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生きてさえいてくれればいい。
会えなくても、壮太がこの世のどこかにいるのだと思えば、私もどうにか生きていける気がする。
壮太の為に、岩村にも元気でいてほしい。
夜になって涙が止まり、全開に出来ないくらいに腫れてしまった目に蒸しタオルをあてながら、心底そう思った。
以前、壮太のお母さんになりたいと言った事があった。
そうだ、息子を婿に出したと思えば良いのだ。
その発想はかなり気に入った。
壮太もきっと笑ってくれるに違いない。
恋人でいる事は完全に諦めた。
だからずっと一緒にいられなくてもいい。
岩村だけを愛していてもいい。
私をお母さんだと思って、必要な時だけ甘えれば良いのだ。
暫くは引きずるかも知れないが、私はこの先ずっと壮太との思い出だけにすがって生きていくつもりはない。
就活と並行して、婚活も頑張る。
でも結婚して子供や孫が出来たとしても、壮太を思う気持ちは一生変わらないと思う。
根拠はないが、永遠に壮太全肯定の、絶対の味方であり続けられるという自信がある。
壮太が岩村に無償の愛を捧げるように、私も壮太に何の見返りも求めない。
壮太が元気で、幸せだったらそれでいい。
とにかく壮太に、この世に岩村と二人きりではない、自分ひとりで全部抱え込まなくても良いという事だけはどうしても伝えたい。
そうじゃないと、壁にぶつかった時、壮太が絶望して早計な道に走ってしまいそうな気がする。
それだけはなんとしても避けなくてはならないと思った。
翌日私は東京に戻った。
五月晴れで初夏のように暑かった。
私は空港から直接千葉のアパートに向かった。
昨夜鳥取で手紙をしたためていた。
眠れぬ夜に何度も何度も書き直して、結局メモ程度の短いさっぱりしたものになった。
『これからは壮太と岩村君、二人のおかあさんになります。
二人の幸せを、陰ながら祈っています。
0x0‐xxxx‐xxxx / erisai●●●@●●●●●●●
携帯の番号とアドレスは一生変えません。
何かあったら、連絡を下さい。
えり子母さんより』
割烹着姿のユーモラスな自画像も添えた。
引き払うにしても、一度は戻って来るだろうから、アパートに手紙を置いておけば確実に読んでもらえると思った。
近づくに連れて、私の手紙を壮太が待っているような気になり、階段を上がるのももどかしく、廊下は殆ど小走りだった。
二階の一番奥の部屋のドアが見えた時、私の足は突然もつれた。
ドアノブに、そこが空き室である事を示す電気ガス水道の使用案内が入ったナイロン袋が吊り下げられていたのだ。
甘かった。
ショックというより、呆れた。
今は業者が何でも引き受けてくれるから、本人が来なくても引越しは出来るのだ。
だけどそれにしたって壮太は対応が早過ぎる。
そして私は遅過ぎる。
大きくため息をつくと、ドアノブのナイロン袋が揺れた。
私は鉄の階段を、ダン、ダンと重い足音をたてて降りた。
それから駅に向かって歩き出したが、足に力が入らなくて少し歩いては立ち止まりを繰り返し、そのうちに道がわからなくなった。
何度となく通った道で、どうして迷ってしまうのか?
情けなくて、涙が出て来た。
壮太が二十年以上過ごした街なのに、ここには壮太の面影も匂いも欠片さえ残っていなかった。
強い日差しを遮るふりをして泣き顔を隠しながら、私はのろのろと歩いた。