二話
ベルジェラック公爵令嬢の突然死は世間を大きく賑わす大事となっていた。
令嬢は婚約者との一件以降、その理由を周囲に知られることなく領地の東の屋敷に押し込められていたので、亡くなったところで大きな影響力などないはずだったのだが、死後発見された令嬢の息子が多大な話題性を作り上げてしまったのである。
誰の胤かもわからぬ私生児。
ベルジェラック公爵家の庶子、ミリアム。
当初は誰も興味を示さなかった。
むしろあの醜女がよく男を垂らし込めたものだと、さぞ父方は卑しい身分なのだろうと蔑んだ。
その息子も醜く、卑しいのだろうと。
しかし公爵家本邸に現れたその少年は、たちまちの内にその醜聞を払拭することとなるのだった。
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「......貴様が我が愚娘の産んだ子だと言うのか」
「はい。アンジェリーヌ・セレス・ド・ベルジェラックの息子、ミリアムでございます。公爵様へのご挨拶が遅れて、えー、申し訳ありませんでした」
慣れない言葉使いでたどたどしくそう言って、こちらもぎこちなく一礼して見せるミリアム。
本人は己の教養の無さに内心忸怩たる思いであったが、しかしそれを見る者には多少の粗野な振る舞いなど完全に意識の外であった。
世にも珍しい黒髪黒目の、それも奇跡のような美しさを持つ美少年。
女も男も皆己の性別や身分さえ忘れて、公爵へと頭を垂れる、美の神ミューテリアの落とし子に見入っていた。
「......ミリアムと言ったか」
「はっ」
一早く我を取り戻したのは公爵であった。
オーギュスタ・ド・ベルジェラック。
ベルジェラック公爵家の当主にして現女王の従姉妹。若かりしころは騎士団を率い、戦場で多大な功績を上げた武の人であった。
齢四十半ばになった今でもそのころと遜色ない、逞しい筋肉が服の上からでも見て取れる、大変な美女である。
「ではミリアムよ。本日よりシャリエの家名を名乗ることを貴様に許す」
公爵のその言葉に、その場に集まった家臣たちから大きなどよめきが起こった。
誰にとっても予想外の出来事であったのだ。古くからベルジェラックに仕える忠臣でさえ、我が主は色に狂ったかと瞠目した。
「は、母上! この庶子に領地をお授けになるのですか!」
誰よりも早く声をあげたのはベルジェラック公爵家の三女、キャロルであった。公爵が三十二歳のときの子供で、長女と次女が相次いで亡くなってしまった今、順当に考えれば時期当主の少女である。
キャロルは普段の冷静さをかなぐり捨て、豊かな金髪を振り乱しながらこの一つ年下の甥に対する破格の待遇を批難した。
しかしそれも当然。
シャリエとは公爵の所有する領地の一つ。その名を与えられるということは、その領地を治める権利をミリアムが得るということなのだ。
「いいや。今思い出したが、シャリエは愚娘...アンジェリーヌの死の間際にくれてやっていたのだ。そういえばな。となると、こやつは母の領地を相続したに過ぎん…ということになる」
「詭弁です! それにこの者は庶子です! そのうえ男です! 領地は没収されるべきでしょう!」
「そうだ。本来ならばそうなのだが......さっきやったものをはい御愁傷様でした、と言ってすぐに取り返すのはどうもきまりが悪くてな。諸侯にベルジェラック当主の懐の深さを疑われかねん」
わざとらしく自分も不本意なのだ、といった顔をする公爵。勿論それがただの悪乗りであることは誰の目から見ても明らかだ。
「そ、そんな馬鹿な理由がありますか! 良いですか母ーー」
「しかしシャリエの領主ともなれば爵位がなければ格好がつかんな。陛下に話を通しておかねばなるまい」
「良いですか母上!! 何度も言う通り、この者は庶子です! 母親こそ我が姉とはいえ、父親はどこの誰とも知れぬ身です! 私生児です! そんな者にシャリエの地を治めることがどうして務まりましょうか!」
「うむ。無理だろうな。学問を知らぬ十二の子供には」
公爵は最もらしく頷いた。
「では!」
「故にまずは身分を整えるだけだ。シャリエの領地経営についてはこれまで通り公爵家が執り行うものとする。その間ミリアムに貴族の何たるかを我が屋敷で学ばせ、必要な知識を身につけて貰う」
「母上!!」
キャロルの怒声があがる。
そしてそれと同時にそれまで様子見をしていた老いた二人の家臣が、ゆっくりと口を開いた。
「オーギュスタどの、儂もキャロルどのの意見に賛成ですぞ。幾ら当主とはいえ、ベルジェラックは古くからの格式ある家柄。その歴史を軽んじるような真似はどうかお控え頂きたい」
「その通り。閣下がこの者の容貌をお気に召され、それで側に置きたいと思われたのなら、それに相応しい立場をお与えになればよいのです。領主にするなどもっての他ですぞ」
ベルジェラック一門でも比較的発言力が強い二人がキャロルに同調したことによって、だんだんと反対に賛同する声が大きくなっていく。
しかし何をどれだけ言われても公爵は岩のようにびくともしない。
こうなった公爵の頑固さを、家臣たちは嫌というほど知っていた。
「わかり申した。当主である貴女がそこまで仰るのなら、我ら家臣は従う他ありますまい」
「な!?」
キャロルが驚愕の声をあげた。
先ほどまで強く反対していた家臣の一人が、一転して意見を翻したからである。
「キトリー! 貴女何を言っているの!」
キャロルにそう呼ばれたのはまだ若い騎士であった。
新参ながら剣も魔法も使える有能さを買われ、公爵の身辺警護を務めるまでに至った才人である。
「やけに殊勝な態度ではないか」
そしていつになく神妙なキトリーを公爵は訝しむ。この女は剣も魔法も、そして頭も良く使えるのだ。
「閣下。私が思いますに臣下とは常に殊勝なものです。主の命とあらば一も二もなく従い、それが主の不利益になり得ると判断すれば、命に背かぬようさり気なく正します」
ぬけぬけと言ったものだった。
「何がさり気なく正しますだ。面と向かって申しておるではないか。何を企んでおる」
「は。閣下におかれましては、一先ずミリアムどのが保有しておられるシャリエの地を没収なさいませ」
その場の全員が首を傾げる。
それでは先ほどまでの言い分と変わらないではないかと。
しかし公爵は何も言わない。この若い騎士の意見を最後まで聞く気なのだ。
「そして十分な教育を施し、必要な知識をつけさせ、然るのちに再び領地をお授けになればよろしいかと」
「ほう」
公爵がにやりと笑った。
つまりミリアムが自力で治められるようになるまでは、領地は一時没収という形にしておけということだ。
「私としては元々、ミリアムどのが我が故郷シャリエの領主となられることについては何の不満もないのです。庶子のお生まれとはいえ、ミリアムどのは閣下の妹君であらせられるアンジェリーヌ様の正式なご子息なのですから。しかし...」
キトリーはそこで一旦区切り、ざわめきが収まるのを待った。
「しかし元領民として言わせ頂ければ、折角我らシャリエの領主様がご誕生されましたのに、政治はこれまで通り。領主様もベルジェラック本邸にて寝起きする。何の変わりもないのでこれまで通りに過ごしなさいと申されましても、それは納得しかねるというものです。ご領主となられたミリアムどのには是非、我が故郷の鮮やかな緑の森や風にそよぐ稲穂の海、賑やかな領民たちの中に日々をお暮らし頂き、直にシャリエをご覧頂きながらご勉学にお励み頂きたい。それまでは後見人をお付け下されば、ミリアムどのは明日にでも名実共にシャリエのご領主でございます」
つまり領地を一時没収しないのであれば、ミリアムは領主としてシャリエで暮らすべきと訴えているのだ。
「そもそも閣下、ミリアムどのが領地を継ぎ爵位を得、今すぐ身分を整える必要がどこにあるのでしょうか? 他家とのご婚約のためかと思いましたが、どうもそれも違うご様子」
政略としてミリアムの容姿を有効に使いたいなら、それなりの身分を付けてからではないと婿行き先も自由に選択できない。
そしてそれが目的ならば領主の教育など不要だろう。
「であるなら、これはもうベルジェラック一門にミリアムどのをお加えになさりたかったからだとしか思えませぬ。では何故一門に迎えなければならないのか。それはおそらく、ここからは何の根拠もない推測になってしまうのですが、ミリアムどののごしゅっーー」
「よい」
キトリーがピタリと口を閉じる。
「ふん。わかったわかった。キトリーの進言を聞き入れよう。この者の母に与えたシャリエはひとたび没収し、時期が来れば再び授けるものとする」
おおっ、と臣下たちから歓声があがった。少なくものあと三、四年、公爵を説得する時間ができたからだ。
キャロルもその小柄な体から怒気を消し、肩をなでおろして安堵した様子であった。
「お前にもキトリーほどの強かさがあればな」
「くっ...精進致します」
しかし公爵にからかわれ、行き場のない怒りをミリアムへと向けることになる。
そして当のミリアムといえば話の間ずっと、何が何だがわからない様子で目を白黒させていた。
しかし流石に何か言わなければと思ったのだろう。ミリアムはできる限り畏まった顔を作った。
「ありがとうございました」
「む。礼を申すとは...貴様は領地を得られぬのだぞ?」
公爵は話を聞いていなかったのかと、咎める様子で言った。
「い、いえ公爵様。私のような子供が領地経営など、荷が重過ぎるので」
ミリアムが慌てて弁明する。
緊張からか僅かに紅潮したその可愛らしい頬に、一同は思わず感嘆のため息を漏らした。
「ふむ。我が孫は欲がないのだな。ではミリアムよ、今度から私のことはお祖母様と呼ぶがいい」
「いいんですか? ...あ、いや、えーと、わかりました。お祖母様」
「うむ、それでよい。キャロル、お前の甥を適当な部屋に案内してやれ。裁量は任せる」
「わ、私がですか!?」
実子に庶子の部屋の世話をさせるとは、あまりにも常識外れである。
「何故私が...」
「やれと申しておる」
取り付く暇もない。先ほど改めて確かめたが、こうなった公爵は自分にはどうしようもないのだ。故にキャロルはキトリーへと縋ってみたが、さしもの騎士も今度は首を横に振るだけであった。
▲▲▲▲▲
「......ここを使いなさい」
ミリアムが案内された一室は思いがけず広く、綺麗な部屋であった。
流石に以前の部屋には劣るが(母は最高級の家具ばかりをミリアムに与えていた)調度品の質も申し分ない。
このキャロルという少女は自分のことを良くは思っていないようだったので、ミリアムは意外に思った。
「ありがとうございます。えーと、叔母上」
「......私はこれで失礼するわ。何かあれば使用人に言いつけなさい」
「はい。あの...」
キャロルは踵を返し、あっという間に部屋から去って行ってしまった。
「綺麗な子だったな」
一人きりの部屋でポツリと呟く。
金糸のような髪に翡翠の瞳。未だ十三歳とはいえ、匂い立つような美貌であった。
流石はあの母の妹だと感心すら覚える。
「............」
あのキトリーという甲冑をまとった女性も美しかった。
母やあの叔母とは趣きの異なる、中性的な魅力があった。それでいて体の線は女性らしい曲線を描いており、長く伸びた銀髪は艶があって見事の一言に尽きた。
ミリアムはこの二人とは是非とも仲良くなりたいと思っていた。
「それにしても公爵家の家臣がみんな女の人っていうのは変だよな」
あの場にいた家臣たち。
老若総じて女性である。
「中世ヨーロッパでそんなことありえるのか?」
ミリアムが前世で培った常識ではありえないことだ。しかしここは異世界である。このような理解できないことがあっても、それを事実だと受け止めていく柔軟性が大切になってくるのだろう。
ミリアムは無理やり己を納得させ、どうすればキャロルに気に入って貰えるか、うんうん唸りながら考え始めるのであった。