僕が君に出来る事 再び
「ただいま」
「お帰りなさい。今夜はカレー鍋にしたの」
「無理して作ることないんだぞ。それじゃあ先にご飯にしよう」
最近、勤務先の市役所を時短勤務にしたためか、俺の夕ご飯を毎日作ってくれている。
「日曜日にワークショップがあるから俺はいつもより早く帰ってくるから」
「本当?それなら……私がエトワールに行こうかな」
「分かった。それなら店の奴に伝えておく。無理して来なくていいからな」
「幸雄君は私の事を心配しすぎ。職場では普通に仕事をしているのよ」
「分かってはいるけどさ、やっぱり一人じゃないって思うとどうしても気になるんだよ」
「そっちも順調ですって先生も言っていたでしょう?」
「そうだけど、トラブルがこれから何だそ」
「分かっている。それより……本当にエトワール辞めるの?」
「その予定。修行させて貰ったあの店に戻ることにした。俺の後任が決まって一通り仕込んだらエトワールは辞めるけど、純子は気にしなくっていいからな」
「りっちゃんが、育児休暇とか育児手当を支給するから産後暫く仕事をしなくてもいいのなら子育て一緒にしたらどうかしら?って」
「そんなにして貰っていいの?」
「いいって。りっちゃんからのお礼のつもりらしいよ」
「そんなりっちゃんのお陰で私達結婚した様なものなのに」
俺達が結婚するか悩んでいた時に背中を押してくれたのはりっちゃんだ。その時にりっちゃんの秘密を俺達は明かされた。イタリアに達也さんが移籍する直前に入籍だけは済ませたと言う事を。
りっちゃんの今の名前は大槻梨佳。でも仕事をするうえでは旧姓を利用しているから麻生さんで過ごしている時間が圧倒的に多い。
「子供が小さいうちは、お父さんは傍にいてあげて欲しい。二人とも地元が近いのだから地元に近い所の物件を探してご両親にも協力して貰いながら皆で子育てした方がいいと思うわって」
「そうか。じゃあ、私が実家で出産する頃には引っ越すって事?」
「その予定、俺と純子の実家の間で探す予定。お前の役所も今よりはずっと近くなるだろ?」
「そうね、保育園に入れる予定だったけど、双方の実家でお願いしてもいいって事?」
「それでもいいし、俺達の家で籠りして貰ってもいいんじゃないか?子供の食事は後はレンジするだけまで俺が支度していけばいいだろう?」
「出産して、育児休暇中に考えればいいかと思ったけど、それならライフプランが変わってくるよね」
確かに純子の言うとおりだ。今まで役員報酬の扱いだった給料が下がるのは仕方ないが、今までが貰い過ぎていたと自覚があるから、あまり使わず貯蓄しておいたのが功を奏した気がする。
「それとな、さっき修行先に連絡したら、お前の事を覚えていてな」
「うん」
「エトワールで育児休暇が使えるのなら、最大で使ってくれて構わないって。ワークショップの事も相談したら、日曜日の午前にケーキを仕込めばいいから問題ないって言ってくれたんだ」
「私達、恵まれているのね」
「そうだな。恵まれているな。それと、今なアレルギー対応のハンバーグランチをとし君とりっちゃんで考えているらしいんだ」
「それって……」
「そう、純子が病院の定期検診の帰りにランチのメニューが増えるようにって」
「私の存在って、エトワールではお荷物だと思っていた」
「そんなことないよ。アレルギー対応しているからそれを見て来るお客さんが多いんだよ。むしろ純子の存在は店にとっては無くてはならないよ」
「でも……幸雄君が辞めたらお店はどうなるの?」
「大丈夫。店のコンセプトだけは絶対に変えないって。だからそこに賛同を得られる人を後任者として採用したいからってりっちゃんに言われているから」
「ってことは、アシスタントが昇格する訳じゃないの?」
「あいつ等はまだ学校に通っているからな。それはないな。そこから這い上がって来るだけのパワーとりっちゃんに自分の意見を通せる強さがないと」
「成程ね。求人出したら集まりそうよね。最近雑誌に掲載されているじゃない」
「ああ。確かに。ゆったり過ごせるカフェ。隠れ家カフェ。親子で楽しめるカフェ。食育できるカフェ……だったか?かなりこじつけも多いな」
最近、掲載される時のキャッチコピーがかなり強引なものが多くて、りっちゃんも取材のコンセプトを吟味するようになってきた。
絶対に取材と断るのは、独立開業向けの雑誌だ。資金繰りに関してはあまり話したくないらしい。
そこは俺もそうだなってそこは納得している。りっちゃんが設けた宝くじの当選金を使って開業資金にしましたなんて言えない。
「そういえば、あの宝くじのお金ってどうしたの?」
純子、今になって思い出したんだ。
「あのお金は、車を買って、マンション借りる時の一時金と家具の購入資金と結婚式の費用と新婚旅行の代金に使ったよ。残りはもちろんあるけれども」
「その余ったお金はどうしているの?」
「順調に増やしているよ。最終的に開業するつもりだったからね」
「だった……ってどういう事?」
「あの店、最終的に俺が譲渡することになりそう」
「あの店って……まだ開業して時間経っていないじゃない」
俺が修行した店は、開店してまだ6年経過した位だ。それでもかなり先の将来は後継者がいないから店をたたむ予定だったと聞いている。
「ってことは、幸雄君の夢も叶うって事?」
「そういう事。いずれは俺の店にしてもいいって。それに純子の育児休業中は俺も一緒にやりたい。二人目は無理だろうけど、りっちゃんの提案に甘えようかと思う」
「幸雄君がそれでいいのなら、私は何も言わないわ。今までだって共働きでかなりお金も貯蓄で来ているから」
「そうだろ?転職先は忙しい時は手伝って欲しいって言っていたからその時位は許してくれない?」
「その位いいよ。ってことは、育児休暇手当の最大期間を調べないとね」
「それと両親達に育児休暇後の孫の子守をお願いするのと、新居探し……思い切って家を探すか?」
「いいの?」
「いいよ。中古で探すか。店で働いて思ったけど、子供が小さいうちは庭がある家もいいなって思ったから」
「そうだね。そこの所は両親に任せた方がいいかもしれないね。大槻さんの家の様に平屋でもいいよね」
「そっか、純子はあの家の中にはいってないんだな。あの家、平屋だけどロフトに改装していあるから実質的にはどうなんだかって思うぜ」
「ロフトがあるんだ。中古を買うと改装が出来るのよね。新築に限らないで探していこう。そうしたら見つかるかも。これから幸雄君は大変だ。夫さんもするし、パパもするのね」
「それは純子だって同じだろう。ママにもなるんだから」
俺達は顔を見合わせて笑いあう。最初から誰だってママにもパパにもなれない。こうやって一緒に過ごして言ってママやパパになっていくんだ。
「今度の連休に実家に顔を出しに行こうか。その頃には純子の産後の予定も俺たちなりに形になっているだろうから。説得して協力して貰おう」
「大丈夫かな。賛成して貰えるかな?」
「大丈夫だよ。今までたって俺達の事を見守ってくれていた両親なんだからさ。どうにかなるよ」
「そうだね。皆ビックリするかな?」
「どうして?」
「だって……あのまま付き合って結婚しているんだもの。それに幸雄君は共同経営者で店を開業したじゃない」
そう言われたらそうかもしれない。あの頃の夢をちょっと早かったけど俺はすべて叶えた事になる。もちろんそのためにしっかりと俺なりに努力をしていた。もちろん、今だって努力をしている。
「分かっているよ。幸雄君がいつでも努力しているの」
「そうか?必死だから気がつかなったよ」
「私は知っているわ。大丈夫よ」
「そうだね、純子は俺の一番の理解者だから。これからもよろしくな」
「そうよ、私を裏切ると後が怖いんだから……冗談よ。明日も仕事があるわ。お風呂に入って休みましょう」
俺達はいつものリズムの通りに生活する。でもそんな平凡でありふれた事が一番幸せなのだと俺は思うのだった。