もう少しだけ待ってくれるか」
笑顔で応えてくれた。ははは、やっぱりか。照れ臭いなぁ。
うーん、余計なことはしない方が良かったかな。バレンタインの日っていうのも悪くは無かった気がする。こんなチャンス、次は無いかもしれない。
ふふっ、まあ、それも青春だよ。ヒナとハルはまだ高校一年生。この先いくらでも機会はあるよ。二人が、ちゃんと好き合っている限りは、ね。
「はい、ハル。私からの気持ち」
用意していたチョコレートを渡す。ハルのためだけの、特別製。
「ありがとう、ヒナ」
中にあるメッセージ、ちゃんと読んでね。そしたら、今日ヒナがどうしてハルを止めたのか、判るから。もう、こういうところだけ気が合うの、ホントに困っちゃう。
ヒナは、ハルのことが好き。誰よりも、何よりも。この世界で一番、ハルのことが好き。
だから。
『待ってます』
読了、ありがとうございました。
物語は「ハルを夢視ル銀の鍵」シリーズ「ハル遠からじ」に続きます。
よろしければそちらも引き続きお楽しみください。