ある日のエトワール 3
結花と寛子が帰ってから、勤務が終わったらしい椎名さんがちょっといい?って聞いてきた。今店にいるのは、常連さんしかいない。
「あのね、皆に協力をお願いしたいんだけど……ちょっとこれから時間を貰えませんか?」
「なんだい?改まって?」
「実はですね。皆さんが休める一番近い日曜日に、サプライズパーティーをしたいんです。なので当日までの協力と当日の参加をお願いしたいんです」
「パーティーってどういう?」
「りっちゃんと達也さんのお披露目会。達也さんの方が後日披露宴を上げるのはいいけど、披露宴に皆呼ぶのは難しいなって無意識に呟いたんだ。だから僕らから達也さんの帰国祝いと入籍祝いと同居祝いを兼ねてパーティーをしてあげたいって思って」
「いいじゃないですか。でもばれなくて済ますことは可能ですか?」
「そこで、表向きのパーティー名称を麗ちゃんの全開祝いにしたいんだ。麗ちゃんどうだろう?」
「いいですよ。でも、急じゃないですか?」
「ごめんね。ちょっと理由があってね。その理由も今は言えないんだ。いろいろあるんだけど、料理の方は俺ととし君で作っていくから安心して」
「えっ、椎名さん……スイーツ以外も作れるんですか?」
「勝田さん……俺、先に取得したのは調理師。それにフルーツ&ベジタブルマイスターも持っている」
「すみません、知らなかったので」
「聞かれないと言わないからね。だから、とし君のアシスタント程度のレベルなら……大丈夫だろ?俺?」
「大丈夫もなにも。アレルギー対応になると俺の方が教えて貰いたいものだ。で、今日皆にお願いしたいのは、パーティーの招待客のリストアップ。達也さんは俺達の計画は知っている。知らないのはオーナー一人だから」
「パーティーの招待状は誰が作りますか?」
「それは家の嫁が作ってくれている。今度の打ち合わせには見本を提出できるだろう」
「えっ、奥さんって妊娠中ですよね?いいんですか?」
「自宅でできる事をお願いしているんだ。食材も店に届けて貰う訳に行かないから仕入れ先にも事情を説明して、俺の家に二日前に届けて貰う事になっている。皆の役割は、参加者だけど企画側なので当日の料理を出したりするのを手伝って欲しいんだ。料理は出したものがなくなったら終了。会費は然程高額にはしたくないんだ。だから五千円以内で考えている。今回は採算を考えていないから揃う人数次第で食材も変わってくるから。説得できなそうな人は俺達が説得するから」
いきなり椎名の提案でオーナー達のパーティーを行う事が決まってしまった。常連さん達も混ざってカレンダーを見て日付を決めている。決行日は3週間後の日曜日。その日は俺達が二人揃って取材が入るから店舗営業はランチは休業という事にして貰った。パーティーの開始時間は午後3時から。店の営業は午後2時までにしてそれ以降はパーティーの準備をする事にした。そして招待客のリストが完成した頃にはかなり遅い時間になってしまった。
それから後は……思い出したくない位に多忙な生活がやってきた。参加者全員で出席者予定者に連絡をして、意図を理解して貰って参加かどうか決めて貰うのだ。連絡をしたほどんどの人が開始時間に行けなくても参加するという返事がやってきた。多くの人が来ても構わないので、途中でパートナーの同伴を認めることにした。
招待客で参加を表明した人には、椎名さんの自宅のメールアドレスに招待状の送付先を送信して貰う事にしている。椎名さんの奥さんの話だと、誘った人で参加できないと言われた人は、恩師の奥さんで当日は午前中に職場である幼稚園のお遊戯会があるため参加できないと涙ながらに返事をしてくれたと言う。
事務作業等は純子が全てを担当してくれている分、店では装飾をどうするかという打ち合わせをしている。今日はオーナーが雑誌社で取材を受けてくれているので達也さんも参加している。
「達也さん、気が付かれていないですよね」
「安心しろ。梨佳は皆がいつも通りなら梨佳は確実に気がつかんぞ」
「その言葉を信じますからね。当日の飾り付け何だが……終わった後を考えるといつも通りでいいかなと思うのだけど?」
「そうだな。クラッカー鳴らすのもどうかと思うからな。少なくても一回は麗ちゃんで少しは始める訳だし」
「いつからネタばらしするんですか?」
「すぐに乾杯して、麗ちゃんのスピーチをって振るから、その時に私よりも二人をお祝いしたいですってネタばらしをして、本来のパーティーを始めよう」
「あの……決めたのは、椎名さんが来月から育児休暇取るからですか?」
「そうなんだ。二人の披露宴には奥さんは出席できないだろうから、皆の気持ちでお祝いできるパーティーをしたいと思ったんだ。俺の我儘を言ってごめんな」
最初のパーティーの企画を聞いてから十日位経ってから、椎名が育児休暇を取得するとオーナーから報告があった。普通ならそういう事を認めなそうなんだけど、いいよって気軽に言えてしまうオーナーの懐は大きいなあと思う。そして、椎名の後任のパティシェさんも決まって今はアレルギー対応ケーキを中心に教えているらしい。
育児休暇取得報告の後に、エトワールは次の進化を迎える準備に入りますってオーナーが言っていた。その言葉にはどういう意味があるのだろうか?
そして、パーティー当日。桐谷と椎名は12時頃に取材に行ってくると言って出かけて行った。ランチ営業ではないので、軽食程度ならアシスタントでも対応は可能だ。
しかし、いつもなら来る常連さんが来ないのは二人が今日は取材でいないことを知っているからかしら?なんてオーナーが呟いている。オーナー、常連さんの一部は麗ちゃんの完治祝いのパーティーに来るから今日はこの時間からは来ませんよって高橋が説明して、そういえばそうだったわね。私も簡単に着替えてくるから、開始時間の30分前には自宅に戻るわと答えている。
「それでしたら、1時間前から戻って貰えますか?いつものメイクもいいですけど、身内と言ってもパーティーなのでそれなりにメイクして下さいよ」
「そう言われたら、それもそうね。分かったわ。14時には自宅に戻ります」
オーナーのその一言で皆が小さくガッツポーズをする。今日の非番のあるバイトが14時には2階に隠してあるパーティーの食材を盛りつけたりするからだ。作業の時は、例のチェックのコックコートを着用と椎名から厳命されている。作業のメインは、スポンジケーキのデコレーションのアシスタント。生クリームの泡だてを笹野と竹内が担当する。プリンの傍に沿える苺のカットを江藤がやる事までは決まっていて、他の作業は残りのメンバーとその場で動ける人がやることになっていた。
パーティーのメインは煮込みハンバーグなのだが、それは既に一階の厨房でじっくりと煮込まれている。
一階の方も14時からオーブンがフル稼働になるので今はその前の仕込みで修羅場になっているようだ。時折オーナーが顔を出して手伝おうか?と聞くのだが、大丈夫です。と言って厨房の中に絶対に入れないという工房が繰り広げられている。
その光景が、猫とネズミが仲良く喧嘩するアメリカのアニメを思い起こさせるが、それは口に出してはいけないだろう。
店舗で接客している俺達も時計を気にしてチラチラ見てしまう。オーナーが自宅に戻ったら実質的に店は閉店で一気に準備を行う予定だ。
「それじゃあ、お願いしますね」
オーナーが自宅に戻ったので、俺達はパーティーの支度を始める。フロアの真ん中にテーブルを並べる。
そこにテーブルクロスをしいて、既におけるオードブルとフルーツを置いて行く。椅子の方は窓際から横一列に並べていく。参加する常連さん達も14時30分を過ぎると徐々に集まってきた。出来上がった料理も少しずつ更に並べて少しずつパーティーの準備の為に更衣室にバイト達も向かい始めた。最後までフロアで残っているのは高橋と山下。良く見ると二人ともタブリエの下のズボンが制服と少々異なる様に見える。
「気が付きましたか?ボトムと靴はパーティーのものです。カウンター勤務なら気が付く方もいませんから。僕らは10分前に更衣室に向かいます。その頃には多分他の皆さんが準備をしてくれるでしょう」と穏やかに高橋が言う事に山下が頷く。二人とも紅茶もコーヒーも淹れる事はできるが、高橋がコーヒーを山下が紅茶を入れる事が多いが、最近は高橋が紅茶を入れる日も増えている。
パーティー参加者が増えてきたので、二人はそろそろこれで一度退散します。乾杯のソフトドリンクはカウンターの冷蔵庫に入っています。その後ははシンクに氷を入れてペットボトルと直接埋め込んで冷やして下さい。ホットコーヒーはコーヒーメーカーで今日は不本意ですがこれで対応します。紅茶の方は、こっちのミニポットにストレートティーが入っていますのでお願いしますと準備が終わったスタッフにカウンターを指差している。カウンターにはコーヒーメーカーとポットとピッチャーの中にソフトドリンクドリンクが入っている。
わっかりましたと竹内が返事したのを聞いて二人はレジの奥の扉からエレベーターに向かって行った。
時間になると、皆が揃っていた。主賓の場所には麗と渡辺が立っている。そのそばでオーナーが微笑んで二人と見つめている。数分後には自分達が主役になる事をまだ分かっていない様だ。
和やかな雰囲気でダミーパーティーが始まっていく。麗ちゃんが種明かしをした時のオーナーのぽかんとした顔を見た時に、忙しかった準備の疲れも一気に吹き飛んでしまった気がした。