僕が君に出来る事 1
パティシェ椎名幸雄の場合。
彼がパティシェを目指した理由はそれなりに真面目なものでした。
「なあ、大槻さんの記事見たか?」
「悪い、俺まだ見てない。トシは見たのか?」
「ああ、イタリアから帰って来るらしい。シーナ、マイペースも程々にな。これがその新聞だ」
「ありがとな。後は二人の問題だよ。俺達は見守っているだけ」
「そうだよな。りっちゃんと大槻さん次第か」
「そうだよ。大槻さんがイタリア行く時にカフェを覗いてくるって言ってのんびりと回ってきたじゃないか」
「確かに。あの行動力には俺もびっくりした」
りっちゃんがいきなりイタリアからヨーロッパ各地を見に行くって言い出した時は本当にびっくりした。
大槻さんがイタリアリーグに移籍する時に生活基盤を一緒に揃えるからといって出かけて行ったのだ。当時のりっちゃんは「エトワール」の工事中で自分自身も仕事を辞めたばかりだった。今思えば、大槻さんの傍にいたくてタイミングを合わせた退職だったのかもしれない。
今の二人はスカイプとかで連絡を取り合っているとは言うけれども、直接顔を合わせてはいないはずだ。大槻さんがナショナルチームに呼ばれていてもタイトの日程なのでゆっくり顔を合わせる事は無い。そんなりっちゃんは試合を見に行って、帰国当日に合わせてオープンのシフトを少しだけ調整させる。それだけで十分よって穏やかに笑っている。
一緒に開店させる為に奔走した仲間なのに、彼女だけストイックな生活をしている。もっと我儘になってくれてもいいのに。
俺はそっとスマホの待ちうけになっている婚約者を見る。
「俺達には何もできないのかね?それってもどかしいなあ」
この店に重要なパートナーであるりっちゃんとそのパートナーである大槻さんの事を俺はぼんやりと考えていた。
「だから、食べたくても食べれないの」
「そんなの我儘だって言っているんだよ」
高校の修学旅行のホテルの食堂で突如聞こえた一言。
同じクラスでも穏やかな印象のある赤池さんがキツイ口調で答えている。
「学校にだってその事は知らせてあるから、私の所には置いて貰っていないのよ」
彼女と言い争っている人の手にあるのは納豆だ。それと、彼女の汁ものの椀の形状もちょっと違う。
彼女は……多分アレルギーかアトピーのどちらかなのだろう。
「ねえ、食べたくても食べらない人もいるんだよ。それをどうして我儘の一言で片づけるの?」
「シーナ。シーナもこの子の肩を持つの?」
何でそんな事になるんだよ。あほらしいなあと思いながら答える事にした。
「俺の妹。アトピー性皮膚炎なの。食べたくても食べれない食材があるの。気がつくまでその食材と食べた為に妹の肌はボロボロなの。赤池さんも……アトピーかアレルギーのどっちかと思ったんだけど……違うかな?」
「椎名君。ありがとう。私は大豆アレルギーなの。それもかなり酷いタイプの」
「それじゃあ、絶対に食べちゃだめだよ。そうなると今日の朝は食べられるものが少ないよね」
「大丈夫だよ。お菓子とかで帳尻合わせるから」
今日の朝食は、干物・納豆・お浸し・味噌汁・ご飯。醤油を使うものが多い。彼女はどうするんだろう?
「醤油はアレルギー用のものを持って来ているから大丈夫」
「ほら?そんな赤池さんに君はまだ我儘って言い続けられるの?」
「シーナがかばったからっていい気にならないでよ」
変な捨て台詞を残して赤池さんに絡んでいた子はいなくなった。
「ごめんね。椎名君。彼女は昔からああなのよ」
「それはそれで……面倒くさいね」
「そうね。面倒くさいわ」
「隣で食べてもいい?」
「私で良ければ」
俺は赤池さんの隣に座って朝食を食べることにした。
「ごめん。俺が隣で納豆を食べても平気?」
「平気だよ。それよりも妹さんのアトピーはどうなのかしら?」
「今は落ち着いたよ。肌もボロボロじゃないけどね。あの子に警告するにはそれでいいかと思ってね」
「そうなのね。妹さんも早く落ち着けばいいわね」
「そうだね。妹は小麦だからもっと大変だけどね」
「そっか。そうなると給食は?」
「俺の家は学校の傍だから自宅で食べている。最初は嫌がったけど今は慣れたみたい」
俺とちょっと年の離れた妹は、今では大分症状が緩和されている。近い未来には小麦製品が食べれるようになると思っている。
「今は小麦粉だけじゃなくて、米粉もあるから。代用してお菓子を作ってやる事もできるけど、遠足のおやつがどうしても辛く思えてしまうな」
「そうだね。私の周りは私のアレルギーを我儘だって言う人が多くて本当に辛かったの」
「俺はそうは思わない。だって君はそうじゃないのだから」
「ありがとう。凄く嬉しい」
「今日の個人行動……一緒に回ろうか?そうしたら今朝みたいな事は無くなるよね?」
「いいの?」
「平気だよ。赤池さんを守ってあげられる方が嬉しいから」
「変に取りあげる人がいるよ。大丈夫なの?」
「そんな事気にしないよ。でもこの事は、帯同している保健の先生に報告するからね?」
「あっ、そうだね。私そこまで気がつかなかった」
「駄目じゃないか、自分の体の事なんだから」
俺は彼女の頭をこつんと小突いた。