【短編小説】コリエンド熊
眠りというやつは、入り口が曖昧だ。
夢も同じで、始まりなんてものがない。タイトルカットも無いし、オープニングテーマも流れない。
その日もおれはいつのまにか眠り、そして夢を見ていた。
いまいち調子の優れない原付バイクのエンジンを気にしながら砂利道を進む。
木々に囲まれた道は車2台分ほどあり、私道か公道かハッキリしない。だいたい、行き先も分かっていない。
しかし眠りや夢に巻き戻しなんてのは無い。しばらく進むと、工事現場にあるような鉄パイプの簡易バリケードに行き当たった。
そこには看板か立てられていて
『このさきクマ出没注意』
と書いてある。
道幅いっぱいに建てられたバリケードの端に警備員用の小さな小屋があり、その周囲を掃除している初老の男に目を向けた。
男は竹箒を両手で持ったままおれをじっと見ている。
最初から掃除などしておらず、掃除のふりをしておれを監視していたのかも知らない。
男の目は暗い。
田舎にはよくある、余所者を見る目だ。
ここが夢の中だ。
そしておれは夢の外から来た。実際に余所者なのだから余所者らしく邪険にされるのが筋だろうと思い、コルク帽を脱ぎながら
「クマ出んの」
と訊いた。
初老の男は暗い目でおれを見つめてから
「ダメだよ、行っちゃ」
と言ってようやく陰湿な視線を外した。
そこに掃くものなんて無いが、とにかく男の役割はそこを掃除する事らしい。
改めて竹箒を動かして砂利を右から左に動かしている。
「出るの、クマ」
コルク帽をミラーに掛けながら再び訊くと、男は顔も上げずに
「出るよ」
と言った。
初老の男はおれに興味を失っていた。それで良かった。
とりあえずクマに会わなきゃならない。
たぶん。
この初老の男は夢から出るドアになりえない。ならクマだ。
バリケードの真ん中にある有刺鉄線が絡まった金網のドアを潜ると、いよいよ山と呼ばれる領域に入ったのだなと実感する。
そう言う意味では親切な山だ。
わざわざ玄関みたいなものまであるのだ。
眠りや夢と違って山は始まりが曖昧だからな、などと考えながら歩いていると確かにクマがいた。
茶色いクマだった。
思ったより小さな顔をしていたが、穴のような漆黒の瞳はまるでどこを見ているか分からず、痴呆老人のそれに似ていて不気味だった。
獣臭さと言うものが無い。
剥製のようだと思ったが、そのクマの口からは大量の涎が垂れていた。
「出たなぁ」
おれはそう呟いてポケットから取り出したカルパスをクマの後ろに投げた。
ポケットにカルパスが入っていた理由は知らない。
とにかくそうした。クマに会いに来たは良いが、たぶん食われたら不愉快な思いをする。夢とは言えそれは厭だった。
だからカルパスに釣られている間に全力で走って逃げた。
自然界で人間如き脆弱極まりない存在が強大な野性に対して背中を向けるのは自殺行為だと言うが、そんなのは知った事じゃあない。
ここは夢だ。
おれは走った。
おれは山の中を走り回ると、三階建てほどのアスレチックに行き当たった。
最近はそう言う施設が流行っていると聞いたが、夢の中でもそうらしい。
とりあえず登ったが、太い綱とは言え慌てていると何度も踏み外した。
クマは綱ネットの下をウロウロしており、隙間から落とした足を今にもクマに噛まれるのではと焦った。
不恰好な身のこなしでアスレチックを登り切る。天板から先に進むには綱のネットを行かなければならないらしい。
クマが綱ネットに前足をかけて登り始めた。飛び降りるか、クマと闘うか、このネットを渡るか、それが問題だ。
飛んでも喰われても不愉快な思いをしそうなので、綱ネットを渡る事にした。
枝を伸ばし散らかした木で良く見えないが、その先に何か建物がある気がする。
こんな山の中に?
まぁ夢の立地を気にしても仕方ない。それにクマは近くまで登ってきている。
おれは意を決して綱の網を渡り、その先にある建物に転がりこんだ。
都合よく開いていた窓から中に入る。
暗くてよく分からないが、どうやら図書館のようだ。山の中に?いや、夢の中だからか。
「すみません、誰かいませんか」
さっきの初老みたいなのが出ても困るが、誰もいないって言うのも困る。
「助けてください、クマが出ました」
クマに会いに来た割に間抜けな話だが。
何度か叫んでみたが返事は無い。
所詮は夢の中にある図書館、なんのあてにもならない。
仕方ない。
図書館の階段を上がり、屋上に出てみた。
クマがアスレチックの天板でウロウロしているのがみえた。
あいつが綱ネットを渡るのも時間の問題だ。
やはりあのクマをどうにかしなきゃ夢から出られないらしい。
仕方がない。
図書館の中に戻ると、棚の本が全てブロンド白人女に変わっていた。ブロンド白人女は全裸にタオルを巻いた状態で歯を磨いている。
こいつらとヤリ終わればクマと戦わずに済むのか?
「馬鹿馬鹿しいな」
そう呟くと白人女たちが一斉にこちらを見て何かを絶叫した。
首筋に大量のヨダレが掛かった。
おれは振り向くのも無駄だなと思ってため息をついた。
出口なんてものは無かったらしい。




