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六話

その女は昔から人形が好きだった。

清潔で、何者にも穢されない人形。

女の深い愛情を受け入れてくれる人形。


ガラス玉の瞳。絹の髪。ビロードの服。

ガラス玉のよう、ではないのだ。絹の如く、ではない。

正に素材そのもの。

作り物でしか成し得ないその静謐とした美しさは、人形が生身では到達できない美の境地にあることを物語っていた。


反して、女は人間のことが好きではなかった。

多くの場合醜く、美しいと呼ばれる者でもパーツ毎で見ると何かしらの不備がある。もちろん人形には及ぶべくもない。


そして何より、人間は直ぐに老いる。

女にとって、それは人間への見切りを付ける理由として十分過ぎるほどであった。


そう、見切りを付けたはずだったのに。


「ローラン…」


女はお気に入りの少年人形を持ち上げ、その頬をひと撫で、ふた撫でした。

平時ならばそれだけで心が安らいだ。通じ合う想いに胸が暖かくなり、自然と笑みが溢れた。


しかし、今となっては満たされない。


あの少年と。

ミリアムと出会ってしまってからは。


「…………」


あの黒髪、あの黒目。

瑞々しく白い肌に、美の神の如き美貌。


あんなものの後では、自慢の人形も色褪せる。


「でも老いる。人は…なまものは直ぐに老いる」


そう、人間は老いるのだ。

それもたった六十年ほどの生涯。

その中でも価値のある時間は幼少期と老年期を除いて二十年程度。

あの美しい少年も、人間である限りその運命から逃れることはできないだろう。


「……馬鹿な」


老いる。

あの少年が老いる。


あの黒真珠よりも黒々とした瞳が。

あの絹よりも滑らかな黒髪が。

雪を欺く真白の肌が。


色を失い、枯れ果てる。


「……そんな馬鹿なこと、あっていいはずがない…!」


女は壁に拳を叩きつけ、叫んだ。

それは抗いがたい運命に対する慟哭であり、また宣戦の誓いであった。


「保存しなきゃ…腐らないように防腐処理しなくちゃ……血と臓物を抜いて、防腐剤を注射して、冷蔵保存のホルマリン漬けにしてっ! 人形へ加工整形しなくちゃ…! ふふっ、ふははははは…!」


今度こそ、満面の笑みを溢した。

純粋な笑み。

これが愛する者への献身だと、当人もこれを望んでいるだろうと、そう信じて疑わない…そんな使命感に溢れた、言うなれば狂信者の微笑み。


「ふふふっ…」


人形たちに囲まれた暗い部屋の中、その凶行はうぶ声を上げた。



▲▲▲▲▲




シャリエへ向かうため屋敷を出てからというもの、ガタガタと揺れる馬車の中でもって、ミリアムは雄大な自然に絶えず目を奪われ続けていた。


「はぁ〜」


漏れるのは感嘆のため息である。

だだっ広い平原と、その奥で聳える堂々たる山々。

前世を狭い島国、それも都市部で育ったミリアムにとってはそのどれもが新鮮な光景で、行程の終わりに差し掛かっても、道中の慰みに困ることはついぞなかった。


「ミリアム様。そろそろ村に到着致しますので、ご用意のほどを」

「ということは…ここはもうシャリエなんだ」

「はい」

「ははぁ〜、シャリエって随分綺麗な所なんだね」

「は…えぇと、私には普通の田舎に見えるのですが…」


そう言って困惑した様子を見せたのは、四人乗りの馬車の中においてミリアムの前席に座るメイド、アニーである。その大柄な体躯を屋敷と変わらぬメイド服で包みこみ、先ほどからミリアムの世話焼きに余念がない。


彼女は公爵より、同僚ほか三人と共にキャロル、ミリアムの護衛役を仰せつかっている。それ故に今回の視察調査への同行を許されていた。

因みに、ほか三人は二台目の馬車に乗って後ろに付けている。


「うーん、俺にはこの景色が凄く綺麗に思えるんだけど…」

「そうでしょうか…」


太い首を可愛らしく傾げて異を唱えるアニーだったが、斜め前から発せられる無言の訴えに気づき、そちらへと目を向けた。


「(メイド、ミリアムは…)」

「(あっ…申し訳ございませんお嬢様)」


アニーはその視線の含む意味に気がつき、すぐにミリアムの意見に同意してみせる。

類稀なる美少女の賛同を得られたことでミリアムは上機嫌となり、先ほどの視線の主は満足そうに笑んだのだった。


「(全く。うちのメイドは皆優秀だけど、少々人心に疎い所があるわよね)」


先の視線の主。ミリアムの隣に座る、豊かな金髪と酷い顔を持った少女キャロルが、笑い合う二人を見て思わずため息を零した。


「(はぁ…お似合いの主従よね…)」


あまりの顔面格差に見ていて胸が張り裂けそうだった。

キャロルは己も馬車の外に流れる風景へと目を向けることで、二人を視界の外に弾き出す。


「…………」


平原。山。山。山。


特別、綺麗と呼べる景色ではない。


「(ミリアムは知らないんだ。こんな単調に続くだけの田舎風景よりも、もっと美しいものがこの世には溢れていることを)」


居たたまれなくなり、キャロルは赤いドレスの膝上をキュッと握りしめた。


「(姉上。貴女がミリアムを独占したかった気持ち…

他でもない私には理解できます。ですが、やはりそれは愚かな行為だった)」


ミリアムは実の母親に十二年間監禁され、一切外に出ることができなかったという。

その異常な環境が、彼をここまで純粋な子供に育て上げたのは事実だろう。しかしーー


「(それではミリアムが余りにも憐れだ)」


キャロルは再度、隣に座る甥へと目を向けた。

そこにはメイドと楽しげに笑い合う、整った横顔がある。


ーー本当に心から笑えているのだろうか。


「……ふっ」


この美しい甥に自分のような醜女が憐憫の感情を抱くことになるとは。

キャロルは目を伏せてから、哀しげに微笑した。



▲▲▲▲▲



夕暮れどき。三人を乗せた馬車はシャリエ領の唯一の村へと到着した。

田舎の、他より少し大きい程度の農村である。それほど目を見張る物などないはずなのだが、例によってミリアムは興奮状態であった。


しかし、それもシャリエ領の領民たちには負けた。


見よ。

あの黒髪黒目の少年を。

見よ。

あの美の神ミューテリアの生まれ変わりを。


歓迎に先駆けてきた村長に始まり、村長の夫、その娘、他の村人までもが、一瞬の内にミリアムに魅了される有様である。

みな、馬車を遠巻きから眺める様にして、その美しさに見惚れていた。


「は〜、本当に人間かい、ありゃあ…」

「どうだか…少なくとも同じ男には思えないかな」

「ミューテリア…神様ってホントにいたんだ…」


圧倒的な美貌である。

それでいて儚げで、無邪気。

続く公爵家令嬢がドブスでなかったら、一同はあのまま呼吸さえ忘れて呆然と突っ立っていただろう。良かった、窒息死しなくて。

領民たちはブスが良い塩梅で中和剤的役割を果たしてくれたことを神に感謝した。


「よ、ようこそ。ようこそいらっしゃいました。お久しぶりでございますキャロルお嬢様。お初にお目にかかりますミリアム坊ちゃん。わたくし村長のベレニスでございます。御二方のシャリエご滞在に、領民一同心から御歓迎申し上げます。……これは家内と娘です」

「ベ、ベルナールです。お二人とも、よくいらっしゃいました」

「…………」

「これシメーヌ。お前もご挨拶しないか」

「あ…ようこそ」


骨太の村長と線の細い村長婦人(夫人ではない)が揃って頭を下げ、シメーヌと呼ばれた娘が遅れて続く。


「ああ、久しいな。三人とも壮健な様で何より」


キャロルが堂々たる態度でそう返す。


容姿は下の下とはいえ、やはりその高貴なる生れは覆し難い。溢れ出る風格で悠然としていて、視察の間はこの調子を貫くようだった。


ミリアムは姉のその様子に目を見張り、己もなるべく丁寧な挨拶を返そうと口を開く。


「初めまして。この度は姉の補佐として参りました、ミリアムです。リャリエはとても美しい所ですね」

「こ、これはどうもご丁寧に」


村長は挙動不審な、とても恐縮した様子で、再び深々と頭を下げた。


挨拶を済ませた後も、村長とシメーヌはミリアムの美貌に骨抜きの状態であった。特にシメーヌなどは顔を茹でダコのようにして、目の前の奇跡のような存在に釘付けである。

その視線を遮るようにしてキャロルが前に出てこなければ、シメーヌは永遠とその美貌を眺めていたことだろう。


「(あ、ブス令嬢だ)」


己もそこそこのブスだったが、やはりこの劇物のような顔面とは比べようがない。

我を取り戻したシメーヌは失礼にも領主の娘の容姿をそう寸評して(去年も同じような感想を抱いた)同じ血からこうも両極端な二人が生まれることを生命の神秘だなと不思議に思った。


「それで夫妻、今年もそちらで世話になろうと考えているのだが、問題はないだろうか」


そんな失礼な興味を持たれていることも知らず、キャロルは村長夫妻にそう問いかける。


「勿論ですとも。ささやかながら、歓迎の準備もさせて頂きました。家内には昨日の内から腕によりをかけさせまして……いえ、これが中々に絶品でしてね…」

「はっはっはっ。それは去年もお聞き申した。ベレニスどのは余程奥方がお好きと見える」

「うぅむ、そうでしたかな? いや、お恥ずかしい」

「いえいえ。一年たっても変わらぬおしどり夫婦なようで。今年も気持ち良く視察をこなせそうで何よりだ」


面識があることもあり、キャロルと村長の仲は良好なのだろう。

二人の軽快なやりとりにミリアムが関心していると、アニーを含む使用人の四人が、荷物を持って二台目の馬車から降りるところだった。


「さて、うちの使用人たちの準備が整ったようだ。ご自宅までご案内頂けますか?」

「ええ。こちらでございます。シメーヌ、お前はミリアム様をエスコートなさい」

「私!? わ、わかった…」


キャロルと夫妻、ミリアムとシメーヌ。それぞれが隣り合うような形で、一向は馬車の前からようやく動き出す。


「え、ええと…坊ちゃん、私エスコートなんてしたことなくて…無礼かもしんないけど…」

「ははは…大丈夫だよ、案内してくれるだけで。仲良くしよう」


その飾らない笑顔でシメーヌの頭が一瞬で再沸騰する。

純朴な村娘はギクシャクとした動きで、ミリアムと共に歩き出した。


「(シメーヌ…可愛い子だよな…)」


キャロルや妖精リリーほどではないが、五十人に一人か二人の立派なブサイクである。


「(髪なんて綺麗な栗色で…短い癖っ毛が可愛い…歳は俺と同じくらいかな…)」


できれば仲良くなりたいな。

そう思い、何か話題を振ろうとした…そのときである。


「ん?」


ミリアムは強い視線を感じて、ふと村の外れの、平地になっている小高い山の麓に顔を向けた。


「(うわっ…)」


そこにとてつもない美人がいた。

夕暮れの赤に照らされた、メイドのアニーとタメを張るほどの美人。

歳は二十五ほどだろうか。

丸々とふくよかな輪郭は少女の輪郭を残し、厚い唇はてらてらと光っている。ボリューミーな体はたっぷりと脂肪がのり、見ただけで男を前屈みにさせるだけの魅力を備えていた。


「…………」

「な、なんすか…」


見てくる。

その小ぶりな双眸で、じっと見てくる。


「坊ちゃん…?」

「い、今行くよ」


シメーヌに呼ばれ、ミリアムが歩き出す。

再び麓に目をやると、そこにはもうその女性はいなかった。



▲▲▲▲▲



「こ、このお部屋です。お使い下さい」

「うん、ありがとう」


村長宅。

ミリアムの案内を無事果たしたシメーヌは、とりあえずといった風に胸を撫で下ろしていた。

ずっと美人の隣で緊張していたのだ。道中何度か話を振ってもらった気もしたが、自身が何と答えたかなど覚えているはずもない。


「失礼します」

「失礼します」


後ろからメイドが二人やってくる。

静かにミリアムの荷物を置いて、脇に控えた。


「…………」


流石は公爵家か。綺麗な使用人を揃えている。

しかし、それもこの少年を前にすれば、失礼ながら路傍の石も同然だった。


ミリアム。

ベルシェラック公爵家の庶子。

そして父の話によれば、将来このシャリエの領主と目されているお方。


容姿にしても生まれにしても、自分たちとは生きる世界の違う人間である。


「良い部屋だね。景色が凄く綺麗だ」

「そ、そうですか?」


窓の外に広がるのは見慣れた田舎の風景だ。夕日で照らされてはいるが、美しい湖が見えたり、特徴的な何かがある訳ではない。


ここまで綺麗だと、見える景色も違ってくるのだろう。

シメーヌはひとり納得して、失礼にならないよう、ミリアムの部屋から早々に去るのであった。


「あっ、シメーヌ…行っちゃったか…」


持ち上げた右手が哀愁漂う。


こうして、ミリアムのシャリエでの生活が始まった。

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