あごがれ∞ループ 4
学校生活と半分国内リーグの追っかけの様な生活はこうして始まっていった。
学校が休みになると、達也さんは一度は学校に来るようになっていて、その度にカメラを片手に私も学校に行くようになっていた。部活での作品発表でも自然と運動部を撮影したものが増えていく。
いつの頃からか達也さんが来る日は、学校から帰る時は達也さんが車で送ってくれるようになった。
今日もいつものように達也さんに送って貰うのだと、その時は思っていた。
「梨佳、ちょっと寄り道をしようか」
そう言って立ち寄ったのは、家と学校と丁度半分位の場所にある喫茶店。いつもは近くの公立校の生徒で一杯だけど、今は土曜日の午後5時。店内は多分常連しかいないようだ。
「お腹が空いていたら、食べたら?俺も食べるからさ」
「うーん、でも……」
「梨佳のお母さんには俺が連絡するから」
そう言って、達也さんは私にメニューを渡してから店の外に出て行った。
最初に家まで送ってくれた時に両親と会って以来、達也さんといると言うと両親は安心する。
「家に電話したら、夫婦水入らずで外出することにするって。8時までに帰って来いって。鍵は持っているのか?」
「鍵は持っています。たまには夫婦で食事って。いつも二人で日曜日に外出ばかりするのに」
愚痴を言う私を達也さんは微笑んで見ている。
「いいじゃないか、梨佳のご両親が仲がいいから梨佳も穏やかな性格なんだよ」
「そうなのかな?」
「年上の言う事はそうだと思いなさい」
そして達也さんはカレーのセットを、私はピザのセットを頼む事にした。
「梨佳、進路に悩んでいるんだって?」
「うん。ちょっとね。大学にするか、短大にするかってね」
「俺は……バレーで大学に入ったからなあ。難しいよな。でもさ、途中で進路を変えるとしたら、楽に修正できる方がいいと思わないか?」
「えっ?」
「先輩ね。最初から教職コースを取っていないんだ。途中から教職に変更したんだ。俺が見ていても大変そうだったけどね」
「川野先生ね。先生もナショナルチームにいたんでしょう?」
「ああ、梨佳達がランドセルを背負っていた位の頃じゃないかな」
そうなると、今から6年位前の話になるのか。
「そっか」
「それがどうかしたか?」
「何となく……覚えている様な、そうじゃないようなって感じで」
「先輩は、ナショナルチームにいることを鼻にかける人じゃないからな。それは梨佳も知っているだろう?」
今の川野先生を知っているから、よく分かる。
「今の話を聞いていると、やっぱり大学かな。達也さん、大丈夫だよ。先生が心配している事じゃないのよ」
「何を目指しているんだっけ?」
「今は管理栄養士だけど、その先の夢も見つけたの。夢は叶える為に見るものだと思うんだけど……周りの反応があんまり良くないの」
「その夢に向かって、梨佳は進み出すんだろう?」
「うん、両親は素敵だねって賛成してくれたのにね。進学指導部が余りいい顔をしないの」
「うーん、梨佳。お前ってひょっとして国立大学現役で入れそうなレベル?」
「そんなの分からないよ。私は都内の家政大学で十分だって言っているのに」
私の進路は、学校の指定校推薦の枠がある女子大の管理栄養士コース。それのどこがいけないんだろう?
「それは変えられないんだな」
「うん。達也さんには言えないけれども、川野先生は言えるんだけどね」
「じゃあさ、その夢を先輩に言ってやって。そうしたら、先輩安心するから」
「分かりました。達也さん。ご飯が冷めちゃうから食べましょう」
私達は目の前に並んでいる食事を食べ始める。ずっとこうやって穏やかに過ごせたらいいのに。女子高生とかアスリートとか関係なく今のまま過ごしたいのにって。
その日の帰り、達也さんから携帯の番号とアドレスを教えてくれた。私の方は達也さんの携帯を借りて赤外線通信で送る。達也さんはその光景をジッと見ていた。
夏休みは、達也さんには会えなかったけれども、メールと携帯で連絡は取っていて、負けそうになった自分を励ましてくれた。
学年で最初に進路が決まった時は、先生よりも先に達也さんに連絡した位だ。
そして自宅を出て自活する事が決まったので、アパート探しをする時は何故か達也さんとチームの人達が手伝ってくれた。知り合いの不動産屋さんとか、引っ越し業者さんとか、中には転勤で不要になる家電があるよって仲介してくれたりしてくれた。そのお陰で、かなりお得な引っ越しになりそうだ。
しかも私の引っ越し先は、達也さんの職場の上司の親族が大家さんのマンションで大学から徒歩10分程の距離だ。
明日が卒業式という日の夜に、自宅の電話に達也さんがかけてきた。
「梨佳、明日だな」
「うん。達也さんは仕事でしょう?」
「まあ……な。でも、祝ってやるから式が終わっても、先輩の所で待っていろよ」
「うん。明日は遅刻ができないから……もういい?」
「そうだな。じゃあ、明日な」
そう言うと、あっさりと電話はプツンと音を立てる。もう少し話をしたかったけれども、自分から話すのを切りあげようって言ったのだから仕方がない。
私は大きくため息をついてベッドにゴロリと横になった。
卒業式当時は風もなくて穏やかな日差しが暖かい。受験の為に全員が揃っていない分、かなり呆気なくて寂しい気もしたけど、無地に卒業式が終わって川野先生の最後のホームルームが始まる。
熱血な先生は男泣きをしてしまってどうにもならないので、委員長が仕切って私のカメラで暮らす写真を取って終了した。もちろん、先生の分の写真は大きく引き伸ばさないとね。
クラスの大半がこれから受験本番なので、皆一斉に帰って行った。他のクラスも同じような状態の様だ。
「麻生……悪いな」
「そんなことないですよ。先生らしくてホッとしました」
クラスの備品って事で皆でお金を出して買ったボックスティッシュの箱を抱え込んでいる先生がちょっとかわいい。最後のホームルームで泣き始めた先生の顔は写メを撮って、先生の奥さんの携帯に送ってある。一応、絶対に本人には内緒でと送ったメールの返信には。今夜は一杯甘やかすから。皆もおめでとうと返信が来ていた。この人も来月には自分の生徒を卒園式で送る人だなあと頭の片隅で考えていた。
「麻生、卒業おめでとう。大きくなったな?」
「そうですか?背丈はそうでもないですよ」
「そうじゃなくて、器が大きいって事だ。クラスの奴らより大人になるのが早かったのは、俺の傍に置いていたせいか?」
「そんなことないですよ。気にしすぎです」
「そうか。麻生。最後の戸締り頼むな。それと……達也の事もよろしくな」
「先生、達也さんとは何とも」
「今は……だろ?お前があいつの事を満更でない事は分かっていたぜ。じゃあ先生からの最後の仕事を任されてくれな」
「はい、最後のお仕事任されました」
私が答えると、先生は鼻をズルズルさせながら、体育教官室に向かうようだ。
そこには、私達からのサプライズプレゼントがあって、先生が更に泣いてしまう事になるのだけど、その真相を知るのは後日の事になる。
「梨佳、おめでとう」
達也さんが、息を切らして私の教室に駆け込んできた。
「走って来なくてもいいのに。ありがとう。来てくれて」
「お前の新しい生活のスタートを俺が見たかっただけだから」
「うん。それだけで嬉しいよ」
私は自分が座っていた席から立とうとしたら、達也さんが隣の席の椅子を引いて座る。
「懐かしいな、高校も。俺達さ……同じ年だったらこうやって並んでいたんだろうか?」
「どうかな?私が風紀委員で達也さんをいつもお小言を言っている様な気がします」
「それもあり得るな。でもそれがされたくて悪さするんだろうな」
「達也さんらしい。今とあまり変わりがないみたい」
達也さんの高校時代を想像して、私はクスクス笑い始めた。
「そんなに笑うなよ。なあ、梨佳。俺らの仕事ってさ」
「うん」
さっきまでいつもみたいなゆるい会話をしていた達也さんが、私の目を見てゆっくりと話し出した。私は姿勢を正して彼の話を聞く。
「いつまでも出来る仕事じゃないし、その先だってどうなるか分からない」
「先の事は、誰にも分からないよ。私だってそれは同じだって」
私が答えると達也さんは笑いだした。
「お前……やっぱり凄いや。俺、お前の傍にずっといてやれない。だけど……」
「達也さん?」
「お前と会うのを今日で終わりにはしたくない。俺の方がお前より年上なのに……おかしいよな」
「そんなことないよ。私の方がずっと達也さんに甘えていた。ねえ、これからも会えるの?会ってもいいの?」
「ああ。時間は長くは無くても……会いたいと思ってくれるのなら。これからも俺と会いたいと思うか?」
「会いたいよ。今日だって……私、達也さんに会えるのが楽しみだった」
「俺……梨佳が好きだ。先輩に比べたら頼りないだろうけど、俺の傍にいてくれないか?」
「私でいいの?周りの人に比べたら、子供なのに」
「この俺が頼んでいるんだから自信を持て」
達也さんの腕の中に閉じ込められる。何度かリフトアップで持ち上げられた事はあったけれども、今日みたいにドキドキした事は無かった。達也さんの温かい体温に縋りたくなる。
「あったかい。でも、一人でどきどきしていて……子供みたくてやだ」
「じゃあ……俺の顔を見るか?そうしたら分かるんじゃないか?」
達也さんの腕の拘束が解かれたのでゆっくりと見上げて達也さんを見る。そこにいたのは、多分私と同じ表情……耳まで真っ赤な達也さんがいた。
「こうやって女の子と付き合った事ないけど……優しくする」
「うん」
「これからはもっと甘やかす」
「うん」
「でも、梨佳は今の梨佳のままで。お化粧した梨佳も好きだけど、スッピンの梨佳の方が俺は好きだ」
「それは……努力する。私も達也さんが好き」
「それだけで、俺……すげえ嬉しいかも。俺達のペースで大人になろう」
「うん」
達也さんの目を見ていると恥ずかしくなって俯く。
「ダメ。ちゃんと見て」
「恥ずかしいんだもん」
「でも、俺を見て欲しい。それと……キスしていいか?」
「駄目です。校則はちゃんと守りますよ。年度末までは高校生ですから」
流石に教室で初めてのキスは憧れるけど……ちょっと嫌。
「やっぱり、風紀委員だな。今日も生徒手帳の通りの着方をして」
「嫌い?他の女の子用に着崩した方がいい?」
「そうしたら、ファンの子と同じだったと思うな。これ以上ここにいるのもどうかと思うから……帰ろうか」
「うん。達也さん……手は繋いでも……いい?」
「ああ、それと荷物持ってやるよ。帰るか?」
「うん。帰る。帰ろう」
私達は互いの手を握り合ってゆっくり歩き出した。ここから私達の時間はゆっくりと始まったのでした。
カップリングまでのお話は終了。この二人のお話はいずれ後の機会に。
次回はシェフの桐谷敏也の話になります。
12月6日、一部訂正しました。