そうして魔王は倒された
私ティエサ・ローレンスは人の負の感情を溜め込んでしまうという厄介な体質を持ちながらこの世に生を受けました。元々人の負の感情というものは溜まることなく、外に排出されるものです。
けれど私の体質は悪意を排出できず、それどころか周りの負の感情も体に溜め込んでしまうというものでした。
人の負の感情は集まると瘴気となります。
瘴気は病を流行らせ、また畑や家畜を荒らし人々を襲う魔物を寄せ付けると言われています。
瘴気の対策として国は定期的に人々の集まる場所に魔法使いを派遣し、溜まった悪意を瘴気となる前に祓っていますが、それでも完璧には防ぎきれず、毎年大きな被害が起こっています。
そんな瘴気の元となる人の負の感情を溜め込んでしまう体質を持つ私は定期的に魔法使いに祓ってもらわなければ生きられず、すぐに病に倒れてしまうため外に出ることも禁じられていました。
ですから私の世界は屋敷の中だけというとても小さなものでした。
けれど私には不満はまったくありませんでした。
両親は惜しみ無い愛を注いでくれるし、父が伯爵であったために望めば大抵のものが手に入り、そして何より生まれた時から外に出ることを禁じられていたため私にとって外に出ないということは当たり前のことであり、外に出たいという意識を持ったこともなかったからです。
私にとって外とは本の中で読む夢物語のような存在でした。
十三才の誕生日を向かえしばらくした頃、定期的に屋敷に訪れていた魔法使い様がお年により亡くなりました。
そうして代わりとして現れたのは私よりもたった二つしか変わらない十五才の少年でした。
その方は亡くなった魔法使い様のお弟子様で全ての仕事を引き継がれたそうです。
お父様のお話では若いのにとても優秀な方で、国にいる魔法使い様達の中でも圧倒的な力を誇る魔法使い様だと聞いています。
顔立ちと落ち着いた性格のせいで最初冷たい印象を受けましたが、実際に魔法使い様と何度か会ううちにそれは間違いであったと気づきました。
魔法使い様はとても優しい方でした。
また、魔法使い様は屋敷の外の話をたくさん話されました。
ある日のことです。
魔法使い様がいつものようにやって来て、いつものように祓ってもらい、そして私にある物をくれました。
それは木の枝でした。
枝には桃色で小さな五片の花びらがついていました。
その木は異世界から召喚されたもので桜というそうです。城の庭園にはたくさんの桜があり春になると花が咲き一面をピンクに染め、舞った花びらはまるで雪のように舞い落ちとても綺麗なのだそうです。
私はその景色を想像して………見てみたいと思いました。
けれど私はその景色を見ることは決してできません。
外に出ることができないのだから当然です。
その時初めて私は外に出れないことを残念に思いました。
私は一生をこの屋敷で過ごし、あの景色も見ることはできない。その事がすごく悲しいことに思えたのです。
けれどそんな私に魔法使い様は言われました。
「いつか、俺がお前を俺の魔法で外に連れ出してやる」
だから待っていろ。
そう言われた魔法使い様の顔は真剣でそして自信に溢れていました。
ああ、きっとこの方はいつか本当に私を外に連れ出してくれるのでしょう。
根拠も何もないけれど、私は確かにそう確信しました。
だから、私は微笑みながら魔法使い様に小指を差し出したのです。
「では、約束です。いつか、外に出れたら、私と一緒に桃色の雪を見てください」
もしも外に出て、それを見れたなら魔法使い様と共に見たい。そう思いました。
「ああ、約束だ」
魔法使い様はやはり自信に溢れた様子で頷かれ、私と同じように自らの小指を差し出します。そして私の小指と絡めました。
十五才の夏。
最近私はおかしいのです。
魔法使い様のことを考えると鼓動が早くなり、胸が苦しくなるのです。
魔法使い様に会わない間はあんなに魔法使い様に会いたい。次はいつくるのか?なんて考えて魔法使い様が来るのを待ち遠しく感じているのに、実際に魔法使い様に会うとなんだかむずむずして、顔に熱がたまり、どういう訳か魔法使い様の顔がちゃんと見れなくなるのです。
もしかして病気なのでしょうか?そう心配になり両親に相談しても、お母様はにこにこ笑い、お父様はなぜか苦い顔をされるだけで何も言ってはくださいません。
私は仕方なく魔法使い様に相談しました。
すると魔法使い様は驚いたような顔で
「ティエサもか?」
と言われました。
これには私も驚きました。
なんと魔法使い様も私に対し私と同じような現象が起きていたのです。
魔法使い様も答えは出ていられないようで、次来る時までに調べておくと言われました。
私は素直に甘え、答えを待つことにしました。
そして約一月後。
魔法使い様が屋敷にやって来ました。
さっそく魔法使い様に聞いてみるました。すると………
「どうやら俺はお前に恋をしているらしい」
「恋………ですか?」
突然のその言葉に私は目をぱちくりとさせます。
恋?恋とはあの恋のことでしょうか?
私は昔読んだ小説を思いだします。
その小説は今女の子に人気だからと、お父様が買ってきた本です。
その中の主人公はメイドでありながらも王子様に恋をしておりました。また、王子様もメイドに恋心を抱いておりましたがお互い身分の違いからそれを伝え会うことができませんでした。
その小説はそんな二人の物語で、確かに人気なだけあって展開は面白かったのですがこの恋というものがよくわかりませんでした。
けれど今、その話を思い返してみると主人公の心情と私の心情が完璧に一致しています。
つまり私は………
「私………私も。魔法使い様に恋をしているようです」
魔法使い様は驚いたように目を見開かれました。
そして少しの間の後浮かんだのは………柔らかな微笑みでした。
それから私たちは恋人どうしとなりました。
恋人どうしとなられてから魔法使い様が少しだけ変わられました。
なんと言えばいいのか、ええと、そう可愛らしくなられたのです。
魔法使い様は私が思っていた以上に甘えん坊な方だったようです。
とにかく私に触れていたいのか、共にいる時はいつもどこかしらが触れていました。
また、膝枕がお好きなようでよく私の膝でお昼寝をしています。
自分よりも年上の、しかも男の方が甘えてくる姿がなんだかおかしくて、けれど同時に愛しさがこみ上げてきました。
私はとても幸せでした。
外に出られないこと以外は何不自由ない満ち足りた生活………満ち足り過ぎていた生活でした。
けれど、そんな生活は長くは続きませんでした。
始まりは異世界から勇者様が召喚されたことでした。
この国にはある予言がされていました。
それは私が十七となる年に魔王が現れ人々を襲うという予言です。
その予言をされた方は五百年前の有名な魔法使い様で他にもいくつか予言を残されていましたが、それらは驚くべきことにすべてが当たっていました。
それゆえに人々は焦っていました。
魔王が現れる。そのことに。
けれど、予言にはまだ続きがあります。
それは現れた魔王を異世界から召喚された勇者が倒し、国を救うというものです。
だから焦った人々は勇者様を異世界から呼び寄せたのです。
魔王はまだ現れていないというのに。
勇者様が現れてから極端に魔法使い様の訪れが減りました。
優秀な魔法使いであるため勇者様の魔法の師に選ばれたからです。
元々魔法使い様はとても多忙な方で、その中で貴重な時間を使い会いにきてくださっていました。
今、その時間は勇者様のために使われ、仕方のないことだとはわかっているのですが、寂しくて仕方がありません。
そんな私に気づかれたのか久し振りに会った魔法使い様にあるマジックアイテムをプレゼントされました。
マジックアイテムとは魔法の力の宿る道具のことで、それは魔法の心得のない人でも簡単に特定の魔法を使えるというものです。
それは、てれびでんわ、というアイテムだそうです。
てれびでんわ、とは遠く離れた場所にいてもお互いの顔を見ながら対話ができるというなんとも珍妙な道具でした。
アイディアは勇者様が持っていた道具から得たそうです。
それからは毎日眠りにつく前に魔法使い様とお話されました。
魔法使い様は日に日に忙しくなっていき、私に溜まる負の感情を祓いにくることさえ難しくなり、代理の方になりました。
そして気づけば半年もの間、一度も魔法使い様と会っていませんでした。
てれびでんわ、で毎日お話しているとはいえ、さすがに寂しいです。
そんな時でした。魔法使い様から「もう少しでお前を外に出してやれる」と告げられたのは。
会いにこれないほど忙しいというのに、魔法使い様はあの約束を忘れずに、貴重な休みの時間を使って、私が外に出ても大丈夫なように魔法を研究してくれていたのです。
今度、数日だけれど休みがとれたのであの桜の木の元に一緒にいこう。と魔法使い様は約束してくれました。
私はそれに歓喜しました。
もちろん初めて外に出れることも嬉しかったのですが、久し振りに魔法使い様に会えると思うと嬉しくて仕方ありませんでした。
何を着ていきましょうか?髪飾りは魔法使い様に贈られたものをつけていきましょうか?
そんなことを毎日のように考えながら私は日々を過ごしました。
楽しみで楽しみで仕方がありませんでした。
そう、その時までは私は確かに幸せだったのです。
いつもは夜の寝る前にかかってくる、てれびでんわ、がその日はお昼頃に突然鳴り出しました。
どうかしたのでしょうか?不思議に思いながらも、私はいつものようにその、てれびでんわ、にでました。
《ああ!やっと出たー!》
私はそう声の発せられた電話を見て目を見開きました。
画面に写っていたのは魔法使い様ではなく、私と同い年くらいのとても愛らしい顔立ちをした見知らぬ少女だったのです。
「ど、どちら様ですか?」
戸惑いながらもそうたずねると、少女は
《え?私?勇者の桃園 花梨でーす!》
と言われました。
私はとても驚きました。
それは勇者様がこんなに幼く愛らしい少女であったことと、なぜ勇者様が私に、しかも魔法使い様が持っているはずのてれびでんわ、で、でんわ、をしてきたのか、ということです。
「あ、あの……なぜ、でんわ、をしてこられたのでしょうか?魔法使い様は?」
《ふーん。これが恋人さん、ねえ。ブスではないけど別に可愛くもないじゃない》
勇者様は私の疑問に答えず、私を見ながらそう呟かれました。
その言葉に再び驚き、目を見開きます。すると勇者様は突然にっこりと微笑まれました。
それはとても愛らしいものであったのに、どういう訳か私は不気味さを覚えました。
《ねえ?いいことを教えてあげようか?》
「いいこと………ですか?」
笑顔のまま勇者様は言いました。
その表情は子供が親に宝物を見せるような無邪気で純真なものに見えるのに、どうしてひどく恐ろしいものに感じるのでしょうか?
ドクドクと心臓が脈打ちます。
嫌な予感がしました。
勇者様の顔が画面から消えます。そしてうつされた映像は
「………なん……で……すか………?」
そこは床の下に作られた大きな空間でした。
その中には数えきれないほどのたくさんの蛇がひしめきあっています。
「ここはね、国の最高刑を実行する場所なんだって。ここに生きたまま落とされて、蛇に全ての肉を食いちぎられちゃうらしいよ?しかも、魂は地獄………じゃなくて、ここの世界では奈落っていうんだっけ?その奈落に落とされてしまうらしいよ」
奈落。そこに堕ちたものはもう転生はできず、永遠に奈落で苦しむことになります。
なぜ、こんなものを勇者様は見せてくるのでしょう?
目的も意図も何もわかりません。
私は訳もわからずその映像を呆然と見つめていました。
そして、ふいに蛇ではない何かがあることに気づきました。
それは………人でした。
どくり、と心臓が大きく脈打ちます。
そんな、そんなはずはありません。見間違いかもしれないと画面に近づき見いりました。けれど、その姿は変わることはありません。
それは会いたくて会いたくて仕方のなかった………魔法使い様でした。
まるで水に溺れているかのように、魔法使い様は蛇の中もがいていました。
「……いや!魔法使い様!」
私は悲鳴をあげます。
だんだんと魔法使い様の体が蛇の中に沈んでいって
どうして?どうして、こんなことになっているのでしょう?!
なぜ魔法使い様がこんな目にあわれているのでしょう!?
魔法使い様は罪を犯されるような方ではありません。
ましてや最高刑になるような罪なんて……
「おね…お願いです!勇者様!魔法使い様を、お助けください!!」
画面にいない。この様子を撮影しているであろう勇者様に私は懇願します。
けれど、勇者様はそこに自分はいない、というかのように何も答えません。
そしてついに
「魔法使い……様……?」
ついに魔法使い様の頭全てが蛇にのみこまれます。
魔法使い様の手のみが出ています。
「いや……いや……いや!いや!いやぁ!!!」
届かない。そうわかってはいるのに画面に手をのばします。
「やだ!魔法使い様ぁ!!」
けれど声は、私の手は、魔法使い様には届きません。
そして
「魔法使い………様……?」
その手は完全にのみこまれました。
そこにはもう大量の蛇がいるだけです。
―――蛇に全ての肉を食いちぎられちゃうらしいよ?しかも、魂は地獄………じゃなくて、ここの世界では奈落っていうんだっけ?その奈落に堕とされてしまうんだって
食いちぎられる?魔法使い様が?
堕とされる?奈落に勇者様が?
「いやああぁああぁぁあ!!!魔法使い様あああぁぁあ!!!!!」
「あはははは!!いーきみ!!」
私の悲鳴を嘲笑うかのような笑い声が響きました。
それは本当に楽しそうな、愉快そうな、勇者様の笑い声でした。
「ど……して……?」
どうして勇者様は笑っておられるのでしょう?
勇者様にとっては己の魔法の師であるはずの人が、あんな残酷な死にかたをしたというのに。
信じられない。そう思って思い出します。
勇者様がこの映像を見せる時、いいものを見せてあげる、といったことを。
この映像を、蛇にのまれている魔法使い様の姿を、勇者様はいいものと言ったのです。
まさか、一つの疑惑が浮かび上がりました。
いえ、でもそんなことあるはずがありません。だって勇者様は魔王を倒し、国を救ってくれる偉大な方なのです。そんな方がこんな、こんなことをされるはずがありません。
けれどその思いを裏切るかのように勇者様の笑い声が大きくなっていきます。
疑惑がむくむくと膨れ上がり気づけばその言葉が口から漏れていました。
「………勇者様が、仕組まれたのですか………?」
魔法使い様が罪を犯すなんてことは絶対にありません。
それだけは断言できます。
けれど、そんな罪を犯すように、あるいは、犯したかのように仕組まれていたのだとしたら……?
そしてその犯人は、この楽しげに笑っている方なのでは………?
信じられない。けれどそれ以外考えられない。
画面が勇者様に戻ります。
勇者様はよほどおかしいのか目元に涙までも浮かべています。
《ん?そうだよ?私がそう仕組んだの》
あっさりと勇者様は言いました。
悪気も罪悪感も何もその口調にはありませんでした。
「どう、して……?どうして!どうして!?魔法使い様が何をされたというのですか?!」
気づけばそう叫んでいました。
なぜ?どうして?魔法使い様がこんなめにあわなくてはならないのでしょう?
すると初めてそこで勇者様が表情を変えました。
うるさいなあ、と眉をしかめました。
《だって、あの人なかなか私になびかないんだもん》
「………は?」
《だぁかぁらぁ!あの人ぜんぜん私になびいてくれなかったの!王子様も神官様も騎士様もみんな私が少し優しくしたりしただけですぐにコロ、と私におちたのに、一番美形で大本命のあの人だけは私におちてくれなかったの!それどころか私を不快なものを見るような目で見て………必要最低限しか話もしてくれなし》
「そんな、そんなことで魔法使い様を………?」
思わず漏れたその言葉に勇者様はぴくり、と眉を動かしました。
《そんなこと……?私はね、特別な人間なの。小さな頃から皆に愛されて、なんでも手に入って、今は勇者にまで選ばれた。そんな特別な人間が手に入らないものなんてあってはならないじゃない》
いったいこの方は何を言っておられるのでしょう?
自分が選ばれた人間?選ばれた人間だから魔法使い様にこんなことをした?
もし、本当に勇者様が選ばれた人間なのだとしてもそんなこと許されるはずないのに。
《私はいろいろな手をつかっておとそうとしたよ。でも、彼はぜんぜんなびかなかった。そんな時にね、私、見てしまったの。彼があなたにテレビ電話で話しかけているところを。信じられなかった。あの誰に対しても無表情で接しているあの人が画面の前では笑顔を向けていたことに。話を聞いたら、恋人だっていうんだもん。もう、悔しくてたまらなかった》
「………だから、こんなことをしたと……?」
《うん。そうだよ。あの人、なんか知らないけどあいている時間は城の書庫にこもって何か調べていたの。だから、それを利用してみたんだ。そこには貴重で禁じられている強力な魔法について書かれている書物もあるっていうじゃない?だから、彼が魔法で国を支配しようとしてるみたいって噂を広めたの。そうしたら………あはは!皆想像通りに動いてくれたよ》
ああ、おかしい。と勇者様は笑います。
《元々、あの人の魔法の力は国を支配できるほどのものがあったの。他の魔法使いなんて手の届かないほどの力が。でも、まあ、あの人、あんまりそういうのに興味ない感じだったし、本当にその言葉を信じた人はあんまりいなかったんじゃないかなあ?》
「なら、どうして……」
《ふふっ。それはね、皆、あの人が気にくわなかったから。他の魔法使い達はあの人の力に嫉妬して、王子様達は私に構われているあの人に嫉妬してたの。だから、その噂はあの人を殺すのにちょうどいい口実になった。彼を守る人は誰もいなくて、すぐに彼は罪を問われた。禁術を使うのは大罪なんでしょう?彼はすぐに蛇の中に落とされた》
私はもう言葉も出ませんでした。
魔法使い様は何もしていないのに、魔法使い様の周りの方々の悪意によって、いわれもない罪を被せられたのです。
そんな絶望している私に勇者様はああ、そうそうと何かを思い出したかのように言われました。
《あの人が死んだのはあなたのせいでもあるんだよ?》
「私の……せい……?」
《そうだよ。あなた、けっこう有名な人だったんだね。あの人が電話で呼んでた名前を、他の人に聞いてみたら皆知ってたよ?なんだっけ、負の感情?とか言うのがたまっちゃう体質で、外に出れないんでしょう?》
自分が有名なことは知っていました。
伯爵の一人娘でありながらその体質のせいで社交場にも出席できず、面会もできない。
そんな私の存在が貴族の間で騒がれていました。
だから、私の名前を出せば大抵の人間は誰なのかわかると思います。
けれどそれといったいなんの関係があるというのでしょう。
《だから、ね。言ったあげたの。抵抗したらあなたを無理矢理外に連れ出すって。そしたらあの人、すごい怖い顔しちゃって『そんなことは許さない』って。あれは本当に怖かったなあ、皆一瞬固まっちゃったもん。でも、まあ、脅してるのは私たちだし?それを持ち出したらもう黙ってそのまま》
「………っ!」
そうです。魔法使い様は国を支配できるほどの力を持つ方。逃げられないはずがないのです。
なのに。私がいたせいで魔法使い様は逃げることが、抵抗することができなかったなんて。
私が何もできないでいる間に画面はもう黒く染まっていました。
手の中から、てれびでんわ、が滑り落ちます。
「あ………」
慌ててそれを拾いあげます。
壊れやすいから気を付けるように、と魔法使い様に言われていたからです。
これが壊れたら、もう魔法使い様とは………
「………っ…!」
何を言っているのでしょうか?もう、魔法使い様とはでんわできない?そんなの壊れても壊れていなくても変わらないではありませんか。だって、魔法使い様はもう………いないのですから。
「いや、いや………」
もう話せない。会えない。触れあえない。
永遠に。
その事を私はようやく理解しました。
「いやああああああ!!!!」
私は悲鳴をあげました。
胸が痛い。どうしようないくらい苦しい。
お父様が、お母様が、慌てて私の元にやって来ました。使用人の方々も皆私の元に集まります。
けれど、その中には当然魔法使い様はいらっしゃいません。
「いや!魔法使い様ぁ!いやあ!!!」
「落ちついてっ!ティエサ!お願いよっ!何があったの!?そんなに悲しんだら、あなたは………!」
「魔法使い様ぁ!まほ……っ!」
それは突然おとずれました。
息ができないほどの胸の痛み。胸の苦しみ。
「はっ……ぅ………」
「ティエサ……?ティエサ……!?大丈夫?!」
お母様のその声に答えることもできません。
胸の中で何かが溢れて、それが全身を駆け巡っています。
「ティエ………っ!いやあ!!!」
お母様が突然悲鳴をあげられました。
他の方々も騒ぎだします。
そして、誰かが叫びました。
「魔物だ………!魔物が出たぞー!!!」
その声を皮切りにして、皆が私の周りから逃げ出しました。
お父様やお母様は残ろうとしていたようですが、使用人によって外に連れ出されていきます。
その場に残ったのは私だけでした。
周囲に黒い霧がたちこめ、前が何も見えません。
これがなんなのか私にはすぐにわかりました。
そう、これは………瘴気です。
私の魔法使い様を失った悲しみが、勇者様たちに対する憎しみが、瘴気を作りだしたのです。
私はそんな中で手をのばしました。
「まほ……つかい……さま……!たすけ……てぇ……!」
いつものように、私の中のこれを祓ってください。
いない魔法使い様に救いを求め、つかめるはずもないのに手をのばします。
「たす……け……て……」
魔物に囲まれ、瘴気に包まれる中、私は苦しさに意識を失いました。
私は数ヵ月の間、眠りについていました。
体が瘴気によって作り替えられているのが何となくわかります。
眠りについている間意識はどういう訳かあって、また私から生み出された魔物たちの目を通してどういうわけか外の世界の様子がよくわかりました。
多くの魔物が私の瘴気から生まれました。
そう、魔物は瘴気により集まるのではなく、瘴気により生み出されていたのです。
魔物は基本、獣の形をしています。
それは鳥であったり、犬のようであったりしますが基本その姿は大きく黒いです。
生み出された魔物は町を人を襲いました。
そしてそれを、嘆き悲しむ人々からまた瘴気が生まれ魔物が生まれます。
私はいつの間にか魔王、と呼ばれる存在になっておりました。
そう、予言されていた魔王とは私のことだったのです。
皮肉なものです。魔王を倒すために勇者を召喚したのに、そのことにより魔王が誕生したのですから。
そして、私は魔王となって眠りから目覚めました。
生まれて初めて外に出ました。
もう、外に出ても倒れることはありません。
憧れを抱いていた外に出ても何も感じるものはありませんでした。
色も、輝きも、何もそこにはありません。
私は目を覚ましてすぐに城へと向かいました。
空っぽになった私の心に唯一残っているのは、憎しみだけでした。
魔法使い様を殺した魔法使い達が、王子が、神官が、騎士が、勇者が憎くて憎くて仕方がありませんでした。
殺してやる、そう思ったのです。
魔物は私を殺すことはありません。
それどころか私を親のように慕い、私を慰めるように寄り添ってきます。
私は大きな犬の形をした魔物に乗り、あっという間に城にたどり着きました。
人々は無力でした。
城の結界も、騎士も、魔法使いも、誰もが私の生み出した魔物を倒すことも、私が進むのを阻むこともできませんでした。
もしかしたら魔法使い様なら私を阻めたのかもしれません。
けれど、魔法使い様がいない今、人々は抵抗もあまりできないまま死んでいくしかありません。
私はとにかく勇者のいる場所を目指しました。
城の中は魔物に包囲され、魔物の目を通して情報を得られる私は城のほとんどを理解していました。
そう、勇者がどこにいるのかもわかっていたのです。
「………見つけた」
私はようやくその場にたどり着きました。
勇者の周りには魔法使いだと思われる人が数人、騎士だと思われる人が数人いました。
そして勇者のもっとも近くを囲むのは、王子と神官、そして他の騎士よりも立派な格好をした騎士でした。
私は魔物達に騎士たちと魔法使いたちを蹴散らすように命じます。
ここにいるのは優秀なものたちばかりなのでしょう。今までで一番時間がかかりました。
けれど、かかったといてもほんの少しです。とくに支障はありません。
そして、とうとう四人だけになりました。
勇者は涙をため、他の三人もみな絶望的な顔をしています。
そんな中で最初に動いたのは騎士でした。
騎士は確かに強かったです。
数匹の魔物をその剣で倒していきます。
けれど、こちらには魔物が数十、いえ、数百はいます。圧倒的に数で不利な騎士はとうとう疲れで鈍くなったところをやられました。
魔物が私の憎しみに応えるようにただ殺すだけでなく騎士をいたぶります。
死なないように、致命傷を避け、少しずつ、少しずつ、傷つけていきます。
手を食いちぎられ、足をなくし、喉を噛みきられたところでようやく騎士は生き絶えました。
勇者が悲鳴をあげ、王子と神官が息をのみます。
私はそれにかまわず、王子と神官を殺すように命じました。
魔物たちはすぐに動き、騎士と同じように王子を、神官を、殺しました。
さて、残ったのは勇者だけです。
「こんにちは。勇者様」
「………いやぁ!来ないでぇ!!」
近づく私に勇者は首を振りながら泣き叫びます。
そこにあの時の笑顔はもうありません。
当然です。自分が殺されようとしているのですから。
「あら?勇者様?どうしたのですか?私を倒しに来ないのですか?あなたは勇者で、魔王を倒す存在で、選ばれた人間なのでしょう?」
私は魔物からおり、一人で勇者に近づきます。
途中、危ないよ、というように私を乗せていた魔物が鼻を私に近づけましたが、私は「大丈夫」と撫でてその場にとどまらせます。
勇者の目の前に立ちます。
「さあ、勇者様。私を殺してください。あなたは魔法使い様に魔法を習っていたのでしょう?あなたは私を殺す手段を持っているはずです」
さあ、と私は胸に手を添え微笑みました。
魔法使い様は涙を流し、震える声で呪文を詠みあげます。
私はそれを黙って見つめていました。
そして、長い時間の後、ようやく魔法が発動しました。
それは昔、魔法使い様にせがんで見せてもらった魔法でした。
とても簡単な、初歩的な、攻撃魔法。
私はそれを避けることも避けることもしませんでした。
後ろの魔物が強く吠えます。
そして私の前に魔物が出した魔法が現れ、勇者の魔法を打ち消しました。
「その程度ですか?」
びくり、と勇者の体が震えます。
魔物は魔法が使えますが、とても弱い魔法です。
そんな魔物の魔法であるにもかかわらず、勇者の魔法は打ち消されたのです。
私は勇者に手をのばし、その腕をつかみました。
「いや……!やめてっ!殺さないでぇ!」
「ええ、殺しませんよ」
泣き叫び抵抗する勇者に私は淡々とそう告げます。
私の言葉に驚いたのか一瞬、勇者の抵抗が止まりました。
私はそれを見逃さず、勇者の手を掴んだまま、背を低くした魔物に乗りました。
「やっ!待って!どこに連れていくの?!」
私はその問いには答えず、魔物の背から落ちないようにしがみ着きました。
動きだす魔物に勇者も反射的にしがみつきます。
「私を殺さないんじゃなかったの!?」
「ええ。殺しませんよ。………私はあなたを殺しません」
私があなたを殺すなんて、そんな生ぬるいことするはずがないではありませんか。
そんなもので私の憎しみは消えることはありません。
「あなたを殺すのは………これです」
目的の場所にたどり着き、私は勇者を魔物から下ろしました。
目を閉じて、獣にしがみついていた勇者が目を開き………悲鳴をあげました。
そこはあの部屋です。
魔法使い様が犯してもいない罪をきせられ、命を落とした、大量の蛇がひしめきあうあの部屋。
この方には蛇に食いちぎられ、永遠に奈落にいるのがお似合いです。
「あなたにはここに落ちてもらいます」
「いや!いやだよ!私!死にたくない!!」
「魔法使い様も………死にたくなんてなかったと思います」
「あの人は………!選ばれた人間じゃなかったの!私は選ばれた人間よ!殺されるなんてあってはならない!!」
その言葉に私は笑いをもらします。
選ばれた人間?この方が?
「私を殺せもしないのに?」
「………っ!とにかくいやなの!私は死にたくないの!死んではいけない存在なの!」
その言葉に私はぴくり、と反応します。
死んではいけない存在?
「いえ、あなたは死ななければならない存在です」
「違う!」
「違いません。あなたは死ななければならない存在です。だってあなたは私を力では殺せなくても、勇者なのでしょう?」
「そうだよ……!だから……」
「だから、あなたは死ななければならないのですよね?」
私は勇者の言葉を遮り、被せるように言いました。
確かにこの方は勇者です。
力では私に勝てなくても、この方が勇者であることを私は認めています。
「あなたは私に力ではかなわない。けれど、私を、魔王を、唯一殺すことのできる存在である勇者です」
そう、勇者は私を殺すことができます
いや、勇者以外私を殺すことなんてできないでしょう。
「だってあなたは、勇者はその命によって魔王を殺すことができるのですから」
驚いたように勇者が目を見開きます。
私はまだよく理解していない勇者のために続けました。
「魔法使い様のいないこの世界に私はまったく興味がありません。未練もありません。そんな世界にいたいとは少しも思っていませんし、生きたいとも思いません。それなのに今私が生きているのは、ただあなたには対しての憎しみからです。あなたが死ねば私は生きる意味を失い、私はこの世を去るでしょう」
予言は少しもはずれてはいませんでした。
魔王は確かに現れ、確かに異世界から召喚された勇者が魔王を殺します。
ただ、その予言さえなければ魔王は現れませんでしたが。
でも、今そんなことを言っても何も変わりません。
「さあ、勇者様。この国の人々を私から救うため………死んでください」
私は魔物で勇者を威嚇し、蛇の元へと追いやります。
勇者はじりじりと後退していきます。
後、一歩、勇者が下がれば勇者は蛇の元へと落ちる、というところまで追いやります。
「許して……!お願い……!許してよぉ!」
涙で醜く歪んだ顔を無表情で眺め、私は
「………さようなら、勇者様」
一歩踏み出し………ませんでした。
頭に一つの映像が映りました。
それは魔物の目を通して映された映像です。
これは………
「桜………」
人のいるところを中心に回っていた魔物が人を探し、あの庭園に迷いこんだようです。
魔法使い様と共に見るはずだった桜の庭園に。
はらり、ひらり、と無数の花びらが舞います
それはまるで雪のようでした。
世界が桃色で染められています。
「綺麗………」
思わずそう呟きます。
世界に突然色が戻りました。
魔法使い様が死んでから無くなっていた色が輝きが世界に戻っていきます。
ああ、とても綺麗です。魔法使い様。
外の世界はあなたが言っていたようにとても綺麗で素晴らしいものがちゃんと存在するのですね。
涙がとめどなく溢れていきます。その涙は私の憎しみを綺麗に洗い流していくようでした。
確かにまだ憎しみは消えません。
けれどその憎しみ以上に今は魔法使い様がいない、その事実が悲しくて仕方がありません。
魔法使い様に会いたい。私はただそれだけを強く願いました。
だから私は走り出します。
勇者の元へと。
「きゃっ!」
勇者が走り出した私に驚いて一歩下がります。当然、そこには床はありません。
勇者の体が後ろに傾きます。蛇の元へと落ちていこうとしています。
私は勇者の手をつかみ引き寄せました。
そして私の体は勢いのまま蛇の元へと飛び込んでいきます。
私と入れ代わるように床に尻餅をついた勇者が驚きで目を見開いています。
どうして……?と唇が動きました。
私はそんな勇者に微笑みました。
「あなたを魔法使い様の元になんて行かせません。あの方の元に行くのは、あの方に寄り添うのは永遠に私一人だけです」
体が落ちていきます。
魔物たちの吠える声が聞こえてきました。
それは子供の泣き声のようにも聞こえました。
ごめんね、小さく呟きます。
そして、ありがとう。魔法使い様を失った私の傍にいてくれて。
本当にありがとう。
体が大量の蛇の上に落ちて、気持ちの悪い感触が体をすごい勢いで包み込んでいきました。
私は抵抗せず、瞳をゆっくりと閉じます。
無数の蛇が私に噛みつき、私の肉を食いちぎっていきました。
とてつもない痛みが私を襲います。
けれど私は安堵していました。
これで、ようやく魔法使い様の元に行けます。
これで、ようやく………魔法使い様に会えるのです。
ここに落ちたものは転生をすることはできず、永遠に奈落に魂を縛られます。
つまり、それは永遠に私は魔法使い様と一緒だと言うことです。
ああ、それはなんて幸せなことなのでしょう。
死が二人を別つまでと言いますが、私たちは二人の死により永遠に共にいられるのです。
たとえそこが奈落なのだとしても、魔法使い様といられるなら構いませんでした。
―――ティエサ。
ふいに魔法使い様の声が聞こえました。
ああ、魔法使い様。迎えに来てくださったのですか?
私は蛇を押し退け声のする方へ手を伸ばします。
前に魔法使い様に助けを求めた時のように。
その時は手をつかむものは何もありませんでした。けれど今は………確かに私をつかむ手がありました。
私は涙を流しながら満面の笑みを浮かべました。
昔々、平和だった国に突然魔王が現れました。
魔王は瘴気により魔物を生み出し、人々を襲いました。
魔物は圧倒的な力を持ち、人々は為す術もなく見ていることしかできませんでした。
けれど、そんな人々に希望の光が差しました。
異世界から勇者が召喚されたのです。
勇者はその力により魔王を見事倒しました。
すると、魔物たちはまるで泣くように声をあげ、消えていきました。
魔物がいなくなり、人々は歓喜し、勇者に感謝しました。
そして平和でいつも通りの生活が戻りました。
めでたし。めでたし。