12話 城へ
王城ドロステ。
外から見れば、それは白亜の塔が連なる荘厳な「神の居城」だ。
だが、その内側――特に、巨大な城の機能を維持するための裏方は、戦場のように慌ただしかった。
早朝の北門。
大量の物資を運び込む業者の列に、薄汚れた作業着を着た三人の姿があった。
「......屈辱だ」
アザゼルは帽子を目深に被り、ボロボロの灰色の作業着の袖を引っ張りながら唸った。
高貴な天使としての誇りは、今や煤と油の臭いにまみれている。
「文句を言うな、新入りのリネン係。お前はただの荷運びだ」
隣を歩くリドも、同じような作業着姿で台車を押している。
台車には山のようなシーツとタオルが積まれ、その一番下の空洞には、薬で眠ったままのマリィが隠されていた。
「次は俺たちだ。......おいザント、本当に大丈夫なんだろうな?」
最後尾には、全身を分厚い布で覆い隠したザントがいる。機械の身体を見せないための偽装だ。
彼は布の下で端末を操作しながら、小声で答えた。
「ギルレッドの偽造IDだ。あのオヤジの性格は最悪だが、仕事は完璧だ。......たぶん、な」
「たぶんって言うな!」
検問所の兵士が、気怠げに手を挙げた。
「おい、そこの三人。IDを見せろ」
ザントが無言で端末をかざす。
兵士の手元の機械が、緑色の光を放った。
『認証:王室御用達・清掃業者“アルティメット・スーパー・ウルトラ・クリーン・キーパーズ”』
『『『(なんて名前だ......)』』』
三人は同時に眉を顰める。
「......よし、通れ。今日はシーツの量が多いな」
「へへ、昨夜の宴会で随分と汚れたみたいでしてね」
リドが愛想笑いを浮かべながら、手押し車を押して門をくぐる。
アザゼルも無言でそれに続いた。
背中を冷たい汗が伝う。だが、警報は鳴らなかった。
城内に入ると、そこは蒸気と熱気の渦だった。
巨大なボイラーが唸りを上げ、無数のパイプが張り巡らされた通路を、メイドや料理人、清掃員たちが怒号と共に走り回っている。
「どいたどいた! 朝食の準備が遅れるぞ!」
「シーツはこっちだ! 洗濯場へ運べ!」
外の優雅な静寂とは真逆の、泥臭い労働の現場。
アザゼルは圧倒されながらも、どこか懐かしい既視感を覚えた。
天界も、地上も、結局は同じだ。
輝かしい光の下には、必ずこうして泥を被る者たちがいる。
その時――。
(......ッ、まずい)
アザゼルの背筋に、氷柱を突き刺されたような悪寒が走った。
前方から近づいてくる一団。ただの兵士ではない。
――魔力探知機を持った巡回兵だ。
手にした水晶が、周囲の魔力反応をスキャンしている。このまま進めば、荷台の奥に隠されたマリィの微弱な魔力残滓や、ザントの機械反応が拾われる可能性がある。
(回避しなければ......!)
アザゼルは瞬時に判断した。
リドたちと一緒にいれば、怪しまれるリスクが増える。自分が囮となり、視線を誘導する必要がある。
アザゼルはわざと足をもつれさせ、巨大なスープ鍋を運ぶ集団の列へ、強引に身を滑り込ませた。
「おい、危ないぞ!」
「す、すまない!」
怒号に紛れ、彼女は巡回兵の死角となる一本横の通路へと姿を消した。
背後で巡回兵が通り過ぎていく気配を感じる。リドたちは無事通過できたようだ。
ほっと息を吐くアザゼル。
だが、顔を上げて周囲を見渡した時、彼女は舌打ちをした。
「......くそっ、入り組みすぎだ」
回避行動には成功したが、その代償として迷路のような回廊に迷い込んでしまったのだ。
壁の配管は複雑に絡み合い、方向感覚を狂わせる。
とりあえずリドたちの気配を探そうと、角を曲がったその時だった。
――ドサァッ!!
視界が真っ白に染まった。
柔らかい何かが顔を覆い、甘い洗剤の香りが鼻をくすぐる。
誰かと正面衝突したのだ。
「あわわわわ!! す、すみませんんん!!」
情けない悲鳴と共に、大量のシーツが雪崩のように床に散らばった。
シーツの山の中から、一人のメイドが眼鏡をずらしながら顔を出した。
「ご、ごめんなさい! 前が見えてなくて......! 怪我はありませんか!?」
アザゼルは即座に身構え、右小指に意識を集中させた。
敵か? 待ち伏せか?
今の自分は、通常よりも遥かに鋭敏に周囲を警戒していたはずだ。それなのに、衝突する直前までこの女の気配を感じ取れなかった。
(......なんだ、こいつは?)
だが、目の前のメイドからは、殺気どころか、覇気すら感じられなかった。
白色の髪を緩く結び、少しサイズの合わないメイド服を着ている。
慌てふためいてシーツを拾い集めるその姿は、どこからどう見ても「仕事のできないドジな使用人」だった。
「......私は大丈夫だ。お前こそ、気をつけろ」
アザゼルは警戒心を解かぬまま、足元のシーツを拾って渡した。
これほどの隙だらけの人間に、なぜ自分は気づかなかったのか。その違和感が拭えない。
「あぅ、ありがとうございますぅ......。私、昔からドン臭くて......あ、お姉さん、新入りの業者さんですか?」
メイドはアザゼルの作業着を見て、人懐っこく微笑んだ。
眼鏡の奥の瞳が、ふとアザゼルの瞳――その金の輝きを捉えた気がした。
「......ああ、そうだ。迷ってしまった」
「やっぱり! このお城、迷路みたいですもんね。私も来たばかりの頃は、三日三晩迷子になって泣いてました!」
メイドは「えへへ」と笑うと、唐突に声を潜めた。
「あ、でも気をつけてくださいね。そっちの通路を行くと『聖騎士様たちの詰め所』があるんです。今日の騎士様たち、なんだかピリピリしてて怖いので.......」
彼女は内緒話をするように、アザゼルの耳元で囁いた。
「地下の倉庫に行くなら、あそこの配管の裏にある『業務用階段』を使った方が早いです。埃っぽいけど、誰もいませんから」
アザゼルの心臓が跳ねた。
なぜ、自分たちが「地下の倉庫」に行こうとしていると分かった? リネン係なら洗濯場へ行くのが筋だ。
問い詰めようとしたアザゼルだったが、メイドは既に大量のシーツを抱え直し、よろめきながら立ち上がっていた。
「それじゃ、お仕事頑張ってくださいね〜!」
彼女はペコリと頭を下げると、白色の髪を靡かせながら、タタタッと小走りで去っていった。
「......」
その背中を見送りながら、アザゼルは背筋に冷たいものを感じた。
(.......変なメイドだ)
彼女が去った床には、塵ひとつ残されていなかった。
そしてアザゼルは、遅れて気づく。
あの大量のシーツを拾い上げ、走り去る動作の中に――「布擦れの音」が一切しなかったことに。
ただのドジなメイドではない。だが、今は考えている時間はない。
教えられた「業務用階段」へ向かうと、そこには既にリドとザントが待機していた。
「遅いぞアブ! どこ行ってたんだ」
「すまない。巡回兵の探知を避けるために迂回した......それと、妙なメイドに捕まっていた」
「メイド? まあいい、こっちだ」
ギルレッドの地図、そしてメイドの助言通り、その階段は誰ともすれ違うことなく地下へと続いていた。
階段を降りるにつれ、熱気と喧騒は遠ざかり、代わりに冷たく湿った空気が漂い始める。
王城の地下深部――『忘れられた区画』。
かつては牢獄や実験場として使われていたとされる、地図にも載っていない場所。
重厚な鉄扉の前に立った時、ザントが足を止めた。
彼の背中の装甲が、カシャリと微かに開く。
「......おい。ここから先は空気が違うぞ」
ザントの声から、軽口が消えていた。
彼のセンサーが、扉の向こう側に潜む「異常な質量」の気配を感知しているのだ。
「歪んだ騎士か?」
リドがナイフを握る。
ザントは首を横に振った。
「いや、もっと質が悪い。......このプレッシャー、覚えがある」
アザゼルも感じていた。
扉の隙間から漏れ出す、肌を刺すようなピリピリとした重圧。
それは、裏都市で感じた「歪んだ騎士」の狂気とは違う。
もっと洗練された、純粋な「武力」と「知略」の気配。
「中にいるのは......化け物だ」
アザゼルは右小指に力を込めた。
この扉を開ければ、もう後戻りはできない。
静寂の底で、アザゼルたちは覚悟を決めて扉に手を掛けた。




