モウ一人のワタシ (3)
今日、ヒナがフユのことを「フユ」って呼んでくれた。高校に入って、初めて「フユ」って呼んでくれた人は、ヒナだった。
どうしよう、まだどきどきしている。嬉しい。ヒナは、フユと仲良くしようって、そう思ってくれてるのかな。
お昼、お弁当を作っていった方が良いのかなって、頑張ってお米を炊いて、おにぎりを作ってみた。簡単だと思っていたら、思いのほか難しかった。掌、火傷するかと思っちゃった。
そしたら、ヒナはおかずとか作って持って来てた。すごいね。あそこにいた男子全員が食べる量の酢豚。フユも少し貰っちゃった。男の子向けだから味付けが濃い目なんだって。ちょっと酸っぱかった。美味しかった。ヒナは、フユに出来ないことが沢山出来る。羨ましい。
朝倉ハルのお弁当も、ヒナが作ってるって言ってた。好きな人のご飯を作って、食べてもらう。へぇ、面白いな。それはどんな気持ちなんだろう。フユはまず、料理が出来るようにならないとな。食べてもらう以前に、食べれるものが準備出来ないと。
それから、好きな人、か。
ヒナはハルのことが好きなんだね。並んで座って、とても幸せそうだった。話をしているだけで、そのまま二人きりで何処かに行ってしまいそう。ハルと話してる時は、フユの言葉はヒナには届かない。誰の言葉でも、かな。夢中になってる。
ハルもきっとヒナのことが好きなんだね。いつもヒナのこと、目で追いかけてる。さりげなくヒナのことを気遣ってる。ちょっといいなって思った。あんな風に想われるって、素敵だ。フユにも、彼氏って出来るかな。そうしたら、ハルがヒナにするみたいに、優しくしてもらえるのかな。
そう言えば、男子と話すのは珍しかった。じゃがいも、じゃがいも、さといも、だって。ヒナは酷いな。宮下君、和田君、高橋君、でしょ。
ちょっとハルに似てて、髪を茶色に染めてるのが宮下君。良くしゃべるよね。フユにもいっぱい話しかけてきた。フユにどんな興味があるのかな。ごめんね、多分ご期待には沿えないんだ。仲良くはしてくれると嬉しいかな。
口数が少なめで、真面目な感じがするのが和田君。制服がパリッとしているのが印象的。たまに発する一言が面白いんだ。何を言えば周りが喜ぶのか、常に考えてたりするのかな。ヒナは「むっつり」って言ってた。男の子なんてみんなそうだよ、きっと。
男子の中では一番小柄で、ちょっと斜に構えたところがあるのが高橋君。シャツが全部ズボンの外。先生に怒られるよ。こっそり聞いた話だと、チサトと良い感じなんだって。そうか、いいな、好きな人がいるのって。
わいわい、って。みんなで色々なことを喋りながらご飯を食べた。学食も賑やかだけど、あの場の賑やかさとは少し違う。ヒナたちのご飯は、とっても明るくて、とっても暖かい。居心地が良い。フユは、ヒナやヒナの友達と一緒にいるの、すごく好きだな。
明日も、一緒にいていいのかな。フユは、やっぱりヒナとお友達になりたい。仲良くなりたい。
ヒナはフユとは全然違う。フユに無いもの、沢山持ってる。フユと同じなのに、フユじゃない。フユも欲しい、ヒナが持っているもの。フユは、ヒナで満たされたい。
好きな人。今フユが好きな人は、ヒナだな。ヒナのことばっかり考えてる。ヒナ、好きだよ。言葉にしてしまいたくなる。
カマンタ、どうしようか。フユはヒナに、何を話したらいいのかな。何を何処まで打ち明けたらいいのかな。
フユはヒナと仲良くなりたい。銀の鍵とか、そういうのとは関係無く。フユは、ヒナに興味がある。
ヒナに嫌われたくないな。おかしな子だって、思われたくないな。
ねえ、フユはヒナに何処まで打ち明ければいいんだろう。教えて、カマンタ。フユは、ヒナに嫌われたくないんだよ。
放課後、今日は水泳部の活動をお休みさせてもらった。ちょっとだけ優先順位の高い用事が出来てしまったからだ。出来た、というか思いついた、だな。真っ直ぐ家には帰らず、河川敷の方に向かう。
ヒナの住んでいる市の隣、少し離れた住宅街の中に、ひっそりとした無人の稲荷神社がある。参拝客もいないし、社務所も無く、宮司も詰めていないが、いつも綺麗に手入れされている。この神社には、ヒナが相談にのってもらっている土地神様がいらっしゃる。元は人間で、水害を鎮めるための人柱にされたが、転じて五穀豊穣の女神になったということだ。
そう聞くと何だか陰惨なイメージだが、本人はその辺りのことは割とあっけらかんと流している。平和が一番、と毎日何処か楽しそうだ。見た目が生前の時の姿、ヒナと変わらない年頃の女の子っていうのもあるかもしれない。朱の袴姿で、長くて綺麗な黒髪。きらきらした金の髪飾り。親しみやすくて、とっても可愛らしい。
土地神様のところを訪れた理由は、もちろんフユだ。土地神様はヒナのことも銀の鍵を手に入れた当初から知っていると言っていた。それなら、フユのことを知らないということはあるまい。何か聞かせてもらえることがあればと、ちょっと足を延ばしてみた。
「まあ、総元締めは私だから、私の差し金ってことでもいいかな」
やっぱりというかなんというか、神様はフユのことはしっかり承知しているようだった。
「フユには、色々と事情があるんだよ。本当はヒナちゃんに頼るのもどうかと思ったんだけどさ」
神様が言うには、フユがヒナの学校に転校してきたのは、フユのたっての願いだということだった。事情によってフユの面倒を見ることになった神様が望みを聞くと、フユはもう一人の銀の鍵、ヒナに会いたいと言ってきたのだそうだ。
年頃も近いし、それならということでヒナのいる高校に転入させる手筈となった。神様は最初、ヒナにそのことを伝えようと思っていたのだが。
「フユがね、全部自分でやるって言い出したんだ」
誰かに紹介されて、ヒナと出会う。フユはそれを望まなかった。転校生として自然にヒナと出会う。そうであってほしいと、フユの方から強く願い出てきたということだった。
「それもあるからさ、私の口から色々言うのは忍びなくてね」
神様はぼりぼりと頭を掻いた。
そうか、フユはそんなことを考えていたのか。今日神様のところに来たのは失敗だったかもしれない。フユがそれを望んでいたのなら、そうさせてあげるべきだった。実際、フユはとてもヒナに気を遣っている様子だった。
フユは、ヒナに普通の友達になってほしいんだ。
「どうする?フユの事情、聞いてしまうかい?」
「いいえ。それはフユから直接聞きます。フユが話したくなった時に」
だね、と神様はにっこりと微笑んだ。
寒い季節に産まれたから、フユ。
もう少し、フユのことをちゃんと見て、ちゃんと考えよう。ヒナは自分の中にあるフユの姿を、一度真っ新にした。
窓から射し込んでくる光がオレンジ色だ。そんな時間か。早く帰ろう。
そう思うんだけど、身体が持ち上がらない。ダメだなぁ、こんな時に、こんな風になっちゃうなんて。フユはまだ、やっぱり完全じゃないんだと思う。
一階の昇降口の前、中庭が見える吹き抜けの談話コーナー。フユはそこのベンチに腰かけたまま、じっとしている。少し前までは何人か生徒がいたので油断していた。今はもうフユしかいない。困ったな。もうちょっとこうしていれば、動けるようになるかな。
フユは、身体を動かすのが得意じゃない。走ったりするとすぐに息が上がる。長時間立っているのもつらい。本当は学校に来るっていうことだけで結構なことだ。
でも、フユは普通の高校生になりたいからさ。このくらいのことは出来るようになりたい。体育の授業だって、本当は見学なんてしたくない。自分の身体を、もっとうまく動かせるようになりたい。
これは昔、銀の鍵の力にばっかり頼っていた反動だ。筋肉を使って手足を動かすことをおろそかにしていた。フユの体力は、一度極限にまで落ちてしまった。一般的な十六才に比べれば、相当酷いものだと思う。
それに、フユは、一度何もかもを諦めてしまっていたからね。まさかこうやって学校に通うことになるなんて、夢にも思っていなかったよ。生きていることだって、もうやめようって、何度も考えていたくらいだ。
「因幡?大丈夫か?」
誰かがフユに声をかけてきた。男の子の声だ。聞いたことあるな。誰だっけ。頑張って顔をあげてみる。
朝倉ハルだ。
「具合が悪いのか?」
返事をしようと思っても、声が出てこない。代わりに汗が噴き出してくる。ダメだ。小さくうなずく。これくらいしか出来ることが無い。
「判った。保健室に行こう」
行けるならそうしたいんだ。こうなっちゃうと、もう立ち上がることも出来ないんだよ。このまま休んでいれば大丈夫だから、放っておいても平気だよ。
喋れるんだったら、そう伝えたかった。ただそうしたくても、フユには指一つ動かせない。あ、って音も出せない。目の前の朝倉ハルの顔を見ているだけで、つらい。
「ごめん」
そう言って。
朝倉ハルは、フユの身体をひょい、っと抱き上げた。
驚いた。確かにフユは軽い。スポーツをやっている男の子なら、フユなんて簡単に持ち上げられるだろう。しかし、まさか本当に、こんなにしっかりと、フユのことを抱きかかえてくれるなんて思ってもいなかった。
激しく揺らさないように、朝倉ハルはそうっとフユのことを運んでくれた。こういう持ち方、何て言うんだっけ?そうだ、お姫様抱っこだ。フユ、男の子にお姫様抱っこされてる。わあ、ただでさえ朦朧としている意識が、吹っ飛んでしまいそう。
実際に意識は飛んでしまっていた。気が付いたら、フユは保健室のベッドの上で寝かされていた。なんてもったいない。
朝倉ハルの姿は無い。それはそうか。朝倉ハルはフユの彼氏じゃない。フユをここまで運んでくれただけだ。
体力はすぐに戻ってきた。発作みたいなものだ。念のため栄養剤を貰うことにした。はぁ、学校生活に支障が出るレベルなんて、情けないな。ちょっと浮かれて油断すると、これだもの。
それにしても。
フユのことを、あんな風に助けてくれる人がいて、驚いた。朝倉ハル。ヒナの彼氏。すごいな。素敵な人じゃないか。
逞しい腕、厚い胸板。男の子をこんなに近くで感じたのは、初めてかな。もっとちゃんと味わいたかった。ヒナは、あの腕に抱き締められたりするのかな。いいな、羨ましいな。
あ、どうしよう。このこと、ヒナに何て言おうか。朝倉ハルはどうするんだろう。ヒナも嫉妬したりするのかな。うーん、でも相手がフユじゃ、それは無いかな。こんな可愛くも無い、痩せててガリガリの子、面白くもなんともないよね。
ヒナの彼氏は、フユにも優しくしてくれた。こんなフユを、抱き上げて保健室にまで運んでくれた。ありがとう、朝倉ハル。
やっぱり、フユはヒナが羨ましい。ヒナは、フユに無いものをホントにいっぱい持ってる。
ヒナ、もっと沢山見せて。フユに無いもの。フユにも手に入れられるって信じさせて。
お願いね、もう一人の私。
はぁ、憂鬱だ。ヒナはでっかいため息を吐いた。目の前には、生活指導室の入り口。はぁ、もう一回ため息つこう。はぁ。こうなったら何回いけるか挑戦してみようか。はぁ。
生活指導からの呼び出しは、これで二回目だ。一回目は、入学してしばらくして、ハルから告白された後。面白おかしい噂が流されちゃって、不純異性交遊を疑われた。その頃はキスだってまだだったのに。別に幼馴染だからって、なんでもかんでも許している訳じゃないですよ。失礼しちゃう。
しかし、今回は思い当たる節が多過ぎて困ってしまう。前夜祭のお泊り事件がバレたのか。それともボトルシップレーサーズの件か。或いはやっぱり水上結婚式か。思い返してみると、ここ数ヶ月でヒナはやらかしまくってるな。ヒナの青春は全開だ。
いつまでも突っ立っていても仕方が無い。覚悟を決めて、中に入る。「失礼します」ううう、気が重い。
「曙川ヒナさんね」
ヒナのことを待っていたのは、前回と同じババちゃん先生。本名が馬場なのと、いい感じでオバサンなのが合わさって、そんなあだ名になっている。響きは可愛いが、本人はちっとも可愛くない。ハルとの関係をねちねちと問い詰められたの、ヒナは一生忘れない。べー、っだ。
とりあえず、一戦交える覚悟でババちゃん先生と向かい合ったが、どうも雰囲気がおかしい。以前はいきなり敵対オーラ丸出しで来ていたのが、今日はどちらかというと超フレンドリーだ。
逆に気味が悪い。
「今日曙川さんに来てもらったのは、因幡さんのことなの」
フユのこと?とりあえず怒られるのでは無いらしい。なら一安心だ。
しかし、フユが何だって言うんだろう。それで何でヒナが呼び出されるんだろう。ババちゃん先生が順を追って説明してくれた。
フユは、特殊な事情のある生徒だ。孤児施設の出身で、今は学校の近くで支援を受けながら一人暮らししている。学校生活を送る上で色々とケアが必要ということで、スクールカウンセラーにも相談に乗ってもらっているらしい。
そうなんだ。フユは、普段そんなことはおくびにも出していなかった。ヒナが知っているフユは、いつもにこにこして楽しそうにしている。
クラスには馴染んでいるようだが、現状ではまだ親しい友人という存在は出来ていないらしい。そこで、フユ自身に誰か友達になれそうな、あるいはなりたいクラスメイトはいないかと尋ねてみた。
そこで名前が挙がったのが、ヒナだった。
「因幡さんは、曙川さんとなら仲良くなれそうだって」
はぁ、そうですか。フユはそんなことを言ったんだ。
「曙川さん、どう?因幡さんと友達になれそうな感じかしら?」
ここで、ババちゃん先生に「ノー」って突きつけてやりたい気もするんだよね。それはそれで面白そうだ。吠え面かかせてやりたい先生ナンバーワンだし。
でも、これに関してはフユのことだ。そんないい加減な仕返しに使って良い問題じゃない。お楽しみは後に取っておこう。
それにしても、フユがそんな風に考えているなんて。やれやれ。
「因幡さんは、もう私の友達です」
名前呼びだけじゃ足りなかったのかな。まあ、ヒナもフユのこと、ちゃんと見ていなかった気がするし。フユがそれを望んでいるなら、ヒナはフユのこと、友達として見るようにするよ。
なんか結構重たい情報を、ババちゃん先生はあっさりとヒナに話しちゃった気がするね。孤児施設。一人暮らし。そういうことを知らないで友達に、っていうのも変な感じだからか。責任感増しちゃった。
友達って、責任でなるものじゃないよね。フユだって、そんなつもりは無いはずだ。だから、そういうことは自分からは言い出さなかったんだと思う。
個人的な事情に関わる話は、友達として仲良くなってから。正しい順番はそっち。フユ、ヒナはもうフユの友達だよ。
フユは、ヒナに何をしてほしいのかな。フユの友達として、ヒナは何をしてあげればいいのかな。