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(次の日。街の外れの古井戸)
「よーし!今日こそはな!セシリアがいねえところで、カッコいいとこ見せてやるぜ!」
コウタは、冒険者ギルドで単独で請け負った簡単な依頼──「古井戸の異臭調査」の現場に立っていた。セシリアは今日、街の護衛任務で別行動。絶好のチャンスだ。
「絶体絶命なるわけねえだろ。だってよ、井戸の臭いを嗅いで報告するだけだ。赤ちゃんでもできるぜ。……ってか、なんか本当にクサっ!」
井戸の蓋を開けた瞬間、強烈な腐敗臭が鼻を突く。コウタは顔を背けながらも、懐から取り出した簡易レポート用紙に、「臭い。くさい」と殴り書きする。
「よし、これで任務完了……って、ん?」
井戸の深い闇から、何かがゴボゴボと音を立てている。泡がぶくぶくと湧き上がってくる。
「な、なんだ? ただのヘドロか?」
その時だった。
ズブブブッ!!
黒い泥のような塊が、井戸から吹き上がり、たちまち形を変えた。無数の触手を持つ、ヘドロスライムだ!
「おわっ!? なんでこんなところに魔物が!? 依頼書には書いてねえぞ!?」
スライムの触手が、コウタの足首を捉える。冷たい、ぐにゃりとした感触。
「よ、よせ! 離せ! ……って、動けねえ!?」
パニックになるコウタ。セシリアがいない。周りにも誰もいない。まさに孤立無援。
(や、やべえ…これ、マジでピンチじゃねえか…?)
(でも…でもよ…)
コウタは震える手をぎゅっと握る。
「…だがな」
顔を上げる。目に力が宿る。
「こんなもんで絶体絶命なるわけねえだろ!」
足に絡みつく触手を、無理やり引き剥がす。泥だらけになりながら立ち上がる。
「俺はな……」
胸が熱くなる。あの感覚だ。スキルが発動する。
「無敵の男……コウタだぜぇえええ!!」
拳に力がみなぎる。今なら、このヘドロの塊、ぶっ飛ばせる気がする!
そう思って、渾身のパンチを繰り出そうとした、その瞬間──
ガシャン!
踏み込んだ足元の古い井戸の縁が、突然崩れ落ちた。
「うわあああ!?」
バランスを完全に失い、コウタは井戸の中へと転落していく。幸い、水は浅かったが、腰までどろどろのヘドロに浸かる。
「げほっ!げほっ! くっせえ! なんでまたオレだけこんな目に…!」
そして、運の尽きは続く。
ポトッ
腰に提げていた、昨日の薬草園で貰った(ミーシャから没収された分の)金色のミミズが入った小瓶が、ヘドロの中に落ちる。
パキッ
小瓶が割れる音。
「あっ! ミミズが…!」
逃げ出した一匹の金色のミミズが、ヘドロをすり抜け、コウタのズボンの裾からはい上がってくる。素肌に、直接。
「わあ!? おい、やめろ! そこは…! くすぐった…い…?」
ぷるぷるっ
金色のミミズが、コウタの太ももあたりで震え出す。耐魔力手袋はしていない。鎮静魔力が、直接肌から流れ込む。
「あっ……はあ………なんだか………急に………」
眠気。とてつもない、甘い眠気が襲ってくる。目の前がぼやける。ヘドロスライムがゆらゆら近づいてくるのも、もうどうでもいい。
「……無敵の……男……なのに………」
ズズズ…
ヘドロスライムの触手が、眠りかけているコウタの肩に、そっと触れる。
「…………Zzz」
完全に、寝落ちした。
***
一時間後、街の護衛任務を終え、コウタの安否が気になって様子を見に来たセシリアが、古井戸で発見したものは…
井戸の縁にうつ伏せに倒れ、半身ヘドロまみれで、金色のミミズが肩の上でくねくねしながら、安らかな寝息を立てているコウタの姿だった。
セシリアは一瞬、目を見開いた。
そして、井戸の中をのぞき込み、もう消えかかっているヘドロスライムの残骸を確認する。
(……倒したのは、間違いないようですね。でも、この状態は…)
セシリアはため息をつき、コウタの泥まみれの体を引きずり上げる。ミミズはそっと掴み、別の容器に移す。
「……コウタ」
「……Zzz」
「次からは、私が同行します」
「…無敵だぜぇ…Zzz…」
「はいはい」
セシリアは、寝言を吐くコウタを背負いながら、街へと歩き出した。
その背中で、コウタがふと、ぼんやりと目を開ける。
「……あ………イテ……」
「目が覚めましたか」
「……セシリア……? なんで……あ、そうだ! オレ、魔物を倒した……!」
「ええ。でも、その後で井戸から落ちて、ミミズに鎮静魔力をかけられて、寝落ちしましたね」
「…………」
コウタは、セシリアの背中で小さく縮こまる。
全てを悟った沈黙が流れる。
「……ちっ。………次は………絶対………」
「はい。次も、私がついていますから」
セシリアの声には、ほんの少し、笑いが混じっていた。
コウタは、もう何も言えなかった。
(神様……このチート……本当に……あんにゃろ………)
そして、彼は再び、深く深く、恥辱と疲労の眠りに落ちていったのであった。
(コウタの部屋・数日後)
「カアアア……おれがこんなくさいなんて、人類の半数が悲しんじまうぜ……!」
桶の湯に浸かりながら、コウタは己の堕落を嘆いた。井戸のヘドロ臭は、まるで彼の栄光(?)を嘲笑うかのように鼻を突く。
(神様……このチート、オレのイケメン力を完全に封印してねえか?)
ドンドン。
「入りますよ」
セシリアが静かに部屋に入ってきた。手にはふかふかのタオルと、何やら香りの良い小さな袋。
「まだ気になるのですか」
「そ、そりゃあな! このオレが、人類の宝たるこのルックスを、くさいヘドロで汚しちまってるんだ! 許せねえ!」
「…………そうですね」
セシリアは桶の傍らに腰を下ろし、袋を開けた。爽やかで力強い森林の香りがたちこめる。
「薬剤師さんに調合してもらいました。『英雄を汚した穢れを浄化する霊薬』だそうです」
「お、英雄!? そ、そうだよな! オレは英雄だ!」
「値段は、あなたの次の報酬から差し引きます」
「えっ」
セシリアは淡々と青色の粉を湯の中に散らした。シュワシュワと泡が立ち、たちまち部屋中が清涼な香りに包まれた。
「おお!? この香り……オレのイケメン臭と混ざり合って、最強の男前香りが生まれるぜ!」
「……そうかもしれませんね」
セシリアは桶の縁に肘をつき、コウタの後ろ姿をじっと見つめた。
「コウタ」
「ん?」
「くさいですよ」
「それはわかってるから……って、セシリアまで!?」
「でも」
セシリアの声がほんのり温かくなる。
「私には、あなたの本来の良い香りがわかります。木の葉と太陽と、ちょっと汗ばんだ……懐かしい香りです」
「へ?」
コウタは湯の中でぎこちなく体をひねり、セシリアを見る。
「そんなの……覚えてたのか?」
「ええ。小さい頃、あなたが私を探して森を駆け回った後、いつもそんな香りがしました」
セシリアは、ほとんど目に見えないほどの微笑みを浮かべた。
「だから、このヘドロの臭いも……あなたが私のために戦った勲章の一つです。消えてほしいけど、嫌いではありません」
「…………」
コウタは湯の中に沈み、ぶくぶくと泡を吹いた。
(や、やば……これ、やばすぎだろ……セシリアの攻撃力……)
顔を上げ、息を整えて、コウタはゆっくりと言った。
「……ありがとよ、セシリア」
「はい」
「オレさ……さっきまで、『もっと広く』なんて思ってたけど……」
コウタは湯の水面をぽんと叩いた。
「やっぱりな。オレには……お前だけいりゃあ、それでいいみてえだぜ!」
セシリアのまつげが、ほんの少しだけ震えた。
「……それは、とても光栄です」
「だろ? 世界一の幼馴染が、世界一のオレを認めてくれてるんだからな! ……でもよ」
「はい?」
「オレがこんなにカッコよくなっちゃったら、セシリアだけじゃもったいないだろ? 人類のためにも、もっと活躍しなきゃな!」
「…………はい。その調子です」
セシリアは立ち上がり、タオルを手渡す。
「では、しっかり綺麗になって、人類にあなたのカッコよさを届けてきてください」
「おう! 任せとけ!」
コウタは桶から立ち上がり、水しぶきをあげた。ヘドロの臭いはもうほとんどなく、森林の香りに包まれている。
「ん? でもよ、セシリア」
「何ですか」
「お前……『くさい』って言ったよな?」
「……言いました」
「ふん……覚えてろよ。今度会った時には、オレが世界一爽やかな男になってやるからな!」
「楽しみにしています」
セシリアがドアを閉めていく。その背中に、コウタは叫んだ。
「ああ! それとよ!」
「?」
「……本当に、ありがとな」
セシリアは振り返らず、ほんのりうなずいて部屋を出ていった。
ドアが閉まり、コウタはタオルで髪をゴシゴシ拭き始めた。
(よし……これでオレも新生だ!)
(セシリアのため……ってか、オレがカッコいいのをセシリアに見せつけるために……今日から本気出すぜ!)
彼は鏡に映った自分にウインクした。
(まずは、このイケメン顔を磨き上げて……あ、でもまず髪のヘドロ臭、完全に取れてるか確認しなきゃ……)
そうつぶやきながら、コウタはまた髪の毛を嗅ぎ始めるのであった。
窓の外、廊下に立つセシリアは、そっと胸に手を当てていた。
(……あなたが「私だけ」と言ってくれるなら……)
(たとえそれが、あなたの「モテたい」という想いのほんの一片だとしても……)
(私は、それで充分です)
彼女の頬が、かすかに赤らんでいた。
コウタが気づかないところで、二人の物語はまた一歩、ほんの少しだけ前へ進んでいた。
今回のプロンプト
つぎ絶体絶命なるわけねぇだろ
俺は無敵の男コウタだぜぇ
あああくせえくせえ
これじゃ女の子にもてないよーん




