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翌朝は少し遅めに起きて、みんな揃ってお屠蘇やおせちを頂いた。
例年だとそれで我が家の正月行事が終わるのだが、その年は特別だった。
まず祖父が私の両親も含めた七人全員にお年玉をくれた。
壮太は子供のような笑顔を見せて祖父に何度も頭を下げた後、先生夫妻にお年玉の説明をした。
午後になると先生夫妻と壮太、私たち兄妹で近所の公園に出掛け、薄暗くなるまで凧揚げや羽根つき、独楽まわしをした。
先生たちは日本の伝承遊びに興味津々だった。
私も兄も殆ど経験がない上に不器用で、全くお手本にならなかったが、壮太がそれを十分カバーしてくれた。
まず鮮やかな糸さばきで大きな奴凧を大空に舞い上がらせた。
得意げな表情が子供っぽくて可愛かった。
羽根突きもダントツに上手かった。
本来は羽を落とした人の顔に墨で×印をつけるのだと説明すると、エイプリル先生が面白がってサインペンを取り出し、壮太以外はみんな×がついた。
独楽まわしに至っては知らない人まで立ち止まって注目するくらいの見事な腕前だった。
「なんでそんなにうまいの?」
と聞くと
「子供の頃にじいちゃんが教えてくれたんだ」
と答えた。
じいちゃんという素朴な呼び方が、なぜだかちょっと切なく響いた。
夕焼けを映した壮太の目も、心なしか潤んでいるように見えた。
家に戻ると鍋の用意が出来ていた。
先生夫妻はおいしいと言って何度もおかわりしてくれた。
大柄な二人はいつも食欲旺盛だった。
壮太は祖父の隣りに座り、いつもよりゆっくり食べていた。
私は壮太が遠慮なくお腹いっぱい食べられるよう鍋奉行さながらに気を配り、食べた物がどこに入ったのかわからなかった。
食事の後は双六と福笑いをした。
双六はくじ引きをして男女一組でおこなった。
先生と祖父、アレン氏と兄、父と母、そして私は壮太とペアを組んだ。
私たちが一番先に上がった。
嬉しくてハイタッチしに行くと、壮太は涼しい顔をして指をきゅっと握って来たので、なんでもないふりをするのが大変だった。
福笑いではおかめやアニメキャラがとんでもない顔になり、日ごろ物静かな父までが大きな声で笑った。
私はそっと壮太の様子をうかがった。
初日はやや居心地悪そうな時もあったが、時間が経つにつれて馴染んでいったようで、みんなと同じように笑っていた。
壮太がこんなにも自然に我が家の居間に座っている事が、不思議であると同時に、とても嬉しかった。