甘い時間の過ごし方 敏也と朱音
「凄いパーティーだったね」
「そうだな。いろんな人が揃ったな」
俺達はパーティーが終わってから車で自宅まで戻ってきた。普段は車を使う事は無いのだが、今日は自宅で仕込んだ料理を運ぶ事もあったので、最初から車で来る予定だった。俺の様に車で来ていたのは嫁が妊婦さんなシーナ位だけだったらしい。
「でも、りっちゃんと達也さんの出会いが高校の頃だったのは初耳だった」
「それは俺も思った。普通だったらその出会いで終了だよな」
「そうよね、それに棋士が先輩でメールのやり取り取っているってのも意外だった」
「俺……そこは知っていた。りっちゃん高校の必修クラブ入りたいものに入れなくてランダムに入れられたらしい。将棋クラブ。思い切り初心者のりっちゃんを世話したのが樋口さんだったというのが真相さ。だから今でも師匠と弟子って対応だぜ。あの二人。樋口さんも彼女さん連れて来ていたしなあ」
「そうね、私達の年代になるとそろそろ結婚ってなるものね。これ……間に合ったね。やっぱり恥ずかしかったわ」
そういって指に嵌めている指輪を見せる。あの後婚約指輪を買ってサイズ直してもらったのがパーティー前に完成して朱音に取りに行ってもらったのだ。実験でも付けれるように華美にならないものにしたのだが、学校につけて行くのは無理だから、教授のお伴で行くパーティーの時に付けるから許して欲しいと全力で言い切られてしまった。パーティーの場でもつけてくれるのならそれでもいいか。
「そういえば、私の指輪をマジマジと見られて凄く恥ずかしかったわ」
「誰がそんなことしたんだ?」
「あれは……多分江藤さんだと思う。あの子は結構女子力が高いのに、ちょっとした行動ががっかりさんよね」
確かに、江藤さんは可愛いのに、彼女のアンテナの張り方はかなり間違ってはいる。俺もシーナも一度は狙われそうになったものだ。互いに彼女を店に来て貰ったフラグをきっちりと折らせて貰った。
今の彼女が大学のサークル関連で出会いを本気で探しているらしい。
渡辺さんを射止めた麗ちゃんに対しても、どうして私じゃないのなんて言っていたっけ。選んだのは渡辺さんだからそれは渡辺さんに言うべき発言ではないだろうか。
「りっちゃん、本気で麗ちゃんの全開祝いパーティーだと思っていたのね。樋口さんがいた時点でそれはないと思えばいいのに」
「それは言うなよ。肝心なところがボケているのがりっちゃんなんだから」
俺達は顔を見合わせて笑う。自分達の店を守ってくれる人になんてことを言っているんだろう。
「でも、本当にいいの?私が大学院を卒業する時に合わせてお店を辞めても」
「いいさ、お前が卒業するのは来年度だろ?まだ時間あるから、後任選びもシーナと違ってじっくりと選ばせて貰うよ」
「今度のパティシェはどうなの?」
シーナが連れてきたパティシェは意外な事に女性だった。採用の切っ掛けは本人が卵アレルギーがあるということだ。
「でも大丈夫なの?」
「パティシェはりっちゃんもできる。だから二人三脚で頑張る事で店に新しい空気が入り込んでいいものになるだろうっていうのがシーナの意見」
「成程ね。今のエトワールを維持するのもありだろうけど、更に進みにはりっちゃんが現場に入るのもいいかもしれないわ。りっちゃんのケーキってどうなの?」
「そうだなあ。旨いよ。でも野菜を使った焼き菓子とかがりっちゃんらしさが前面に出てくるな。これからはそう言うものも出せるんじゃないか?」
「だったら……とし君の店のオレンジケーキの味をエトワール風にアレンジできないかな?」
「成程、りっちゃんとブレーン引きこむのか。それはそれでいいな」
「実家の店とは違う味をとし君が作るの。そうすればとし君のオリジナルになる」
「朱音、お前そんな事を考えていたのか?」
「うん、エトワールのレシピもいいけど、とし君だけしかできないものを作りだしてもいいと思うの。試食なら私が担当するから安心して」
「それなら作ってみるか。りっちゃんに相談してみるとするか」
俺はカレンダーの開いているスペースにオレンジケーキの味を考えると書きこんだ。
「ところで、朱音の研究の方はどうだ?」
「もしかしたら、成功するかもしれない。正しくは品種改良ではないんだけど、今あるものにちょっと遺伝子操作をして寒さに強い株は作る事は出来たの。ただそれを製造ラインに載せられるかはまだ分からない」
「成程な。そこはじっくりとという事か」
「それもあるけど、遺伝子操作でしょう?私はちゃんと品種改良をしたいから、今度は今回のノウハウをどうやって品種改良をする時に組み込むかなの」
朱音がやっている事は、既に俺には理解ができないけど、ある意味では新しいソースを作る時と同じ感覚なのかもしれない。
「いいよ。朱音が納得できるだけやってごらん。俺はお前の隣でお前を見ているから」
「そうやってとし君が言ってくれるから、私も頑張れるんだよ。明日も研究頑張らなくては」
「頑張るのはいいけど、俺の嫁にすぐになりたいと思うか?」
「どうしたの?急に」
「急ではないぞ。ほとんどずっと一緒にいたからずっと思っていた。地元に戻ったら今みたいな生活は出来なくなるかもしれない。俺達はいつ入籍しても実質的に問題は無いだろう?だったら今でもいいのかなって思ったんだ」
「成程ね。でもさ、それってシーナとりっちゃんの事が関係ある?」
「りっちゃんは少なくてもないかな。シーナは少しだけ意識する。年が同じなだけに」
「そうねえ。あの二人は同級生か。そうなると……とし君が意識するのは仕方ない事かもね。私はねまだ学生だから本当にいいかって思う時もあるんだよ。だからとし君が自分がしっかりしていないって思う事は無いの。それならさ、今度の店は私達で考えてみない?」
「俺達で?」
「うん。二人で今のエトワールとかを参考にして建てたい店の図面を書いてみるの。そこから具体的に私達の夢を形にしてみようよ」
朱音、それだとまた結婚のタイミングが遅くなるぞ。それでもいいのか?俺がふがいないって事は無いのか?
「あのね、シーナ達が早いんだと思うよ。調理師学校の中まで結婚している人……いる?」
朱音に言われて考えてみる。同級生ではまだシーナ以外は結婚していないなあと思い返した。
「まだいないかも」
「だから私達もまだ結婚に拘らなくていいのよ。私も学生だもの」
「本当にいいのか?」
「うん、先にママとパパになる気はないわよ」
「それは分かっている。十分気を付けます」
俺達はさっきまで少し緊張していた空気が緩んだせいか、互いに顔を見合わせて笑いあう。
「で、まずは資金だよね。とし君がお兄ちゃんに頼んで運用して貰っているのは知っているよ。私もお願いしているから」
「そうか。俺はあっちの金は戻ってから使う予定だから今はいいや。俺達が共同購入で買ったり自分で買ったりして増やした宝くじがこれ」
俺は通帳にラインを引いてあるから多分……分かり易いだろう。
俺の通帳を捲っていた朱音の手が止まった。
「ねえ、すぐに開業できるよね?」
「出来るなあ、多分。それがどうかしたか?」
朱音の顔がちょっと白い気がする。
「ねえ、当たった宝くじで何か買った?」
「車とこのマンションを借りる時に家具を買ったり、引っ越し費用出したりしたなあ。ちなみにこの金の使い方はシーナと同じな。シーナの所はこれからの費用で使うんじゃないか?」
シーナ君の奥さんは妊娠七カ月。奥さんがギリギリで産休に入ると今のところは聞いている。それまではここで働いて、その後は育児休暇制度を使うと言う。その満期を使った後にシーナ君は実家の近くで修行した店に戻って働き始めるという。りっちゃんが提案した事はかなりチャレンジな事だけども、純子ちゃんの体を考えるとシーナ君が家事のサポートをした方がいいという判断は私でも分かる。
「私達って幸せだね。りっちゃんがオーナーで」
「そうだな。最初は俺がオーナーになる予定だったんだ。でも断った。宝くじで一番設けているのはりっちゃん。店に一番お金を投資しているのもりっちゃん。それに俺達の最終的の夢を考えると俺達では務まらないって思ったからな」
そう言って、リビングコーナーに置いてある写真立てから三人で撮影した写真を取り出した。三人が製菓学校の時の写真だ。今ではギャルソン服をきりりと来ているりっちゃんだけども写真のりっちゃんはコックコートをりっちゃんらしく着こなしている。
「その頃のりっちゃん……可愛いわね。丁度麗ちゃん位の頃?」
「そうなるな。仕事でもプライベートでも一緒にいるとは思ってなかった頃だな」
専門学校を卒業した俺達は、自分達の夢を叶える為に修行をしたりしていた。りっちゃんも一年だけ大手食品メーカーの開発部でビックリする位の残業時間をこなして仕事をしていた。その成果は退職した今でもたまにコンビニで見かける事がある。
一年で一体何年分の仕事をしたんですか?貴方は?だから過労で倒れるんですよ。退職直前にりっちゃんは過労で倒れて入院している。今思えば、そうでもしないと退職できないとりっちゃんが判断して残業しまくったのだろう。あの頃の生活を達也さんと話すといつも達也さんは苦虫をつぶした顔をする。
傷病手当を貰って、その間に仕事に必要な事務の勉強もして資格を取得した。失業保険を貰う頃は、三カ月の待機期間を利用してイタリアリーグに移籍する達也さんに付いて行って身の回りの世話と最低限のイタリア語を教えてからヨーロッパ各国を回って日本に帰って来た。
俺達への土産は日本では入手できない食材と、現地での食事の写真。それとりっちゃんがその食事を食べた時の感想。俺達にとってはこれが一番大きな収穫だったと思う。
そして、当たった宝くじの収益からこの物件を見つけて一括購入して、自分達の家も中古ながら購入して、エレベーターとか耐震補強工事……内装も外装も庭周りも工事して俺達が合流するのを一人で待ってくれた。
店として機能できるようになってからはあっという間だった。自分の部下を採用して、皆でメニューを決めて、ギャルソンも雇って開店して本当にあっという間だった。
積極的にはアピールしていなかったが、幼稚園のママさんからの口コミで、外回りの営業の人が立ち寄るようになって、今は常連さんもいる状態になった。
「私達もなれるかな?エトワールに」
「なれるさ。それよりもお前は俺にとっては北極星だからな」
「なにそれ」
「道を見失っても方角を示してくれるって事。悩んでもちゃんと元に戻れるんだ。ああ、こんな話俺らしくないな。ったく、恥ずかしい」
「始めて聞いた。でも凄く嬉しいよ。私はとし君も頑張っているから私も頑張ろうってその思いでここまできたの。私達……根っこはおんなじだったのね」
「本当だ。似た者夫婦か。入籍するとかしないとか……そう考えるとどうでも良くなったな」
「そうかもね、お店の制服って私が決めてもいいの?」
「いいけど」
「あのね、今日来ていた黒のコックコートとタブリエはそのまま使いたいなあ」
「どうして?粉を使うと悪目立ちするぞ」
「だって、白いコックコートよりもかっこいいんだもの。それにワインレッドのマフラーもかっこいいし」
「ふうん、要は俺に惚れ直したって事か?」
「私もお手伝いの時は同じの来た方がいい?」
「いいや、朱音には店のギャルソン服を着て欲しい。りっちゃんと同じ奴」
「私あんなにカッコよく着られないよ」
「りっちゃんだって、毎日着ているからそう見えるだけ。朱音だって大丈夫」
朱音もコックコート着てみたいのか。あの時サンプルで取り寄せたままになっているピンク色のコックコートりっちゃんは自宅で使っていなければいいのだが。
「何を考えているの?」
「うーん、制服の業者さんを教えて貰わないとなってね。それと折角だから店を開店させる前にビザで行けるギリギリの範囲内でヨーロッパに行くか?冬だから寒いだろうけど各国料理を食べながら移動しないか?」
「いいけど、語学……」
「りっちゃんは電子辞書と英語がそれなりに話せれば大丈夫って言っていたから大丈夫だよ。大学院は論文を提出してしまえばいいんだろう?だったら卒業後の進路を決めてしまって論文を提出したら俺と旅行に行きたくない?」
「いいよ。楽しそう」
「その時のお前は俺の嫁にしたいから、その時までには入籍を済ませるからな?いいか?」
朱音と海外旅行をするのなら、出来るものなら同じ名字で取得したい。どうせ結婚をするんだから最初から籍を変えてから取得した方が楽だと絶対に思うんだ。他にもやる事は一杯あるけど、籍を変えたらその足で銀行に行って、保険証の名義変更もして、状況によっては朱音を俺の扶養に入れるようにしないと行けないよな。思った割にいろいろ変更するものが多い事に気が付いたので、そこのところはシーナとりっちゃんに聞いて俺達のタイミングで一番いい所で入籍をすればいいかと漠然と俺は考えた。
「パスポートだけじゃないよ。それを分かっていて言っている?」
「うん、今気が付いた。そこは先輩がいるからちょっと聞いてみるよ。でもそこは譲りたくないから」
「いいよ。まずは、私が論文書きあげるところからだね。分かった頑張ってみるよ」
店の皆に背中を押された形になってしまっている気がしなくもないが、俺と朱音の未来もゆっくりと歯車が動き始めたようだ。朱音が小さく欠伸をした。
「眠くなったか。それなら寝る準備でもしようか?」
「うーん、このまま寝ちゃうのも勿体無い気がするの」
「そうか、じゃあ眠くなるまでさっきの話の続きをしようか?」
「さっきの話の続き?」
「ああ、俺達が店を持つ話。他人にしたら甘い戯言と言うかもしれないけど、言う事で夢に近づくのだったら、それでもいいと思わないか?」
「言霊ってこと?」
「そういうことなのかな。でも、お前とさっき話した時凄く優しい気持ちになれたからさ。もう少しその時間をお前と一緒に過ごしたい」
「いいよ。二人でちょっと甘くて優しい時間を過ごそうか」
「皆が聞いたら、呆れられる位の話をしよう」
俺達はゆっくりと寝室に向かう。いつもよりちょっと早い時間だろうけど、まどろみながら二人の夢を紡ぎながら夜を迎えるのも満更でもないなって思う自分がいるのだった。